第97回(2008年1月1日I'm back

 ICUでうつらうつらしていると主治医で執刀医の教授が他の先生達と一緒に来て
「100%完璧な出来だよー。 すぐ、良くなるよ」と元気付けてくれた。
 この言葉がずっと精神的な支えになって、術後、身体もメキメキと回復できたのです。

 私が受けたのはベントール手術(Bentall)という、とても難しい心臓手術です。
後で、色々な人と話をしたのですが、執刀して下さった先生が日本一だそうです。

 手術時間は5時間の予定だったのですが、何もかもスムーズにいって、2時間ほど早く終わりました。
その分、私の回復も早くて、手術の翌朝、ICUの先生が
「8時になったから、朝御飯ですよ」とベッドの上にテーブルをセッティング。
ベッドを立ててもらって、座って朝食。

 メニューは重湯とカットフルーツ、卵とじと牛乳。
まず、フルーツを全部食べて、次に左手で丼を持って、重湯も完食。
牛乳と卵とじは嫌いなのでパスした。

 担当の先生が「これから、朝イチで部屋に帰りましょう」と迎えに来てくれた。
「私は歩いて部屋に帰りたい」と言ったのだけど
「それは、ちょっと前例が無いから、車椅子で、」

 術後はダラダラと寝ていたらアカンと先生から言われていたので、
その日は夜まで本を読んだり、散歩をしたり。
血糖値を測りにナースステーションへ行ったり、ティー・ラウンジへお茶を取りに行ったり。

 術後2日目は病棟のある3Fから1Fへレントゲンを撮りに行った。
この日はまだ、お腹から管が出ていて、先端には赤い提灯袋がぶら下がってる。
何処へ行くのも、ソロリソロリと歩いてた。
そんな私をオジサンが抜かしていって、エレベーターに乗り込み戸を閉めた。
「あー、タッチの差で乗れなかった、、、」走れないのが悔しい、、、、

 レントゲン室の前でオジサンと話をしたら、ナンと、私の2日前にベントール手術をしたそうだ。
私より10歳も年上だけど、「僕は手術の翌日からこんな風に歩いているよ」とすごい元気そう。
下半身の手術をしたわけでもなし、何でゆっくり歩いてたんやろー、バカみたい。
翌日からは私も普通に歩いた。

 術後4日目には階段を上がり降りしたり、5日目には1人でシャンプーしたり、
6日目には1人でゆっくりシャワーにも入った。
暖かいお湯に打たれると、身体の中からメキメキと治っていく感じがする。

 術後は以外な事だったけど、どっこも、ちっとも、痛くなかった。
痛くないので、ウロチョロしすぎて、痛み止めは3日でヤメになった。
痛み止めを飲まないと、傷なりに痛い、そんな気分になるけど、
打ち身で青じんだ所をさわると痛い、軽いやけどでヒリヒリ、腹筋をしすぎた翌日、そんな感覚。
たいした事はありません。

 この大学病院の心臓血管外科では手術の翌日から全員、しっかり御飯を食べて、歩く。
皆、回復が早くて、術後10日から2週間で退院する。
私は連休を挟んだので、術後12日目に退院。

 退院の帰り道には近くのミホ・ミュージアムへ寄った。
翌週には、大阪へ洋服のバーゲンに行き、ホテルでランチ。
ホントに、心臓の手術をして、これくらいの速度で回復できます。

 入院患者の中で私はすごく若い方だった。
ほとんどの患者さんは70歳以上。
だけど、畑仕事をやっている人やら、バリバリと現役で動いている人たちで、パワーがある。
生きる意欲のある人、治す気のある人ばかり。
手術して心臓を元気にして、人生、もうひと頑張りって感じ。

 私の場合、見つかった時、選択肢は3つだった。
1.何時、何処で破裂するかわからないけど、このまま普通に暮らす。(トイレやらお風呂で破裂したら悲惨〜)
2.静かに暮らして、だんだん心不全になって寝たきりになって死んでいく。(そんな消極的な生き方は無理)
3.手術して元気になり、元通りの生活をする。
 
 3以外に選ぶ余地がないでしょう。
やるなら、身体の他の部分が元気なうちにするのが一番。

 手術の日は入院して1週間後だったけど、「早まらないかなー」と密かに願っていた。
入院してから破裂、そんな超アンラッキーになったらヤダ。
破裂したら即死、なんて怖いことを言われてました。
結果、半日だけ早まった。 ラッキー。

 この大学病院を紹介されて、初診外来で来たときから、「良い所を紹介してもらって良かった」と思った。
入院して、何度も何度も 「この病院に来れて、良かった」と思った。

 新築1ヶ月の病棟に入ったので、部屋はいつも泊まるロンドンのヒルトンホテルより綺麗で明るい、静か。
食事は古伊万里の食器ではないけれど、陶磁器の食器で家の御飯のような献立と味付け。
食器は一度だって、欠けていたことも、ヒビが入っていたことも無かった。
掃除は一日に何度も係りの人が来てくれて、パジャマの交換も希望次第。
とても居心地がいい。

 主治医の教授は明るくて、優しい。
どの患者さんにも、分け隔てなく優しい。
定期回診以外にも、1人で夜に患者さんの部屋をまわって、様子を聞いたり、話をしたり。
手術前には「手術は僕にまかして」と一人一人の患者に言ってくれる。

 他の先生や看護師さんたちは、何を質問しても必ず答えてくれる。
「頭のCTを撮ったけど、詰まってませんでしたか?」
「胸の骨がどんななってるかレントゲンを見たいんですけど」
聞くと、即答
「頭、全然、大丈夫でしたよ」
「レントゲン、今から一緒に見ましょう」
各検査室では、モニターを見ながら、先生達が何の為にこの検査をやって、
モニターはこんな風に見て、結果はこんな、こんなです、と詳しく説明してくれる。

 どの先生も看護師さんたちも、物事をウヤムヤにしたり、ゴマ化したりしないから、
すごく信頼できて、入院中に何の不安も心配もない。
お見舞いに来た家族や従兄弟たちも
「ここの病院はすごいなー。 看護婦さんが、ものすごく優しくて、よう仕事しはる」
「私ら、今度、入院するのやったら、絶対ここやわ」
友彌人や従兄弟は男なので、見方が違う。
「ここの看護婦さんは、美人ばっかりやなー。誰が選んだはるのかなー」

 私の担当の先生は寡黙でストイックな感じの人。
あまり話をしないけど、しっかり様子をチェックしてくれている。
検査結果の私の数値を無理に薬で標準値に合わせようとしない。
私の体調を見て、楽な状態に調整してくれる。
術後には色々な制限もなし。
マニュアルやら数字に捕らわれずに、患者の状態で治療をしてくれる。
 入院して早い時期に「この先生の言うとおりにしてたら安心だ」と思ったので
手術のことも、先のことも、何の不安もなかった。

 しかし、先生にも看護師さんにもわからない患者だけの心配もある。
そういうのは、早朝や夕食後、ティー・ラウンジで患者同士のコミュニケーションで解決。

 入院して3日目、ラウンジで10歳ほど年下の女性と知り合った。
胸の傷が痛々しい。
私「その傷、痛ないの?」
彼女「ぜーんぜん。切ったとこは、初めから何にも痛ない。
   他の人らも、皆、痛ないって言うてる。その代わり、背中とか肩がこるなぁ」
私「手術の時にオシッコの管て何? いつ付くの?」
彼女「そんなん、皆、知らん間について、取れてるわ。目が覚めたら何にも無いもん」

 私が手術して4日目の夜、ティーラウンジに居ると2軒隣の個室のオジサンが来た。
「僕、明日、手術やけど不安で不安で、、先生はまかしてと言ってくれるんやけど」
私「エーッ、手術なんか何にも怖いことあらへん。全然、大丈夫や。
  切ったとこも、ちーっとも痛ない。 次の日から歩けるもん。 私、4日前に切ったの」

 オジサンは大いに勇気づけられたらしく、術後に最初に会ったときに付き添いの奥様に
「この人や、話してた人」と紹介してくれた。
彼も、術後、メキメキと良くなって「孫を抱けるのは3ヵ月後なんや」とお孫さんを紹介してくれた。

 入院中は、毎日、CDを聞きながら、読書三昧。
一日中、好きな本を読んで過ごしたい、のが夢だったので、一応、夢は叶った。

 部屋の窓からは琵琶湖と比良の山々、比叡山の後姿が見える。
京都から見る比叡山が正面と思ってるので、琵琶湖側から見るのは私にとって後姿。
ある日は琵琶湖に虹がかかっていた。
そんな景色を見ていると
「生きてるって、嬉しいなー。空も山も虹も綺麗。
 本当なら、12月1日に飛行機に乗った時か、それまでに私は居なくなってたはずや」
何だか、嬉しい気持ちでいっぱいになって、涙が溢れてとまりませんでした。

 初めて会った私を助けてあげようと、一番良い方法を選んでくださる先生達に順にめぐり会えて、
本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 切った所の傷は、近い将来、首の筋か手の平の筋1本くらいになりそうです。
看護師さんたちや検査の先生達から「傷がきれいや」といつも誉めてもらって、ちょっと得意でした。
きれいに切って、きれいに閉じてくださった担当の先生、ありがとう。

 そんなこんなで、今は元気にしています。
3週間の有給休暇をもらったような感じです。

 友彌人はすごく心配していたようです。
店での展示会、HP、炊事、洗濯etcの家事と病院通い、買い物、を1人でこなしてお疲れさん。
手術前も手術後も毎晩、熟睡の私に比べて、目の下に三重のクマが出来てたのが印象的です。
夜も寝られなかったようです。
お見舞いに来ると、部屋のソファで昼寝してました。

 色々と大変だったけど I'm back です。
今年もよろしくお願いいたします。

 by mikiris


第98回(2008年2月1日海外で被害に遭う・・パート6

 もう7年も前の話です。
2000年2月の出来事です。

 ルルルルルー。
毎日、日本時間の昼過ぎにヨーロッパへ仕入れに行ってる店主から電話が入る。
「昨日はあそこでこんな物を仕入れた」
「今日は遠出をして、目先の変わったものを仕入れてくる」
「期待していたフェアは空振りやった」等など。

 その日もいつも通りの定期コール。
「昨日の夜、ロンドンに到着して、トラベラーズチェックを替えた」
「そう、では、一日頑張って仕入れしてください」

 電話を切って、20分後、店主から又、電話。
「大変なことになった! どうしよー、どうしたらええ?!」
私「何?」
「さっき、電話してる間にスリにやられた。
 周りに誰も居なかったのに」

 セキュリティを考えて、泊まるのはヒルトンホテルだけど、部屋の電話を使うと高いので
連絡は道端の公衆電話を使ってた。
冬の早朝は真っ暗。イギリスの朝は8時にならないと明るくならない。
そんな中、ホテル前の公衆電話を使っているうちにスリにやられてしまいました。
 部屋にもどると肩掛け鞄が開いていて、中の貴重品袋がなかったのです。
慌てて、もう一度外に出て、公衆電話からかけてきたのです。

 私「何、盗られたん?」
「昨日替えたポンドの現金とトラベラーズチェック、航空券。
 どうしよー、」
店主はパニックになってしまって、これはイカン。

私「とにかく、部屋に戻ってお茶でも飲んで落ち着いて。
  全部、私が処理するし、安心して。
  それと、これからは高くても部屋から電話して」

 電話を切ってから、大忙し。
盗られた現金はあきらめよう。
航空券とトラベラーズチェックを換金されないように手配しなくては!
日本の会社が夕方5時までしか連絡がつかないなら、あと1時間しかない。

 最初にクレジットカードの会社に電話をかけてみた。
よく、盗難にあったら保証するとパンフに書いてある。
電話の先の相手は木で鼻をくくったような返事。

私「航空券の盗難に遭いました。 チケット代は返ってきますか?」
そちらのカードで買って、ビジネスクラスなんですよ」
(ホントはエコノミーの券を買って、マイレージのポイントでアップグレードだった)
「規定があって、ヨーロッパ往復の航空券の保証は4万円です。
 警察へ行って、盗難証明書を発行してもらってください」

 ケッ、こんなことでは、話にならへん。
パンフにええ事ばっかり書いて、ウソつきー!

 とにかく、航空会社にかけてチケットの換金を止めてもらおうと思った。
ところで、航空券はKLMオランダ航空だったのに、私はマイレージの提携先のノースウエスト航空へ電話をしてしまった。
東京のノースウエストの対応は本当に素晴らしく、有り難いものだった。

 早速、オランダ航空へ連絡を取って、今後の処理を全部してくださったのです。
盗られた航空券の換金を止めて、新しい航空券の再発行手続き。
何度も自宅に電話をもらいました。
最後の最後まで、ノースの東京事務所の方が対応してくれたのです。

 結果、店主が出発までにヒースロー空港のオランダ航空のカウンターへ行き、
再発行手数料75ドルを払って、同じ便の同じ席を出してもらうことになりました。

 トラベラーズチェックは番号を控えた紙も一緒に盗られてしまって、どうしようもない。
チェックを買った信用金庫へ連絡しなければ。
いつも、この信金の外為の人が店に来てくれていたので、営業時間外だったけど電話してみた。

 何月何日頃にポンドとユーロのチェックをこれくらいの金額買った。
それだけの情報で調べがついて、番号がわかった。
この番号が換金されないように止めて、再発行の手続きがいる。
AMEXの国際フリーダイヤルへかけて見た。
この時点でロンドンの朝、8時半。

 電話はトラブル処理係りの日本人女性の携帯へ転送された。
テキパキとした有能な人で、通勤途中と言いながら、処理を進めていった。
調べてもらうと、チェックは換金されてなかった。
この女性が素早く手続きをしてくれて、私に何度も電話をして状況を説明してくれた。
チェックの再発行はロンドンのAMEXの事務所ですぐにできた。

 友彌人はいつも通りに仕入れをこなして、新しいチェックも航空券も手に入れた。
ホテルの横が警察だったけど、どっちみち戻ってこない現金の為に時間を取られるのももったいない。
結局、警察へは行かなかった。
もし、私が一緒に居たなら、絶対に行ってた。
イギリスで警察署に入って、色々するなんて経験は滅多に出来るもんじゃない。
中がどんななってるか、興味ある。

 店主の次の移動先はオランダとベルギー。
ベルギーの友達の所へFAXを送った。(友達はPCを持ってなかった)
 「友彌人がロンドンでこんな目に遭ったので、優しくしてやってね」

 たまたま、家具ディーラーの友達がベルギーに居て、話を聞いて、日本に電話してきた。
「大変なことやったなぁ。
 仕入れのお金が足りひんのやったら、明日、僕がベルギーからオランダまで持っていってあげる。
 僕のお金もあるし、友達に借りてもいいし。
 幾らあったらいい?」
「ありがとう。
 でも、AMEXのチェックが全部、再発行されたし、大丈夫や」

 海外で困難な状況になったとき、テキパキと処理をして、
不安にならないように何度も連絡を入れてもらうと、
「ああ、物事は良い方向に進んでいる」と安心する。

 私に対応してくれた人の他、沢山の人が好意をもって動いてくれたんだと思った。

 店主はその後、オランダでシムカードの携帯を買い、日本以外の世界中でこの電話を使ってる。
日本の携帯も3Gなら海外でも使えるので、今はとても便利になった。

 友彌人は秘密主義で色々な事を人に話しません。
この話だって、絶対に自分からしない。

 私は頭に浮かんだ事をそのままカミングアウトの方です。
あんまり、色んなことを気にしない。

 知り合いの骨董屋さんに
「この人、こないだ、スリにやられはってん」
なんて話をすると、横で目を丸くして私をにらむ人、若干1名。

 しかし、骨董屋さんたちはあっけらかんとしてる。
「ふ〜ん。 あ、そう。
僕もそんな事あったよ」

「えー、私もそんな事あった。
 劇場のチケットを買うのに並んでいたら、後ろからすごく押されて、財布を盗られてた」

「僕はホテルの前に路駐してて、翌朝、後ろのガラスが粉々だった。
 置いていた荷物も全部盗られた」

「パリの露天の近くに車を置いていたら、フロントガラスが粉々。
 何もかも、盗られてた」

「電車から降りたら、財布もカードも免許証もなかった。
 1人で座っていて、隣に誰も来なかったのに、、、不思議やー。
 財布にはちょっとしか現金がなかったけど、後の手続きが面倒やった」

「地下鉄の中で航空券と財布を掏られた。
 警察へ行ったら、そんな人ばっかり長蛇の列やった」

 その他にもホテルの部屋で鍵をかけて置いていた旅行鞄からノートPCを盗られた人が2人。
同じく部屋で旅行鞄からカメラやお土産類を盗られた人が2人。

 ロンドンのフラットを2週間借りて、仕入れた品物をどんどん貯めていたら、ある日、留守中に空っぽに。
前に借りていた人が合鍵を使って入ったらしい。

 数え上げたらキリがないほど、皆、何やかやとある。

 骨董屋はこんなとき
「お金で済むことや」と言う。
 
 この言葉は奥が深い。
お金より大切な物が沢山あるし、それくらいの事でクヨクヨしても仕方ない。
終わったことは終わったこと。
さ、次、行こう!

 by mikiris


第99回(2008年3月1日アンティークレースmini-dic

 アンティークレースは糸の工芸品として、なかなか面白い骨董の分野です。
私自身はレースを身につけたり、インテリアに飾ったりする雰囲気ではありません。
でも、海外の本やレース辞典を参考に、種類や産地、時代、技法を調べるのは大好き。

 手元のレースを10倍の拡大鏡片手に睨むのは、仕事と趣味が一緒になったよう。
大抵のレースは拡大鏡なしで、何年頃のどこの国のレースで名前は○○、技法はこんな風、とわかる。
しかし、初めて見るレースがあったり、変わった技法だったりして、頭を悩ますときもある。
あれこれ本をめくって、拡大鏡片手に調べる。
難しくて、調べてもなかなか確定できない時はやりがいがあって、一番楽しい。

 調べ方は絞込み作戦。
まず、ニードルレースかボビンレースか、それ以外の方法で作っているか。
ニードルレースは針と糸で作る土台のない刺繍。
ボビンレースはピローの上にピンを立てて、何本ものボビンを交差していく織物。
それ以外にはかぎ針、シャトル、フックを使うもの、棒針編み、ミシン刺繍の物など。
色々な技法を混合した物もある。

 次に、もう少し細かな特徴を見る。
イギリスのレースか、ベルギーのレースか、イタリアのレースか、それ以外の国か、、、
昔は各地のレースの作り方が門外不出だったので、それぞれに決まったパターンや癖がある。

 産地が解ったら、レースの種類を特定して、最後に時代。
これは糸の細いことや種類、デザイン、グラウンド(土台)に特徴が表れる。

アンティークレースは麻糸、綿糸、綿麻の混合、絹糸、ウールが95%。
たまに不思議な植物繊維や銀糸、金糸、特定できない細い金属のレースに出会う。

 焼き物の分野では伊万里や清朝の磁器と同じものを作ろうとして、ドイツのマイセン、
オランダのデルフト、イギリスのウスターは大きく発展した。
製法が門外不出だったので、製品を見ながら同じものを作ろうとした結果、独自の陶磁器を確立した。

 レースの世界も同様で、17世紀のイタリアのベネチアングロポイント(Gros Point de Venise)、ローズポイント、
ポワンドネージュ(Point de Neige)を再現しようとして出来上がったのが、アイルランドのアイリッシュクロシェ
(Irish Crochet)、ベルギーのロザリンペルレ(Rosaline Perlee)。
スイスのケミカルレースはグロポワンやアイリッシュをミシン刺繍で再現したものだし、
オリジナルを模したマシンレースも色々ある。

 1年間に5,000点程レースの分類をしていますが、骨董品の常道で、実物を沢山見て、手にとって、調べると目が上がる。
時間をかければかけるほど、上達も早い。
美術館や博物館、本で見ているだけでは、なかなか。。。。

ただ、近年、私も目がローガン傾向で、晴れた日の窓際でしか作業ができません。

 昔のレースの織り子も窓際や屋外で作業していた。
レース教室も露天。
夜はろうそくの火を水を入れた水球で大きくぼやかして、その灯りで刺繍をしたりレースを織っていた。
技術も根気もセンスも要る、大変な作業です。
彼女達は私より早くから老眼に悩まされてたと思います。

 さて、簡単な見分け方と画像を用意しました。
ちょっと、お勉強してみませんか?
イリスの展示会テーマにちなんで、今回はベルギーのレースです。

Point de Gaze(ポワンドガーズ)
19世紀、ベルギー、ニードルレース
極細の糸で土台の網目も丸い模様も全て1本の針と糸で刺繍のように作る
糸は1本で使う部分と数本まとめて使う部分と有り
ボタンホールステッチを詰めたり、ルーズにして模様を作る
薔薇の花びらを追加した立体的なデザインが人気
ベテランの作り手でも1日で1cm角しか作れない緻密な作業のレース
世界で最も手間がかかって、値段の高いレースの一つ
19世紀ポワンドガーズ

Brussels mix(ブリュッセル ミックス)
19世紀、ベルギー、デュシェスとポワンドガーズの混合レース
ブリュッセル デュシェスと表記されていることもある
繊細なボビンレースとニードルレースを組み合わせた複雑で華やかなレース
可愛らしいデザインの物が多数ある
ウェディングドレスやベールは豪華な仕上がり
当時の服飾の流行で、丸い大きな衿が多い
19世紀ブリュッセルミックス

Duchesse(デュシェス)
19世紀、ベルギー、ボビンレース
繊細なボビンレースで植物をモチーフにしたものが多い
葉に葉脈が付いている
三次元の葉の付いた高度な技術を使ったデザインもある
上品で手の込んだデザインの物が多い
ウェディングドレスやベール、細長い衿が多い
ボビンレースは型紙の上にピンを打って、上から糸を重ねていく技法
型紙に面した方が表になる
製作中は表面を想像しながら、裏面を見ながらボビンに巻きつけた糸を重ねたり、よじったりする
複雑な柄だとボビンを500本以上使う
一度に全てを動かすのではなく、ハットピンなどで除けて置き、作業の進行状態に合わせて戻す
19世紀デュシェス

Brussels(ブリュッセル)・・英語表記、フラマン語(Brussel ブルセル)、フランス語(Bruxellesブリュッセル)
18-19世紀、ベルギー、ボビンレース
複雑で美しいデザインの繊細なボビンレース、
縁取りの太い糸(gimp)を使ってデザインにアクセントがある
18世紀の物はdroschel ground使用
楽しく、自由な感じ、流れるようなモチーフの物が多い
19世紀末からBrugesのような丸い花をモチーフにしたデザインが増える
画像は1750年頃のブリュッセルボビン
18世紀ブリュッセル

Bruges(ブルージュ)・・英語表記、フラマン語(Bruggeブルッへ)、フランス語(Brugesブリュージュ)
19-20世紀、ベルギー、ボビンレース
ニードルを使わないデュシェス、果物や木の実をモチーフにしたデザインのレースが多い
総じて、織り方が丁寧
19世紀末になるとテープをぐるぐると回したようなデザインが主流
白、生成り色の糸で、可愛らしいレースが多い
糸の太さは後になるほど太い
19世紀 ブルージュ 19世紀ブルージュ

Brussels Needle Applique(ブリュセルニードルアプリケ)
19世紀、ベルギー、マシンネットにニードルレースをアプリケ
ネットもニードルも極細糸で繊細
ウェディングベールや太巾のボーダーなど、大きな作品が多い
ニードルだけで製作するよりも早く、色々なデザインが出来た
19世紀ブリュセルニードルアプリケ

Brussels applique/Mixed Brussels applique(ブリュッセルアプリケ)
19世紀、ベルギー、マシンネットにボビンレースとニードルレースをアプリケ
ネットもアプリケのレースも極細糸
どのようなデザインも自由自在で、植物、動物、鳥、人物など華やかで楽しい
ウェディングベールや豪華な衿、袖、オーバースカートなど大きな作品が多い
19世紀ブリュッセルアプリケ

Binche(バンシュ)
18-19世紀、ベルギー、ボビンレース
フランスとの国境に近いバンシュ村の修道院が発祥の地
細い麻糸で織った薄くて軽いレース
gimpを使わないフラットレース
グラウンドはoeil de perdrix、snowflake groundを使用
18世紀バンシュ

Potten Kant(ポテンカント)
18−19世紀、ベルギー、オランダ、ボビンレース
花瓶の花や一方向から見るデザインの花柄のデザイン
モチーフにgimpで縁取りをしている
グラウンドはoeil de perdrixやcinq trous groundを使用しているのが多い
18世紀ポテンカント

Rosaline(ロザリン)
19世紀、ベルギー、ボビンとニードル
一見、テープレースに見えるが全体をボビンとニードルで製作
丸くクルクルと回った花のデザイン、中心に穴が開いている
この穴部分をボタンホールステッチで埋めたものがRosaline Perlee(ロザリンペルレ)
Perleはフランス語で真珠
19世紀 ロザリン 19世紀ロザリンペルレ

Mechelen(メッヘレン)・・フラマン語表記
18−19世紀、ベルギー、ボビンレース
極細糸でフラット部分、縁取りにgimpギンプを使う
薄く透き通るガーゼのようなレース
土台部分はMechelen eis groundやFond d'Armureが多い
simple groundで織っているのもある
ほとんどのデザインは植物柄
18世紀メッヘレン

Princesse Lace(プリンセスレース)
20世紀初頭、ベルギー、マシン・テープ・ニードルの混合
ブリュセルミックスを早く製作できるように開発されたレース
テープレースを曲げたり、折ったりしてニードルで繋ぐ
モチーフにポワンドガーズを模したマシンレースを入れる
マシンとハンドを上手く組み合わせた可愛らしいレース
20世紀プリンセスレース

将来的には新たなコンテンツとして、イギリスやフランス、イタリアのレースのミニ辞典も書いてみます
2003年、学習研究社から発行の「私のアンティーク No.29」でアンティークレースの見分け方を解説しています。

  by mikiris


第100回(2008年4月1日禁断の、、

 自分の中でこれだけはやっってはいけないと心に決めてることがあって、
私の場合はビデオ屋さんで海外テレビドラマを借りること。

 普段からテレビ嫌いなので、週に2−3本、映画のDVDを借りてくる。
2日に分けて半分づつ見たり、家なら小分けにできるので2時間の映画も気合を入れずに見られる。

 洋画も邦画も話題作を見てしまうと、何を借りたらいいか悩む。
しばらくは日本のTVドラマで過去に放送されたのがDVDになったのを借りてた。
一日に2話ずつなど、まとめて見られるのが気に入った。
「離婚弁護士」とか「時効警察」は面白かった。

 一巡して、次に何を借りるか悩んでしまいました。
昨年の年末、ついに、海外のテレビドラマの「CSI」を借りてしまいました。
やっぱり、はまってしまって、大変なことになった。
今や、毎週、4本ずつ借りる生活。
1本に3話入ってる。 40分X3話。
毎晩、夕食後は居間がシアターになる。

 Crime Scene Investigation、科学捜査班の話で、一話完結。
現在、警察でこんな風に呼ぶのか、昔は鑑識と呼んでいたと思う。
舞台はラスベガス。
砂漠の中の大都市、カジノと結婚式場の町。
導入部分がお洒落で、ベガスがカッコいい町に見える。
カジノや高級ホテルはすごいけど、下町は荒れている。
事件は毎日、どこででも起こる。
アメリカは病んでいるなー。
日本は平和で静か、とつくづく思う。

 一話で3件くらいの事件を並行してそれぞれの担当捜査員が解決する。
殺人事件、事故、昔の事件の掘り返し。

 毎回、解剖の場面があって、死因を究明する。
ERとかグレイズアナトミー、医龍は生きた人間の手術場面が有る、、と思う。(見たこと無いけど、、)
「私の手術もこんなんやったんかなー」と身につまされる。
だからそんなDVDは借りない。
その点、CSIで解剖されるのはBODY(死体)ばっかり。
銃で撃たれたのや砂漠に長く放置されたのや、クチャクチャになってる。
こういうのは見ても全然、平気。

 ラボでは最新の機器を使って、DNA鑑定やら銃痕を調べたり、指紋を検出したり。
世の中、進んでるな〜、て感想。

 科学捜査班の主任は50才過ぎのかたぶつオヤジ。
コイツが結構、もてる。
中年の独身男は世界的に希少品。
だから、ハンサムないい女は見逃さずにキューッと行く。
しかし、カッコいい女達は去って行くんだな、残念ながら、、
人間、あんまり堅物すぎてもアカンなぁ。

 英語上達の為なら、英語音声、英語字幕で見るのがいいんだろうけど、そこまでガッツがない。
英語音声、日本語字幕で見ています。
字幕には字数の制限があるので、話が繋がるように訳してある。
毎日、毎日、英語を聞いてると、聞き取りが良くなって、
会話をオウム返しにそのまま言ってみたり、
字幕に訳してない、ウィットのある言葉が聞き取れたりする。
そういうのって、結構、楽しい。

 皆がしょっちゅう使ってるのが、今、流行の単語なのでしょう。
一番聞くのは「Definitely」
「その通り」「確実にね」「絶対にね」という感じ。

 誰かが話したことに相槌を打つか、私も同意見と言うときに使う。
普段、私たちの日常会話に置き換えてみると
京都や滋賀県の男友達の使う「やな」。
女友達は「そうやな」とか「やなー」と言う。

 こんな感じで外国の友達と話すとき、「Definitely」を使ってみたら、反応はどんなんか楽しみ。
次回の仕入れの時にイギリスとオランダとベルギーで各国の友達に会うので、それぞれ試してみます。

 聞きかじりの、ちょっとした単語を使うと、相手は騙されて
「英語、上達したねー」と言うかも知れない。

 そう言えば、英語の表現で上手いこと言うなぁーと思ったのがある。
入院中にフィンランドの友人と携帯メールでやり取りしていたのだけど、
手術の前夜に
「Tomorrow, you are in my thought」(明日はあなたのことを思ってる)とメールを送ってくれた。
 こういう言い回しも要チェック、チャンスがあれば使ってみよう。

 海外のTVドラマは他にも沢山ある。
「LOST」「24」は連続物で、1話ごとに to be continue(続く)といわれる。
これは苦手だ。
前に「ツインピークス」で同じ目にあった。
やめられない、止まらない、休みの日はビデオで終わり、夜も寝不足。

 CSIはマイアミシリーズやNYシリーズもある。
クエンティン・タランティーノが監督をしているシネマもある。
でも、やっとベガスを全部見終わったのでしばらくお休み中です。
映画の無い日々を過ごしてます。
四月になったら、「Bones」、骨が本当の事を知っている、もレンタル開始。
これも面白そう。

 DVDお休み中はせっせとCDをレンタル。
昨秋、「服部良一」のトリビュートアルバムを買ってから、トリビュートがお気に入り。
1人の作曲家や歌手の曲を何人もの歌手が参加して一枚のCDを作る。
本家の方が良いのと、他の人が歌っているのが良いのと、色々。
バージョンが変わって、同じ曲と思えないのもある。

 中学生の頃から、音楽はジャズとボサノバ一辺倒だったのに、
この年になって、急に日本の歌謡曲やらも聴くようになった。
アート・テイタム、ベン・ウェブスター、ケニー・ドリュー、バド・パウエルが
米米クラブ、井上陽水、大瀧詠一になった。

 色々と借りてきては、PCでダビングして、カバーもカラーコピーで同じのができる。
ちょっと前まではCDを鳴らしながらカセットに40分とか50分かけて録音していたのに、
そんな事は今は昔。
PCでダビングは1枚につき2−3分。すぐできる。
CDのコレクションが増えて、あれこれ選んで聴くのも楽しい。

 お風呂上りなんかに、ゆっくり音楽をかけながらストレッチ。
ここ最近の至福の時間です。

 by mikiris


第101回(2008年5月1日海外で被害に遭う・・パート7
 
 3月26日から4月9日の約2週間、店主と共にヨーロッパへ仕入れに行ってきました。
術後4ヶ月たったので、海外旅行もOKです。

 マイレージのポイントが40万マイルも溜まっていたので、24万マイルを使ってビジネスクラスを予約。
座席も乗り継ぎをあわせて、全便で2列目の窓際をリクエストした。

 出発の朝、5時に起きると、KLMオランダ航空よりメールが来ていて
「本日のオランダ行きは欠航になりました」

 KLMでアムステルダム経由ロンドンへ行く予定だった私たちは
エールフランスに振り替えになり、パリ経由、ロンドンへ入ることになった。

 エールフランスのビジネスクラスは初めてだったけど、超快適。
乗れるものなら、ずっとこれで行きたい。

 コクピットの後ろにファーストクラスが4席x2列あり、
その後ろにビジネスクラスが7席x2列ある。
機材が新型で、説明書も印刷できてなく、スチュワーデスさんも使い方が良くわからない。

 椅子は揺りかごか、マユのような形で病院のベッドのように直角になったり、ほぼ水平になったり。
マッサージ付きでボタンを押すと背中をローラーがグリグリしてくれる。

 食事もホテルの高級ランチみたいだった。
厚手のリネンを2枚重ねて、前菜とメイン、チーズが3種類、デザートとコーヒー。
すごく美味しくて、大満足。
久しぶりに飲んだフランスのコーヒー、cafe noir、イタリアのエスプレッソよりまろやか。
エールフランスのビジネスクラス機内食
 KLMの飛行機が欠航になって、ラッキー。

 ロンドンへ到着して、空港で荷物が出てきたら、店主の大きな旅行鞄の足が陥没していた。
「いやー、こんななってしもて、言わなあかんわー」と荷物のカウンターへ。
係りの人は、鞄は何年使ってる? 幾らで買った?と質問して書類を書いてくれた。
「修理をするなら3週間かかります。
このまま使って、日本のエールフランスへこの書類を渡して」

 旅行中に新しい鞄を買おうと探してみたが、ハードケースは同じサイズだとイギリスでもオランダでも8万円程する。
布の柔らかいケースだと1-2万円くらい。
結局、ガムテープを貼りたくって、騙し騙し使って、日本まで連れて帰った。
税関を出る前のエールフランスのカウンターで書類を渡すと、同じサイズの旅行鞄のカタログを見せて
「この中から好きなのを選んでください。
 在庫があれば、明日、自宅に届けます」

 今までの鞄は大きなサイズでちょっと持て余し気味だったので、一回り小さなハードケースにした。
「こういうのって、焼け太りって言うのんと違う?」と私。

 ロンドンの空港から地下鉄とタクシーを乗り継いでホテルへ行こうと歩いていると、ダフ屋みたいなのが来た。
ダフ屋はパンフを見せて、
「このタクシーならロンドン市内のホテルまで2人で28ポンド、地下鉄より早くて、タクシーより安い」
う〜ん、地下鉄とタクシーを乗り継いだら2人で16ポンド、タクなら45ポンドかかる。
「OK、それに乗る」
「じゃあ、こちらに来てください」
ターミナル3からターミナル4まで、トンネルを歩いて、ちょっと遠い。
店主は胡散臭そうな目つきで私を睨む。
「心配しんでも、大丈夫、大丈夫」と私。

 前にもダフ屋から地下鉄の一日券を1ポンドで買ったお得な思い出がある。
券売機の前で財布を出してたら、男が近寄ってきて小声でささやいた。
「安い券がありまっせ」
「その券、ほんまに使えるのやったら、買うわ」

 タクシー料金はカウンターへ行って、カードで前払い。
まともな会社だった。
大型の乗り合いタクシーだったけど、夜遅かったので、お客は私たちともう1人若い男の人だけ。
広くて、快適だった。
店主は私がダフ屋に騙されたと思ったみたいだったけど、大丈夫でした。
次回は往復、このタクシーにしてもいいな。
往復なら50%割引です。会社は Dot 2 Dot。

 ヨーロッパに3月ー4月に行く人は要注意。
3月の最後の日曜日の午前0時に夏時間に切り替わる。
今までより、1時間時計が早くなる。
昨日の6時は今日の5時。

 行きの飛行機の中の表示が1時間ずれていたのと、ロンドンとアムステルダムで1時間時差があるのと、
部屋のテレビでBBCを見ていたのと、部屋の時計が1時間狂っていたので時間の感覚がおかしくなって、
サマータイムも忘れていたので、大失敗。

 ハーグ近郊のホテルに泊まっていて、その日は2時にアムステルダムで約束があった。
ホテル前のショッピングセンターをうろついていて、広場の時計を見ると12時45分。
「あれ? あの時計、あってる?」
「へ、もしかしたら、サマータイム?」
「ワー、時間が無い、大変や」

 ハーグとアムステルダムは道が空いていたら車で40分、でも、この道は大抵混んでる。
運が良かったのか、その日は偶然にも、ハーグからアムスへ行く高速は空いていた。
反対方向は大渋滞。
時間厳守で10分前に到着です。
早く出かけていたら、時間をつぶすのに困ったかも知れません。

 今までなら、海外で被害に遭ったら、リカバリーがなかったけど、
今回は災い転じて福と成す。
 仕入れもとても順調で、探しているものが奇跡的に沢山見つかった。

 アントワープに住むベルギー人の友人は私の身体を心配して、
「僕の別荘に泊まりに来て、ゆっくりしたら?
 五つ星ホテルのサービスをするよ」とメールしてくれたけど、今回は遠慮した。
そんなとこ、泊まったら、朝まで時間制限なしのお喋りタイムになりそう。

 その友人とは3晩続けて、一緒に食事した。
2晩目からは日本から来た友人も合流。
「僕も同じ時にベルギーへ行くし、一緒に御飯を食べよー」と出発前に話していた。

3晩目にはもう1人、現地に住んでる日本人女性が合流。
この女性は集まった男3人にとっては”ベルギーのお姉さん”みたいな人。
日ごとに晩御飯を食べる人数が増える。

 毎晩、フランスの味でドイツの量のベルギー料理のフルコースで大満足。
最後のデザートまでしっかり行きました。

 話題はやっぱり、私の手術の話。
イギリスでもオランダでも、皆、心配してくれて、色々と様子を聞いてくれる。
私は英語とフランス語で手術をすることになった顛末とどんな手術か、結果はどんなん、と10回以上話した。
この話のベテランになりました。

 手術の翌日に歩いた、と言うのがヨーロッパの人には驚きみたい。
「日本はすごいなー」と言うので、
「アメリカ方式だよ」と言うと、「ふ〜ん」それなりに納得していた。

 帰りの飛行機は予定通りKLMだった。
こちらはビジネスクラスは7席x5列。
機材がちょっとボロで剥げていて、椅子は最高に横になっても20-30度の角度が付いてる。
寝ているうちにどんどんずり下がっている。
 食事も大ペケ。
和食を選んだら、駅弁の幕の内(竹)の感じ。
カチカチの御飯と冷たいおかず、1点だけレンジでチンした暖かいのが乗っていた。
朝食はパンとジュースだけもらって、和食を返品。
「私、こんなん、食べられへんー」
KLMのビジネスクラス機内食

 被害に遭う、と言うほどのことでもないけど、ビジネスに乗ったわりには満足いかなかった。
今回は飛行機代が全部、タダなので許してあげる。

 帰国して、店主は疲れてフラフラ、昼間に寝て、夜中に起きてる。
私は翌日からジュエリーやらワインの商談会通訳の為に連日大阪へ。
家に居る時間は仕入れた品の仕訳やら値段付け。

 5年くらい前から時差ぼけがないんです。
物忘れが激しくなって、帰国した翌日には行ったことを忘れてるから。

 喜んでいいのか、悪いのか、複雑な気持ちだけど、仕事がはかどるのは良い事。

  by mikiris


第102回(2008年6月1日エッシャー美術館

 エッシャーの騙し絵で有名なエッシャー美術館へ行ってきました。
オランダのハーグ市、ランヘフォールハウト(Lange Voorhout)公園の中にあります。
ハーグのセントラル駅から歩いても良いし、骨董屋の並ぶノールデインデ(Noordeinde)通りにも近い。

 建物は200年以上経つお屋敷。
今のベアトリックス女王のひいお祖母さんの冬の家だった。

 入り口を入ると玄関ホールになっていて、チケットを売ってる。
もう一度、大きな扉をぬけると吹き抜けのホール。
暖かい感じのお屋敷に迎え入れられた気分。
正面には階段、天井には可愛いシャンデリア。
オランダの有名なアーチストのシャンデリアで建物の中にいくつもある。
傘の上下逆さまやリボンなど、変わってるー。
エッシャー美術館 ←中の様子は画像をクリックしてください
 左の部屋がミュージアムショップなのをチェックしつつ、右の展示室へ入る。
1階は初期の作品やらエッシャーのプロフィール。

 エッシャー、Maurits Cornelis Escher(1898-1972年)は木版や石版画で非現実的な絵を描いている。
「Waterfall」「Day and Night」         
見たら誰でも「あれかー」と知ってる絵ばっかり。
水が落ちてると思ったら、本当は登ってたり、
2階に梯子がかかってるけど、1階の家の中から立てかけてあったり。

 じーっと見て、これがああなって、こうなってと考えると頭がおかしくなってくる。
何となく、非現実的な変化を流して見る。
ほとんどの版画が白黒だけど、何枚かカラーもある。
色はオレンジと緑、青、黄色。
ちょっとレトロでどぎつい配色、懐かしい感じ。
 
 2階はそんな絵が詰まっている。
大きな窓の明るいホールもあって、ゆっくりする。
大きな階段は2階までで、その上は細い周り階段を登っていく。

 3階は遊びの空間。
ステージに立って、片方の端に行くと巨人になり、反対側に行くと小さく見える仕掛け。
横のテレビに写っていて、この画像をすぐに写真に焼いてくれる。
4月の初めはイースター休暇に続いて、学校が休みの時。
オランダの高校生達が来て、グループで写真を撮っていた。

 部屋の中には体験できる物が色々有り、隅っこに30cm角の覗き穴があった。
3−4人の学生達が代わりばんこに覗いていた。
「何やろ、 興味ある!」
こういうのを覗かずにいられない私はもちろん、見に行った。

 学生達は私に「どうぞ、どうぞ」と場所を空けてくれた。
オランダの高校生達は優しくて紳士やなー、と感心した。

 穴を覗くと深い深い井戸になってる。
エッシャーの白黒の騙し絵が続く底なし井戸。
吸い込まれて、落ちていきそう!
思わず「フワーオー」と大きな声で叫んでしまいました。

 階段からさっきの学生達の笑い声、「ゲラゲラー、ワハハー」
誰か1人は 「フワーオー」と私の声真似をした。
「ワーン、私が井戸を覗いて叫んだのがわかったんだ。
子供におちょくられた気分やわー」

 オランダに行ったら、エッシャー美術館はお薦めです。
ハーグにはフェルメールの「青いターバンの女」やレンブラントの「解剖」を展示した
有名なマウリッツハウスもあるけど、ここも押さえておいて欲しい。

 今回はこの他に一度行ってみたかったLeidenライデンのシーボルトの家にも行きました。
ライデンは大学を中心に運河と跳ね橋のある明るい、こじんまりした町。
それで、車の乗り入れを拒否してる。

 美術館へ行く人は市外の「ミュージアムパーキング」に駐車すると無料送迎バスで美術館まで送ってくれる。
パンフを信じて、市内には駐車場もなく、車が混み混みで大変だろうと思い、
離れたパーキングに車を停めた。

 バスはパーキングの中のバス停に待ってる。
乗り込んで「シーボルトハウス」と言うと、前まで送ってくれる。

 展示の品で一番驚いたのは沢山の日本地図。
江戸時代の日本地図、街道図、1軒ずつの名前と区画を描いた詳しい地域図も沢山。
大名屋敷の名前も大きさも、川の場所も。
まるで江戸時代のグーグルアース。
日本ででも、こんなに詳しいのは見たことない。
「こんなん、持って帰ったらアカンやろー」
「江戸時代にこんな地図がよう持ち出せたなー」
つい、こんな感想が口から出る。

 シーボルトは日本から重要な情報を持ち出した罪で永久追放になった。
本人はそんなつもりは無く、「私は一生、日本に住む」と弁明したらしいが、
江戸政府が認めなかった。

 彼がオランダへ持ち帰った物で、あちこちで見かけるのは紫陽花。
「オータンシャ hortensia」と言う呼び名はシーボルトの奥さんだった「お滝さん」を懐かしんでつけた。

 展示室には珍しい動物のはく製やらホルマリン漬けの標本、昆虫、魚、爬虫類。
漆塗りの駕籠、食器、遊び道具、櫛や印籠、大工道具、掛け軸、着物、草履など。
江戸時代にオランダ人が見た「日本」があった。

 帰りはもちろん、バスは待ってくれてなくて、歩いてミュージアムパーキングまで戻った。
しかし、町のあちこちに路駐できる場所があり、5分刻みで2時間まで、コインパーキングがある。
シーボルトハウスの前も運河の縁に路上駐車可。

 徒歩で15分ほどかけて戻ると、パーキング代は9ユーロ(1500円)。
なんか損な感じ。
平日なら車で町に入っても大丈夫、と確信した。

 ライデンには他にも美術館がいくつかあり、自転車を借りたり、ゆっくりと歩いて散策してもよい。
天気の良い日は学生達が運河沿いのカフェやレストランにたむろして、白いテーブルに水がキラキラと反射する。
運河を船が行き来して、物を運んだり、車の代わりの移動手段だったりする。

 次回はライデン国立考古博物館へ行ってみたい。
行きたい所は事前にインターネットでサイトをチェック。

 エジプト、ギリシャ、ローマやオランダの発掘品が沢山展示してある。
6千年前、1万2千年前の物から1千年前の物まで色々ある。
 猫や鷹など動物のミイラも数多く展示してあり、可愛らしい。
ロンドンの大英博物館のグラウンドフロアとは違った趣き。

 ほとんどの美術館がサイトを持ってる。
バーチャルの美術館で予備知識を得てから本物を訪問する。
バーチャルだけで終わっとこ、という所もある。
この方法はなかなか良いです。

 by mikiris


第103回(2008年7月1日スグレモノ

 これって、以外にすごいヤン、と思う物がある。
気に入って、そればっかり使う物がある。

 神戸にイケアができたので、新しもん好きの友人が早速行った。
お土産にくれたのが吸盤でドコにでも吸い付く台所ブラシ。
イケアの吸盤ブラシ
 これをお風呂掃除に使うべしで風呂場に置いておいたところ、友弥人がお風呂に入るたびに掃除を始めた。
身体を洗う前に壁やら床をサッサとブラシでこする。
シャーッとお湯をかけると、アラ、きれい。
使った後は吸盤で石鹸箱の横に立てておく。
 今まで、水アカをとるのも大変だったけど、すごい簡単で楽チンです。
私はお風呂掃除をしないのに、日々、お風呂場がピカピカになっていって、気分いい。

 楽チンですごいのは電動歯ブラシ。
細かく動かして歯磨きをする代わりに勝手に動いてくれる。
歯ブラシを歯にあてるかあてないくらいの強さでOK。
電動歯ブラシ
 子供の頃から実家には色々な種類の電動歯ブラシがあった。
水圧で洗う歯ブラシやら丸くて中から水が出てくる歯ブラシもあった。
歯科医の父が色々な新製品の歯ブラシを買って家族が使っていた。
しばらくすると、皆、普通の歯ブラシに戻って、電動は埃まみれ。

 そんな事から数十年。
今の電動歯ブラシは上手に磨いてくれる。
前だけじゃなくて、歯の上下の複雑なボコボコも綺麗に磨ける。
ホワイトニングをする前に、これだけでもかなり白くなる。

 そして、やっぱり食べる話題。
卓上精米機がすごい。
卓上精米機
1万円くらいで4合まで精米できる、可愛いのがある。
有機栽培や糠栽培の玄米を買ってきて、少しずつ精米する。
5分で好きな胚芽米が作れます。
精米したてのお米を土鍋で筍御飯(第77回参)やら豆御飯にするとほっこりしてオコゲまで美味しい。

 錦の有次さんの台所用具もいい。
20年使っても、全然平気。
魚の骨抜き道具はフランスからミシュランの星付きレストランのシェフも買いに来る。
 ある時、友達が私に愚痴を言った。
「夫が料理をするのに、私の毛抜きを使って魚の骨を抜くの。嫌やわー」
早速、一緒に有次さんへ行き、「これ、買いよし」と教えた。
以後、彼女の毛抜きは台所には行かなくなった。

 最後のスグレモノは昔の食器。
最近の食器には蓋が付いてないけど、昔の茶碗も小鉢も蓋付きが多い。
蓋付きの食器(左)に梅干やら塩昆布、ちりめんジャコ、佃煮、何でも入れて冷蔵庫へ。
ラップしなくて良いから手間がはぶける。
 食事の時はそのままテーブルへ。
うちでは休む間もなく働く蓋物です。
古伊万里蓋物マイセンのアスパラ用食器古伊万里長皿
 マイセンの大きな器(中央)は1774年ー1814年にマルコリーニ氏が所長を勤めた時期の物。
茹でた白いアスパラガスを入れる為の食器。

 ヨーロッパでホワイトアスパラは春の訪れを知らせるとても大切な野菜。
昔は高価でお金持ちの食べる野菜だった。庶民は長ネギで代用。

 大きな面はマイセンの花が描いてあるが、両端に可愛いアスパラのモチーフ。
悲しいことに、ディナーセットを仕入れたときに器の蓋がなかった。
蓋のない器は完品とは言えない。
私が引き取ることにしました。
いつか、蓋を見つけて完品にしてあげよう。

 お煎餅やら飴の袋、雑多な物をまとめておくのに便利。
ちょっとしたお菓子の残り物などを放り込んで使ってます。

 深めの長皿(右)は江戸時代の伊万里。
この皿に買ってきたお惣菜と作ったおかずをちょっとずつ、ギュウギュウに入れる。
上等な料亭の料理の雰囲気になり、全部、家で作ったみたいに見える。
器に助けてもらって、こういう手抜きの方法もある。

 やっぱりコイツらはスグレモノやなー、と再度、感心。

 by mikiris


第104回(2008年8月1日フォトジェニック

 写真を撮られる度に
「えー、私こんなんと違うー」と不満です。
 いっつも、実物より老けて、ぶっ細工に写ってる。
写真に撮られるのは嫌いです。

 骨董の店をやってると新聞や雑誌、ラジオやTVの取材がある。
イリスみたいにマイナーな店でも年に数回、多いときは毎月のように取材がある。
ほとんどが雑誌にレースや骨董品を貸し出して、ディスプレイに使いつつ、紹介してもらう場合。
新聞や雑誌で展示会を取り上げてもらって、店内や品物の写真がのる場合。

 たまに人物紹介というのもある。
白黒の小さな写真でも、やっぱり不細工に写っていて、嫌い。

 だから、TVの取材は何だカンダと言い訳をして拒否していた。
「女優の△△さんがそちらの店で買い物をする設定で番組を組みたい」
と依頼が有った時も
「うちの店に△△さんのお好きな物は置いてないと思いますよー」と京都風に辞退した。
 その他も私が電話を受けると全部、拒否。

 7月のある日、関西TVから電話があって、店主が電話に出た。
「はぁ、はぁ、骨董の番組。いいですよ。レースの担当は僕じゃないんですが」と返事してる。
 電話が終わって
「明日、ディレクターが来はるし」と店主。

 ディレクターが下見に来て、店を見て、私と話をしたら取材はヤメになるかなー、とぼんやり思ってた。
翌日、番組のディレクターが来られて、話がとんとん拍子に進んで、翌週に撮影と決まった。
「上方古美術探訪U」という1時間半の番組。
古美術の店2軒と美術館をアナウンサーの人が実際に訪問して、色々と話を聞く。

 当日は朝から撮影隊が来て、店内で品物を何点も撮影。
カメラマンは「世界まるごとHow much」で世界中、あちこち行った人。
機材も大きくて本格的。
他に照明と音声を担当のサブの人たち。

 品物の撮影中は待ち時間なので、ディレクターと私と店主で打ち合わせ。
導入部分はこんな風、次ぎにこの場所でレースを見せて話をする。
何の話をするかは全然、打ち合わせ無し。
「まあ、何とかなるやろ。 録画やし」と気楽な気分。

 とは言っても、今回の企画でアンティークレースの専門家は私だけ。
誰が見ても、解り易くて「レースって面白いなー」と興味を持って欲しい。
 奥に仕舞ってあるレースを引っ張り出してきて、事前にディレクターに
「レースの歴史と種類を古い順に見せて、説明するのでいいですか」と相談。

 午後になると他の番組を終えて、アナウンサーの岡本榮さんと石橋ゆうさんが到着。
2人とも、骨董好きなので、どんどん質問して、店内の品物に興味深い様子。
 骨董好きの人とは、十年来の知人のように話が弾んで、盛り上がる。

 レースの特集のはずなのに、ディレクターも岡本さんも阿蘭陀古陶の方が興味がある。
白デルフトやらブルー&ホワイトのデルフトの皿、900枚のタイルを吟味して楽しそう。
 レースとオランダ古陶の2本立ての特集になった。

 さて、2時から撮影が始まり、服にマイクをつけて準備OK。カメラが周った。
岡本さんたちが店に入ってくるのを私と店主が迎える。
「骨董店を始めたきっかけは?」と岡本さんに聞かれて
「両親が骨董好きだったので、小学生の頃からあちこちの骨董屋さんへ行ってたんですよ」と私。
「ご主人はどうですか?」と岡本さん。
「・・・・・う〜・・・」店主のNG。

 水を飲んで、カメラのまわってないところで話をして、気分をほぐして撮りなおし。
NGはこの1回だけで、後は全部、一発OKでした。
私はこんな風にペラペラした性格なので、テレビに撮られてることも忘れて普通。

「レースやオランダの骨董が沢山ありますね」
「早速、アンティークレースを見せていただきましょう」
プロなので話の進め方がスムーズ。

 私がレースの種類や技法の話をしたり、道具を見せて、
岡本さんと石橋さんは私が話しやすいように質問をしたり、コメントを挟んだりする。
アンティークレースが一段落して、次ぎは店主がオランダ古陶を紹介する。
白デルフトの大きなお皿を手にとって見せたり、タイルは17世紀のフェルメールの絵にも描いてあると説明。

 全体像の他にお皿を持っている所のアップを別撮りしたり、レースを袋から出すところを映したり。
出来上がりをテレビで見ていると、時間の経過どおりに流して撮ってるみたいだけど
実際には、先や後に「パンする」近寄った画像を別に撮ってる。

 録画取りが全部終わったのは6時半。
放送時間は40分程なのですが、収録時間は長かったので、下手な事を言ってたり、
変にカメラを見てしまった所はカットされるのでしょう。
 収録中にカメラもライトも目に入らなかったので、全然気にならなかったのに、
翌日はとても目がシバシバして涙がボロボロ。
ライトで水分が蒸発して、ドライアイになってました。

 初めてのテレビ出演、どんな写ってるか嫌やなー。
放映はスカパーの京都チャンネルで8月中、毎週金曜日の朝10時、土曜日の午後2時から。
8月は金・土が10回もあるので、同じ番組が10回放映される。

 テレビでは実物より3割は太く見えるそうです。
その分、割り引いて、本物は細いと思って見てください。
お皿やタイル、レースは太く映ってないかも知れません。
なんで、私だけ太く映るんやろ。。。?

 by mikiris


第105回(2008年9月1日闘牛のステーキ

 ベルギーのアントワープで友人が食事に招待してくれました。
友人がよく行く、気安いフレンチレストランです。
「本日のお薦めは闘牛の牛のステーキです」

 ベルギー人の友人、イリスの店主、日本から合流した家具ディーラーは揃ってそれを注文。
前菜はアボカドと蟹のサラダ仕立て。

私は牛肉嫌いなので、きのこのスープと鮭のグリル。 無難にまとめた。
ベルギーのレストラン ←大きな画像はクリック

 闘牛が終わったあと、牛をどうしてるのかと思ったら、食用になっていた。
捨ててるんじゃなかったんだ。
闘牛は毎日はないので、こんな牛はなかなか手に入らない。
珍味、であるわけです。

 日本語で牛はウシ、細かく分類されてないけど、フランス語では分かれている。
食用の雄牛は boeuf、ビーフシチューに良く似たboeuf bourguignon は雄牛の肉をブルゴーニュの赤ワインで煮込んだ料理。
雌牛は vache。仔牛は veau。

 仔牛の肉はあっさりしていて柔らかいので、料理の種類も豊富。
仔牛、豚肉、ハムはフランス料理ではviandes blanches(白い肉)に分類される。
Veau au champignon(仔牛ときのこのシチュー)、Roti de veau(仔牛のロースト)も肉料理では軽め。

 闘牛のウシ(taureau)と食用の雄牛の違いは去勢したか、してないか。
猫や犬を去勢すると大人しくなるように、牛も暴れなくなる。
暴れて欲しい闘牛の牛は自然のまま。
よく暴れて、走ってるので、地鶏のように肉に旨みがあって、弾力があって、かたい。

 外国で肉の焼き加減を聞かれると、よく焼いてもらわないと半生。
「ウェルダン」とか「ビャンキュイbien cuit」で日本のレストランの「ミディアム」くらい。

 しかし、闘牛の肉は特別。
店の人は「焼きすぎると硬くて食べられなくなる、レアで」と勧める。
当然、出てきたのはレアよりもっともっと生。
外側だけ焦がして、中は生で血が出てる。

 ステーキを食べてる3人の様子は「奮闘している」。
切るのも、食べるのも、奮闘している。
イリスの店主は硬くて、味のしっかりした肉が好きなので、気に入った様子。
インパクトがあって、一生忘れられない味。
一度は試す価値があるそうです。
でも、次回は他の物を注文するんだって。

 家具ディーラーの友人はコリゴリの様子。
「僕はこんなん、嫌いや。二度と頼まへん」
その感想は正直すぎるやん。

 こういうシチュエーション、ご馳走してもらった食事が好みに合わなかったり、不味かったりしたとき、
誰かのお薦めの品が気に入らなかったとき、どうしてますか?

 ベルギーの友人はこんな風に言われると、口を尖がらして、プーと膨れる。
彼は言い返さないけど、態度で表すタイプ。
この3人でいると、言いたい放題。
「あいつ、又、フクレとった」と長い付き合いなので、あまり気にしてない様子。

 礼儀正しく、優しく答える方法もあるのに、、、

 こんなときは
「コレを食べたのは初めてなので、味が良くわからないけど、次回からはきっと好きになると思う」
本音は(こんな変なモン、二度とよう食べんわ)。

 プレゼントされた物が全然、趣味に合わないとき
「有難う。私の事を思って、選んでくれた気持ちがとても嬉しい」
本音は(品物は気に入らないけどー、ありがとう)

 こんな風にいつも、お上品で礼儀正しい私。
なのに、、、、

 デザートを選ぶ段になって、闘牛組はティラミスを選んだ。
私はダム・ブランシュ(dame blanche)。
このレストランのダム・ブランシュはバニラアイスのボールが3個も付いていて、量が多い。

 「ボールが3個は多いし、減らしてもらおうかなー」
横から家具ディーラーとイリスの店主が
「そや、僕らがボールの付いた牛を食べたから、私はボールを2個食べるって、注文せえ」
「えー、2個も多いわ。ボール1個にする」
「アカン、ツーボール食え」

 やや日本語を理解するベルギー人、
「彼女にツーボールのダム・ブランシュを」と注文して、ウインク。

 「もー、ホントにあんたら3人はええ年して!」

私?もちろん、2ボールのバニラアイスに温かいチョコレートを山盛りかけて平らげました。
 
 by mikiris


第106回(2008年10月1日天使の片羽

 私が最初に買った骨董品は備前の置物でした。
中学2年生の時、1ヶ月の小遣いをはたいて骨董屋さんで買いました。

 小学生の頃、骨董好きの両親と出かけると、外出の度に骨董店めぐりです。
家族で夕食のレストランに行く前にちょっと骨董屋さんに寄る。
子供としては、面白くない待ち時間。
 
 けど、10年近くもそんな生活を続けてると、店内を見て周って暇つぶしをする術も覚えた。
そんな時に備前の置物を見つけた。
母は大反対。
「そんなもん、買わんときなさい!」
「いやや。コレ欲しいー。自分のお小遣いで買う」

 この置物は子供ながらに見ても出来がいい。

 それから1人で天神さんやら弘法さんに行くようになりました。
特に何を買うわけでもなく、見て周るのが楽しい。

 海外旅行に行っても、パリのクリニャンクール、ロンドンのポートベロ、
イタリアやスイスでも何か、マーケットを探して回るのが旅の楽しみ。

 可愛い柄の皿やグラスを手に入れたり、絵の面白い版画など、お小遣いの範囲内で楽しんでた。
印判の食器やら幕末、明治頃の皿なども色々、買ってみた。

 そのうちに雑多な物に飽きてきて、物足りなくなってきた。
伊万里も江戸中期の物や藍柿、藍九谷、里帰りが好きになった。

 今度は絵を描いたものに飽きてきて、単色の物に興味が移った。
瑠璃、青磁、白磁。
色と釉薬の微妙な組み合わせが美しい。

 焼き物を集めてる人は白に行き着く人が多い。
伊万里の白磁、李朝の白磁、デルフトの白。

 私は李朝を飛ばして(高いから)、伊万里の白磁からデルフトとイタリアの白にたどり着いた。
伊万里の白磁は薄手で、柿右衛門の色絵が描かれてない生地のが好き。
釉薬が柔らかくて、白だけど、いろんな色が入っているように見える。
この白色は濁し手と呼ばれてる。

 藍九谷の白磁はもっと薄くて、冷たい感じがする。
キーンと張りつめた白が目を反らさせないくらい白い。
柿手も藍クタも食器に使うと、食材が映える。

 デルフトの白は軟陶で食器と言うより、飾り皿。
大きな物はすごく迫力がある。
小さな物は1点だけで見ると、なんて事はないけど、他の物と並べると差が歴然。
小さくても、何百年も残ってきただけの力を持ってる。
他のどんな焼き物よりも白くて、柔らかくて、魅力的。
牛乳とかヨーグルトみたいにトロンと白い。

 アーツ&クラフツのウィリアム・モリスは
「綺麗な物と必要な物以外、家に置いてはいけない」と言った。

 アーツ&クラフツは1800年代の終わりから1900年代の初めに起こったイギリスの民芸運動。
ハンガリー、ノルウェー、ドイツも影響を受けた。
もちろん、日本でも民芸運動が起こった。

動植物をデザインに取り入れて、派手さは無いが、センスのよさが光る。
椅子やテーブルを見ても、良い素材を使って、線と面の組み合わせで洒落たデザインに仕上がってる。
じっくり見ると、すごい手間がかかってる。
綺麗な物はいつまでも見ていても飽きないし、周りに置いておきたい。

 私は物に執着しない性質なので、何もコレクションしてないけど、
たまに長く手元に置いておきたい物に出会う。

 「天使の片羽」と名づけているデルフトの皿は、そんな1点。
心が和む白色で天使の羽の形。
1枚しかないので、片羽と名づけた。
もう1枚、同じ皿が見つからないかなー。
早く、天使の羽になれ!
そうしたら、私の天使の羽はどこかに飛んで行ってしまうかも。
見つかって欲しいような、欲しくないような、フクザツー。
白デルフトの天使の片羽
 by mikiris


第107回(2008年11月1日3S+2C

 近頃、気になるのが3Sと2C。
私の周辺でも、加齢と共にこの話題が多くなった。

 3Sはシミ、シワ、シラガ、2Cはコレステロールと中性脂肪。
中年になって、これに悩んでない人って、いるかなー。

 一番の話題はシミ取り。 すごく流行ってます。
顔のシミを取ると、顔が白く、明るくなって、グンと若く見える。

 急に若返った人に「何かした?」と聞くと、大抵、レーザーをやってる。
数年前までシミ取りレーザーはうん十万円って聞いていたけど、
近年安くなったのか、皆、気軽に行っている。

 友達が行ってる所はシミ取り1個 1,000円程。
鏡を見て「あ、シミできた」と見つけると、チャーッと走って行って
「先生、シミ取ってー」
よく見ると、彼女の顔にはシミが1点も無い。すごい!

 今まで、全然、シミ取りに興味なかったけど、
「私はショッチュウ取りに行ってる」「私は5年前からやってる」
「この間、行って来た」「もう、友達が10人くらいやってるよ」
 親子でシミ取りに行ってる人も数人。
女だけじゃなくって、男の人も行ってるって!
こんな話ばっかり聞くと、ちょっと興味が湧いた。

 私も美容皮膚科で見てもらったら、レーザーで取れるシミと取れないシミが混在してるらしい。
レーザーはしばらく様子を見て、ということで、先ずは塗り薬に挑戦。
 1日1回、シミの上にチョンチョンと乗せる。
周りにもベターッと塗ると、シミ以外の皮膚の色が脱色されて白くなる。

 塗り薬の効果はテキメン。
久しぶりに会った友達は私を見て
「元気そうやなー。 顔色が良うなったなー。」
「お化粧の方法を変えた?」「顔に注射したん?」
やっぱり、違いがあるみたい。
クリームを塗り始めて1ヶ月も経ってないのに、効果テキメン!

 シミ取りクリームを塗ってると言うと、やはり興味津々。
一緒に居たもう1人の友達も手のシミが気になるとか。

若い時からコマメに手入れしてると、こんな事に時間もお金も使うことは無かったと思うけど、長年のツケが来た。

 長年のツケに関係なく来るのはシワとシラガ。
幸い、私はシラガが無いので、これに散財することはない。
 
 聞けば月1回の毛染めや美容院でのカットやパーマ、年間15万円はかかるそう。
私の両親も、親戚を見ても毛は黒い。
これは、親に感謝!

 シワ対策も最近、始めました。
「田中宥久子さんの造顔マッサージ」
ボディの方と2冊、本が出ていて、アマゾンの通販でセット買い。
DVDを見ながら、せっせと顔の筋肉の位置を移動させる。
効いてるのか、どうか、、、肉はすぐに垂れたがる。
ボディの方はリンパの流れを良くするので、肩こりが解消されて、効果大!

 造顔と造体型のマッサージ、商談通訳の合間にフランス人に教えてあげると、皆、熱心に聞く。
日本人は実年齢より若く見えるのと、40歳を超えたフランス人より下半身デブではないらしい。

「顔はこんなして、こんなして、デコのシワはこんなして延ばす」
「ウエストの肉は前に持ってきて、その肉をグルグルして散らす」
「お尻の肉はこんなして、足の肉はこんなして、手のシワはこんなして」
 
 一緒にやりながら、どんどん疑問が湧くらしく、
「この肉はここからドコへ行く?」
私だって、何でも知ってるわけじゃない。
「これはー、このまま、放って置く」 とか、適当にゴマかす。
「肉も移動するけど、リンパを流すんだよ」と説明。

 時の流れと引力に逆らいたいのは国籍、人種を超えての願いなので、話が盛り上がる。
翌朝、「どう?昨夜やってみたけど、上がってる?」と自分でも違いを感じてる様子。

 自分をちょっとだけリニューアル。
こんな事くらいで毎日がうんと楽しくなる。

 先日、コレステロール値を計ってもらったところ、異常に高かった。
食生活に自信があったので、ちょっとショック。
毎日、健康に気をつけて、身体に良いものばかり食べていたつもりだったのに、、、、

 沖縄の長寿の元、豚バラは週に2回。
薄切りの豚バラでシャブシャブやら肉じゃが、スパゲティや焼きそばも美味しいです。
店主が鰻好きなので、近所の午後3時には売り切れる人気の炭焼き鰻を週1回。

 カルシウムを取るために、毎朝、チーズとヨーグルトは欠かさない。
晩御飯の後はデザートに「モナ王」かハーゲンダッツか井村屋の小豆アイス。
アイス最中は半分に割って残りを冷凍庫に戻しても良いし、何だか止められない。
これは、アカンかったと自覚している。
その他は魚、野菜が主食の食生活だった。

 検査の前日、店の定休日だったので、外食することになった。
ランチの候補はフレンチ、イタリアン、中華、、、
翌日の検査の為にセーブして、あっさりした和食を選んだ。
 昼は鰻丼、夜も気をつけて天麩羅そば。

 検査の結果、コレステロールも中性脂肪も高くて、隠れメタボが発覚した。
薬嫌いなので、食生活でなんとか数値を下げることにした。

 早速、インターネットで「中性脂肪」を検索すると、数値が高かった理由にちょっと納得。
乳製品、豚や牛の脂、バター、ヨーグルト、チーズ、卵、鰻とチョコレート。
オヤツの時間はケーキか三笠饅頭、クッキー、ベルギーのチョコレート、etc、これもアカンかったと反省。
大好物の物はぜーんぶ、禁止事項だった。

 世の中、他にも美味しい物が沢山あるので、上の好物はしばらくお預け。
代わりにオリーブオイルと胡桃やアーモンド、お豆腐、油揚げ、鯵や鯖、ゴマ、コンニャクを愛好。
ネット通販でお菓子を買うのも我慢。
ページにアクセスして、「美味しそうやなー」と言うだけ。。。

 友人にコレステロールの話をしたら
「コレステロールは1ヶ月程、気をつけたらすぐに下がるよ。下がった後の豚バラは特に美味しい」
 別の友人は
「下がったと思って、好きな物を食べたら、数値がポーンと跳ね上がるよ」

 週に6日はセーブした食生活、1日はそんな事を忘れる日。
数ヵ月後、努力の甲斐あって、中性脂肪は半分以下の数値に、コレステロールもだいぶん下がった。
それに伴って、体型もすっきりして、10年まえの洋服が着られるようになりました。
何か、ええ事尽くめやなー。

 by mikiris


第108回(2008年12月1日京都人

 TVのCMで舞妓さん2人がお椀で何かを食べてるのがありました。

「オネエはんの別れた彼て、どんな人どした?」
「へえ、このお椀みたいに器(うつわ)のちっちゃい人どした」
「いやー、お似合いの2人どしたんやなぁ」

 ここには京都風のウイットに富んだ会話が凝縮されてる。
こんな会話がうまくできないと、一流の京都人とは言えない。

 私は京都生まれの京都育ち。
それも河原町三条辺りの旅館と商店街に囲まれた繁華街育ちです。
京都のど真ん中で大きくなったのに、親の教育が悪かったのか、三流の京都人です。
テレビの舞妓さんみたいに洒落た会話ができない、あかんたれ、です。

 よその県に遠出をすると、京都と違うなぁと思う時がある。
今まで当たり前と思ってたのが、よその常識と違ったりする。

 話し方や単語、イントネーションが違って、
「それ、どういう意味」
と聞かれても、あまりに普通に使ってる言葉だったりして、説明できない時もある。

 料理の味付けも大きく違う。
自分では薄味とは思ってなかったけど、外食すると和食でも洋食でも塩辛い。
食事中も帰ってからもお茶ばっかり飲んでしまう。
 最近は京都の店でも濃い味付けのところが増えた。

 去年、入院していた病院は京都じゃなかったので、やっぱり味付けは濃い目だった。
減塩食なのに、塩辛い日もあった。

 患者同士で
「食事は美味しいけど味付けが濃い」と意気投合する人もあったけど、
「味が薄うて、水くさいわー」と言う人もあった。
「そんな塩辛い御飯ばっかり食べてるし、心臓が悪なったん違うの」とは思ったけど・・・・。

 前は頭に思い浮かんだ事を、そのまま口に出していたけど、近頃は、吟味して言葉にする。
それで、前の十分の一くらいしか話をしなくなった。
周りからは「黙ってたら、お上品に見えるわ」と概ね好評。

 京都の人が一言なんか言ったら、10通りの解釈ができる。
「黙ってたら、お上品に見えるわ」も一例。
私は何でも良い方を取るので、この場合は言葉どおりに受け取って喜ぶ。

 他にも、私なりに理解した京都人の気質を紹介すると・・・

 @京都で商売ができたら、日本中の何処ででもできると言われるくらい、京都の人は無駄使いをしない。
しかし、無駄使いじゃないと思ったら、どーんと張りこむ。
そして、長く、大切に使う。
 
「これは少し使っただけでイヤになって捨てるかも知れない。
 安いけど、見た目も安物っぽいから、長く使えないかも知れない。」
と考えてお買い物。
近頃、ゴミを出すのもタダじゃないからね。
 ご近所には
「昭和に入ってから家財道具を買うたことがない」と、ツワモノもいらっしゃる
 
 A京都の人は新し物好き。
外国の物、珍しいもんやら新しいもんに興味がある。
人前でそんな素振りはしない。
人知れず、手に入れたり、使いこなしたりして、
「そんなモン、とっくの昔から知ってるわー」
「あんた、遅れてるなー」と、プチ優越感にひたる。

 古いものを大切にするけど、新しい物で便利な物はすぐに取り入れる。
百年たった町屋に住んで、光通信を使ってインターネットは当たり前。
町を歩く時に電線を見ながら歩いていると、どの家が光通信を使ってるか一目でわかる。
 「ここもやったはる」「あそこもやったはる」
かなり何年も前からどの家もヒカリになってる。

 背中の丸まった超おばあさんがメールをするのもちょくちょく見かける。
いくつになっても新しもん好きは変わらない。

 B京都人はパンが好き。
だから美味しいパン屋さんの数は日本一。
 うちの近所は10軒以上の美味しいパン屋さんがあって、京都大学のサークルがパン屋地図を作って配布した程。
気分転換をしたい時はちょっと離れた店まで自転車で買いに行く。

 最近のお気に入りはブレドール Les bles d'or(北大路通り高木町)。
オーガニックのパン屋さんで、石臼引きの食パンもフランスパンも美味しい。

 河原町荒神口の薪を使って焼いているボンボロンテ bonne volonte。
翌日でも風味がなくならなくて、しっとりして美味しい。

 プチメック Le Petit Mec(今出川大宮)もいいけど、金・土・日しかあいてない。
フランスパンとタルトの店。

 その他もいっぱい、いっぱいあって、新しい店もどんどんできてる。
パン好きの京都人としては、車の中から見つけたり、ネットで検索する度に
「あそこも行かなくては、ここも要チェック」と忙しい。

 C人前で行列を作って並んだりしない。
美味しい店と評判のところでも、行ってみて行列ができてたら、
「又、今度、すいてる日に行こ」

 本心は「並んでるところを知ってる人に見られたらカッコ悪い」
見つかって 「イヤー、何してんの、こんなとこ並んでー」
なんて言われた方はカッコ悪くて、弁解の余地もない。
 京都人は”気にしい”で周りからどんなに見られてるのか気にするのです。

 よその人から見ると「京都人はー」と気に入らない面もあるかも知れないけど、住んでる者には付き合いやすい。
近所どうし、お互いに干渉しない。
しかし、会って挨拶するくらいでも、それとなく様子を見てる。
何となく気にしてもらってるのがわかると、安心。

 遊ぶところもお寺も神社も沢山あるし、散歩のコースもいい。
美味しい店も色々あります。
小さな町にエキスがギューッとつまってるから、狭い行動半径で楽しく暮らせる。

 旅行で来るのもいいけど、住むのにも良いとこですよ。

  by mikiris


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