第133回(2011年1月1日3歳になりました
 
 2010年は転機の年で色々な事があった。
3月に浄土寺の店を閉店して、4月28日から麸屋町の店を開店。

 レースの店は週末だけオープンする予定だったけど、結局、毎日開けている。
店のバックヤードも居心地良く整備できて、気の抜き方もわかってきた。

 移転した店は京都の街中で、俵屋旅館、柊屋旅館から南へ100M。
河原町三条や四条にも徒歩5分程なので、連日、お客さんがいっぱいで忙しくなると思ったが、全然。
浄土寺に居た時と変わらず、ゆっくり店番してます。
 店番の合間に仕入れた品を整理したり、展示会の準備をしたり、昼間はそれなりに仕事してます。
企画展も普段なら年に2回だけど、3月のレース展、5月のスリップウェア展、7月のハンカチ展、11月のデルフト展と4回。
今後もこのペースで気合を入れて頑張ります。

 企画展をするのって、結構、大変です。
テーマを決めて、品物を揃えなくてはならない。
骨董の場合、借りてくるわけに行かないので、全部が買い取りです。
展示会の品物だから、時代もあって、展示して映えるもの。
面白そうなテーマを考えて、品物を探すのも骨が折れる。
でも、難しい仕事ほど楽しくて、達成感もある。

 雑誌やテレビ、新聞の取材が少ない1年だった。
全部で10回程だった。
テレビは時々呼んでいただいていた番組が2つとも終了した。残念。
年末にグーグルの取材があった。
春頃にニュースで発表される企画です。
近い将来、ストリートビューで町並みを歩いていて気に入った店があったら中に入れる。
実際に店内に入った気分で360度ぐるりと見回せる。
世界の街をバーチャル・ウインドーショッピングできる。

 2010年は家族の増減もなく、一応、平和。
両親も80歳を超えてしまったが、今どきの80歳は元気。

 母の同級生が10月にパリへ行った。
彼女は2−3年に一回はヨーロッパに一人で行ってる。
JTBのツアーで15人中、14人は新婚カップル。
 おかげで、1人で買い物をしたり、好きな所に行ったり、気楽だった様子。
参加した新婚の男の人から年齢を聞かれたらしく、
「レディに年を聞くもんじゃないわ、と言ってやったの」
 5年のパスポートを取ったので、又、パリに行くそうです。

 個人的には11月に鼻の手術をした。
残念ながら、整形じゃない。
 鼻の中が切れる癖が付いてしまって、しょっちゅう鼻血が出る。
鼻をかんでも、顔を洗っても、少しの刺激で鼻血が出る。
大抵の事は
「こんな事でイチイチ病院に行ってたらキリがない」と放っておく。
この日はチト様子が違った。
普段なら5分ほどで止まる。
なのに、30分たっても止まる気配がない。
内科の主治医の先生の紹介で耳鼻科へ行った。
そこで鼻の中の血管を焼く手術を受けた。
麻酔をかけて、片手にアースを持ち、針のような物で鼻の中をチッチッと触る。
ベテランの女医さんだったので、何にも痛くないし、1分くらいで終わり。
鼻の中に”3日くらいで溶ける綿”をつめてもらったけど、これがちょっとイヤだった。
昼間は平気だけど、寝ている間に口で呼吸しなければならないので苦しい。
 鼻血事件は手術をする良いきっかけとなった。
耳鼻科の先生に「今後も鼻をかんではいけない」と言われた。
その後、綿が溶けてきて鼻の中が気持ち悪いので毎日かんでいたけど、鼻血は出ない。

 2007年11月15日に心臓手術をして3年経った。
私の心臓の中の偽物の弁と血管も3歳の誕生日を迎えた。
偶然にも坂本竜馬が京都の河原町、近江屋で暗殺されたのと同じ日。
覚えやすいです。

 3年目の検診を心臓血管外科で受けて、結果は良好。
今までどおり、アクティブに生活してよろしい、という事でした。

 術後すぐくらいには特に,その事で人生観が変わったと思わなかったけど、
3年経ってみて、ジワジワと変わったように思う。

 毎日、何をしていても楽しい。
道を歩いていても、本を読んだり、食事をしたり、友達と会っても、季節の移り変わりも、何もかも楽しい。
その裏には
「ホントやったら、とっくに死んでいたはずやのに、こんな事ができて嬉しい。
 生きてるのは楽しい事やな〜」 という気持ちがあるから。

 ずっと先まで長生きすると思ってても、「ハイ、あなたの持ち時間は終了」となるかも知れない。
長期の人生設計をたてるのも良いけど、毎日を大切に充実していく方がもっと大事。

 循環器内科と心臓血管外科の2人の主治医の先生のおかげで、普通の元気な人と同じ生活ができています。
外科の診察は年に1回。
日常の管理は循環器内科。
4週間毎に薬の量を決める為に採血に行く。
2種類の心臓の薬の量を絶妙のコントロールで調整。
薬嫌いの私だけど、毎朝、欠かさずに飲んでいます。

 もし、3年前に病気が見つからなかったらどうだったかなー。
今頃、私は天の川(あまのがわ)の星の一つになって、七夕の日に皆から見上げられてたかなー、なんて思う。

 元気に生きてられるだけでも、ラッキーで幸せ。
いつも感謝の気持ちを持って、誰にでも優しくしてあげたい。
やはり、人生観も性格も変わったみたい。

 by mikris


第134回(2011年2月1日旧交を温める

 5年に1回、お正月に同志社高校の同窓会がある。
一応、高校を基準にしているけど、中学の先生達も中学だけ同志社で外部の高校へ行った人も来る。

 日本全国に散らばってしまった同級生も正月には実家に帰ってくる。
実家がなっくなってしまった人達もお墓参りを兼ねて良い機会だからと同窓会にやってくる。

 女子は皆、若々しくて、お洒落にしている。
やはり、それなりに努力していて、
「昨日、エステに行った」とか「髪の毛を染めてきた」と気を使っている。

 私も同窓会までに2kg痩せて、、、努力はしたけど結果がついてこなかった。
美顔エステに行きたいけど、顔をマッサージされたら鼻血が出るかも知れない。
代わりに、手っ取り早く顔のたるみを取る為には頭の皮の引き締め。
クーポンを使ってヘッドスパに行ったが、こちらも効果なし。
シャンプー、カット、セット、ヘッドスパで2900円のコース。

 男子は見た目年齢は色々。
概ね、高校の頃よりも大人になって、良い感じ。
顔が引き締まって、素敵な中年のオジサン達になっていた。

 前回の同窓会でのツワモノは、45歳で結婚して出産した友達。
今回のツワモノは
「私の再婚した旦那、見てー、ハンサム過ぎて見せずにはいられへん」
16歳も年下の旦那さんはハンサムで優しそう。

「僕の彼女も見て。美人やろー、30歳年下やねん」
こちらは奥さんじゃなくて、彼女。
なんで、こんな綺麗な人があんたなんかと?と同級生は遠慮が無い。
しかして、その実態は、彼がやさしい性格の人なので、彼女が離してくれない。

 本当か嘘か、国内外に子供がいるので、子供手当てをウン十万円ももらった奴が居る。
そんなに沢山の子供を認知して、アホなのか真面目なのか? 昔から子煩悩な人だった。

 相変わらず、高校の頃にあこがれていた相手に告白したり、まとわりついたりする人が数人。
人生の残り時間が少なくなってきたので、会った時に言っておかないと後悔先立たず。
「昔からこの人のこと、好きやねん」と男女共に周りにも広くアピール。
周知の事実を再確認する人、新たに告白してアピールした人。
 私ですら、数十年ぶりに告白されて、大いに気分よろし。
言われた本人はニコニコ、周りは「また、言うてる」と軽く流す。

 今回、呉服関係の仕事をしている男子は示し合わせたように着物姿で出席。
「良く似合ってて、ええわー」と大評判。
前回よりも着物の女子も増えた。
次の同窓会では男女共にもっと着物姿が増えそう。

 1次会に出席が先生と生徒を合わせて約100人、3次会まで残ったのが50人。
その後、何次会まで続いたのか知らない。

 久しぶりに会った同級生とランチに行く約束をして遊ぶ相手が増えた。
こういう時の集合場所は麸屋町の店。
近所の美味しいレストランを探しておかなければ、、、イソイソ。

 年末の12月31日の夜、10年ぶりに友達から電話。
品物の整理をしていたら、昔の年賀が出てきたそう。
10年も連絡を取ってなかったら、お互いに色々な出来事がある。
すごい長電話になってしまった。
これからは、コマメに連絡を取って、食事にも行こうと約束。

 東京に住んでいる知人が店にやってきた。
10年以上、会ってなかったかなー。
お互いに見た目は変化していても、声は変わらない。
電話ではいつも話していたので、すぐにわかった。
関西での予定が詰まっていたのに、時間をやりくりして来てくれた。

 浄土寺の店の時からのお客様で、今年になって新店舗に初来店という方も何人かあった。
遠方からも京都市内、近県からも、寒さをモノともせずに来て頂いて、有難うございます。
場所を覚えてもらって、気軽に立ち寄ってもらえたら嬉しい。

 「雪が降ったら泊まりに来て」と言う友達がいる。
「夜に暖炉の前で雪を見ながらのワインがええねん」
友人の奥さんはソムリエの資格を持っている。

 別荘は去年の夏に山の麓に完成した。
庭が国定公園に続いていて、どこまでも森のようになっている。
 大阪のユニバーサルスタジオの建物の内装を担当した人に作ってもらった部屋がある。
南仏プロバンスのような部屋
他の部屋は木の香りがして、明るい新築だけど、この部屋だけは19世紀。
映画のセットみたい。
森林浴の出来る庭ー夏と冬
夏に遊びに行った時は庭に張り出したウッドデッキでランチをした。
京都からサンドイッチやパンを持っていって、飲み物は友人が準備。

 1月のチラホラと雪の降る日に美味しいパンとヴーヴクリコを持って出かけた。
ヴーヴクリコは未亡人(veuve)のクリコさん(clicquot)が作ったフランスのシャンパン。
幹線道路は除雪されているけど、周りはここ数日の大雪で一面の雪景色。
雪山と澄んだ水の美しい景色
暖炉を囲んで昼食、午後は近くの温泉へ浸かりに行った。
雪見の露天風呂。
夜は魚の美味しい和食屋さんへ行った。
何にもしないで、好きなこと言って、ダラダラー。
暖かい部屋で雪景色を見ながらゆっくりの一日でした。

 昨秋から今年にかけて美術館に縁がある。
ブルージュのレース博物館の方達が来られて、展示するレースを買ってもらった。
「ベルギーから来て、京都でベルギーのレースを買うなんて」と言いながらも
「珍しいレースで値段も納得、博物館の展示品にします」

 自分のコレクションを美術館に貸し出し展示された方があった。
コレクションの中には見覚えのある物も、、、久しぶりの再会です。

 公立の美術館へ展示協力で預けていた品物の納入が決まった。
こちらはレースではなくて陶磁器。
公立美術館は前にも納入した事があるけど、書類を何枚も出して手続きがいる。

 プライベートの美術館をオープンされる方もある。
美術館に納入すると、又、その品物に会えるのが良いところ。

 今年は仕事もプライベートも活気のある年明けになった。
この調子でピョーンと跳ねる1年を過ごしたいです。

 by mikiris


第135回(2011年3月1日Dentelles francaises(フランスのレース)

 バッハやモーツアルトが世に出た18世紀ヨーロッパでは芸術、音楽、美術において優美なロココ様式が好まれた。
ファッションは男女ともに飾りの多い物が流行し
女性の袖、衿、スカートを飾ったり、男性の胸元を飾る豪華なレースが作られた。

 より美しいもの、豪華なレースを求める人があれば、職人も高い技術とデザインに工夫を凝らす。
フランスのレースは18世紀、1700年代に最高の品質の物が作られた。

 17世紀末から18世紀にかけて作られたポワン・ド・フランスは技術的にもデザインも素晴らしい。
フランス宮廷では冬のレースとしてアランソンやアルジャンタン等のニードルレースが人気だった。
ボタンホールステッチや盛り上げる技術を入れた凝った作りの刺繍レース。
 
 夏のレースは絹糸や麻糸をボビンを使って織るブロンドレースやリール。
薄くて軽いレースが夏物として好まれた。

 しかし、18世紀末、フランス革命によって、フランスレースの運命は宮廷や貴族と同様の道を辿る。
贅沢は敵、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
職人達は殺されたり、近隣の国へ逃げて散り散りになりレース産業は一度終焉をむかえる。

 その後、19世紀初頭にナポレオンがレース産業を復興させた。
豪華なアランソンや優美なシャンティイが製作された。
残念ながら、一度途切れた産業は元通りにはならず長くは続かず
又、ファッションの流行の変化により軽いボビンレースが好まれるようになり、フランスのニードルレースは消えてゆく

 19世紀はイギリスの時代。
陽の没することのない国と呼ばれるほど世界中に領土を広げた。
国が栄えていると、芸術もファッションも建築も素晴らしいものが生まれる。
フランスで作られたレースはイギリスやベルギー、スペインに多数輸出された。
フランスのレースは輸出産業として国を支えた。

 レースを知ることは歴史を知ること、当時の人々の生活を知ること。
知識が増えると、ひとつの物でも色々な方向から見ることができる。
絵画を見ても、本を読んでも、ファッションプリントのような当時の雑誌を見ても
頭の中で想像力を膨らませて、なんだか楽しいですね。

 今回の独り言「フランスのレース」は海外のレース関係の書籍、レースを入手した時の説明やメモ、来歴を参考にして
1点ずつのレースを糸の通り方やデザインを研究してまとめました。

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ポワン・ド・フランス Point de France
麻糸のニードルレース、1600年代後半〜
1680年ー1700年頃のデザインは左右対称部分が特徴
1700年代になると自由な発想のデザイン
とにかく、細かくてモチーフの小さい刺繍のレース
ベネチアのローズポイント、ポワンドネージュに似ている
ポワンドフランス Point de France

アランソン Alencon
麻糸のニードルレース、1700年代初頭〜
ボタンホールで盛り上げたり、ピコで飾ったり、手の込んだレース
デザインに使われている*印は18世紀中頃より現れる
手刺繍で作るので無数の可愛らしいデザインがある
今回の展示会では70点を展示します
アランソン Alencon

アルジャンタン Argentan
麻糸のニードルレース、1600年代中頃〜
1700年代前半はグラウンドにボタンホールステッチを使用
六角形のボタンホールステッチでアルジャンタン・グラウンド
一見、太い糸で荒いレースに見えるが、じっくり見ると手が込んでいる
19世紀になるとreseaux tortillees捻ったグラウンドを使用
ボタンホールだと手間がかかりすぎるので簡略化した
アルジャンタン Argentan

アルジャンテラ Argentella
麻糸のニードルレース、1700−1770年
高品質の手の込んだレースだが製作された期間が短く、非常に希少なレース
ボタンホールステッチを初め、色々な技巧を組み入れた複雑で美しいデザイン
六角形の中に六角形や四角等の別のモチーフを入れるデザインが特徴
アルジャンテラを作れるのはセンスがよくて高い技術を持った人と思う
アルジャンテラ Argentella

ポワン・ド・スダン Point de Sedan
麻糸のニードルレース、17世紀後半〜18世紀末
四角いグラウンドとボタンホールステッチを使用したフラットポイント
raised work盛り上げ技術は裾やポイントに入れるくらいで、あまり使わない
近隣国に輸出されていたが、フランス革命により消滅した
生産された期間が短いので希少とされているがアランソンに分類されている物が多いように思う
ポワンドスダン Point de Sedan

バレンシエンヌ Valenciennes
麻糸のボビンレース、16世紀〜
18世紀の中頃迄のはbincheバンシュとよく似ている
18世紀のはデザインが細かくて可愛らしい
よく見かけるグラウンドは
1.round flemish 六角形で全角を四本糸で作る
2.diamond ground菱形で全角を四本糸で作る
3.fond de neigeくもの巣のようなグラウンドでアクセントに入れる
時代によって全然別のレースのように見えるバレンシエンヌ
初期の物は本当に細い糸でsnowy ground=neigeを入れて美しい
19世紀後半にはビスクドールの服によく使われているスカラップの縁レースが多い
4cm以下の巾の物がほとんどで10cmを超える太い巾のは少ない
バレンシエンヌ Valenciennes

リール Lille
麻糸のボビンレース、16世紀末〜19世紀中頃
ギンプ(太い糸)でアウトラインを飾る
フランスの宮廷で夏のレースと呼ばれた軽いレース
六角形の4辺を2本糸で、2辺は糸が絡むだけのリールグラウンド
fond simpleとも呼ばれる
18世紀のリールはメッヘレンに似ている
19世紀のリールはバックスに似ている
リール Lille

ブロンド Blonde
絹糸のボビンレース、18-19世紀
fond simple や kat stitchを使用
初期は全体をボビンレースで作っていた
フランスの宮廷で夏のレースとして人気があった
1811年より機械でブロンドレースが製作されるようになったがギンプは手作業だった
作業に時間も手間もかかるので、1840年には全体を機械で作るブロンドレースが主流になった
職人達はシャンティイへ移動してボビンレースを作った
1800年代前半の全体をボビンで作った物が良いように思う
ブロンド Blonde

ポワン・ド・パリ Point de Paris
17世紀から麻糸のボビンレース、19世紀は綿糸
初期のアントワープポテンカントと同じグラウンドを使用
kat stitch / fond chant六角形で各角に丸くホールが入る
ギンプで模様の縁を飾る
18世紀後半に人気のレースで沢山作られた
ポワンドパリ Point de Paris

ル・ピュイ Le Puys
黒い絹糸のボビンレース、1700年代後半ー19世紀末
太い絹糸を使って繰り返しのデザイン、リーフを使用
スペインに多数輸出された
リーフの形が良いけれど細長いのが特徴、かな?
白色のル・ピュイは超珍しい
ルピュイ Le Puys

シャンティイ Chantilly
黒い絹糸のボビンレース、17-20世紀
ボビンレースで織ったデザインにギンプを入れる
フランス革命で一度消えたが、ナポレオンが復興させた
軽く、透ける様に美しいレース
99%が黒糸で作るシャンティイだが1890−1900年頃に綿糸で白いシャンティイを作った
シャンティイ Chantilly

クルニー Cluny
麻糸のボビンレース、19−20世紀
白色の太い糸で幾何学的な連続模様のデザイン
何度も洗濯できる丈夫なレースです
テーブルやキッチン関係、下着に使われた
画像のレースはテーブルラナー
クルニー Cluny

 by mikiris


第136回(2011年4月1日普通の生活+カセットコンロで豆御飯

 いつまでも余震が続いて、京都に居ても落ち着かない。
yahoo地震情報を見て「あー、また地震があったんや」

 東北や関東の知り合いがどうしているか、大丈夫かな。
地震速報が出るたびに心配。
停電も不自由だろうと思う。
避難している人の中には、私のように定期検査と薬がなくては生きていけない人も居るはず。
次から次から気になって、知らない人の事でも心配。

 3月11日の2時46分、店ではアンティークレース展の真っ最中。
展示のレースを見ていたお客様2人と私は何も感じなかった。
店のバックヤードに居た店主は「目まいがする」と思った。
いつまでも頭がフラフラすると思ったら家が船に乗っているみたいにゆっくりゆっくり揺れていた。

 こういう揺れは遠くで大きな地震が起こった時。
阪神の地震の時はダダダダダーッと何かがこちらの方に走って来て、グルグルと地面をシェークするように揺れた。
家のあちこちで大量に物が割れる音がした。

 東日本の地震で関西に直接の被害はなかった。
でも、心は傷ついている。
毎日、テレビや新聞、PCのニュースを見て悲しい思いでいっぱい。

 イギリスやオランダ、フランス、フィンランドの友人や知人、取引先からお見舞いのメールが届く。
そして、日本人は素晴らしいと賞賛のメールも。
 
 京都に居て、私にも出来る事はないか考えた。
義援金をするのは一番に思いついた。
色々考えて、普段どおりの生活をするのも復興の為の一つの方法。
風評に踊らされず、パニックにもならず、今までどおりに普通に暮らすこと。

 京都では特に不足している物もないし、スーパーやデパ地下に行っても品物は揃ってる。
買い物に行ってレジに行列はないし、ガソリンスタンドもいつも通り。
店もレストランも普段どおりで何も変わらない。
変わらないことが疲れた人を支える力になれそうな気がする。

 心配で悲しいし、何も出来ない事にイジイジするけど、見守る事しかできない。
阪神の地震の時に遠く離れた所の人はこんな気持ちだったのかも知れない。
私はこっちで一所懸命に普通の生活をする。

 海外からのお見舞いのメールに
「西日本は今までと何も変わらない。
 毎日、悲しい気持ちでニュースを見ているけど、普通に生活している」と返事する。
日本は大丈夫、とアピールする。

 被害を受けられた方が一日も早く平穏で普通の生活に戻られますように、と願います。

 by mikiris
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カセットコンロで豆御飯

 3月末に「熊魚庵たん熊」さんの料理講習会へ行ってきました。
「熊魚庵たん熊」は仙台のウェスティンホテルの37階にレストランがあって、社長さんは地震の日に其処に居たのです。
最近のビルは揺れる耐震設計になっているので、左右にすごく揺れたのですがホテルは大丈夫でした。
ガスなどのインフラが整ってないので店は休業中です。
その間、料理はカセットコンロで作ってるそうです。
講習会でもカセットコンロで炊く豆御飯を教えていただきました。

春の料理の献立です
前菜ー筍と烏賊の木の芽和え、サーモン奉書巻き、南京、昆布〆胡瓜の串刺し、鯛肝蒸し、桜寿司、花びら百合根
吸物ー舌平目真蒸、海老、木耳、紅白麩、人参、揚こしあぶら、からすみ、木の芽
造りー桜鯛うす造り、人参
焼肴ー鱒黄金焼、菜の花、牛肉八幡巻、玉子、紅白大根
焚合ー若竹煮、蕗東寺巻、鰹、木の芽
蒸物ー桜蒸し白魚、鰻、椎茸、桜花、桜葉、生姜
止椀ーあさり田舎味噌
御飯ー豆じゃこ御飯、梅の花
香物ー京漬物
水物ー三宝柑ゼリー、メロン、苺、クワントローゼリー、ミント
遊魚庵たん熊 料理教室


カセットコンロと固形燃料、土鍋で豆御飯を炊く実演を見せていただきました。
出来上がりの御飯は豆の緑も美しく、ふっくらと炊けています。

材料ーお米2合、うすい豆30g、じゃこ、桜の花塩漬け、昆布だし360cc、酒20cc、薄口醤油3cc、塩3g
正式に教えていただいたのは出汁をとって、、、、の作り方。

家で簡単に作る方法も教えていただきました。
1.土鍋に洗った米と同量の水を入れる
2.昆布の切れ端、豆、塩、酒を入れてカセットコンロにかける
  じゃこは熱湯で塩出ししたのを入れる
3.土鍋の縁からブツブツと噴いてくるか、空気穴から湯気が一直線になったら火を小さくする。
  噴いたら蓋を開けたくなるけど、圧力釜状態になっているので覗いたりしてはダメ。
4.とろ火のコンロ、又は固形燃料に置き換えて10分
5.火を切って、しばらく蒸らして出来上がり

豆御飯の代わりに残ったおかずを入れて炊き込みご飯もできる。
土鍋がなくても、空き缶と焚き火があったら御飯は炊ける。
料理長さんはキャンプが好きで、空き缶をアルミホイルで蓋をして焚き火の横に置いて御飯を炊いたそうです。

 白御飯も美味しいけど、炊き込み御飯なら倍は食べられる!

 by mikiris


第137回(2011年5月1日嬉しいこと

 4月のある日、この日は嬉しい事があった。
冬の寒さで枯れて消滅していた草が生き返っていた。

 店主がヨーロッパへ出張中、草いじりが苦手な私だけど、何となく庭に出てみた。
何か、変なもんがある!
庭の真ん中に見たことがない、変な形の葉っぱが大きく育っている!
「こんなん、おととい(一昨日)はなかった」
「もしかして、これは八角蓮?」

 去年の5月に開店祝いにもらった寄せ植えを地植えに替えたやつ。
この冬の寒さで完全に死んでた。
影も形もなくなっていたのが見事に復活してる。
なんだか、すごく嬉しくなった。

 庭を見回すと八つ手の芯に何かある。
ここから葉っぱが伸びて来そう。
青木にも南天にも新しい葉がついてる!
ライラックに蕾のようなツブツブが付いてる。
ホトトギスも花筏も新芽がでてる。
やつで斑入り青木ライラック
たいつり草八角蓮
あっちにもこっちにも、シダも山椒もミントも生きてる!
みんな、死んでなかったんや。

 今年に入って、悲しいことばっかり起こる。
今まで、玉葱を切った時くらいしか涙がでなかったのに、、、

 こんな小さな草みたいなもんが生きる力を見せてくれてる。
今度は嬉しくて泣きそうになった。
 
 この日はもう一つ、嬉しいことがあった。
オランダへ仕入れに行ってる店主から電話で、
「あいつ、元通りに元気になっとったわ。
 半分くらいに痩せとったけどな」

 20年来の付き合いがあるオランダの骨董屋さん。
同い年くらいだけど、去年の1月にHead Stroke(脳梗塞)になった。
去年の4月には入院中でアンティークフェアも奥さんが一人で頑張った。
元々、骨董の仕事を手伝ってなかった奥さんだけど、友達に荷物を運んでもらい出店した。

 その後、彼は通院でリハビリしたり、遠くのリハビリ施設に入院していた。
奥さんから「彼はハードなリハビリを頑張ってる」とメールを何回かもらった。
私からも「He can make it. He will recover completely. I sure believe it
(彼ならできるよ。きっと、元通りになる。信じてる)」と応援のメール。

 3月に地震があったときも心配してメールをくれた。
彼と奥さんの連名。
いつも、メールは奥さんがやってるしな〜。彼はどうしてるんやろ?
「身体の具合はどう?」と聞くのも怖い。
リハビリは上手くいってるんやろか。。。

 毎年、春と秋にあるオランダのフェア。
搬入日のチケットがあり、それを準備してもらっていた。
去年は大変な忙しさの中、奥さんが用意して事前に日本へ郵送してくれた。
今年はどうしよう、、、、頼んでもええんやろか、、、
結局、チケットは別の知り合いに頼んだ。

 フェアの搬入日、彼はいつものブースで前と何にも変わってない。
その晩、すぐにオランダへメールした。
「完全にリカバリーして、おめでとう、おめでとう!すごく嬉しいよ」

 実のところ、失われた能力もあるけど、仕事ができるくらい元通りになった。
もっともっと回復した彼に会いたいから、今年の秋には私も店主と一緒にオランダに行くよ。

 奇跡とか希望とか言う単語が身近に感じられた一日だった。

 店主の仕入れも上手くいって、白デルフトのお皿や筒、ブルーの花瓶などを沢山仕入れた。
オランダのスリップウェアも良いのが色々とあった。
私のリクエストで小さなサイズの色絵タイルも見つけてきた。
これも嬉しい。サンキュー!
 
 店では4月末からタイル展をやってる。
17世紀の色絵タイルを中心に150点程を並べている。
タイルの在庫はいつも800枚程あるが、色絵は少ない。
作られた時期も短く、1590年から1625年に集中して作られた。
その後はデルフトブルーのタイルが中心。

 どのタイルも名もない陶工が一枚ずつ手描きをした物。
白地に下絵をつけ、その上をブルーでなぞる。
なぞってるけど、絵は筆が走って元気に跳ねてる。
みんな、仕事が好きだったんだなー。
ほのぼのとして、見ていると「可愛いなぁ」と思ってしまう。

 店のタイル展に来るお客さんは男も女も、年齢もいろんな人が来る。
みんな、「可愛いなぁ」と言って見てる。
とりわけ、年配の男の人が小さな声でポツリと「可愛いなぁ」と言うと嬉しい。
「そんな事言うオジサンが一番可愛いよ」とは口が裂けても言わないけど。

 そして、4月30日の庭はこんなに緑になりました。
まだまだ、完成途上です。

 by mikiris


第138回(2011年6月1日マイレージの奴隷

 お買い物をしたら店でポイントが付くように、飛行機に乗ってもポイントが付く。
乗った距離によってポイントがもらえるので、単位はマイルで表示される。

 このマイレージが導入された時、早速に会員になった。
イギリスとオランダへ行くことが多いので、オランダの航空会社KLMのマイレージクラブに入った。

 制度について詳しく書いても、興味のない人には何にも面白くないので、簡単に。
ランクが平会員、銀色、金色、プラチナ会員とあって、1年にヨーロッパへ2回行ったら銀色。
4回行ったら金色。5回以上はプラチナ。

 金色とプラチナの差はほとんどなくて、プラチナになる意味がない。
平の会員はカス。
金色と銀色の差は大きい。
いずれにしても、銀色以上は空港でのチェックインがビジネスクラスのカウンターでできる。
これは、とっても有り難い。
長蛇の列を並ぶ人を横目に、絨毯を敷いたカウンターへ進んでチェックイン。

 飛行機の中での席はエコノミーだけど、好きな席を選べる。
今は無くなってしまったけど、ビジネスクラスの椅子でエコノミーの食事の席があった。
コックピットの後ろがビジネスクラス、その後ろのブロックでギャレーの横、10列ほどこの席があった。

 銀色の会員の特典として、飛行機に乗るとポイントが1.5倍付く。
金色とプラチナは2倍のポイント。
ポイントを使って飛行機の無料チケットをもらって旅行もできるし、エコのチケットを買ってビジネスの席にアップグレードしてもいい。
金額的に考えると、格安チケットを買って、ビジネスクラスへのアップグレードが一番お得。
その頃はアップグレードのポイントが少しで良かったので、金色会員だと結果、ポイントは減らない。
私達は秘かに「飛行機会社はアホやなー」と言っていた。

 若い頃(5−10年前)はとにかく、格安チケットでエコに乗って、ヨーロッパへ何往復もした。
ポイントの期限は永久不滅。
私も店主も金色会員の地位を維持する為?に頑張って何度もヨーロッパへ行った。
ある年は金色を維持するには500ポイント足りない。
2泊3日の台湾旅行に行って、ポイントをゲット。
夜の便で出発して朝の便で帰国だから、自由な時間は1日だけ。
故宮美術館に行って、夜市に行って、中華料理を食べて、お茶を買って帰った。
 同業の友人は同じく金色会員維持にポイントが足りないので、年末に1泊3日のヨーロッパ旅行に行った。

ポイントを貯める方法は飛行機に乗るばかりじゃなく、クレジットカードで買い物したポイントををマイルに変更することもできる。
ポイント倍増のサイトからインターネットで買い物したり。
こうなると、ほとんどマイレージの奴隷。

 良い思い出も色々有る。
ポイントを少し使ってお正月にビジネスクラスでマレーシアに旅行。
ラッキーなことに、チケットはファーストクラスに変更になっていた。

 こんな風に貧乏人が安い券で大名旅行を謳歌できた時期は、ある日、突然に終わった。
現在、格安チケットだとポイントは30%しか付けてくれない。
アップグレードするには正規のチケットを買わなければならない。高いよ〜。

 しかし、一度、甘い汁を吸った人は元には戻れない。
この際、マイレージのポイントを使いまくって、無料チケットでヨーロッパへ行こう。
私達はマイレージからの「奴隷解放宣言」をした。

 奴隷解放宣言から3年目の今年の4月。
私のマイレージのポイントもクレジットの買い物も全部かき集めて、店主は最後のポイント旅行に行った。
これで、ポイントはスッカンピー(すっからかん)になった。

 以前に乗ったエールフランスのビジネスクラスが良かったので、店主は帰国便をエールフランスにした。
関空ーアムステルダムの往復なのに、わざわざ飛行機に乗るために朝からフランスへ移動。

 何をしても、いつでもラッキーな私と違って、いつもインケツの店主。
前回、新型の新品の飛行機だったのが、今回は古いボロボロ機材。
機内食はミシュランの星が付いたレストランのシェフ監修のフランス料理が美味しいのだけど、
バカな店主は和食の「すき焼き」を注文した。

 「あんたはアホや。何で、フランス人が作るすき焼きなんか頼んだん?」
 「すき焼きが食べたかったんや。 まずかったわ」
 「当たり前やん。最後のビジネスクラスやったのに、もったいなー」
KLMビジネスクラス4月KLMの機内食
エールフランスビジネスクラス4月エールフランスの機内食
 ひとつだけ良いことがありました。
フランスのドゴール空港のラウンジにあったお菓子。
フィレブルー(Filet Bleu)のレモンガレット(Galette au Citron)を持ち帰ってくれたのが美味しかった。
レモンの皮を擦ったのを入れた味のガレット。

 フランスのガレットは2種類あって、お正月に食べる当りの小さな人形(Feve)が入ったタルトと薄焼きクッキー。
持ち帰ったのはクッキーの方。

 ブルターニュ地方のお菓子でバターと小麦粉を使って焼いた固めの薄いクッキー。
ガレットよりバターの味が薄くてサクサクしてるのがサブレ、ぶ厚いのはパレ。
どれも似たようなモンで、どうでもええやん、と思いながらガレットを買ってしまう。

美味しかったフィレブルーのガレットは京都にないけど、他のメーカーのがある。
お茶の時間の友になる軽いお煎餅です。
メールプラールのガレットサンミッシェルのガレットガレット色々
 毎回、テーマを決めて独り言を書いているけど、結末は食べ物の話で終わる事が多いような気がする。
そんなに食い意地が張ってるつもりはないけど、なんでかな? Why ?

 by mikiris


第139回(2011年7月1日贅沢な気分

 連日、なんだか忙しくて、休みの日も雑用に追われております。
定休日は外回りの用事で、一日を終えるとがっくり。
店では毎日、仕入れた物を仕分けして、これが1ヶ月以上続いてる。
仕事はやっても、やっても終わらない。
砂場で砂をすくっているような気になるけど、いつかは終わると言い聞かせて頑張る。

 「いったい、いつから休んでないんやろ〜?」
久しく見なかった大きな青地味が足にボーンとできてる。
手には小さな青地味が点々と。
疲れている証拠。
時間に余裕がないから、次はあれしてこれしてと気持ちがあせって、身も心も疲れ果ててる。
これはイカン、なんとかしなければ。

 あー、緑の中で深呼吸したい。
加茂川の縁を歩いても、御所や吉田山に行っても緑が足りない。
み・ど・りーーー
 おにぎりとお茶を片手に植物園へ。
初夏の植物園は緑がいっぱい。
広い公園に花と芝生と木、ちょろちょろと細い川も流れてる。
京都 植物園
植物園へ来たのは小学生の写生大会以来か、遠い記憶。
たまにお弁当持ちでくるのもいいもんだ。
大芝生の周りに植わってる大きな木の陰でお昼にした。
植物園のバラ園あやめ池
色々な花が咲いているし、バラ園では250種類の薔薇が満開。
これだけ薔薇があったら、さすがに薔薇の香りがすごい。
どんな匂い音痴でもわかる。
菖蒲やデルフィニウムのような紫の花も沢山咲いていた。
熱帯植物の温室もある。
蒸し暑くて、ボルネオのジャングルに来たみたい。

園内を散歩するとかなりの距離を歩くことになる。
杏の木の下にベンチがあった。
2時間程、ここで読書。
涼やかな風が吹いて、アンズの甘い匂いが漂ってくる。
前にはハーブの庭がある。

 大阪の万博公園にある日本庭園には及ばないけど、それなりに充実している。
植物園の北門は地下鉄北山駅と直結している。
自宅から車で10分くらい。 近い!!

 犬猫立ち入り禁止で、樹木も防虫の手入れがしてあるので安心して歩ける。
鳥たちも慣れているのか、近寄ってきて、お菓子を欲しがる。
これからも緑の下で本を読みたくなったら行くことにしよう。
のどかな一日でした。

 しかし、毎日、植物園へ深呼吸しにいくのは無理。
エステに行ったり、プールに行って泳いだら気分も晴れやか、疲労回復できそうだけど、時間がない。
仕事をサボって出かけたら、その後が押せ押せになってしんどい。
私は時間配分が下手なのかな。

 そうだ、時間も場所も気にせずに気分転換できるアロマテラピーをやってみよう。
匂いには色々な力があって、バリバリと働きたくなったり、リラックスして落ち着いたり、
疲れもとれるし、集中力が出たり、魔法みたい。

アロマテラピーの能書きは知ってるけど、一度も使ったことがないので何をどうしたらよいかわからない。
本を立ち読みしたり、ウェブで検索。
アロマの精油(エッセンシャルオイル)をお風呂にたらしたり、枕にふりかけて匂いでゆっくりする。
専用の石にエキスを数滴たらして、室内に香りを広げるポプリの代わり。
エキスをオイルに混ぜてアロマオイルを作る。
身体にスリスリと塗りこめて、アロママッサージ。
数種類のエキスをブレンドしても良い。
なーるほどー、まずは好きな匂いを選ばなくては。

 流行の物なので、あちこちで売ってる。
どこにでもあって、種類も多いので、何を買ったらよいのかわからない。
店に行って、匂いをかいで、次々と瓶を開けて、匂いをかいで、ごっちゃになって前の匂いも忘れた。
そのうちに、やたらにくしゃみが出る。
「あ、もしかして、私はヒノキアレルギー?」
杉やヒノキ、ヒバや木のアロマを嗅いだからかな。

 オレンジやグレープフルーツ、果物のアロマシリーズ、百合や薔薇、ラベンダー、花のシリーズ。
お香やバニラの香りなど、沢山ありすぎて、わけがわからん。
そのうちに鼻は変になるし、頭痛いし、どれもトイレの香りみたいに思えてくる。
数種類を選んでブレンドするなんて、混ぜた匂いが何になるのか想像もつかない。
素人の手におえない、あきらめよう。

 お風呂でゆっくりするのはどうかな?
良い匂いの石鹸でリラックスして疲労回復。
そうだ、良い匂いの石鹸を買いに行こう。

 石鹸ごときに贅沢をして、毎日、優雅にお風呂に入ったら、エステなんか行かなくてもOK。
まあ言ったら、お風呂で石鹸テラピー。

 バスジェルはフィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラが一番高級だろうなー。
京都に店があるから、ちょっと覗いてみた。
はー、恐れ多くて、私にはレベルが高すぎる。

 フィレンツェの別のメーカーで良いのが見つかった。

このジェルを使うとお風呂場に蘭の花が咲いたように良い匂いが充満する。
バスタブに数滴たらして勢い良くお湯を注入したら泡のお風呂の出来上がり。

 加齢臭を気にしている友弥人には朝シャワーの時だけ貸してあげることにした。
さすがにイタリア製。 効果は絶大!

内では石鹸類もシャンプーも歯磨きチューブも別々です。
もちろん、私は高いのを使って、友弥人はスーパーの安売り品。

このバスジェルを使うと、お風呂から上がっても身体中が良い匂い。
寝る時もふんわり香って、ぐっすり寝られる。
いつの間にか疲労回復。

 1日1回、贅沢な気分に浸れる時間があると、幸せだなー。
今夜も面白い夢を期待して。 zzz....

 by mikiris


第140回(2011年8月1日加賀の温泉+地蔵盆

 月に2回、月火の連休がある。
二人暮らしの便利なとこで、「来週、旅行に行こか?」
提案する人が一人、賛成する人が一人で決定。

 ネットで露天風呂のある温泉を探す。
私は湿気や湯気で息が苦しくなるので長く入るには露天風呂が絶対条件。
ちなみに曇り空の日や湿度の高い日はどんより疲れるし、飲茶も蒸し寿司も肉まんも苦手。

 車で行くので、3時間くらいの所が希望。
北陸の山中温泉に決めた。
京都から名神、北陸道を通って、加賀インターを降りてから30分。

 山中温泉は北陸5大温泉の一つ。
山代温泉、片山津温泉、粟津温泉、和倉温泉。

 町は細長くて、川を挟んで町が発展している。
メインストリートは最近、新しく整備された様子。
普通の家も薬局も新聞屋さんも八百屋さんも、レトロな和風の外観にしてある。
メインストリートの裏の道は田舎のひなびた住宅街。
印象としてはポストの多い町。
昔ながらの丸型ポストや小さなポストがあちこちにある。
町に調和していて可愛らしい。
山中温泉 商店街 
 川の縁を散策して1時間ほど歩ける遊歩道がある。
メインストリートの端っこに大きなパーキングがあり、そこから「こおろぎ橋」へ行った。
小さな橋で川の水に向かって伸びている木も涼しげ。
遊歩道は登ったり、下ったり、休憩所もある。
こおろぎ橋の上から 川からこおろぎ橋を見上げる こおろぎ橋
 「あやとり橋」は鉄橋をイメージした橋。
狭い川に大きな石がゴロゴロしていて、深い淵も所々にある。
川幅が狭くて流れが急な川なので、大雨の後はどんな表情を見せてくれるのか興味がある。
普段は水の少ない京都の鴨川でさえ、大雨の翌日は濁流になっているから。
あやとり橋あやとり橋
 町は温泉街なので旅館は沢山あるけど、閉館している旅館も多い。
営業している旅館もロビーの電気が消えていたり、前を通って、ここは閉店?営業中?
前に車が停まってるから営業してるのかな?
ベニヤ板が打ち付けてあるから閉館か、、、
町全体も散策する人がほとんどなくて、ひっそりしている。
平日だからかなー?原発の影響で外人の旅行者も居ない。
混んでいる場所が嫌いなので、私好みの環境です。

道の駅へ立ち寄ったら、店内の電気は全て消灯。
天窓の明かりで商品を見る。
休みのように見えるけど、入り口は開いてるし、レジには女の人が二人いる。
お客も来ないし、電気も消しておこう、なんて話してるのか、、、
店内をぐるぐるまわったけど、電気はずっと消えたままだった。
世の中、節電ムードでも、せめて2本くらいは電気をつけてもええのに。

予約した旅館は町外れにあった。
到着して、「アレ? 営業中?」
玄関もロビーも売店も薄暗い。
非常灯のような暗さでチェックイン。
ネットの口コミで評判の良い旅館だったけど、ちょっと不安がよぎる。
窓からの明かりを頼りにロビーでお茶の接待を受ける。

 客室数50部屋ほどの大きな旅館だったけど、この日は10人程の団体2組、個人客が数組。
大浴場はいつ行っても貸切状態。
誰もいないので写真を撮ろう。こんなチャンスは滅多にない。
もう一度浴衣を着て、部屋まで携帯を取りに行った。
露天風呂畳を敷いた大浴場
 お湯の質が良くて、肩こりや疲れが取れる。
露天には源泉の樽があり、一人用の小さなお風呂。
効き目のある源泉なので、長く入っていたら身体が溶けそう。
皮膚病や傷の治療にも良いと効能が書いてあった。
旅館の仲居さんたちは良く気がついて、気持ちの優しい地元の人、という感じ。
食事は色々な物が何皿も出て、もっと食べたいけど、食べきれない。。。
仲居さんは「お結びにして、夜食に食べますか?」と聞いてくれる。 やさしい〜。
隣の席の親子二人旅の人、疲れて食欲がないのを聞いて料理長さんがおかゆを用意した、やさしい〜。
前菜盛り合わせ豚しゃぶ旅館の朝食
 部屋は田んぼに面した広い部屋で、全面が大きな窓。
クーラーをつけるより、網戸にして窓を全開の方が気持ちがいい。
夜は蛙の声が大合唱で楽しいけど、やかましい。
窓を閉めたら防音が効いてOK。
朝は畑仕事の耕運機の音や作業する人の声が遠くに聞こえる。
のどかな感じで気分が落ち着く。
大杉神社
 昨秋、山代温泉に行ったけど、断然、山中温泉のほうがいい。
町の雰囲気、お湯の質、旅館、人、緑と川と散策できる道。

 せっかく田舎に来たので、自分用のお土産は地元のスーパーへ買いに行った。
その辺りでとれた大きなトマトを箱買い、ブロッコリーや椎茸、加賀のお米、ワイルドベリーのシロップ漬け。
地元で取れた自然の物が一番のお土産。
海老や魚なんかも安いけど、気温30度を超えている日は持ち帰りにくい。

 出かける前にチェックした加賀の特産品に「棒茶」というのがあった。
京都でいう「茎焙じ茶」
茎焙じ茶は葉のほうじ茶よりも香ばしい。
加賀棒茶
 加賀では茎焙じ茶が全体の7割を占めて、煎茶や玉露、玄米茶は少数派。
大抵の焙じ茶は茶色だけど、「献上棒茶」は熱湯で入れても金色、時間がたっても茶色くならない。
味は上等な頭頂烏龍茶に似ている。
京都の一保堂や柳櫻園の茎焙じ茶よりも上品な味。 

 国道沿いの田んぼの中にあるお茶の店は工場見学もできる。
駐車場で車から降りたら、お茶を焙じる香りがする。

 北陸には沢山の温泉があり、海の幸、山の幸、お米も野菜も美味しい。
山中温泉には10軒ほどの旅館があるので順に泊まるのも良さそう。

 帰り道の高速道路、大好きな多賀インターでお昼ご飯。
高速に乗ったら、必ず行きも帰りも多賀インターに寄るのです。
冬は雪景色、夏は冷たい霧のミストがある。
何となく、35年ぶりにハンバーガーを食べた。
海老とタルタルソースが美味しそうに見えたんだけど、
やめといたら良かった、、、、一食、損した。
多賀ドライブイン
 翌日の2時には京都に帰るような短い旅行です。
今年に入ってからのションボリ気分も少しは落ち着いたかな。
次は寒くなってから氷見のブリと蕪寿司を目当てに行ってみたい。

 それまでは休みの日はプール一筋です。
母校の大学のプールとジムが使えるので通ってます。
学生と教職員は割引があるけど、卒業生割引はない。
1kmは泳ぐようにノルマを決めて腰痛、肩こりの解消です。
夏休みはないけど、夏らしい毎日を過ごしています。

 by mikiris


地蔵盆

 京都の夏は行事が多い。
7月は1ヶ月間、祇園祭に関連したお祭りや行列、お神輿がある。
土用の頃には胡瓜封じ、31日は愛宕さんへ火伏せ参り。
「おのぼりやす」「おくだりやす」と声をかける。
この日に愛宕さんで火伏せのお札をもらうと千日分のご利益がある。

 8月も行事が多い。
六道参り、五条坂の陶器祭り、大文字送り火、地蔵盆。
五条坂の陶器市 16日 大文字送り火
 地蔵盆は8月23、24日に行われる子供のお盆。
各町内に1個ずつ石のお地蔵さんがあり、赤いエプロンをかけて祠に入っている。

 ほとんどの町内の地蔵さんはお米5kgのサイズで小さめ。
北白川のバス停前、比叡山へ登る山中越えの上り口の地蔵さんは特大で愛嬌がある。
昔、秀吉がこのお地蔵さんを気に入り、家に連れて帰った。
お地蔵さんが「帰りたい、帰りたい」と毎晩泣くので、元の場所に返してあげた。
この話が有名で「秀吉のお地蔵さん」と呼ばれている。
北白川 秀吉のお地蔵さん
 地蔵盆の日は町内のお地蔵さんを飾って、前にござを敷いてテントを建て、提灯をぶら下げる。
この日は京都市内、あちこちでプチ通行止め。
近頃は2日間お祭りをせずに24日だけとか、前後の日曜日にお祭りをする町内も多い。

 私の住んでいる上馬場町は町内の家の数が約120軒。
江戸時代の地図を見ると「浄土寺村」となっている。
街道を挟んで田んぼだったところに家が建っているので範囲は広い。
それでも、どんどん子供の数が減って、参加する中学生以下の子供は10人そこそこ。
地蔵盆
 一日の行事はめまぐるしく立て込んでいる。
まず、袋入りの午前のオヤツ、お寺さんが来てお経を上げる、賞品付きのビンゴゲームや輪投げ。
午後にはみたらし団子、たこ焼き、とうもろこしを焼いたり、カキ氷を作ったり。
袋に入った午後のオヤツが配られて、西瓜割り、風船すくい、輪投げ。
子供が楽しめるように、大人は汗だく。
夜9時、全てを片付けて、テントを畳んで、ゴミをまとめて一日が終わる。

 私が小学生だった頃、今のイリスの場所、白壁町に住んでいた。
向かいの歯科医療機器の会社は半分の大きさで、お寺があった。
地蔵盆は毎年、向かいのお寺で行われた。
 
 袋に入ったお菓子をもらったり、福笑いをやったり、人形劇が上演されたり、腹話術師も来た。
金魚すくいやガス風船を飛ばしたりした。

 当時はほとんどの家に子供が居て、年も近かった。
年上の子供が小さい子の面倒を見て、よく遊んだ。
現在、町内で住んでいる家は5軒。子供はゼロ。
向かいのお寺が郊外に引越しした時にお地蔵さんは寺町通りの矢田寺に預けられた。
矢田寺
地蔵盆には矢田寺で百万遍の数珠回しをする。
矢田寺にお地蔵さんを預けている町内は他にもあり、小さなお地蔵さんが寺の中に並んでる。
店ばっかりで住人の少ない町の中心では地蔵盆を続けている町内も少ない。
それでも23−24日はあちこちでこじんまりと地蔵盆の風景に出会う。
見ると子供の頃を思い出して、懐かしくて、ちょっと嬉しい。

 by mikiris


第141回(2011年9月1日石持ち

 それは土曜日の明け方4時頃の事だった。
目が覚めてトイレに行った。
もう一度寝ようと思ったら、友弥人が起きてきた。

 「お腹が痛いけど、何か、普通と違う」

お腹をこわした訳でもなく、ドーンと痛いらしい。
 「腰もドーンと奥のほうが痛い」
その内にどんどん痛くなってきた様子で横になって動かない。

 自分で車を運転するような状態ではない感じ。
一応、近くの総合病院へタクシーで行くべし、と電話をかけた。
「お腹の右下と腰が痛いと言うてます。 盲腸のあるような場所です」
総合病院では土曜日の手術がないので、盲腸の場合、対処できない。
救急車を呼んで他をあたってくれ、という返事。

 近所に格好悪いけど、119番して救急車に来てもらった。
救急車の中で色々と聞かれる。
「いつから痛くなった? 昨日は様子はどうだった? おしっこの色は?」
この間、5分位、救急車は家の前に停まったまま。

「症状からして、盲腸ではなく尿管結石の疑いがあります。
 内科と泌尿器科のある病院へ行きますが、行き先は任せてもらえますか?」

車は走り出したが行き先が決まらない。
府立医大か第二日赤、京大病院の分かれ目の交差点でしばし停車。
府立医大からOKが出た。

 救急車の中にはストレッチャーがあって、友弥人はそこに寝かされた。
平坦な道でもクッションが効きすぎて、後ろの座席も揺れるけど、ストレッチャーはすごく揺れて、ユラユラ。
病人は痛がってるので、少しでも揺れを少なくしようと手で押さえたけど、あまり効果はない。

 家から病院までは5分程で到着した。
友弥人はストレッチャーのままERに運ばれる。
私は受付に呼ばれて診察の手続き。
救急隊員の人から説明が行ってて、先生がお腹や腰のあちこちを押す。
検尿をしたら、かなり血が混じってるという結果だった。

 「これだけ血が混じってたら、かなり傷がついてる。
 救急隊の人が判断したとおり尿管結石やろね」との診断。
その割には痛がってない感じ。
病院に着いてから、痛みも治まってる様子。

 先生は「今のおしっこで石が出たかな?」

 痛み止めの座薬と石を溶かして出す薬を処方してもらった。
痛かったらもう少し休んでても良いと言われたけど、そんなに痛そうでもない。
することも無いので、家に帰った。

 帰ったとたんに、又、痛い、痛い。
海老のように曲がって、「う〜」とうなってる。
「何で、病院では痛ないのに、家に帰ったら痛いんや」と苦しんでる。
友弥人は生まれて初めて痛み止め座薬デビュー。

 私はネットで尿管結石を検索して、体験談を声に出して読む。
お医者さんの説明よりも、体験した人のブログの方がわかりやすいし、
「同じ、同じ」 と共感を持って、安心できる様子。

 体験談によると、痛みは寝ている間に突然やってくる。
難産の苦しみに匹敵する、とか病気の中で一番痛いと表現してある。
そういえば、診察してくれた先生も
「3時間前にも尿管結石の人が来たけど、疝痛(せんつう)で七転八倒の痛みやった」

 石が膀胱に進んだり、おしっこと一緒に出てしまったら、
「さっきの痛みは何やった? 夢か現実か、、」とうそのように痛みが消えるらしい。
この病気は色々な人が順繰りになるのではなく、同じ人が何度もなる病気。

 毎日、水を2リットル飲む、とかジェットバスでお腹と腰を重点的に当てるとか、
再発しないように気をつけないといけない。

 以来、友弥人も西瓜や桃を重点的に食べて、水も沢山飲む。
お風呂では強いシャワーを下半身に当てている。

 友達に何人か「石持ち」がいるけど、排出しても、又、「石持ち」になってる。
ある日、突然に石が動いたり、ヨーロッパからの帰国便で痛くなったり。
それはそれは痛いという話を何度も聞いていたけど、実感がなかった。

 肉食でビール好きの人が尿管結石になるらしいけど牛肉は食べないし、お酒も滅多に飲まない。
ほうれん草も食べないし。。。
尿管結石とは縁がないとタカをくくっていた。
何でなったのかなー? 原因不明?

 後日、おしっこと一緒に出てくる石を分析すると原因が解明される。
石の成分は4種類あって、何が固まっているかを検査する。

 粉砕する治療法もあるけど、大抵は薬を飲みつつ自然に出るのを待つ。
チャリーンとかカラーンと音がする、と友達が言っていた。
その音、横で聞きたい気もする。 

 by mikiris

** 後日談
 土曜日に救急車で運ばれて、月曜日に検査を受けに再度、病院へ行きましたところ、
2週間後に結果がでました。
石も見つからず、一緒に検査した前立腺も癌も問題なし。

 でも、水を飲まなかった日は腰が痛くなって、何となく不安な予感。
急いで水を沢山飲むと、翌日は腰痛が消えて、黄色いおしっこが沢山出る。
検査に反映されない小さな石があるような気がする。

 石持ちの人の助言では痛くなるのは夕方か明け方。
水分補給を怠らないよう、まだまだ、気が抜けない状態です。

 by mikiris


第142回(2011年10月1日秋はやっぱり、、

 芸術の秋です。
窓からの風に吹かれながら音楽を聴いてぼんやりできる季節です。

 「好きなのは君だけだ」と言うのにアルファベットのabc26文字では足りない、と歌ってます。
Elie Semoun とAxelle Redのデュオでフレンチ・ボサ。
歌詞全体が韻を踏んで、アルファべの頭文字で始まってる。
お洒落やわ〜。このCDアルバムの6曲目"abecedaire"。
エリ・スムーン  プレジール
 そして、美術の秋。
どの美術館でも秋の特別展は見ごたえがあって、客入りの良さそうな特別展を開催する。
学芸員の人は準備が大変だろうけど、観覧客としては嬉しい季節。

 京都の美術館の秋の特別展をいくつか行ってきました。
京都文化博物館・・ギッターコレクション
アメリカの眼科医、ギッター博士の集めた日本画や浮世絵、水墨画など多数。
ユーモラスな若冲の墨絵や酒井抱一、蕪村、応挙、宗達と名前の知られた絵師のほか、
初めて聞く名前の絵師の作品で好きなのが沢山あった。
文博は7月にリニューアル・オープンしたばかりで、あちこちが新品。

 岡崎、平安神宮の鳥居の横にある京都市美術館では「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を開催中。
印象派の絵を見てると優しい気分になれる。
モネ、ルノワール、ドガ、ピサロ、ゴッホ、セザンヌ、コロー、等など。
展示の絵が83点あり、そのうちの50点は初来日です。
修復してある絵が多数あって、描きたてのように色が鮮やか。
平日で雨降りの朝イチは空いています!

 大山崎山荘美術館では椅子展が開催されていたのですが、9月25日で終了しました。
展示の椅子に座っても良い展覧会です。
木の手触りを楽しんで、座リごこちを試して、美術館では珍しい企画展。
館所蔵の黒田辰秋さんの小さな家具もあった。
ゴツゴツした木が優しい家具になっていて、大好きです。

 自由に座っても良いので写真もOKかと、携帯でカシャ。
警備員さんが飛んできて、写真はNGでした。
「すみませーん、撮ったのを消します」と言ったけど
「いいですよ、撮ってしまったものはそのままで」
外観はOKだけど、館内で撮っていいのは新館の階段だけだそうです。
大山崎山荘
 山荘は大正から昭和にかけて実業家の加賀正太郎によって建てられた。
2階のテラスからの眺めが良い洋風建築。
明智光秀と羽柴秀吉の大山崎の合戦の場所が一望できる。
山荘のテラスからの景色
加賀正太郎夫妻が亡くなった後、山荘は売りに出された。
所有者は色々代わり、最後に不動産業者がこの場所に分譲住宅を作る計画を立てた。
京都府や地元住民の反対があり、アサヒビールが買い取って美術館として公開している。

 京都国立博物館の秋の特別展も見逃せない。
京都以外でも見たい展覧会が多数。

 大阪の東洋陶磁美術館では青磁の特別展。
龍泉窯の発掘品なので、割れた物や修復した物だけど、残欠も好きです。

 10月8日から愛知県陶磁資料館でマイセン展が始まる。
1700年代のマイセン磁器の食器、人形、柿右衛門写しなど。
陶磁資料館はとても広いので特別展以外の常設など、1日居たいくらい見る物が沢山ある。
10月の定休日は美術館巡りで忙しい。

 芸術ではお腹はふくれない。
やはり、食欲の秋です。
和食もフレンチもイタリアンも、秋の素材を使った料理がある。
果物も美味しい季節。
果物いっぱいのタルト 黄金桃 
 今年は生まれて初めて、採りたての葡萄を食べました。
京都は葡萄に縁の無い町で、デパ地下でも果物屋さんでも売ってる葡萄はパッとしない。
完熟まで木になっていた葡萄は中から弾ける様な張りがあって、汁気も多くて甘い。
葡萄がこんなに美味しい物とは、嬉しい驚き!
枝のついた珍しい葡萄 
 大学の恩師宅へお邪魔して、趣味で作ってられる畑で一緒に収穫。
ちょうど、色々な物が収穫し終わったばかりだったけど、まだまだ大丈夫。
お土産に収穫した茄子や鳴門金時、奥様手作りの佃煮を沢山いただきました。
体重を気にしなくて良いなら、アレもコレもと食べたい物はいっぱいある。
ブロッコリーの苗と鳴門金時の葉 茄子
 しかし、お洒落の秋でもあります。
夏は暑くて、毎日、着る服を考える気力もない。
「もー、何でもええわ」
1日交代に洗濯した服をきる。

 ちょっと、お洒落して出かけようかという気分になるのが秋。
手持ちのワードローブを思い起こして、今風の組み合わせを考える。
毎シーズン、パリコレやミラノコレクションのランウェイを見てるけど、参考になるのは色くらい。

それより、週に2回はチェックするサイトがある。
The Sartorialist

 スコット・シューマン氏はファッション業界で仕事をしていて、パリコレなどのオートクチュールと
街で生活する人の服装にギャップがあるのが気になった。
街中のお洒落な人を撮って、自分のブログに掲載している。
 彼のブログには数人の同志みたいな人がいて、世界各地でパチッと撮ってる。
各写真に見てる人がコメントをつける。
世界中の人がつけるコメントの数は半端じゃない。
好意的なコメントが多いけど、靴がダメ、とかチェックが厳しいのも有る。

 世界各国、あちこちの街、下町、山手、海岸、ショーの会場でのスナップ写真。
自転車でカメラ片手に出かけて、お洒落な人を見たら「ちょっと撮らせて」

 私が声をかけられたら 「キモイおっさん、あっち行け」 と思うけど
このサイトもシューマン氏もよく知られていて、撮られる人はまんざらでもない。

 年をとってもお洒落に気をつかう人はボケないと言う。
お洒落にも、食べることにも、趣味にも興味を持つことがボケ防止。
アンテナを張り巡らせて、いい秋を過ごしたいですね。

 by mikiris


第143回(2011年11月1日アンティークレースを洗濯する

 私にはヒラヒラしたレースやら、お姫様的な服は似合わない。
しかし、近年、心境の変化でレースをファッションの小物使いに取り入れるようになった。

 胸元が開いた服を着る時、ハイネックのセーターが単調で面白くない時、
上着とインナーが同系色で何か物足りない時。
 アンティークレースの衿やスカーフをアクセントに使う。
大人っぽく、シャープで上品に、と意識して。

 若かりし頃は、大きなアクセサリーや派手なスカーフを小物使いにしていた。
あちこちの雑貨屋さんや、海外で面白い物を見つけては楽しんでた。
若い時は安物でも可愛い物でも、何でも似合う。

 しかし、自他ともに若いと認められない年になったので、お洒落も小物も大人使用に変えた。
どこにでもある物を持ったり、使ったりするのが物足りない。
人生、残り少ないし、数は要らないけど気に入った物だけ持ちたい。
それなりに断捨離してます。

 アンティークレースを使う時、100年も前に誰かが使った事、未使用でも置き古しなのが気になる。
私はすごく清潔好きでかん症持ち。
首に巻いて使ったら、毎回とはいかなくても、2−3回で洗いたい。

 実用にするには、最初の糸の状態が良いのが第一条件。
それなら洗濯にも耐えられる。

 洗い方は、簡単に手洗いです。
自分で2−3回使ったくらいなら、そんなに汚れもない。
1枚だけ、小さな洗面器でサササー、です。

 いつもの洗い方をお見せしましょう。
最近仕入れたレースで汚れのひどいのを洗ってみました。

 18世紀のミラネーズ、アランソン、19世紀のポワンドガーズ、ブリュッセルボビン、
ホニトンアプリケの手袋、ブラノニードルレース、ユーガルニードル、薄い麻布に手刺繍。
今回は枚数が多くて面倒なので、まとめ洗いです。(レースさん、ごめん)
←長時間の浸け置き洗い中

洗濯前と洗濯後の違いはこんな風
19世紀デュシェスのハンカチ
19世紀手刺繍とカットワーク
19世紀 Ayrshire work
18世紀 アランソン18世紀 アランソンのストール
19世紀アイリッシュクロシェ

 ハンドメイドの古いレースは細い麻糸や綿糸、絹糸で作ってある。
麻糸はかなり強いので、年代が経ってもよく残っている。
綿糸のレースは細い綿毛が抜けていくので柔らかくなる。
絹糸は劣化が激しくて、保存状態によっては紙のように触るだけで崩れる物も有る。
 麻糸、綿糸、綿麻は一緒に洗える。
 絹糸は他の素材と一緒に洗えない。

 1.大きめの洗面器にアンティークレースを入れる。
   白色系、生成り色、濃い生成り色は別々に洗う。
   (19世紀にアンティークレースブームがあり、紅茶や玉葱などで染色したレースもある)

 2.まず、熱湯とまではいかないけど、熱いお湯をかける。
   うちでは湯沸かし器の温度を50度にして使ってます。
   5分もすると水が黄色くなって、かなり汚れが浮いてくる。

 3.2回くらい水を替える。
   もう、水は黄色くなりません。

 4.重曹をスプーンに2−3杯、液体石鹸をスプーン1−2杯。
   汚れのきつい部分に重点的に乗せる。
   レースがかぶる位のお湯を入れて30分ほど放置する。
   又、水は黄色く変色して、汚れが取れてる証拠。
   
 5.2−3回、お湯を替えてすすぐ。
   水は黄色くなりません。
   
 6.タオルにくるんで脱水機に1分かける。
   (水気を含んだままで干すと重みでレースが傷む)
 
 7.室内か風のあたらない所で陰干しする。

 8.高温のアイロンをサッとかける。

 汚れが取れないときは再度、重曹と洗剤をかけて、お湯を入れ、一晩放置する。
シミの種類によっては綺麗に取れないものもあるが、かなり薄くなる。

 灰色っぽくなったリネンやレースはヨーロッパの硬水のせい。
酢を少し入れて浸け置きすると白くなる。

 洗い上がりの結果は、シミも汚れも完璧に消えた物やら、
濃いシミが少し薄れるくらいで残っている物、色々でした。
とれるかどうかはシミの種類によるんでしょうね。

 絹糸のレースは糸がほどけやすくて、弱いので長い時間は放置できない。
綿や麻とは別にして、浸け置きせずに2回ほどすすいで洗い終わる。

 ハンドメイドのボビンレースは途中で何度も糸を継ぎ足しているので、
水に付けると継ぎ足しのよじった部分が解けて穴になることがある。
メッヘレンやバックスは要注意です。

 マルテーズやノルマンディのようにパーツを繋ぎ合わせたレースはその部分が外れやすい。
アイロンをかけながらチェックして、補修します。

 骨董品は手を加えずに現状のままで保存するのが良し、とされている。
17世紀のレースや18世紀のレースは現状でコレクションするのが良いと思う。

 昔から繊細で手の込んだレースを身に着けるのはは王室関係や貴族の特権だった。
ウェディングベールは娘が生まれた時に注文を出す、等、製作に膨大な時間がかかった。
19世紀のポワンドガーズやデュシェス、繊細なエアシャーワークも庶民には手の届かない物。
こんなのを持っていた人は、百枚も2百枚も素敵なレースを持っていて、
大きなお屋敷に住んで、召使もいっぱいいて、すごい豪勢なくらしをしていた。

 京都の片隅、小さなお家で暮らす私は現代に生まれたことに感謝しつつ、高価なレースを使って楽しむ。
大切に使うと品物も喜ぶ。
洗うたびにレースはちょっとづつ傷んでいくけど、そこは涙を飲んで。。。

  by mikiris


第144回(2011年12月1日店主、出張中につき

 1人で店番です。

 店主は1人でヨーロッパへ仕入れ旅行です。
KLM にはイギリスへ修学旅行の高校生が100人くらい乗っていて大騒ぎ。
 到着した店主は、すでにぐったり。
「満員の飛行機は疲れるわー」と電話してきた。

 さて、一人旅の店主を送り出した日は定休日。
ずうっと前から予定は決めてある。
朝から文化博物館へ「小袖展」を見に行って、プールに泳ぎに行く。
昼ごはんはオムライス。

 江戸時代の小袖を沢山見て、目の保養。
刺繍が細かいし、丁寧、デザインも色使いも斬新。

 水泳に通っているのは母校のプール。
大学のプールと言っても、以前はホテルのプールだったので広くて綺麗。

元体育館だった場所をバブルの頃に大学が公共団体へ売り渡した。
公共団体はここにプール付きのホテルを建てた。
数年前に大学が買い戻した。

25mプールなのが残念。
競技用の50mプールだったら良かったのに。。。ターンする回数が少なくてすむ。
プールの他にフィットネスやジャグジー、大きなお風呂にはサウナも付いてる。
だらだらとクロールで1kmほど流して、500mの水中ウォーキング。

 店の営業日は朝から徒歩で出勤。
紅葉の始まった真如堂の裏から黒谷のお墓を抜けて、文殊の塔の前に出る。
真如堂の消防用入り口 真如堂の塔
京都を一望してお寺の正門から出る。
黒谷、金戒光明寺の正門は聖護院通りに面している。
 
 聖護院通りを黒谷の入り口から西へ、交通神社、五大力さん、聖護院がある。
五大力さん 聖護院
東山通りにでると、京大病院。
近年、建て直しが進んで巨大な京大病院です。
京大病院

 西へ進むと鴨川に突き当たり、聖護院通りはここで終わり。
鴨川
鴨川と丸太町通りの角には旧電電公社の建物(現在はプールとフィットネスで、以前はココに通っていた)。
旧電電公社の交換局
山紫水明の家も川の向こうに見える。
夏の夕暮れ時は本当に東山連峰が紫色になり、川が濃い青色になる。
山紫水明の家 鴨川の鷺
 鴨川の河原を南へ二条通まで下がる。
鴨川二条の角には旧ホテルフジタがあったが、今年の1月で閉館した。
新しくリッツカールトンホテルが建設中。

 木屋町通りを南下する。江戸時代に高瀬川沿いの木屋町通りには木材を扱う店が多かった。
島津の資料館、日銀(日本銀行京都支店)の裏、一之船入を通り過ぎる。
島津の資料館 一之船入←大きな画像はクリック
三条通で西へまがると明治屋がある。
ここで、ちょっと寄り道して食べる物を物色。

 明治屋の隣には10月からロイヤルパークホテルがオープンした。
1階にパン屋の進々堂があり、モーニングのお客さんで混んでる。
パン屋のモーニングは大抵、パンの食べ放題がつく。

 旧イリスの近所はオーナーシェフのパン屋の激戦区。
店の奥でご主人がパンを焼き、店内はと暖かくてパンの焼ける匂いが充満してる。
誰でもパン好きになってしまうくらい。
河原町近辺の繁華街ではフランチャイズや多店舗展開のパン屋が多くて、工場生産のパン。
仕上げは店の奥で焼き上げていても、何か、違う。

 留守番の期間に同窓会があった。
この日は同志社高校全世代の同窓会が昼に行われ、夜は学年別の同窓会。
京都市内のあちこちで、同志社の同窓会が開かれていた。

 同窓会は今年の1月に続いて、2度目。
今まで、仕事や旅行と重なって出席できない時が多かったので、今年は画期的な出席率です。

 ところで、私は決して見栄っ張りではないけど、友達が家に遊びに来る前には大掃除をする。
それと同じように、久しぶりの同窓会の前には自分を客観的にチェックする。

 前回1月の同窓会に出席するのを決めた時、ちょっと自分をなんとかしなアカンと思った。
心臓の手術をしてから一気に10歳くらい老けた。
どこがどうってことはないけど、全体に、あっちもこっちも鮮度が落ちてる。
アカンはアカンなりに、無駄な抵抗をするのが50代。

 薬剤師の友人の勧めで去年の12月からコラーゲンを飲み始めた。
フカヒレを食べたら、翌朝はお肌ツルツルと言うでしょ。
毎朝、鏡を見て、昨日よりツルツルになったかな?  ならない!

 その代わり、目の焦点を合わせるのが楽になった。
老眼が進んできて、手元を見て、遠くを見るとぼやけて、焦点を合わせるのに時間がかかってた。
不思議なことに、裁縫をしながら3m離れたテレビを見ても、一瞬で焦点が合うようになった。
夜に黒い糸で縫い物をするのも平気になった。
動いている物を見ても目がチラチラしない。
視力には変化がなく、近視も遠視も乱視も度数は変わらず。

 病院で採血をした後、ボヨ〜ンと青染みになっていたのが、ならなくなった。
注射の後が残らなくなったのは嬉しい。
しかし、飲み薬の影響で出る青染みと紫斑は相変わらず。
 
 私の様子を見て、店主の友弥人も飲みだした。
歯茎が丈夫になって、膝がカクッとなるのがマシになった。

 コラーゲンは飲むと、足りてない部分から補われるらしい。
まだまだ、補われて欲しい部分が沢山ある。
薬もサプリも大嫌いだったけど、今は仲良しのお友達になってる。

 店主が留守の度にするのがダイエット。
バナナダイエット、レコーディングダイエット、寒天、りんご、腰を回したり、次々に挑戦した。
どれも続きませんでした。
今は炭水化物ダイエット。
朝と昼はパンやご飯を食べるけど、夜は野菜とたんぱく質だけ。
体調はいいけど、体重に変化無し。

 10日後、店主が帰国したとたんにマイペースの自由な生活は一変した。
持ち帰った品物を台帳に載せて値段付け、店内の模様替え。
家でも店でも雑多なコマコマとした仕事に追われる。
ふー。

 優雅な暮らしにあこがれるけど、それはそれで退屈しそう。
当面はコマネズミのような生活の方がしっくりしております。

 by mikiris


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