第181回(2015年1月1日)*吉祥紋
未(ひつじ)年生まれの私にとって、今年は厄年。
昨夏、大きな病気になって手術をしたので、私の中では去年が厄年。
治ったので、厄落としもできてるつもり。
今年は不運も去って良い事ばっかりありますように。
縁起担ぎは平安時代の昔からあって、縁起の良い模様を着物や持ち物に使った。
吉祥、ラッキーの種類は色々ある。
お金が溜まる、出世、長寿、幸福になるなど。
江戸や明治に作られた日本の陶磁器、食器は吉祥紋の宝庫。
家の食器棚をゴソゴソしたら。。。。
お正月に素敵な初夢を見るために宝船の絵を枕の下の置いて寝る。
明治時代の紙刷り印判の鉢です。
←宝船
初夢で見て一番縁起がいいのは富士山の夢。
2番目が鷹が出てくる夢。
3番目に良いのが茄子に関係した夢。
一富士、二鷹、三なすびで2日の夜に見るのが初夢。
←初夢
恐れ多いものや神様は直接描かずに象徴的な物で表現する。
大黒さんの代わりに大根とねずみを描く。
「ねずみ大根」の図柄でねずみは大黒さんのお使い、大根は大黒さんと音が似てるから。
このなます皿、神社の鳥居が描いてあり、えらい具象的な図柄。
後ろに山があって、どことは特定できないから、どこでもOK。
←鳥居の膾皿
おめでたい柄の一番は松竹梅。
歳寒三友と言って、松と竹は寒いときでも緑の葉をつけている。
梅は冬に花が咲く。
←若松
←老松と竹、梅
竹を光悦垣に組んだ図柄。
←江戸時代、大猪口と極真焼き
←枝が折れ曲がった老梅
松竹梅が蕎麦猪口の見こみや皿の中心に描かれてる。
←松竹梅の描き方も丁寧だったり雑だったり
鶴は千年、亀は万年で鶴亀は長寿を表すおめでたい柄。
←舞鶴、極真焼き
←亀甲紋、極真焼き
亀の代わりに甲羅を繋いだ亀甲紋を描く。
亀、鳳凰、龍、麒麟は霊獣でラッキーのしるし。
鳳凰は桐の木に住む鳥で不老不死や病気快復を表す。
鳳凰と桐を描いた大猪口と色絵鉢
←鳳凰と桐
鯉が天に昇って龍になる
龍は出世する吉祥紋
←龍
麒麟は龍の頭、獅子の身体、馬のひづめを持つ
←麒麟と末広がりの扇、唐獅子
こうもりの図柄は私の大好きな模様
漢字で書くと蝙蝠、幸福を呼ぶ吉祥紋
←蝙蝠
氷裂と雪、竹、蝙蝠を組み合わせた図柄
裏面は蝙蝠と亀甲
←氷裂と蝙蝠
黒い塗りの小皿、月夜の蝙蝠
←艶のある黒漆にマットな黒で蝙蝠2匹
石榴は子沢山で繁栄を意味する
←石榴と蝙蝠
←蝙蝠、仏手柑、桃、寿
←壽の文字と鼓
←貝は夫婦円満
←早春の蕨
←網干(あぼし)紋様、瓢箪は魔よけ
←牡丹と菊、藤
昔話も吉祥紋として楽しい
←竹林の七賢人、寒山拾得
雪中筍掘りは二十四孝の一つ。
冬に孟宗の母親が筍を食べたいと言ったので、雪の中で筍を探す話。
親孝行な孟宗の為に神様が雪を溶かして筍がニョキニョキと出た。
←蓑を着た孟宗と筍、そば猪口と皿
兎は長寿や火伏せの神様、道を切り開いて助けてくれるなど、色々な意味がある。
←波兎
今年のカレンダーは書道教室で作りました。
カレンダーを印刷した色紙に好きな言葉を書き入れる。
友弥人は「行雲流水」
流れる水のように自然の心で生きる、だそうです。
「今年はレリゴーか?」とからかったら怒ってました。
←流水紋
私はえべっさんと大黒さんに来てもらって、宝(尽くし)に埋もれてお多福さんのようにニコニコして過ごす。
←皿と杯洗
年の初めは欲深く行きましょう。
by mikis
第182回(2015年2月1日)*琉球漆器
私が持っている琉球漆器は黒塗りの菓子重で螺鈿がはめ込んである。
知り合いのお公家さんの家に伝わった物を譲り受けた。
骨董好きは知りたがり。
興味のある品物の起源や作り方、使い方、由来、何でも知りたい。
珍しい物なのか、京都の博物館や骨董店では類品を見ない。
製作された場所、沖縄へ行って何かわかるかな?
ちょうど退院後2度目の検診で旅行もお風呂もOKになった。
早速、翌週の飛行機とホテル、レンタカーがセットになったツアーを予約。
伊丹空港へ車を預けてJALで那覇空港へ。
空港でレンタカーを借りて島内を回る。
←椰子並木の国道
初めての沖縄なので、ベタな観光も・・・。
那覇市内の北東、首里城の山すそに識名園がある。
←正門
識名園は琉球王家の別荘で1799年、日本の江戸、元禄時代に作られた。
池の縁を散策して一周する回遊式庭園。
←六角形の東屋
←太鼓橋
←船着場
琉球の石灰岩で作った太鼓橋がある。
入り口から池までの散歩道にはガジュマルやフクギ、南洋の植物が植えられている。
12,000坪もあるので、ゆっくりと歩いて心身ともにリラックスできる。
戦争の時に破壊されたが、その後、修復された。
←首里城の守礼門
首里城は小高い丘の上にあり、そこから那覇の市内が見渡せる。
昔の王さんもこんなして町を見下ろして、
「煙突から煙が上がってる~。民は皆、衣食住、満足に暮らせている」
なんて思ってたんでしょうね。
←首里城から那覇市内を見る
琉球王国は1429年(室町時代)から1879年(明治9年)4月4日、琉球藩が沖縄県になるまで続いた。
近隣の東南アジアの国々と独自に交流を持ち、日本、アジア、中国を融合した文化を持つ。
←園比屋武御嶽石門と守衛さん
戦争と大学の建設の為に破壊されたのを1992年に修復している。
いつも、雑誌で見る首里城は真っ赤かでド派手な建物。
写真でみると毒々しい色使いだけど、沖縄の日差しと青空の下でみると、それが自然とマッチしている。
←城壁
城の周りは石積みの城壁で囲んであり、琉球の城(グスク)の建築方法。
←奉神門から首里城正殿へ入る
いくつもの門を通って建物の中へ。
部屋は小さく分かれていて、軒が長く、日差しを避けて風通しよくしてある。
←正殿内(復元)
展示品の中に琉球漆器があった。
16-17世紀の漆器は朱色の漆に金や貝を使った物。
17-18世紀の物は黒漆に虹色の螺鈿を使って描いてある。
19世紀以降は朱漆に金で模様を付けたものが主流になる。
私の菓子重は足が付いた丸い小振りの物で、黒漆、虹色の螺鈿で花模様が描いてある。
なんと、首里城にある物と同じ花の絵。
自分の目で確認できて、来た甲斐があった。
←玉座
←昔の首里城
←トイレの蛇口はシーサー口
沖縄自動車道で北の終点の許田まで行く。
レンタカーに自分のETCカードを差して通行する。
許田から国道で今帰仁城跡へ。
←今帰仁城跡
←寒緋桜の並木
中山王(琉球王)が琉球を統一する前は北山王、中山王、南山王と3つの王国に分かれていた。
今帰仁は14世紀の前半から100年間、北山王の城だった。
圧倒的な強さで難攻不落の王国だったが、中山王が北山の家臣を賄賂で味方につけて攻め落とした。
←まだまだ発掘中
今帰仁城跡は現在も発掘調査中で13世紀の土器が出土している。
←頂上
山の頂上を囲むように城壁が斜面を何重にも波のようにうねっている。
城跡の頂上から見下ろすと今帰仁の村を一望でき、石積みの城壁がとても美しい。
1月末から2月上旬にかけて、寒緋桜が咲き、夜桜見物もできる。
←本土から古宇利島を見る
今帰仁村の北東に古宇利島がある。
この辺りの海はエメラルド色でとても綺麗。
←橋の上から外海
橋を渡って、20分くらいで島を一周できる。
夏場はダイビングや海水浴の人でにぎわう場所だが、1月は何もない。
←海洋博公園
今帰仁村の西海岸に海洋博公園がある。
水族館、植物園、海洋文化館、郷土村などの施設がある。
広くて全部はまわれないので、水族館と郷土村だけ。
←タマカイとメガネモチノウオ
←ヒメテングハギとジンベエザメ
←メガマウスと竜宮のつかい
子供の頃から水族館が大好きで、魚を見るのも大好き。
美ら海水族館には熱帯の珍しい魚が沢山いる。
ヒトデやナマコを触るコーナーもある。
←アオヒトデと珊瑚
公園内のおきなわ郷土村は17-19世紀の村落を再現してある。
←村の水源
地頭代(市長、村長)の家で三線の体験やお茶の接待。
←地頭代の家、外門と内門
←家の中と蛇味線(三線)
本家や巫女の家も赤い屋根瓦。
←縁側から魔除けの門を見る
1899年まで民家の屋根に赤瓦を使うのは禁止されていた。
←与那国の民家
宿泊は嘉手納基地の南、アメリカンビレッジ北のヒルトンホテル。
←アメリカンビレッジ
ホテルは昨年の7月にオープンしたばかりでサンセットビーチに面している。
←ホテルのロビーと部屋
8階の部屋から夕日が沈むのを確認。
京都より日の入りの時間は遅い。
沖縄で食べた物
初めて食べる物ばかり、珍しくて、美味しかった。
←沖縄そば
豚の角煮が入った沖縄そば、針生姜とヨモギの葉を入れて食べる。
ジーマミー豆腐は落花生で作った物でトロンとしてパンナコッタに似ている。
沖縄の黒糖と醤油を混ぜた甘辛のタレで食べるデザート。
熱帯魚を食べてみたくて、ホテル前の回転寿司へ。
本日のお勧め、珍しい魚を順に注文してみた。
イラブチャーは青色の魚。
グルクンは赤色の魚。
モチモチして美味しいので、お代わりを注文。
琉球スギとカジキはあっさりしてる。
←見慣れない魚
←カジキ、イラブチャー
←サーモンの天ぷら寿し
百年前の沖縄古民家で沖縄料理。
ナビに教えられて細い山道をグネグネと進んだら、巨大な駐車場。
国道からすぐに入れる広い道が反対側にあった。
←今帰仁村近くの大家
←家庭料理の定食
定食はモズク酢、細切り海草の煮付け、ゆし豆腐、ひじきの炊き込みご飯、黒糖シュー。
ホテルの朝食はビュッフェ形式で、和洋中に加えて沖縄料理もある。
メニューは日替わりで、果物も色々。
麩チャンプルー、ゴーヤチャンプルーは初めて食べた。
スパムが入っていて、これも初めて。
←黒糖のフレンチトースト
1月27日は厄除けにムーチーを食べる日。
スーパーでも売ってる。
今帰仁の露天で手作りムーチーを売ってたので、1個買って試食。
チマキみたいに、笹の葉に外郎が包んであると思ったら違った。
防虫に使う独特の匂いの葉っぱに弾力のある蒸した餅。
沖縄で食べた物でこれだけは口に合わなかった。
←黒糖ムーチー
お土産は迷いました。
1月なのにスイカがあり、サトウキビもあった。
サトウキビは欲しいけど、持ち帰っても食べ方がわからない。
←サトウキビ、今帰仁スイカ、ジュース屋
昔のお土産定番のハブ酒は蛇入りと蛇無しと両方ある。
お酒、飲まへんしな~。
←ハブ酒
シークヮーサーのドレッシングと多良間島の黒糖に決定。
黒糖は黒砂糖とは別の物。
沖縄黒糖は沖縄でサトウキビだけで作られた物。
産地と原材料に厳しい基準に合った物だけ商標登録が付く。
多良間島は沖縄の中でも黒糖生産が一番と評判。
島によって味が違うらしいので、順に試してみたい。
使い方はそのまま食べるか、料理やコーヒー、紅茶、ヨーグルトにかけても良い。
←お土産
沖縄に到着した日は気温が25度で晴天。
翌日も20度を越えて暖かい。
京都に戻ったら気温3度で雪が散らついていた。
春が待ち遠しくなりました。
by mikiris
第183回(2015年3月1日)*アンティークレースmini-dic3
レースのデザインで一番多いのは花のモチーフ。
中でも断トツに多いのが薔薇の花。
17世紀から19世紀のレースで薔薇のモチーフの物を集めてみました。
時代や国、技法によってずいぶん花の感じも違います。
画像を沢山いれたので、楽しみながら見てください。
下の画像は薄い綿布に手刺繍をした物です。
柔らかい花と先端まで尖って生き生きとした葉の描写が素晴らしい。
←エアシャー
1800年から1850年頃にスコットランドのエアシャー地方で製作されたので、エアシャー・ワーク(Ayrshire Work)と呼ばれてる。
その後はアメリカの南北戦争により上質の綿布が入らなくなり、
仕事がなくなった職人は英国南部やフランスに移動して、技術が流出した。
1800年代後半にはヨーロッパ各国で製作されるが、初期のグレードを保っているのは少ない。
←白糸刺繡(1850年以降)
薔薇の花が特に綺麗なレースはポワンドガーズ(Point de Gaze)です。
天使の髪の毛と言われるくらい細い麻糸と針で作るニードルレース。
薔薇の花びらを何枚も重ねたのは見た目にも豪華。
ハンカチや衿、タイ等の服飾用が中心。
ウェディングベールのような大きなピースは製作に何年もかかった。
←ポワンドガーズ
薔薇の花をニードルで作って、葉っぱをボビンで作ったレースもある。
ボビン部分が多いとデュシェスと呼ばれてるけど、ポワンドガーズとデュシェスが半々くらいだとブリュッセル・ミックス。
ニードルとボビンの薔薇が一枚のレースの中に入ってるのは両方が楽しめて素敵。
←ブリュッセル・ミックス
ボビンレースもニードルレースも作るのにすごく時間がかかる。
いつの時代も面倒くさがりが居た。
1850年頃に考案されたのがブリュッセル・アプリケ。
機械織りのネットにボビンレースを縫いつけて、部分的にカットした穴をニードルで埋める。
ボビンレースならベテランの職人が作って、1日に5cm角、ニードルレースなら1cm角。
マシン・ネットの上に小さなモチーフを散らす方法なら、糸の配分を考えなくて、豪華なデザインが自由自在に作れる。
ナポレオンの奥さんが好きなレースで、フランスの宮廷で爆発的な人気だった。
衿やハンカチのような小さなものからウェディングベールやストールまで、多種多様の物が作られた。
ボビンレースで作った満開の薔薇の花びらとニードルで作った花芯を上から見た様子。
←ブリュッセルアプリケ
ロザリン(Rosaline)は19世紀にベルギーで作られたボビンレース。
カタツムリのように丸を重ねた薔薇の花、花芯の部分は空洞にしているのがロザリン。
花芯にボタンホールを付けたのがロザリン・ペルレで、ビーズを縫い付けたように見える。
ペルレの方が人気があるが、技術的にはロザリンの方が空洞部分の処理などごまかしがきかないので難しい。
花の直径は2-3cmで細い糸でかなり密に織ってある。
←ロザリン及びロザリン・ペルレ
シャンティイ(Chantilly)は薔薇だけでなく、植物図鑑のように色々な花を写実的に表現している。
1850年頃、フランスのシャンティイで作られたボビンレースで、細い絹糸を黒く染色して織っている。
絹糸と染料の為、劣化している物が多く、良い状態で現存する物が少ない。
←シャンティイ
フランスのレースでブロンド(Blonde)は1700年代後半から1800年代中頃に作られた絹糸のボビンレース。
金色の細い糸で織ってあり、天使の羽衣のようなレース。
薔薇の花は5cm位の大きな花で糸を密に織った部分と透かした部分を組み合わせている。
極細糸の絹糸なので劣化しやすく、良い状態で現存する物は少ない。
黒色のブロンドもあり、フランスで作ったブラック・ブロンドは希少。
スペインでは黒い絹糸で同じ感じの薔薇の花のデザインを使ったボビンレースを作っている。
スパニッシュ・ブロンド(Spanish Blonde)はストールやマントのような大きな物が多い。
←ブロンド
ポワン・ド・パリ(Point de Paris)は1800年頃のフランスのボビンレースで平坦な織りに縁取りがある。
ネット部分はカット・ステッチ(Kat stitch)を使う。
径2cmの小さな花、ミニ薔薇を並べたデザインが多い。
←ポワン・ド・パリ
アランソン(Alencon)の薔薇も小さい。
18世紀にフランスの宮廷で冬のレースとして人気があったニードルレース。
極細糸をまとめたり、ボタンホールステッチを使ったボリュームのあるデザイン。
小さな花を沢山盛り込み、レース全体は豪華で流れるような美しい絵になっている。
←アランソン
半円を何重にも重ねたデザインの花はホニトン(Honiton)の薔薇。
イギリス、デボン州で19世紀に作られたボビンレース。
中心に米のような物が入っているが、1個ずつが草鞋を編んでるように密な織り方。
後に機械織りのネットにボビンレースで作ったモチーフを縫い付けるホニトン・アプリケが考案された。
自由にデザインが決められるのと、作業時間も短くなり、多種多様の物がある。
←ホニトン及びホニトン・アプリケ
アイルランドのレースのデザインは花の種類がわかりやすい。
三つ葉のクローバーに似たシャムロックとアザミ、竪琴のデザインが多いが、薔薇もある。
タンブーネット(Tamboured Net)の薔薇に布の花びらを重ねた物、薔薇を入れた花籠など可愛いデザインが多い。
機械織りのネットに木製の持ち手から細いかぎ針が突き出たタンブー・フックを使ってチェーンステッチを施す。
18世紀には薄布にチェーンステッチをしていたが、19世紀後半からはネットにチェーンステッチをするようになった。
小さくて丸みをおびた薔薇の木。
←タンブー・ネット
カリクマクロス・ギピュール(Carrickmacross Guipure)も薔薇の木をデザインしている。
19世紀にアイルランドで作られたカットワーク。
大きな布に刺繡をして、その周りを切り取っていく手間と集中力のいる作業。
空洞になったところはニードルワークで刺繡をして埋める。
現存する物がすごく少ない。
←カリクマクロス・ギピュール
アイルランドはかぎ針編みのレースでも知られている。
アイリッシュ・クロシェ(Irish Crochet)はブレードを芯にいれた細い糸のかぎ針編み。
強烈に引っ張ってキチキチに編む。
元々、17世紀のイタリア、グロポワンを再現しようと作り出したので、ボリュームがあるレース。
遠目で見た雰囲気は似ているかもしれないが、グロポワンはニードルレースなので、技法は全然別の物。
←アイリッシュ・クロシェ
オヤ(Oya)とも呼ばれるビビラ(Bibila)は19世紀にトルコや地中海で作られたレース。
モチーフを糸で埋めた物が多いが、このデザインは空白と透かしで薔薇の花を表現している。
糸が細くて、縫い針で一目ずつ指していく刺繡のレース。
発想が豊かで、シンプルなのに可愛いデザイン。
←ビビラ
イタリアの地図を見て、長靴の先で蹴ったような島がシチリア島。
その下に小さな小さな島があり、それがマルタ島。
1974年にマルタ共和国として独立するまで英国領だった。
この島では絹糸を使ってボビンレースを織っていた。
米粒の形のリーフを沢山入れた美しいレースはイギリスで大人気となり、英国のベッドフォード地方でも似たレースを作った。
こちらはベッドフォード・マルテーズと呼ばれている。
模倣品を嫌ったマルタ島の職人はデザインの中に十字軍の心意気、マルタ十字を入れた。
マルタ十字が入って無くても、リーフの形や素材で見分け易いレース。
←マルテーズ
ベルギーのバンシュ村で18世紀に作られたバンシュ(Binche)。
平坦な織り方でフォン・ネージュ(fond neige)と呼ばれる雪の結晶のような模様が特徴。
薔薇の花は写実的でこの後のベルギーレースに雰囲気が受け継がれている。
幻のレースと言われるくらい現存する物が少ないのはデザインのシンプルさと作品が小さいのが理由かも。
←バンシュ
イタリアのニードルレースで時代によってどんどん見た目が変化したブラノ(Burano)。
18世紀のブラノはボリュームがなく、平坦なボビンレースのように見える。
その後、大柄のデザインでボタンホールステッチを使って華やかなレースとなった。
←ブラノ
グロ・ポワン(Gros Point de Venise)の薔薇は大きくて豪華。
17世紀にイタリアで作られたニードルレース。
細い麻糸を何重にも使ってボリュームを持たせた部分と布のように作った部分の組み合わせ。
全体を針と糸で一目ずつ手刺繍で作っている。
用途は衿やカフスなど服飾用もあるが、特別な儀式の時に教会の祭壇に飾ったり、お坊さんが首にかけていた。
いつまでも見ていて見飽きない、インパクトがあるすごいレース。
←グロ・ポワン
ドレスデンワーク(Dresden Work)
17世紀にドイツのドレスデンで作り出したホワイトワーク。
糸を寄せて模様を作る。
その後、縁取りを刺繡した中の糸を寄せたり、チェーンステッチで刺繡をしたり、技法が変化する。
下はフランスで18世紀に作られたドレスデン・ワーク。
第147回独り言「ホワイトワーク」に掲載したドレスデンワークとは雰囲気が異なる。
←ドレスデンワーク
ポワンダングルテール(Point d'Angleterre)と呼ばれるレースがある。
直訳したら「イギリスのレース」で、名前の由来が定かでなく、レースの定義もイマイチ、諸説ある。
*イギリス製と思わせる名前をつけてベルギーで作り、ベルギー国内で売った
*ブリュッセルで作ったのをイギリス製としてイギリスで売った
*イギリスのデボン州でベルギーの型紙を使って作ったレース
*フランスで作ってイギリスレースと名前をつけた
18世紀のポワンダングルテールはデボンレース(18世紀のホニトン)ともブリュッセル(18世紀のベルギーレース)とも似てる。
ほぼ見分けがつかないくらい。
初期の物はボビンレースだったが、19世紀にはボビンとニードルの混合レースになる。
ボビンレースのモチーフとニードルのグラウンドを使うなど、全て手作業で1人の職人が作った物として、とても技術力が高い。
薔薇の花はデュシェスやポワンドガーズと似ている。
私の新しい説として、ブリュッセルの職人がイギリスに移住して作ったレースに付けた名前。
技術力のある職人が引き抜かれたか、旅先から帰れなくなったかして、その地でベルギーに居た時と同じレースを作った。
しかし、イギリスで作ってるのにブリュッセルという名前は付けられない。
「そうだ、イングリッシュ・レース という名前にしよう」
かくしてポワン・ダングルテールという呼び名が生まれました・・・色々と想像すると面白い。
←ポワンダングルテール
同じような技法で見分けがやっかいなのが、18世紀のブリュッセル、ブラバント、デボンのレース。
デボンはホニトンと統一している本もあるし、別のレースとして項目を立てている本もある。
薔薇の花をみると、なるほど、19世紀のホニトンの薔薇はこれから始まったのか、と思う。
しかし、ベルギーのデュシェスの薔薇にも似ている。
グラウンドにフォン・ネージュ(fond neige)を使うのは18世紀ブリュッセル・レースの特徴だし、、
←18世紀のボビンレース
アンティークレースの時代や国、種類を見分けるのは簡単なような、難しいような。
90%のレースは確定できても、どちらとも言えないファジーな物も存在する。
昔、職人が移動しなかったし、技法は門外不出だった。
しかし、すごい人は出来上がったものを観察して類品を作ったし、技術を持った人が移住することもあった。
アンティークレースの時代や技法に興味を持たれるようになったのが1970年代。
参考文献は少なく、古いレースに縫い付けたメモ、レースの名前や年代を書いた物、
各地方の美術館や博物館に衣装と共に残ってる物、
レース工房の職人の家に保管された物、貴族や地主の家に代々伝わる物、
情報を集約して、レースを1点ずつ集めて分類し、本が出版された。
イギリスのレース・コレクター、パット・アーンショーさんもその1人で、何冊もレース関連の本を出している。
私は直接の知り合いではないが、共通の知人が数人有り、アーンショーさんのレースを譲り受ける機会があった。
私のレース・コレクションに珍しいレース、優品が多数加わった。
アンティークレースは同じ物が再現できない貴重な存在。
使ってある極細の丈夫な麻糸も再現できないし、拡大鏡で見なければわからないくらい細かい織りも再現できない。
当時の人は5歳ぐらいから電気もクーラーも無い所で技術を磨いてひたすらレース作りに励んでいたという。
誰々の作と、名前は残ってないが、1点ずつが素晴らしい糸の工芸品です。
3月25日から4月5日まで、京都のアンティークイリス、麸屋町ギャラリーで「アンティークレース展」を開催します。
私の個人的なコレクションから薔薇のデザインのレース100点を選んで展示、即売いたします。
今回の展示品の7割はパット・アーンショーさんからのレースです。
本当に技術もデザインも素晴らしい、希少なレースが多数あります。
是非、期間中のご来店をお待ちしています。
レース展の期間中は無休、10時半~17時です。
by mikiris
第184回(2015年4月1日)*パワー・スポット
今年なって、毎月、パワー・スポット巡りをノルマにしている。
京都はパワー・スポットといわれる場所が多くて、近所を散歩するだけでも行けてる感じ。
1月は吉田さん(吉田神社)へ初詣。
家から5分のパワースポット。
859年に平安京の守護神として建立された神社で厄除けの神様。
上の大元宮には日本全国の神様の出張所が祭ってある。
10月は神様達は出雲に行くので、それ以外の月はすごいパワースポットになる。
←吉田神社の境内と大元宮
2月は節分と初午の日を避けて、お稲荷さん(伏見稲荷)へ商売繁盛のお願いに。
本殿をお参り、セールスの神様の白馬をお参り、千本鳥居を通って奥の院をお参り、少し登って熊鷹社へお参りする。
「今日は歩きたい」と思う日は熊鷹の横から山に登る。
頂上まで行くと山の空気が綺麗で気持ちがいい。
やっぱりパワースポットと納得。
元気をもらって帰る。
←伏見稲荷の本殿と頂上への道
3月はお伊勢さん(伊勢神宮)。
平成25年に式年遷宮が行われて、沢山の人がお参りに行った。
遅ればせながら、お参りに行って来ました。
京都から車で2時間。
伊勢へ行くのは小学校の修学旅行以来です。
道順の都合で先に二見ヶ浦へ。
暖かい日なのに、海風が強くて吹き飛ばされそう。
←夫婦岩
夫婦岩の間から富士山が見えるらしい。
この日は見えなかったが、写真が沢山展示してあった。
天の岩戸は修学旅行の時は中に入って、奥に鏡が飾ってあったような記憶があるけど、、
岩戸の前に鳥居ができていて、扉は閉じていた。
何十年の間に色々と変化している。
←天の岩戸
伊勢に行ったら、イセエビを食べなアカンと決めて、駐車場のある建物の食堂へ。
伊勢海老定食を注文したら、手のひらに乗るくらいの伊勢海老と刺身。
小さい伊勢海老がイマイチなのか、今はどこで食べても一緒。
←伊勢海老定食(4000円)
子供の頃、四国の父の生家へ行くと祖母が大人の腕より大きな伊勢海老をブツ切りにして、白味噌のお味噌汁を作ってくれた。
この美味しさが忘れられなくて、伊勢海老の味噌汁も期待していたけど、殻とメカブと信州味噌の味噌汁だった。
祖母の伊勢海老の味噌汁は、いつか、自分で再現してみよう。
伊勢神宮への参り方は外宮を先に行って、内宮に行くのが正式。
駐車場横の北御門から入る。
手水場で手を清める。
←北御門と手水舎
大きな木の森の中に広い道があり、神社全体が聖地の雰囲気。
←北御門口鳥居
外宮の豊受大御神は衣食住の神様。
北御門から入ってすぐに台所と酒蔵がある。
神様用の台所で特別の火(忌火いみび)を使うので忌火屋殿と呼ぶ。
←忌火屋殿(いみびやでん)
遷宮が行われた外宮の豊受大神宮は唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)。
京都の福知山の元伊勢外宮 豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)から豊受大御神を迎えて建立された。
←豊受大神宮
後正殿の斜め前くらいに結界で囲んだ三つ石がある。
ここが外宮のパワースポット。
←三つ石
遷宮は順に行われていて、新しい建物と古い建物が混在。
←土宮(つちのみや)
←外宮マップ
入り口横にいくつも無料駐車場がある。
駐車場の込み具合は i-Pad miniでチェックする。
平日なら外宮の駐車場はいつも空いてる。
参拝所要時間30-40分。
内宮に移動して、入り口前の駐車場に停める。
2時間500円。
←宇治橋を渡る前の宇治橋鳥居
内宮には天照大御神が祭られている。
五十鈴川にかかる宇治橋を渡って神宮に入る。
手入れの行き届いた神苑の横を通って五十鈴川の河原に下りる。
←神苑
五十鈴川の水で手を清めてから参拝する。
←五十鈴川御手洗場
入母屋造りの神楽を奉納する御神殿。
←神楽殿(かぐらでん)
←御正殿への道
御正殿は階段の下からだけ写真OK.
お参りしたら左に流れて横の石段から降りる。
←御正殿、登り、下り
荒祭宮(あらまつりのみや)は長生きやピンチを救ってくれる神様。
御正殿と同じ年に遷宮する格式の高い別宮。
←荒祭宮の正面と横から
御稲御倉は神宮の神田で作った稲を保存する蔵。
高床式になっている。
稲やお米は神事に使う。
←御稲御倉(みしねのみくら)
帰り道も宇治橋を通って五十鈴川を渡る。
鳥居の所でお伊勢さんに一礼して帰る。
お参りの所要時間40分くらい。
内宮の横には「おかげ横丁」がある。
すごい長い商店街で土産物屋さんが並んでる。
岩戸屋さん、小学校の修学旅行の時、ここで買い物したのを覚えてる。
赤福の本店は混んでるので、内宮横のお店で休憩。
一緒に行った友弥人は赤福ぜんざい。
私は赤福餅とお茶のセット。
朝9時に家を出て、午後2時半には帰途についた。
江戸時代に比べて、あっと言う間の伊勢参りだった。
ご利益、有ったかな~?
by mikiris
第185回(2015年5月1日)*筍でじゅーしぃ
レース展が終わり、一段落する間もなく、仕事と雑用が山盛り。
気を許したら、立ったまま寝そう。
何やかやで1ヶ月以上、1日も休みなしに働いて、さすがに不死身の私もクタクタ。
やっぱり、休みは取らないと体力が持たない。
というわけで、今年2度目の沖縄へ。
旅の目的はリゾート地でゆっくりと骨休めすること。
←伊丹から那覇へ
4月の沖縄は京都の6月の気候。
朝晩はひんやりするけど、昼間は半袖でも暑い。
今年の私のテーマは毎月、パワースポットに行くことなので、沖縄のパワースポットへ。
宿泊している北谷のヒルトンホテルから東へ真っ直ぐ、勝連半島に勝連城跡がある。
世界遺産にも登録されている城跡。
沖縄に城跡は300以上あるが、形が残っていて、美しいのは10個くらい。
←勝連城跡
勝連城は15世紀に海外貿易で栄えた王国の居城。
民に慕われた阿麻和利(あまわり)王は、その勢力を恐れた首里城の琉球王に滅ぼされた。
城は丘の上にあり、特設の階段とオリジナルの石段で登る。
頂上からはうるま市内や海中道路で繋がった4つの島が一望できる。
←海中道路と伊計島など4島
海中道路の長さは東洋一で本島から浜比嘉島、平安座島、宮城島、伊計島とさんご礁の海へ車で行ける。
海の真ん中、誰も走ってない道を飛ばすのは気分がいい。
こんな海中道路が他にもあり、島から島へ車で移動できる。
近年、宮古島も周囲の島と海中道路で繋がり、4島を自由に行き来できる。
通行料は無料。
←万座毛の象の顔
もう一つのパワースポットの万座毛へ。
西海岸のエメラルドと紺色の美しい海に立つ岸壁。
横から見ると象の顔みたい。
万座毛は「万人が座れる芝生」という意味。
←波の浸食が強い西海岸
近くに夫婦岩みたいなのもあり、風が強いが気分爽快の場所。
海岸には変わった木が植わってる。
←万座毛の植物
沖縄の植物は京都のと全然違う。
とっくり椰子は街路樹にもなってて、あちこちに植わってる。
他にも大きな実の付いた街路樹がならんでるけど、実は食べられないみたい。
←パイナップルと徳利椰子
万座毛の近くにテーマパークの琉球村がある。
チケットをもらったので行ってみた。
←文化財になった家
100年~200年前に建てられた沖縄の家が点在していて、各家に入れる。
各家は工房や店になっている。
紅型染めや織物、三線のお稽古、黒糖や沖縄のお菓子を作る体験もOK。
←泡盛屋、紅型染め、ポーポー屋
←サトウキビを搾る水牛、登り窯
←家の屋根にシーサー
←アトラクション
村内では、いつも、何処かで踊りやハブのショーをやってる。
テーマパークは文化財をどっかから持ってきて置いたり、作り物で面白くない。
自然のままの姿の方が好き。
←とっくり椰子や岩の散歩道
疲れを癒す為の旅なので、海岸を散歩したり、プールサイドで本を読んだり、昼寝も。
日差しは強いけど、外のプールの水は冷たい。
←浅いプールと大人用プール
泳ぐのは温水の室内プールで。
五十肩の為、腕が上がらないのでしばらくスイミングを休んでいた。
2年ぶりに泳いでみたらクロールも背泳もスイスイ~。
息継ぎも上手くできた。
←早朝の海岸は空と海が同じ色
ホテル前はサンセット・ビーチで夕日が沈むのが見えて美しい。
早朝はエメラルド色の海岸を散歩。
←朝のサンセットビーチ
ビーチ前のブロックに座って、潮風に吹かれてると気分がゆったりする。
夕方は陽が沈むのが見える。
←沈む夕日から天使のはしご
3泊4日の旅は短い。
あれもコレも食べたいと思ってたけど、無理。
←A&W
到着した夜、軽く済まそうとA&Wに行った。
ルートビアで有名な店。
素材は沖縄産の鶏の胸肉など、原産地を記してある。
私はマリネ・サンドイッチとオレンジジュース。
ジュースはツブツブがいっぱい入ってプラッシーに似た懐かしい味。
グッズも色々売ってあるし、京都にも進出して欲しい。
ミンチ肉も牛肉もハンバーグも嫌いなので、マクドとか行かないけど、ここならOK。
材料が安心な分、ちょっと高いかも。
パン2個と飲み物2個で1500円ほどになった。
沖縄の御飯はどれも美味しいし、スーパーにお土産を探しに行った。
スーパーは色々あるけど、品数が豊富で値段が安いのはサンエー。
沖縄土産コーナーにはラフテーやソーキ、シークワーサの果汁、沖縄そば、黒糖。
←ドクターペッパーとシークワーサー
シークワーサーの原液はそのままだと超すっぱい。
他のジュースで10倍くらいに薄めるとさわやか~。
1月に行った時、ヒジキ入りの黒っぽい炊き込みご飯を食べたら、すっごく美味しかった。
ホテルの朝食ビュッフェにも黒っぽいヒジキ御飯があった。
←ホテルの朝食、ビュッフェ
沖縄独特の炊き込みご飯で「じゅーしぃ」と言う名前。
種類が色々あり、野菜、豚、ヒジキ、鶏肉やヨモギの入ったのもある。
自分用のお土産は「じゅーしぃ」
←じゅーしぃ、グルクン
そして、京都に戻ってきました。
早速、じゅーしぃを家で炊いて、お昼御飯にした。
朝掘りの筍、白くて小さいのは柔らかいので、下茹でせずに使える。
椎茸やシメジ、生姜も細切りにしてじゅーしぃの素と一緒に炊飯器で炊く。
普段ならお茶碗1杯しか御飯を食べないのに、おかわり3杯。
居候も真っ青。
季節によって銀杏や栗、京都と沖縄のコラボは美味しい。
←筍じゅーしぃ
気候の良い所でゆっくりして、美味しい物を食べて、疲れもとれた。
戻った翌日から定休日返上で仕事。
休んだ分、しわ寄せがキツイです。
by mikiris
第186回(2015年6月1日)*古文書を読む
骨董屋が扱う品は個人の好みが強く出る。
イリス店主は古いトランプや時祷書が好き。
←15世紀の時祷書
18世紀のフランスのトランプは背の部分が白く、メモ代わりに使われた。
メモに何が書いてあるか気になったが、私のフランス語力では読めない。
知り合いのフランス人達に画像を送って聞いた。
そのうちの1人はフランスで国語の先生の資格を持ってる。
別の人はパリ大学でフランスの古典文学を勉強中。
その他、数人にも見てもらったが、皆、首をひねる。
←18世紀、フランスのトランプ
使ってある単語に「?」、つづりに「?」
単語が意味する物に「?」
古いフランス語なので、普通には読めないらしい。
最終的に、フランス語の古語辞典のサイトを使って、自分で調べて、と言われた。
←1701年のトランプ、表裏
15世紀の楽譜は羊皮紙に音符の他に注釈や歌が書いてある。
言葉は古いラテン語で、現代のラテン語を読める人でもわからない。
←15世紀の楽譜
私達も日本人ならどんな日本語でも読めるかと言ったら、そうでもない。
浮世絵の横にクニャクニャと書いてある文字。
掛け軸に何か書いてある字。
あちこちで見かけるけど、読めない。
「ああいうのがスラスラと読めたらカッコいいだろうな~」
イリス店主は
「日本人なら昔の文章を読めて、当たり前」
と読めない自分を恥じて、勉強している。
20数年前、最初の古文書講習会では「宗門人別改帳」を習った。
現代の戸籍、住民票のような物。
住んでる人の名前、家族、宗派を書いたノート。
その土地を離れる時は寺請証文(パスポート)を出してもらい、新たな土地で人別帳に記載してもらう。
この証明書を持たずに移動すると無宿人になってしまう。
秀吉の朱印状、ご禁制のお触書、文政13年の京都大地震の記、京都大火の瓦版、
年中行事や壬生村の用水願い、町内の町定など、
習いながら「へ~、ほ~」と古い出来事だけど、新たに知って、目からウロコ。
今回の講習会では相続の書類や賃貸契約の書類を読んでいる。
←相続の書類
譲り状之事(ユズリジョウノコト)
一(ヒトツ)、當町(トウチョウ)我等所持候(ワレラショジソウロウ)家屋敷壱ヶ所(イエヤシキイッカショ)
壱軒役(イッケンヤク)、我等相果候ハ(ワレラアイハテソウロウハ)、倅伊三郎江(セガレイサブロウエ)
譲り申所実正也(ユズリモウストコロジッショウナリ)、尤親類縁者者(モットモシンルイエンジャハ)不及申、(モウスニオヨバズ)
外ゟ(ホカヨリ)違乱妨申者(イランサマタゲモウスモノ)毛頭無御座候、(モウトウゴザナクソウロウ)
為後日之(ゴニチノタメ)譲り状(ユズリジョウ)仍而如件(ヨッテクダンノゴトシ)
寛延四年未(カンエンヨネン ヒツジ)七月廿四日(ヒチガツニジュウヨッカ)
内容は私達が死んだら、息子の伊三郎に家を譲る
親類も他の人も、文句を言う人はありません
今は使わない文字も入っているし、読み方も現代と違う。
ゟ(より)という文字は駅のプラットホームの柱にこの表示があったような、、、
列車が何処「より」と言うので使ってあったのか、記憶はあいまい。
友弥人は商店の商品POPに使われていたのをかすかに覚えてる。
文字ばかりじゃなく、古地図も古文書。
江戸時代に出版された「大日本行程大絵図」には日本全国の街道、町、航路が書いてある。
←関東周辺
街道と航路が書いてあり、南に大島も。
←江戸から東海道
←富士山
←浜松
井上河内守殿、駿河郡、六万石、江戸ヨリ六十五里六丁
←近江
琵琶湖と所領地と石高、江戸からの距離が書いてある。
くさ津(草津)、三井寺、膳所。
←京都
京の都が京都の名前の由来。
東京は東の京の都で東京都。
西国三十三所の札所の番号が書いてある。
六波羅蜜寺は17番、六角堂は18番、革堂は19番の札所。
順に回って御朱印を集める。
御朱印は判子じゃなく、お寺や神社の人が筆で書いてくれる。
現代でも、集印帳に御朱印を集めながら札所を巡る人が沢山いる。
若い人の間でも秘かなブームらしい。
古文書に興味を持つと、町のあちこちで変体仮名や異体字に気が付く。
古書店のウインドーの前で立ち止まって、フムフム、どうせ読めないけど。。
看板、包み紙を見て「!」
時代劇を見て、文字を書いてる場面や小道具が気になる。
博物館に行って、絵巻物を見るのに時間がかかる。
古文書が読めなくても、日々の暮らしに何の影響も無い。
でも、ちょっとでも読めたら、毎日がちょっと楽しくなる。
by mikiris
第187回(2015年7月1日)*滝めぐり
日本には美しい滝が沢山ある。
車で30分とか1時間走るだけで山の中に入り、其処、此処に滝がある。
滝の存在があまりにも身近で、あって当たり前になってる。
滝の近くまで行って、しぶきにかかるのが旅の目的。
温泉にも入りたいし、奥飛騨に1泊の旅。
最初に行ったのは平湯大滝。
高山インターから158号線を東へ真っ直ぐの所にある。
大きなパーキング(500円)に停めて、山の方へ徒歩15分で滝に到着。
←滝への遊歩道
←平湯大滝
飛騨3大名瀑、日本の滝100選の一つ。
巾6メートル、落差が64メートルある。
晴れた午後、日差しや強いが空気はひんやりして、しぶきが少しかかる。
毎年、6月にこの辺りに来るけど、旅人の少ない季節のよう。
美しい滝を貸切で見て、マイナスイオンを独り占めして嬉しい。
次に行ったのは新平湯温泉近くにある「たるまの滝」
昔、たるま姫という絶世の美女が村上天皇に差し上げた奥飛騨で一番の名水。
滝は川の向こう、遠くの高い所から流れ落ちている。
←たるまの滝
高原川のダムの下を通って、向こう岸の「たるまの滝」に行ってみよう。
平日の朝9時、だーれも居ない。
ダムの下の通路は電気もついてないし、けっこう暗い。
所々に開いてる場所があり、ダムの内側から外が見える。
しぶきがすごい。
←ダムの内側からの景色
←しのぶダム、外側から
残念ながら、突き当たりで封鎖してあり、通り抜けできなかった。
ダムの内側に入ったのは初めて。
なかなか迫力があって、面白かった。
←ダム横のたるまの館
高山と郡上八幡を繋ぐせせらぎ街道に大倉滝がある。
滝へ登るには何本かルートがある。
←大倉滝への道
遊歩道を伝っておおくら滝まで登る百滝コースを選んだ。
片道40分のコースならお茶の子さいさい。
ちょっとは運動しないとね!
←百滝コースの始まり
細い階段を登るとアスファルトの広い道になる。
道の両側の木を渡って、あちこちに蜘蛛の巣が。
私の頭にも肩にも、巣と一緒に黄色い蜘蛛と巣に絡まったチビ蛾がからみつく。
「わ~ん、蜘蛛の巣~! 顔にも付いた~!」
5分歩いて、山道に入る入り口に「熊出没、注意」の札。
←百滝コース、徒歩の道
蜘蛛の巣もうっとうしいし、熊もイヤだ。
「やっぱり車で登ろう」
車なら10分ほどで滝にたどり着ける。
細い1本道は最近まで土砂崩れで封鎖されてたが、今は通れる。
←展望台から大倉滝
←展望台から野麦峠、御嶽山
展望台から大倉滝を見ると、すごく遠いように見える。
しかし、2分で滝への降り口に到着。
←大倉滝入り口
駐車スペースに車を停めて、滝つぼまで階段で降りる。
←滝つぼへの階段
森林に囲まれた山の中に壮大な滝がある。
落差30メートルの大きな滝で、空気がひんやりして、飛沫がかかる。
夏にはキャンプをする人もある場所だが、今日は私の滝。
鳥の声と虫の声、滝の音だけ。
マイナスイオンに囲まれて、身体の中にパワーが蓄積された気がする。
←私が小さく見える
←迫力のある大倉滝
紅葉の季節は特に美しい。
グーグル・マップで「せせらぎ街道、大倉滝」を検索してみて。
ピグマンが蕎麦の清見庵から大倉滝まで紅葉の道を連れてくれる。
大倉滝の登り口にある清見庵は手打ち蕎麦の店。
店に近寄るとコンコンと蕎麦を切る音が聞こえる。
飛騨、清見の玄そばとおおくら滝の水を使った打ちたての蕎麦を食べさせてくれる。
天ぷらはよもぎ、ふきの葉、いたどり、スギナ、カボチャ、ツツジの花。
今まで食べたお蕎麦の中で2番目に美味しい。
蕎麦を塩でも味わえるようになってる。
蕎麦茶は普通、蕎麦湯は濃厚。
←清見庵で天ざる
お蕎麦を食べるのに夢中になってて、ふと前を見たらじゃじゃ降りの大雨。
雷も鳴ってる。
滝つぼに居た時は薄日がさしていたのに。
歩いて登ってたら頂上付近で雷雨に遭ってたはず。
蜘蛛の巣と熊のおかげやわ~。
実は、私は晴れ女。
今まで、国内外の旅先で雨が降ったのは3回だけ。
ロンドンのナショナル・ギャラリーへ行った時、ブリュッセルのロジエの交差点で傘が壊れた時、
ブリュージュ近くの小さな町の駐車場を出た時。
それ以外は天気予報が雨でも、旅先で降られたことがない。
もちろん、雨は降るけど、私が外を歩く時はやんでる。
この日もお蕎麦を食べ終わって、駐車場へ戻るときには雨はやんでいた。
新平湯温泉の鄙の館 松乃井で1泊した。
←松乃井旅館
半額チケットが当たったんだ!
当日は私達を含めて2組が泊まっていた様子で、至れり尽くせりのもてなしだった。
貸切風呂も大浴場も他のお客さんとかち合わずにゆっくり入れた。
奥飛騨の湯は芯から温まる。
湯上りにフット・マッサージの機械があった。
買おうか迷ってる所だったので、試せて良かった。
←お風呂
食事は部屋に運ばれてくる。
飛騨地方の郷土料理で、珍しい物が色々。
山菜、こも豆腐、あまごの煮付け、飛騨牛、岩魚の塩焼き、朴葉味噌。
一品ずつ丁寧に作ってあり、素材の味がして、美味しい。
恥ずかしながら、完食してしまいました。
部屋食に慣れてないので、部屋に食事の匂いがこもるのが気になった。
外の風、鳥の声、蛙の鳴き声が気持ちの良い季節だったので窓を全開して過ごした。
赤い公衆電話、階段の付いた立派な神棚、古くから大切に使っている重厚な調度品に囲まれて落ち着く宿。
6月は高速道路で集中工事をしているので、大渋滞。
普段なら1時間で行ける所も何倍もかかる。
夕方4時には京都に戻って、ケーキを食べに行こうと決めてたのに、大幅に遅れた。
大津サービスエリアで6時。
ケーキどころか、晩御飯の時間。
←2階のテラスから琵琶湖と比叡山
大津サービスエリアはリニューアルしたばかり。
バリアフリーのトイレや設備が整ってる。
3階に展望台があるが、2階のフードコートからでも琵琶湖や比叡山が一望。
翌朝は早くから仕事なので、ここで食べて帰ろう。
←フードコートでオムライス
1階はショッピングで、朽木温泉近くの宝牧場も出店してる。
渋滞が無かったら、立ち寄らなかったし、大好きなオムライスが500円だったし、
蜘蛛の巣も渋滞も、災い転じて、、の1日でした。
by mikiris
第188回(2015年8月1日)*服飾レース
ただ今、服飾レースの展示会を開催中です。
イリスで扱ってるのは17世紀から19世紀のヨーロッパのレースが中心。
その頃のレースは1点ずつが丁寧な手作りの品で、作るのに技術も時間もかかった。
数日で作るのではなく、数年間で作る。
レースは超高級品で人の命と引き換えになったり、お城と交換と言う事もあった。
肖像画でレースの付いた服を着てるのは、宝石を着けてるのと同じ事。
宝石よりも用途が広いので、美しいレースを身につけるのが競争になった。
←最新フレンチ・ファッション(イギリス人向け)
レースの衿や袖、縁飾りを取り替えるだけで、1枚のドレスが何通りにもアレンジできる。
夏は汗をかくし、衿や袖は小まめに取り替えて洗濯したい。
冬のドレスは厚手のシルクやウールだから洗濯は難しい。
やはり衿や袖、裾飾りを交換して雰囲気を変えたい。
英国やフランスではファッション雑誌が月刊や週間で発行されていた。
服装や小物のイラストは銅版印刷に手彩色してある。
←雑誌
よく見ると、ハンカチや扇子、手袋を持っているが、ハンドバッグを持ってる人はない。
財布や化粧道具はメイドさんが持ってるのでしょうね。
その頃を時代背景にしたドラマや映画を見ると参考になる。
←人形を持つ子供
プリントの下に細かい字で何て書いてあるのかな?
1862年6月号
左の女性ー散歩など外出着
グレーのモヘアのドレスと上着。
ドレスのスカートは裾で黒い絹でトリミングされている、等々。
右の女性ーディナー・ドレス
←帽子やフォールキャップ、小物
左のプリントは1864年のLe Monde Elegant、5月号
説明書は
1.白いクレープの帽子で上に扇状の青い絹の飾り
2.白い麦わらの帽子に黒いジェットビーズで水玉模様を付けて左側にスミレと薔薇の蕾
3.お洒落な麦わらの帽子にストライプの絹の布とポピー、麦の穂、花飾り
7.ケープ、サテン布をキルティングして白いレースで縁取り、オペラやイブニング・パーティの帰りに着用
ハンカチは綺麗なレースのふち飾りが付けてある物や手刺繡をした物がある。
上等なハンカチを手に持ち、お洒落のアクセント。
←イニシャルの刺繡入り
←豪華なレースの縁
←植物柄のレース
手袋はレースのミトン、仔山羊の皮の長い手袋が主流。
なま足、なま手はNG。
←18世紀の手袋
帽子やフォールキャップも重要なお洒落ポイント。
←18世紀の帽子
←頭飾りのフォールキャップ
衿と袖を見てみましょう。
←18-19世紀の衿
←金属糸や黒い絹糸の衿
←ボビンレースの袖と衿
スタンドカラーやドレスの前に付けるフロントもある。
←フロント
ジレも便利な物でした。
ブラウスの衿と前部分だけの物で、胸の開いたドレスに合わせる。
←レースのジレ
←刺繡のジレ
オーバースカートは大判のレースでスカートの上に重ねる。
スカートの縁飾りにする巾の広いボーダーもある。
←スカーフ
タイは雑誌では見かけないし、男か女か、どんな使い方だったのか、、、
17世紀のイタリアのタイはお坊さんが儀式の時に使っていた。
19世紀の繊細なレースのタイは女性のアクセサリー代わりか、ドレスの前に2本並べて付けたのか?
←タイ
私の好みで使いやすいのはタイ。
普段着で行くのはちょっと~、でも着物は面倒くさい~、のシチュエーション。
遠方だったり、雨だったりするとね。
そんな時、タイが活躍する。
首からかけるだけで上等な雰囲気にグレードアップ。
海外に行く時もタイが1本あると便利。
取引先や友達と上等なレストランに行く時に付けて行く。
宝石でキラキラ飾るよりも、自分に似合ってると思う。
「それはアンティーク・レース?」と聞かれて、話題にもなる。
私の仕事を知ってる人が聞くのは納得だけど、
道を歩いていて、知らない人に呼び止められて聞かれることもある。
たかがレース、されどレース。
パンティの縁に付いてるレースと同じと思う人もあるだろうけど、
「あれは何モノ?」と気に留める人もある。
お洒落は自己満足の世界。
付けてるときは嬉しー、楽しいー。
帰ったら大事に大事に片付ける。
展示会の様子を少し。
ハンカチとジレ・・・エアシャーワークの衿、ホニトンのタイ・・白糸刺繡の衿
デュシェスの衿とカフス、ケース内は18世紀デボンの衿、ブロンドの衿
ケース内はパールや銀糸の衿、フォールキャップ
by mikiris
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貴船の川床
町内の親睦会で貴船の川床へ行って来ました。
7月に入ってるのに涼しい日だった。
朝から雨降りだったが、貴船に到着したら雨もやんで薄日が差してきた。
町内のお茶道具屋さんが、七夕の茶会を用意してくれた。
イッカン塗りの茶箱、銀の茶巾筒、小さな物がセットされてる。
お菓子は末富の「カササギの橋」
七夕の日、カササギが天の川に羽を広げて橋を作る。
その橋を渡って、彦星が織姫に会いに行く。
7月6日で1日早かったけど、特注です。
京都の和菓子は一年中作られるお菓子、季節のお菓子、イベントの日だけ作られる菓子がある。
イベントの日だけのお菓子でも、知り合いなら我がままが聞いてもらえる時もある。
茶箱用の小さなお茶碗では立てにくいのに、すごく美味しいお抹茶でした。
道具を拝見して、お茶席は終わり。
座敷から川床へ場所を移してお食事会。
←貴船川と川床
川床は涼しくて、店から羽織とひざ掛けが配られました。
←突き出しとお造り
里芋や鯵のから揚げ、烏賊
鯛の洗いと鱧の落とし(梅肉と醤油)
←煮物と油もの
鯛の道明寺巻き、じゅんさい、万願寺の吸い物
すっぽんの揚げ団子、あんかけ
←鴨ロース、素麺かぼちゃ、あまご、山芋
←琵琶湖の鮎
鮎は数匹ずつお盆に載せてある。
塩の波を掻き分けて、泳いでいるよう。
頭を取ったら、骨ごと食べられる。
←メロンと素麺
直径15cmのメロン半個の中に鮑やホタテが入っていて、メロンごと食べる。
素麺に付いている梅は出汁の味で酸っぱくない。
←御飯とデザート
御飯は茗荷と紫蘇の葉を混ぜた五穀米。
胡麻の出汁をかけて茶漬け感覚。
デザートは桃とマンゴー寒天。
あ~、夕闇せまって、写真が撮れない。。。
←終わる頃には陽が落ちてきた
美味しい食事で会話も盛り上がり、楽しいひと時でした。
ところで、川床(かわどこ)と言ったら貴船の川の上に作った座敷で食事をする場所。
鴨川の縁の店から突き出た座敷は床(ゆか)と呼ぶ。
各場所によって呼び方は色々みたいだけど、京都はこんな感じです。
by mikiris
第189回(2015年9月1日)*魔王のパワー
鞍馬山は2億6千万年前に海底火山の隆起によって生まれた。
頂上から貴船の方へ少し下った所に魔王を祀ってある所がある。
魔王は650万年前に地球を助ける為に金星からやって来た。
最近、運動不足でロコモティブ症候群になりそうなので、魔王にパワーをもらおう。
←叡電の宝ヶ池から貴船口まで。
出町柳が始発だが、宝ヶ池の方が自宅に近くて便利なので、この無人駅から乗車。
叡電は座席が窓向きに一列に並んだパノラマ列車が1日に2-3本だけ走ってる。
いつ走るかの時刻表はないので、乗れたらラッキーらしい。
今日の私はラッキーでした。
走行中、紅葉のトンネルでは徐行運転。
←窓向きの座席と紅葉のトンネル
貴船口に到着すると待ってましたとばかりにバスが来る。
終点まで乗ると、少し先に鞍馬寺の西門へ渡る橋がある。
←鞍馬寺の西門
ガイドブックでは鞍馬寺から貴船方向に歩くハイキングコースが紹介されてる。
逆方向から歩く人はすごく少ない。
自分のペースで歩けるから、この方向がお勧め。
西門の受付が閉まっていたので、そのまま通りぬけるか迷ったけど、係りの人を呼んだ。
拝観料は無料だが、山を保護する為に300円の寄付のお願いの札があったので。
歩きやすく手入れしてあり、途中ではお茶の接待もあるから、協力しましょう。
門の横の箱から杖を借りて、階段と山道をミックスした登り道を進む。
←アンバランスな石
大きな木がうっそうと茂ってるので、ほとんど陽は差さない。
私は杖の代わりに日傘を道に突き刺して登る。
1kmくらい登って魔王殿に到着。
手水場で手を清めて、お参りする。
←魔王殿
土が固いので木の根が地面に出た木の根道は自然が描いた絵。
歩く道の全てが柄違いで面白い。
←木の根道
鞍馬山は牛若丸が天狗に武術を教えてもらった所。
天狗の正体は鬼一法眼という武術者。
←不動堂と義経堂
保護林の苔と木、珍しい植物を観察しながら歩くのも楽しい。
←苔ときのこ
少し登ると大杉社。
御神木の大杉は朽ちて、囲いの中にある。
←大杉社
宝物殿の辺りが一番高い所で比叡山が正面に見える。
←比叡山
宝物殿から少し下り坂で本殿金堂。
本殿には毘沙門天、千手観世音、護法魔王尊が安置されてる。
毘沙門天を「光」の象徴、千手観世音は愛の象徴、魔王尊は力の象徴。
本殿金堂の前のパワースポットに立って、天からのパワーを受け取る。
←本殿金堂とパワースポット
←パワースポットから京都市内を見る
本殿から鞍馬寺の正面、仁王門の方へ降りる。
階段を降りた所に休憩所があるので、お茶を頂いて一休み。
←階段と石畳の下り坂
貞明皇后が休まれた場所、中門を通って、義経ゆかりの水飲み場。
←中門
清少納言が枕草子に書いた「近くて遠きもの、鞍馬の九十九折」を降りる。
すぐ下に道が見えてるけど、重なって折れてるので以外に距離がある。
←九十九折
火伏せの神様、由岐神社にお参り。
山の斜面にある階段状の神社。
←由岐神社
鬼一法眼社の横に魔王の滝がある。
←鬼一法眼社
鞍馬寺の本殿へのケーブルは平成28年3月末まで運休中。
←ケーブル運休のお知らせ
←鞍馬寺仁王門
←湛慶作の仁王さん達
仁王門を出た参道にある精進料理の店、雍州路。
前に鞍馬山に登った時もここでランチした。
←ランチセット
貴船側から登って、鞍馬側に降りたのは理由がある。
叡電の終点が鞍馬なので、ここからだとゆっくり乗れる。
鞍馬駅から乗ったのは5人だけ。
次の貴船口ではホームに人が溢れていて、電車は一気に満員になりました。
←叡電の車内
翌日から1週間程、足のふくらはぎが痛くて、階段の昇り降りに苦労しました。
本格的な山登りをする人には物足りないけど、散歩にはキツイ登り。
いい運動になりました。
by mikiris
第190回(2015年10月1日)*落差日本一の滝
いつもの事だけど、急に思いついて旅に出た。
木曜日の夜、ネットをしながら
「鮎を食べる季節やけど、ヤナ漁をやめて、温泉とセットにしよか」
ネットで鮎料理の旅館に予約した。
4日後の月曜日、名神の東インターから乗って、東海北陸道から富山方面へ。
そのあたりに川島SAがあり、ハイウェイ・オアシスに初めて行った。
レストランとショッピングの他に水族館や観覧車、バーベキュー、フィールド・アスレチックもある。
遊園地みたいになってて、屋台やレストランがいくつもある。
池ではチョウザメと鯉が一緒に泳いでる。
←川島SAと鶏ちゃん丼
昼時だったので 「鶏ちゃん丼」 を食べてみた。
味噌味の鶏とキャベツ、マヨと半熟卵が乗ったあっさりした丼。
旅の目的は滝と鮎。
最初に行ったのは岐阜の宇津江四十八滝。
滝の登り口近くに駐車場がある。
←駐車場
←登り口
四十八滝と呼ばれてるが、大きな滝の数が13個と無数の小さな滝がある。
名前の由来は伝説によるもの。
昔々、よそ八と言う名の親孝行な男が居て、病気の母に魚を食べさせる為に山の上の沼へ行った。
沼には大蛇が居て、よそ八は恐ろしくなって飛んで帰った。
熱が出て、寝込んだよそ八を旅の娘が看病してくれた。
娘は大蛇の化身で、看病の為に力を使ったので、天に昇ることができなくなった。
そこへ不動明王が旅の僧の姿で現れ、嵐を巻き起こし、大蛇は龍になって天に昇った。
その跡には大小の滝ができてキラキラと輝いていた。
よそ八は仏法四十八願を意味し、この滝は四十八滝と呼ばれるようになったとか。
四十八滝の水源は猪臥山(標高1519M)の山腹1300Mにある。
苔の張り付いた岩や木の間を急な流れが通り抜ける。
平滝は巾4.5M、平らな滝。
下右は箱から取り出した剣が立ってるように見える函滝(はこ)。
←平滝と函滝
上段滝の横に不動明王のお宮さんがある。
←上段滝と不動明王社
梵音滝(きよのき)はお経を読むときにキヨノ木をたたいて拍子をとる音が滝の音に似ている。
下右は山の滝で一番大きいので王滝。
←梵音滝と王滝
銚子口滝はお酒を注ぐように見えるので、名前がついた。
←銚子口滝
展望台から北アルプスの山々が見える。
←北アルプス
盌水(わんすい)滝は椀の中で渦を巻いて流れるように見える。
←わん水滝
片道1時間程だけど、石畳で整備されてるので歩きやすい。
←遊歩道
宿泊は富山県、庄川の川金、鮎料理の有名な旅館。
連休前の平日だったので、他のお客さんに会わず、ゆっくり過ごせた。
←川金
山側の10畳の和室には掘りごたつの部屋が付いてる。
部屋の玄関も広いし、明るくて景色もバッチリ。
掃除が行き届いていて、清潔な館内。
もちろん、家に帰ってから自宅と店の掃除をしまくりでした。
←窓からの景色
石畳の大浴場と広い露天風呂。
温泉じゃなくて、庄川の伏流水を汲み上げた鉱泉で、夕食前に入ったら翌朝までポカポカして温まってた。
食後にもお風呂に入るつもりが、夜8時に寝てしまって、気が付いたら朝だった。
24時間使えるので、朝風呂に入ったら夕方までポカポカ。
←お風呂と露天風呂
落ち鮎の美味しい季節なので、夕食は鮎尽くし。
中の通路から隣の料亭に移動して個室で食事。
←炭焼きの鮎
鮎は小さめで、頭から骨ごと食べられる。
木の実やキノコの香りも味が濃くて、地産地消の料理。
氷見漁港から直行の魚も。
鮎の柳川鍋と鮎の天ぷらは頭からカリカリ
←秋刀魚やかんぱち、旬の魚
←柳川と天ぷら
鮭と胡桃のムース、蒸し物でしんじょ
梅ちりめんのお結びをお茶漬けにした物とデザートのココナツわらび餅。
←お茶漬けとデザート
朝御飯は今まで泊まった旅館で一番美味しい朝御飯。
特にお米が美味しかったので、今回のお土産に決定。
←朝食は鮭の味噌漬け、手作り飛龍頭、せいろ
色々な場所に行って、色々な旅館に泊まりたい派だけど、ここは何度でも泊まりたい。
次回は冬に牡丹鍋か鰤しゃぶ、富山県の美術館巡りに組み合わせて行きたい。
さて、旅の2日目は国立公園立山の中にある称名滝へ。
山の方へ向って、どんどん進む。
公園内には立山黒部アルペンルート、雪の壁で有名な室堂、スキー場も含まれる。
←立山へ
称名滝は落差350Mで日本一。
雪解けの頃、春になると隣に落差500Mのハンノキ滝(涅槃の滝)が現れて、V字の滝になる。
滝の登り口にバス停とバスプールがあり、その隣が乗用車のパーキング。
←パーキングと国立公園地図
道は整備されていて、ゆるやかな登り30分で滝へ。
滝のしぶきを受けて、展望台でゆっくりしても往復で1時間半。
←整備された道
川を渡って向い側の八郎坂を上ると弥陀ヶ原公園に行ける。
弥陀ヶ原は木で作った遊歩道が整備されていて、季節ごとに自然が美しい。
←川を挟んで八郎坂
称名滝の滝つぼには近寄れないけど、3箇所に滝見台があり、高さを変えて見ることができる。
流れが激しくて、滝から風が吹き、小雨のように水しぶきが降ってくる。
音もすごい。
←称名滝
展望台から川下を見ると、右手に大日岳の登り口がある。
山の天気は変わりやすく、晴れていたのに帰り道で振り返ると雲が降りてきた。
←国立公園立山内
京都へ帰るのに富山インター経由にして、インター近くのキトキト寿司、太郎丸店でお寿司。
本日のお勧めをにぎってもらって、新鮮で美味しい、激安でした。
お土産は旅館の売店で、新米の育(はぐくみ)。
海草と自然の肥料を使って育てて、常温乾燥したお米。
近所の小さな農園が作っていて、富山限定。
柚子味噌ドレッシングは柚子と味噌、辛子のミックス。
サラダ、豆腐、しゃぶしゃぶのタレ、何にでも使える。
←自分用のお土産
栃の実せんべいは岐阜県の川島SAでお徳用割れがあったので。
栃の実の味が濃いパリパリの味噌せんべい。
1泊2日の充実した旅。
滝のパワーを注入して、京都に帰ってお仕事頑張ります。
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第191回(2015年11月1日)*サバイバルして還暦になった
5年ぶりの同窓会は還暦を記念した集まり。
私達は中学受験をして同志社中学に入った。
それ以来、大学卒業までズーッと一緒。
高校から入学した人が40人、高校や大学は他校に行った人が何人か。
ま~、それもこれも、皆取り混ぜて、同級生。
200人近く集まった同窓会は12時から18時までがイベント。
礼拝、先生の近況、お茶会、書や写真の展示、賛美歌合唱やバンドの演奏。
←お茶席のお菓子
会場のホテルとイリスが徒歩5分なので行ったり来たりしやすい。
私は書道稽古に参加してるので、会場オープン前に展示の手伝いに行った。
それぞれに書きたい物を書いたので、軸装して並べると個性が現れて面白い。
私は色紙に夢の一文字。
←書展
夜の懇親会は着物を着て行った。
中学生の頃は可愛い子供だった同級生、今の方が大人になっていい感じ。
会うと○○ちゃん、XX君、気分も会話も昔と変わらず。
武田信玄に似た貫禄充分の友達は会社の若い社員に
「僕、同級生の女の子らと一緒に書道の稽古してんね」と話したら
「女の子って、何ですそれ!」と突っ込まれたそう。
同級生の「女の子」も還暦でおじいちゃん、おばあちゃんの年。
夜の部は6時半から、続けて二次会、翌日はゴルフ大会と遺跡巡りに希望者が参加する。
遠方からの人も多く、数十年ぶりだったが女子は美魔女が多い。
男子は色々、上下に振れて、同い年に見えない人も。
美魔女達はけっこうエステに通ってる。
「エステやってもろたら、ピーンとするねん」
私?残念ながら、、、
ゴルゴラインとマリオネットラインの見本は此処にあり!
久しぶりに会うと、元気に過ごしていたか、お父さん、お母さんは元気?と言う話題になる。
中学、高校時代はお互いの家に行ったり来たりで友達の両親はおじちゃん、おばちゃん。
元気だとしても80歳はとっくに越えてるので、色々あります。
この年になって、トピックの無い人の方が珍しい。
元カレ、元カノに再会して話が弾む人達、憧れの人から離れない人達を横目に見て、
私を入れて女二人、男二人でテーブル1個を占領してバカ話。
「あそこ、盛り上がったはるな~」
「元カノが綺麗やし、嬉しそうやわ」
「あんたら片思いやった人のとこに告白に行き~な~」
「私らみたいに誰とも付き会うてへんし、好きな人が無かったんは面白ないな~」
「僕ら、中学の時はアホやってたもんな~」
「それで、一緒に先生に呼ばれて怒られたやん」
「そやったな~、みんな、アホやったもん」
こんな話をしている1人はお医者さんになり、もう1人は税理士になった。
私はフランス語の通訳と骨董屋の二束の草鞋、残る1人は物づくりの作家。
ちょっと前の同窓会で病気自慢をしたら私が横綱だった。
心臓の大きな手術をして、見た目は普通だから。
今年からは病気自慢をやめた。
何でかと言うと、自分で殿堂入りしたと思うから。
昨年の夏、ついでに受けた検診で癌が見つかって、1週間後に入院して手術した。
7年ぶりの長期入院で医療の進歩に驚いた。
一番びっくりしたのは点滴の針。
針は5日毎に交換するが、抜いた針はビニールのようにフニャフニャ。
看護師さんは竹輪のような感じと言うけど、ストローと外袋の感じ。
最初はストローと外袋を重ねて腕に刺して、ストローだけ抜く。
腕に刺さっているのは外袋だけなので、曲げても平気。
曲げても平気だからと、折れ曲がると点滴の液が入らなくなる。
エラーのベルが鳴って、看護師さんが飛んで来るから要注意。
私は次々に合併症が出て、治りが遅くて病棟で2番目に長く滞在してる患者。
後から入院してきて、私より後に手術をした人達が先に退院していく。
抗癌治療に来てる人は数日で退院していく。
24時間点滴をいくつもぶら下げて、病棟の廊下を歩くのも飽きてきた。
廊下の突き当たりで静かな個室は居心地がよかったが、
危機的な治療がなくなると誰も来なくて一日が長く退屈。
最後になった合併症の治療はちょっとづつ食べて、太る事。
自己責任で自宅療養すると先生に直訴して、
「mikirisさんなら自分で管理するしOK」と
信頼してもらって退院許可が出た。
半年後には以前と変わらない暮らしができるようになった。
朝晩のマッサージの効果もあった。
象のように腫れていた足はほっそりして、元のサイズの靴がはけるようになった。
7kg減った体重は1年でほぼ元通りになった。
30年前の服が着られると喜んでたのもつかの間。
元気そうに見えてるので、病気の話をすると、お世辞かも知れないが、
「へ~、全然、そんな風に見えへん」と言われる。
3大疾病の2つを越えて、普通に仕事して、友達と食事に行ったり、旅行にも行ける。
長い一直線の傷を見ると、沢山の先生や看護師さん、手術のスタッフ、励ましてくれた人に心から感謝し、
「私、元気になって良かったな」 と自分を応援したくなる。
サバイバーとなったので、少なくとも後期高齢者までは普通に仕事を続けたい。
その後は体力とやる気次第かな。
終活に励むのはもう少し先にして、元気で色々とやれる時間を大切に使いたい。
年齢に関係なくプラス思考の人は輝いてるし、見習いたい。
毎年、新しい事を始められたら嬉しいし、今まで興味がなかったことに目が向くと楽しみが増える。
100歳越えて、ヨボヨボしたら断シャリするかな~。
還暦を迎えるとシルバー割引が使えるし、益々遊ぶ理由が増える。
同窓会で帰り際の挨拶は 「さいなら」 の代わりに
「年取っても、ずっと一緒に遊ぼな~」
病気関連の友達は「心臓つながり」の他に「癌友」が増えた。
海外のサバイバー癌友も居る。
心臓の方は11月の検診で8年目を迎える。
癌が早期発見できたのは、心臓手術による薬のお陰。
「私はラッキーやわ~。心臓の時も今回も運が強いわ~♪」と自画自賛する私に
「本当に運の強い人は病気にならへん」とイリス店主の一言。
そうか、それも一理ある。
いっぱい心配させたから厳しい意見も仕方ない。
11月にヨーロッパへ仕入れに行く手配も済ませた。
行く先々で友達に会うし、話が盛り上がりそうなので、時間、足りるかな~。
20年来の友人は今年の春に私と同じ心臓の手術をした。
「Now, we are heart friends」とメールしたら、
「We are heart friends forever」と返事が来た。
おしゃべりのしすぎで、店主ににらまれない様に自重します。
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第192回(2015年12月1日)*パリの中世美術館
パリを丸く描くと、セーヌ川は真ん中に横棒を引いた配置。
中心にシテ島があり、ノートルダム大聖堂がある。
クリュニー中世美術館はそのちょっと右下、川の南側に位置する。
近年、五感のタピスリーが日本で展示されて知られるようになった。
それでもルーブルやオルセー、モネの睡蓮があるオランジュリーに比べるとマイナーな美術館。
ひっそりとして、知る人ぞ知る、けど実は凄いんです。
←五感のタピスリー
建物は紀元1世紀にローマ人が作った公衆浴場の跡地。
←1世紀の浴場の跡地
1400年代に修道士の邸宅が建てられて、1843年に美術館に改装された。
←15世紀の修道士邸宅
中世の彫刻、織物、絵画、工芸品、聖書など2万点以上の中から選んで展示されている。
←12-13世紀のエナメル彩、ステンドグラス
5世紀から15世紀が中世になるが、日本でなら奈良時代が710年、何と見事な平城京で8世紀。
15世紀は室町時代にあたる。
ヨーロッパでは10世紀まで、フランスやイタリア、ドイツ、ノルウェーなど、国ができつつあり領土争いをしていた。
各国はお互いに条約を結んで、宗教や結婚で同盟国となっても裏切りは常にあり、緊張と戦いの繰り返し。
中世は殺したり、取ったりの野蛮な時代のイメージがある。
しかし、美術、工芸品の素晴らしい物が多数あるし、素晴らしい建築が残っている。
←入り口の鍵穴と15世紀の建物内
←ゲームとトランプ
←15世紀の装飾写本
←羊皮紙の印刷物
←絵画の中の本
勉強のためミュージアム・ショップにあった中世写本に関する本を入手。
写本の作り方、流派や国、時代による特徴、題材やモチーフ、描き方、と解説されている。
イリスのコレクションをサンプルにして少し紹介します
動物や植物を題材にした物が多いが、それらは象徴する物がある。
キリスト教が広まった時期で、魚、ライオン、ペリカンはキリストを表す。
←1480年にパリで製作、ライオン
鷲、鹿、孔雀は復活を象徴する。
鳩は聖霊で、平和の象徴。
←1455年にブルージュで製作された、精霊を印す白い鳩
子羊はキリストの犠牲と復活を表す。
丘の上に子羊が居る図は絵画や織物に使われる人気の題材。
←白い羊
狼、豹、猫、サソリ及び誘惑を表す蛇は悪い物の象徴。
←蛇、聖書のタイル、1700年頃オランダ
動物の皮から作った羊皮紙に聖書や歳時記を書いた装飾写本は中世の優れた美術品。
文字は酸化させた鉄をインクとし、鳥の羽を削ったペンで書く。
挿絵は鉱物や植物、虫から作った絵の具で描く。
金色は純金の箔をニカワで盛り上げた所に貼り付けている。
←装飾写本・・シビュルの預言
クリュニー美術館には聖書や時祷書の装飾写本が多数ある。
13世紀から15世紀、本は印刷する物ではなく、1ページずつ手作業で写す物だった。
国によって流派があり、美しい細密画を入れた時祷書を製作した。
1冊の本として残っているのは数も少なく、数百万から数千万の値段。
見て、ため息がでる。
羊皮紙に描いた色の付いた絵が好きで、ちょっとずつ集めてた。
昔の絵本のようで持ってるだけで嬉くて、自己満足。
最初に手に入れたのは赤や青の縁取りが可愛い、小さな楽譜。
それから幅を広げて、絵が可愛い時祷書。
←歳時記、7月
1冊の本が300ページあるとして、挿絵の入ったページは10ページくらい。
その10ページの内、ほとんどの絵は嫌いだ。
マサカリを持った骸骨が描いてあったり、首をはねられた人の絵、兵士が槍で刺し殺してる場面など、
戒めを説いてる部分の絵は可愛げ無い。
受胎告知、天使が飛んできて啓示をもたらす絵は本当に少ない。
素敵な場面の挿絵は額装して飾ると、華やかで楽しい。
装飾写本は1冊の書物として持つ方が価値があるのだが、私の向いてる方向はそっちじゃない。
「この絵、好き好き」『欲しい、欲しい」と、ちょっとずつ集めていたら100枚近くなってしまった。
中には輸出許可を取るのに1ヶ月以上かかり、美術館の証明書の付いた物も数点ある。
←ゴルゴタの丘で磔
すっごく可愛いし、コレクションを見せびらかしたいので展示会をします。
12月16日ー27日、中世のリーフ展ー15世紀の聖歌楽譜と時祷書を展示即売します。
1枚も売れなくて全部が手元に残っても、誰かが連れて帰ってくれても、どちらも嬉しい。
でも、全部売れたら寂しい。
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ケルンのクリスマス・マーケット
ケルン大聖堂は世界最大のゴシック建築
最初の聖堂は4世紀に建てられ、世界最古の聖堂だった
建てかえられて9世紀に新しい聖堂が完成した
1248年に火災があり、その年から600年間かけて現在の建物が1880年に完成した
大聖堂の12時の鐘を聴きながら、前の広場で開催中のクリスマス・マーケットへ
クリスマス・ツリーにつける飾り物、クリスマスのクッキー、ソーセージやワッフルの屋台が並ぶ
←巨大なケルン大聖堂
←聖人達が迎えてくれる入り口
←広場の入り口に東方三博士と馬小屋のブロンズ像
←大聖堂前広場のマーケット
マーケットのお店、ナッツ、キャンドル、サンタ、木工品、鮭の燻製、パンの店
←キャンドル屋さん
←鮭の燻製
←パン屋さん
イベントの舞台と自動車のメリーゴーラウンド
←イベント会場
大聖堂の前のカフェ Cafe Reichardでお茶して、バウムクーヘンを買った
19世紀に創業したケーキ屋さんでマジパンのお菓子とバウムクーヘンが美味しい
←カフェ
←マジパンの天使
ドイツに行く度にバウムクーヘンを探してたけど、一度も見つけられなかった
空港、電車の駅、地下街、街中のケーキ屋さんにも無かった
クリスマス・マーケットにもバウムクーヘンを売ってる店は無かった
何年も探し続けて、やっと大聖堂前のカフェ・ライヒャルトにあった
固いチョコでコーティングしたハード・タイプのバウムクーヘン
ケーキ部分はあっさり系、チョコはダークチョコ
日本のバームクーヘンはソフトタイプでフワフワしてる。
子供の頃に最初に食べたのみたいに、しっかりと焼いたバームクーヘンが一番好き。
←ドイツのバームクーヘン
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