第193回(2016年1月1日)*京都の元伊勢
日本人のルーツである天照大神は伊勢神宮に祀られているが、伊勢に行く前、京都に祀られていた。
その場所は元伊勢と呼ばれている。
福知山の豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)と皇大神社(こうたいじんじゃ)が外宮と内宮にあたる。
2015年7月に京都縦貫道が開通して、京都市内から日本海の方へ行きやすくなった。
京都から元伊勢のある福知山まで、以前なら4時間近くかかったのに、2時間もかからない。
←京都縦貫道
縦貫道には新しい道の駅とSAができて、丹波地方の特産品がある。
地産地消のバイキングレストランもある。
ランチに引っ掛けて11時頃に道の駅、味夢の里に到着したら、新鮮野菜はほとんど売り切れ。
お目当ては丹波産の松茸と栗だったけど、跡形もなし。
お菓子やケーキはマーガリンを使った物が多くてパス。
小学校の給食のトラウマでマーガリンは味も匂いも絶対キライ。
バイキングレストランへ行ってみると、11時20分なのに、満席で30分待ち。
11時開店と共に入る人、グループの予約があったから。
待ち時間は外を散歩したり、売店を冷やかしたり、案内書のパンフを見てたらすぐに順番が来る。
店内は広いわりに、テーブルの数が少なくて、4人掛けを2人で使うなど、ゆっくりと食事ができる。
案内されたのは窓際の席で、丹波の山々を見ながらのランチ。
←味夢の里レストランからの景色
お惣菜もデザートも種類が多くて、50種類以上は確実にある。
←地産地消のバイキング
丹波シメジの炊き込みご飯、丹波産のなめこ汁が一番美味しかった。
茄子やキノコ料理、万願寺唐辛子の煮付けなど、丹波産の野菜で作った煮物系は全部良かった。
ロールキャベツや秋刀魚のから揚げ、ポテトサラダなどの洋食系、揚げ物、お寿司はペケ。
デザートのシフォンケーキと黒胡麻のアイスクリームはマル。
ミニケーキ、パフェ、胡麻団子やみたらし団子はペケ。
味夢の里から福知山までは30分。
新しい高速はピカピカでガラガラ、走りやすい。
←三角の山が目印
縦貫道を舞鶴大江で降りて、由良川沿いに西へ行く。
元伊勢のお参りは三重県の伊勢神宮と同じく、外宮から。
外宮の豊受大神社は北近畿丹後鉄道沿いに有り、すぐにわかる。
←元伊勢外宮
社務所横の駐車場に車を置いて、階段を登る。
黒木の鳥居をくぐって本殿へ。
←黒木の鳥居
伊勢神宮と同じ神明造りの建物。
年月の経った木が神聖な様子で、その場所に居るだけで気に包まれる。
←外宮
樹齢1500年の杉の木は節分の夜に龍神様が灯りを点けに来る伝説がある。
←樹齢1500年の龍燈の杉
本殿の周りに小さな社が並んでいる。
全国の神社の出張所みたいだけど、長い年月で風化している。
←外宮の末宮
この豊受大神社全体が歴史の1ページのよう。
社務所にも境内にも人影が無く、私達だけが森の中のパワースポットに居た。
内宮の皇大神社は入り口横に砂利の駐車場があるし、少し離れた所に100台程の駐車場もある。
石段を登ると石の鳥居があり、田園風景と北丹後鉄道の線路が一望。
←内宮から北丹後鉄道
樹齢2000年の龍燈の杉は外宮の杉より大きい。
樹齢2000年の龍燈の杉
本殿の前に黒木の鳥居がある。
←内宮の黒木の鳥居と本殿
黒木の鳥居は一番古い形の鳥居で、極シンプルな形。
皮のついたままの丸太を二本、二本と組み合わせた鳥居で、元伊勢の外宮、内宮、
京都の嵯峨にある野々宮神社にある。
木の皮を剥いて、綺麗にした鳥居は白木の鳥居。
←神明造りと末宮
本殿の周りには外宮と同じように末社が84社並んでいる。
三重のお伊勢さんのように短いクールで式年遷宮をしてない様子。
重厚な白木の神明造が年月を経て、自然がつけた時代の貫禄が美しい。
私は新品のお宮さんより、絶対、こちらの方が好き。
ひっそりとして、無人の境内はいつまでも居残りたいような場所。
←内宮から天岩戸へ
社務所の横から天の岩戸に抜ける道が伸びている。
軽トラが走りそうな道を行くと、目の前が開けて、遠くの山が見える場所に出る。
三角形の美しい山は岩戸山、又の名を日室ヶ嶽。
←一願成就の岩戸山
この山の向こうに鬼で知られる大江山がある。
夏至の頃に山の頂上に日が沈み、その光が当たる東の方向に三重のお伊勢さんがある。
←天の岩戸
内宮皇大神社から徒歩で20分、天の岩戸神社に到着。
人が1人通れるだけの急な石段を谷底に降りると、崖の上に岩戸神社がある。
←谷底へ降りて、岩戸神社
鎖を持って、ロッククライミングのように登ってお参り。
←ロッククライミングでお参り
宮川(五十鈴川)の河原には大きな石がゴロゴロしている。
この石は八百万(やおよろず)の神が座っておしゃべりしたり、休憩する椅子。
水も空気もしーんとしている。
←神々が座って会議をする場所
元伊勢や岩戸山の辺りは京都府指定の禁足地。
昔から神聖な場所として保護されている。
天の岩戸神社から元伊勢内宮の駐車場まで一本道で下り坂。
元伊勢3社をお参りして、人にも動物にも会わなかった。
神聖で美しい場所なので、このまま自然を大切に残して欲しい。
絶対にユネスコの世界遺産になんか登録されませんように。
by mikiris
第194回(2016年2月1日)*ある日、パリで
晩秋から冬にかけてのヨーロッパはショボショボと雨の降る日が多い。
たまに晴れる日は部屋にこもってないで出かけるに限る。
←マドレーヌ寺院
25年来、マドレーヌ寺院の裏にある小さなホテルに泊まってます。
オペラ座やギャラリー・ラファイエットへ徒歩5分の便利な所にある。
市内の中心部なので、近隣の路上駐車はキツキツです。
出るときは前と後の車を力ずくで押して隙間をあけるのがフランスの伝統的なやり方。
←キツキツの路駐
そこから地下鉄で20分のカルナヴァレ美術館(Musee Carnavalet)へ行った。
←カルナヴァレ美術館
ルネッサンス期の建築で1550年前後に建てられた。
1880年より美術館として開館されている。
貴族の邸宅をそのまま転用してあり、1700年代のパリの革命頃の美術品、絵画が多い。
大小の部屋が100室程あり、天井が高く、大きな窓があって、時間が静かに流れる美術館。
←邸宅の部屋
1階には昔の看板を展示した部屋もある。
←18世紀の看板
カルナバレ美術館からセーヌ川沿いを歩いて、オルセー美術館へ。
←セーヌ川
途中、鍵がいっぱい取り付けてある橋があった。
←ポンデザール
この橋、「ポンデザール(Pont des Arts)に鍵を付けるとずっとラブラブ」のジンクスが数年前から流行してる。
恋人達が名前を書いた南京錠を橋に取り付け、鍵を川に投げ捨てる。
南京錠だらけになり、橋が重さに耐えられるか危機的な状況により、鍵掛け禁止令が出た。
今は土手に鍵専用のパネルが設置されてる。
←オルセー美術館
オルセー美術館は昔オルセー駅だった建物で19世紀の絵画や工芸品を展示してる。
入り口はちょっと高い所にあり、予約した人、予約無しの人で入り口が南北に分かれる。
トイレは地下にある。
←カフェ・カンパーナ
到着したのが昼過ぎだったので、まずはエレベーターで5階まで上がってランチ。
時計の窓が印象的なカフェはパスタやキッシュの簡単な食事があり、お茶するだけもOK。
←サクレクール寺院
5階のテラスからモンマルトルのサクレクール寺院が目の前に見える。
オルセー美術館の5階はモネ、シスレー、ルノワール他の印象派の絵画が展示してある。
←マネ、草の上の昼食
下の階へ降りて、アールヌーボー、アールデコの装飾美術を見る。
←アールヌーボーの作品
元ターミナル・ホテルのフェスティバル・ルーム(Salle de Fetes)の天井にはアポロンの絵が描いてある。
部屋の真ん中でクルクルッと回って、舞踏会で踊る気分になってみた。
←お祝いの部屋
1階の奥、ガラス張りの床の下にはパリ市、オペラ座付近のジオラマ。
友弥人は平気で歩くけど、私はガラスの上を歩くのが怖い。
←パリ市のジオラマ
吹き抜けになった2階にレストランがある。
←吹き抜けと2階のレストラン
1階にゴッホ、ゴーギャン、ルソー、マネが展示してある。
←ゴッホのアルルの女
←ゴーギャンとルソー
←マネとモネ
上から下までサーッと見て回っても3時間はかかる。
もう一回、カフェで休憩と思ったら、1階の奥にセルフサービスのカフェがある。
私は地下鉄よりバスで移動する方が好き。
町の様子、建物、景色を見るのが楽しい。
オルセー美術館からセーヌ川を渡ってルーブルの前を通り、オペラ座付近へ。
夕方のラッシュの時間、イルミネーションがきれい。
パリで買ったお土産はコレ。
フィレブルーのレモン・サブレ(Sable au Citron)とマリアージュ・フレールの紅茶。
レモンの香りがして、皮が少し入ったサブレ。
紅茶はホテルの部屋用のが美味しくて、フロントで教えてもらった。
角を曲がった近所の紅茶屋さんは中に入ると壁の上から下まで紅茶で埋まってる。
ほとんどが花や果物の香りが付いた紅茶で、値段を見てびっくり。
家で飲んでる紅茶の10倍くらいする!
布製のずた袋に入ったティーバッグが可愛い。
旅の思い出にノン・フレーバーの紅茶を1箱。
京都に住んでると、周りの人も日本人だし、観光客の外人は遊びに来ていて暢気。
しかし、海外だと色々な事がある。
私達がパリに行ったのは11月13日の事件の10日後。
人々は普通に暮らしてるし、デパートも美術館も地下鉄もバスも平常通り。
ただ、誰も少し不安で、周りに注意を払ってる。
空港や駅、市内では警官や軍の人が目立つし、美術館の入り口には金属探知の枠がある。
郵便局、デパート、大型店舗、役所の入り口では警備員に鞄の中、コートの釦をはずして中を見せる。
パリの友人は「situation vigilante」(警戒状態)と言う。
そして「今なら、きっと良い仕入れができるよ」とも言ってくれた。
私としては、多くの人に守られてる気がした。
この状況がかなり先まで続くだろうし、悪化しないように世界中が願っている。
by mikiris
第195回(2016年3月1日)*琉球のやちむん
沖縄で陶磁器のことを「やちむん」と言う。
沖縄独特の焼き物を登り窯で焼く。
現在も登り窯でやちむんを焼いていて、本土のギャラリーでも展示会が催される。
知り合いの骨董店主達は面白い品を探しに度々沖縄へ行ってる。
私達も古い時代のやちむんを探しに沖縄へ行った。
←やちむんのシーサー(那覇国博)
やちむんの歴史は縄文時代から始まり、荒削りな素焼きの焼き物が出土している。
←瓦
琉球は早くから近隣の国々と交流があり、貿易も盛んだった。
12世紀頃に輸入した土器、高麗、安南の焼き物も発掘されている。
イリスで和菓子を食べる時に使ってる16世紀の明朝の緑釉皿も展示してあった。
親しみを感じて、ちょっと嬉しい。
←15-16世紀の陶磁器
釉薬をかけた陶器は食器に使われ、素焼きの物は荒焼き(アラヤチ)と呼ばれて
穀物や酒を保存する容器に使われた。
←やちむん
泡盛も荒焼きの甕に入れており、国内外へ献上品、贈答品として使われた。
荒焼きの甕が東南アジアや大名屋敷の跡地から見つかっている。
那覇の博物館で詳しく歴史を知ることができる。
←那覇の沖縄県立博物館
博物館では縄文時代からの沖縄の歴史と自然が展示されている。
館内は撮影OKで、古陶、文書、石もある。
←マングローブ
←蛍光の石
沖縄の焼き物は壺屋が良く知られている。
それ以外に、喜名焼き、ちばな焼き、わくた焼き、八重山焼き、こがち焼きがある。
1680年に琉球政府は島内の主だった窯を那覇の壺屋に集めた。
70年代になって登り窯からの煙に住民が苦情を申し立てた。
登り窯はガス窯になり、現在も那覇の壺屋通りではガス窯で焼く窯元が存在する。
「ガス窯は嫌だ」という陶工達は読谷村へ移った。
この辺りは陶工達が那覇の壺屋通りに移転する前に喜名焼きの窯があった。
2003年の発掘調査で窯跡が見つかっている。
←読谷村のシーサー
一時期、沖縄の焼き物は本土からの薄手の焼き物に押されて産業が縮小され、危機的な状況もあった。
大正時代に柳宗悦や浜田庄司らの民芸運動で人気が盛り返した。
厚手の生地にぽってりした釉薬のやちむんは日本版スリップウェアの様。
←やちむんの里
今から15年前に清水坂の陶器市で買った焼き物がやちむんに似ている。
真夏の陶器市の日、すごく素敵な焼き物を並べている店があった。
スリップウェアを作る作家さんだったが、作品はやちむんにも似ている。
その時に買い求めた数点の食器は毎日使ってて、大好き。
←読谷村の登り窯
色々な焼き物の原点に通じるやちむん。
読谷村には大きな登り窯が4基あり、現在も使われている。
←登り窯の中
やちむんの里の近くに名将、護座丸の作った座喜味城がある。
←座喜味城跡全景
←座喜味城跡
←座喜味城跡
城跡の入り口に読谷村立歴史資料館がある。
沖縄の厨子甕展を開催中でした。
←厨子甕
厨子甕は全骨を納める箱型の骨壷。
夫婦一緒とか家族一緒に納める家もあり、厨子甕は立派で大きい。
沖縄のお墓は厨子甕のような形で、墓地は小さなお寺が集まってるように見える。
京都だと、骨の一部だけを骨壷に入れるので、高さ20cmくらいの壺。
それが中サイズで、もっと小さなサイズを選ぶ人もある。
お墓に入れるときは骨を壺から白い布袋に入れ替えて、早く土に帰るようにする。
地方によって風習はいろいろ。
護座丸は城作りの天才と言われて、勝連城を見張る位置に中城も作っている。
難攻不落だった今帰仁と座喜味城を踏まえて、3種の石組みを使った細長い城。
石積みの種類は布積み(豆腐積み)は四角い石をきっちり重ねた積み方。
あいかた積み(亀甲乱れ積み)は形の違う石を隙間無く積む。
野面(のづら)積みは整わない丸い石を重ねる積み方。
←中城城跡
←城跡と中城ホテル
隣に中城ホテルの廃墟がある。
バブルの頃に建築が始まり、途中で中止になり、
城跡が世界遺産になった為に通り道がなくなり、にっちもさっちもの状態。
護座丸さんの事は書くと長くなるので、省略します。
12世紀から15世紀の中世の頃に琉球が統一されていく過程は興味深い。
沖縄の城は石組みが美しく、かつては数百の城があったが、残っているのは少ない。
座喜味城から見える日航アリビラホテルに泊まった。
←日航アリビラを中庭から、座喜味城から
この日はオスプレイやステルスが飛び交っていた。
←ホテルのベランダから空と海
部屋は8階のプレミアム・オーシャン・ツインで中庭と海が見える。
←8階の部屋から
口コミサイトでは沖縄の食材を使った料理やフレンチトーストの評価が高い。
期待は裏切られて、和食、フレンチ、和洋中のビュッフェ・レストランは???だった。
建物も部屋もアメニティもスタッフも、他は全部良かったのに、料理が残念。
←和食レストランで夕食
「口コミでレストランが美味しいと書いた人、レベル低いな~」が正直な感想。
ホテルはニライビーチに面している。
1日に2回干潮と満潮があり、潮の満ち引きの差が大きい。
干潮になると、満潮の時には遠くの海の中だった岩へ歩いて行ける。
←ニライビーチ
干満の差が大きくて、取り残されないように注意が必要。
岩と岩の間を通り抜けて散歩する私。
足場がさんご礁なので、へっぴり腰です。
←干潮の岩の間
沖縄は豚肉料理が美味しい。
素材の豚はアグー豚、紅豚、島豚。
嘉手納基地の近くにある「がんじゅうファーム」で遅めのランチ。
友弥人は骨付きロースステーキ、私はスペアリブのオレンジ煮。
メチャ美味しいし、メチャ安い!
食事が終わったのが2時半、この日の干潮時刻は2時40分。
早速、目の前の渡具知ビーチに出て、ハート岩まで散歩。
足元の珊瑚礁では見る見るうちに水が引いていく。
←がんじゅうファーム
←ランチの前には水の中のハート岩
←どんどん水が引いていく
←ハート岩に到着
←珊瑚の死骸で白い海岸
沖縄は今回で3回目。
最初は江戸中期の琉球漆器の調査を兼ねて行ったが、沖縄の魅力にはまってしまった。
歴史、文化、自然があり、土地の美味しい物が沢山ある。
大阪から飛行機で2時間、島内は道が整備されてるのでレンタカーで動きやすい。
沖縄は日本だけど、琉球語もあり、英語表示も多いし、ちょっと外国みたい。
沖縄人はウチナンチュ、私達本土の人はヤマトンチュ。
単語の発音が可愛い。
琉球語を話すのは無理だけど、少しずつ単語を覚え中です。
漢字も正確な読み方をするように気をつけてる。
車のナビに入れるカタカナが琉球語の読み方じゃないと反応しないから。
やちむんの里のある読谷村は「よみたにむら」ではなく「よみたんそん」
世界遺産の今帰仁(なきじん)や斎場御獄(せーふぁうたき)も正確な読み方が重要。
読み方がわからなければ道に迷って誰かに尋ねても???
カーナビは今も、電話番号入力に頼ってる。
沖縄県のレンタカーは2015年2月に「れ」ナンバーが登場した。
「わ」ナンバーより「れ」ナンバーの車の方が新しい。
←覚えやすいナンバーでラッキー
お土産はいつもシークワーサーの原液と黒糖。
今回は折りたたみの保冷バッグ持参でソーキとラフテーも。
ソーキは沖縄産の豚を軟骨ごと煮詰めた角煮のようなもの。
お湯で脂を落としてから泡盛と黒糖を入れて煮る。
透明になった骨も食べられる。
カルシウムとコラーゲンでお肌ツルツルです。
by mikiris
第196回(2016年4月1日)*18世紀のベルギーレース
1831年1月20日にレオポルド1世を国王に迎えて、ベルギー王国が独立した。
オランダ語を話すフランドル地方の一部、フランス語を話すワロン地方、ドイツ語を話す東の地方がベルギー王国になった。
ベルギーという国ができるずっとずっと前、中世の頃はフランドル地方のブルージュがヨーロッパの一大都市だった。
古くから商業、芸術が発展した美しい水の都だった。
「フランダースの犬」の大聖堂がある町、アントワープは16世紀から貿易港として栄えた。
フランドル地方は繊維産業が盛んで、様々な織物やレースが作られた。
江戸時代に日本に来た織物、タピスリーは祇園祭の鉾や山の飾りに使われている。
ブリュッセルのサンカントネール博物館には同じようなタピスリーが展示されてる。
神話や歴史の話を織り込んだタピスリーは屋敷の壁飾りだった。
織物はタピスリーだけでなく、レースも盛んに作られた。
小さな村の広場に子供から大人まで集まって、ボビンレースを作った。
ボビンレースはクッサンという台の上に型紙を置き、ピンを立てて、その隙間に糸を重ねていく織物。
村や町によって技法もデザインも違う。
ベルギーの南部、フランスに近いバンシュ村のレース、バンシュ(Binche)は希少なレース。
雪の結晶の形の美しい模様が入ってる。
小さな村の優秀な職人達は仕事の多い、もっと大きな町に移動したと推測する。
1750年頃のバレンシエンヌのレース、ブリュッセルのレースに同じ技法が入っている。
初期のバンシュはイタリア北部のレース、ミラネーズを見よう見真似で作ったような作り。
←1700年頃のバンシュ
ギンプを使わず、細い糸を密に織ったり、透かしたりして陰影をつけている。
ほどなく、独自の技法、デザインに発展する。
←1715-30年のバンシュ
同じ頃のレースでフレミッシュ・ボビンレースがある。
Cinq trous(five holes)グラウンドを入れてるのが多い。
←フレミッシュ
オランダのポテンカント(Potten Kant)に似たアントワープはKat stitch(キャット・ステッチ)を使う。
ポワン・ド・パリでも使われている技法。
左は1660-1690年のアントワープ。
右は18世紀前半から中頃のアントワープ。
←アントワープ
ベルギーの首都ブリュッセルを中心にした地域をブラバント地方と呼ぶ。
デザインの美しい18世紀のブラバント・レース。
←ブラバント
初期のブリュッセルは優雅で美しいデザイン。
←1720年頃のブリュッセル
ドロシェル・グラウンドとフォン・ネージュを使ったブリュッセル。
←18世紀中頃のブリュッセル
ブリュッセルの少し北の町、メッヘレンは18世紀にレース産業が盛んだった。
諸事情があり、19世紀にはレース作りをやめている。
18世紀初頭と中頃ではデザインが変化している。
←1720-30年のメッヘレン
←1740年以降のメッヘレン
細い糸で織った羽衣のようなレースはフランスの宮廷で人気があった。
ルイ王朝の肖像画を見ると華やかにレースを付けた衣装を着ている。
ベルギーから輸入するレースの代金が国庫に負担になる程だった。
1789年、フランス革命によりルイ16世が処刑され、ブルボン王朝は崩壊した。
宮廷に集う人達が飾っていたレースは贅沢品で敵とみなされ、燃やされ、処分された。
ベルギー側としては、顧客がなくなり、大損害。
作っても売れないので、レース産業は縮小。
1700年代末から1800年初頭のベルギーレースに優品がないのも理解できる。
この頃、英国は産業革命の後、工業化が進んで経済が飛躍的に発展したジョージ三世の時代。
そして1837年から1901年は火の没することの無い国と言われたビクトリア女王の時代。
フランスに代わって英国がベルギーレースの顧客となった。
縮小していたレース産業は以前より拡大して、技法もデザインも華やかに進化した。
19世紀の華やかなベルギーレース、薔薇の花や動物をあしらったデザインも素敵だが、
個人的には1700年代前半のバンシュやブリュッセル、メッヘレンが好き。
これらのレースに使ってあるフォン・ネージュ(スノーウイ・グラウンド)に魅力を感じる。
丈夫な麻糸を取る原種が絶滅したので、同じ物は再生できない。
レースを見て、遥か昔の異国で人々が織っている様子を想像する。
何度見ても、すごいな~、とため息が出る。
by mikiris
第197回(2016年5月1日)*JR飯田線は単線の鈍行列車・・Part1
JR飯田線は愛知県の豊橋から静岡県を通って長野県の辰野を繋ぐ路線。
単線の鈍行列車で、最初から最後まで乗ると6時間かかる。
南アルプスの山の中を通り抜ける列車で、他の乗り物で行けない場所、美しい景色の中を走る。
←天竜峡駅の飯田線
天竜峡駅は全工程の真ん中くらいにある天竜川沿いの駅。
飯田線は単線だけど、この駅には離合する為の線路が何本かある。
線路の先を見ると、集合して単線になってる。
←先で単線になる
天竜峡駅の隣の駅、「千代」「金野(きんの)」と「田本(たもと)」「為栗(してぐり)」「中井侍(なかいさむらい)」「小和田(こわだ)」は秘境駅。
山の中で崖に面した駅、近くに人家がない駅、明治時代の駅舎もある。
秘境駅巡りの旅も楽しいだろうけど、駅で降りたら次の列車がくるのに1時間待ち、なら良いほう。
私達は車で京都から名神ー中央道、全長8km以上の恵那峡トンネルを通って天竜峡駅に到着。
駅前に車を停めて、観光案内所で散策の地図をもらう。
天竜川を挟んだ散歩道があり、ゆっくり歩いて1時間。
←駅前の観光案内所とマップ
しだれ桜やツツジの花、小さな神社、碑を見ながら茶色の散策路を歩く。
←ツツジとしだれ桜の遊歩道
天竜川に着くと、そこは峡谷。
巨大な花崗岩が天竜川に削り取られてスケールの大きな景色ができた。
大きな岩には名前がついてる。
←龍角峯と峡谷
龍角峯は天竜川に住む龍が天に昇る時にできた岩。
吊り橋の名前はツツジ橋。
←ツツジ橋
歩くと少しはゆれるけど、しっかりした橋なので怖くない。
展望台から天竜峡を見た絶景。
←天竜峡
姑射橋(こやきょう)を渡って駅前に戻る。
これが1周ルートで1時間。
←姑射橋から駅と電車をチェック
天竜峡から車で20分の阿智村、昼神温泉で一泊。
昭和のトンネル工事の時にお湯が湧き出してできた新しい温泉地。
←山に囲まれた阿智村
昼神温泉への道には白、ピンク、紅色の八重桜のような花が満開。
←花桃の道
よく見ると1本の木に3色の花が咲いてる。
桃の木だけど、花を楽しむ花桃の木。
夏に食べる美味しい桃ができる木は実桃の木。
←花桃
昼神温泉は一周しても1時間の小さな温泉地で川沿いに旅館が何軒も並ぶ。
←川沿いの散策路
宿泊した日長庵桂月は高野槙のお風呂が素敵な宿。
←三間続きの部屋
部屋には桧のお風呂があったけど、露天じゃないのでパス。
高野槙(こうやまき)の露天風呂と大浴場へ4往復した。
何時入っても、誰も居なくて貸切みたい。ラッキー!
カメラ持参でウロウロしても大丈夫。
←内湯と露天風呂
お湯の質はph値9.7で、お肌がツルツルになる。
大浴場は24時間入れるので、朝5時にお風呂に入って源泉の蛇口の下に座って、ツルツルにな~れ。
←夕食と朝食(右下)
夕食のメインは豚しゃぶだけど、鯉の味噌煮が美味しかった。
色々と出て、お腹いっぱい。
翌朝、徒歩5分の所の朝市へ。
朝市は毎日、6時から8時まで開催されてる。
←朝市
地元の野菜、フルーツトマト、葉っぱ類、市田柿、漬物など、生産者が販売する朝市。
←こごみ、花桃の苗、クリスマスローズ
私の大好きなこごみがあった。
旅行には保冷バッグ持参で行くので、要冷蔵の品でもOK。
キノコ類、葉っぱ類、半生の黒いお蕎麦と温泉饅頭を調達。
温泉饅頭はカスカスの不味い物のイメージだったけど、早朝3時から蒸かした手作り饅頭は美味しい。
作りたてを販売して、賞味期限が3日と、保存料も防腐剤も入ってない自然の味。
←温泉饅頭と挽きぐるみの蕎麦
お蕎麦は「挽きぐるみ」で蕎麦の殻がついたままの玄蕎麦を引いた黒い全粒粉で作った蕎麦。
白い更科蕎麦より、こっちの方が味も香りも好き。
飯田線の沿線には多数の温泉地があり、昼神温泉はあまり知られてないと思ってた。
ここ数年、旅行に行って宿泊客は私達1組だけというのが続いてたので、10組もお客さんが居てびっくりした。
他の旅館も賑わっていて、お客さんは年配の個人客が中心で、子供や外人の団体は居なかった。
阿智村は人口が少なくて、夜の灯りがなく、日本一暗い村だった。
山の中の村で、夜になると真っ暗なので、星が綺麗。
今は星空観測の人で賑わっている。
晴れた日なら満点の星に、天の川も見える。
私達は晩御飯でお腹いっぱい、お風呂で温まって、夜8時にバタン・キュー。
翌朝は5時に起きられたけど、、、
次回、獅子座流星群の頃に来て、星空観測をしてみたい。
←恵那峡SAで雪山が見えた
さて、旅のメインイベントは「沖縄の工芸展」。
瀬戸の愛知陶磁美術館で4月16日から6月19日まで開催。
沖縄の博物館だけでなく、東博や他の美術館、個人蔵の琉球の漆器、陶磁器、ガラスが展示される。
←沖縄の工芸展
常設展の世界の陶磁器は4月1日より展示替えされた。
日本の陶磁器のコーナーでは陶片が多数展示してあり、土の感じ、高台の形が良くわかる。
ちょうど学芸員の方が展示について関係者らしき人に1点ずつ説明していた。
耳をダンボにして聞きながら展示品を観覧して、勉強になりました。
←愛知陶磁美術館の庭
飯田線沿いの温泉巡りはしばらく続きそう。
by mikiris
第198回(2016年6月1日)*JR飯田線は単線の鈍行列車・・Part2
JR飯田線は愛知県の豊橋から静岡県を通って長野県の辰野まで、6時間の行程。
宇連川沿い、天竜川沿いを1時間に1本の割合で走る。
沿線に小さな温泉地が点在している。
前回は天竜峡の昼神温泉だったが、今回は奥三河の湯谷温泉へ、車で行った。
スローな鉄道の旅をするには修行が足りてません。
新東名高速道路が開通したので、伊勢湾岸道からスッと入れて便利になった。
新しくできた道はアスファルトがピカピカ、トンネルの中でもパーッと明るい。
←新東名高速道路
途中、デラックストイレが一押しの刈谷オアシスに寄り道。
総工費1億円、女子トイレがホテルのロビーのように豪華。
フカフカの絨毯が敷いてあって、中央に花のギャラリー。
周囲に個室があり、木製の扉が並んで、まるでロッカー室。
男子トイレは植物のある中庭に向いて便器が並んでる。
イリス店主いわく、「立ちション気分」
←岡崎SA
出来立ての岡崎SAは八丁味噌と家康がシンボルになっていて、本陣をイメージした建物。
男子トイレは馬の厩舎の形らしいけど、入って無いのでわかりません。
←新城SAの足湯
新東名の新城インターで下り、新しく出来た道の駅へ、ここには足湯がある。
地元の新鮮な野菜、珍しいのも色々あって、安い!
変わった稲荷ずしがあり、鰻やイクラ、上に具が乗ってる。
←新城SA
ここからは、JRの飯田線沿いに別所街道を進む。
飯田線の湯谷温泉駅は無人駅。
単線なので、プラットホームの前は梅林。
←湯谷温泉駅
奥三河の湯谷温泉は1300年前に利修仙人が見つけた温泉で、鳳来峡の宇連川沿いに温泉宿が並ぶ。
←駅前通り
旅館ひさごは8室だけの民宿みたいな宿。(エレベーターはありません)
入り口で猪が迎えてくれて、火縄銃のコレクションが展示してある。
←猪と火縄銃コレクション
部屋は広いけど、トイレが後付けで、川側のサンルームの横にある。
←部屋のサンルーム
お風呂は地下にあり、大きなお風呂と小さな貸切半露天風呂がある。
川に面した半露天風呂のまん前の木にトンビが何羽も留まってる。
ピーヒョロローという声を聞きながら半露天の貸切風呂に浸かる。
お湯は黄色い透明のお湯。
←貸切半露天と大浴場
旅館前の森にはトンビが100羽ほど巣食っていて、毎朝、イベントで餌やりがある。
旅館の人が部屋に来て、ベランダから鶏肉を投げる。
←トンビの巣がある森と宇連川
トンビが目の前をすれすれに飛んで、空中で餌をキャッチ。
←餌付け
この辺りは猪と山菜、山女が名物。
夕食はボタン鍋にした。
4人前はある猪肉と大皿2皿の野菜やこんにゃく、豆腐。
お造りや筍御飯、ちょっとした珍味も数皿あり、盛り沢山。
ボタン鍋の味噌にコクがあって、とても美味しかった。
←ボタン鍋
(3月末までボタン鍋、春は山菜と山女、初夏から鮎料理)
鳳来寺山の近辺はトレッキングコース。
ハードな山登りで4時間コース、軽く登るコースもある。
私達は朝食後の散歩で川沿いをぐるっと1時間散歩した。
←宇連川沿いの散歩道
1300年前に見つかった歴史のある温泉地だけど、宿の数も少なく、ひっそりしている。
こんなとこ、大好きです。
冬でも車で行けるそうなので、いいとこ見つけた!
by mikiris
第199回(2016年7月1日)*ローマ人のように
郷に入れば郷に従え、はフランス語だとA Rome, fais comme les romains.
ローマではローマ人のように振る舞え。
どの国に行っても、土地の人のようにするべし。
京都は一年中、観光客が絶えない。
先日も京都駅の伊勢丹のレストランに行ったら、周りに座ってる人の半分は外人。
アジア系の人は滑舌激しく、声も大きい。
もうちょっと、京都風に静かにできひんか?
個人旅行の人達は気遣いがあり、私がチラ見すると大人しくなる。
良しよし。
国内旅行だと、車で京都に来る人も多い。
土日、祝日は他府県ナンバーをよく見かける。
ナビを見ながら走ってるのか、右に行くのか、左に行くのか、ユラユラ走る車。
急に指示器も出さずに止まったり、曲がったり。
ひどいのは道の中央で止まる車も。
周りに迷惑になるような運転をしたらダメだよ。
私達はヨーロッパでレンタカーを借りて各国を回る。
オランダの空港で借りると、黄色いオランダ・ナンバーの車。
黄色ナンバーでEU圏内を走っても問題ない。
オランダ人は規則を守って、運転マナーが良いから。
パリで借りると白地に黒文字、左にフランスのF、右にパリの郵便番号の75が書いてある。
フランス国内をこのナンバーで走ると嫌がられると言うか、避けられる。
パリナンバーは運転マナーが悪いと認知されてるから。
残念ながら、パリ市内は運転マナーが良かったらやっていけない。
パリを一周する環状線は4車線~5車線の道路でグルグルと周回する。
出口に近づくと根性を出してグーッと左に寄らないと出られない。
新たに環状線に入ってくる車、出る車が5車線をスケートのように右へ左へ移動する。
これは行ったもん勝ちで、気の弱い人、マナーを守る人は何周もするはめになる。
パリ・ナンバーでベルギーへ行くと、ミスを大目に見てもらえる。
ベルギーの車が遠慮して避けてくれる。
ベルギー人はフランス人に弱い。
オランダ人は几帳面なので、パーキングスペースの枠内に入れる。
車の大小にかかわらず、綺麗に揃えて駐車する。
そのあたり、日本人と同じ。
ベルギーは全然、気にしてない。
車のサイズにかかわらず、駐車場を2台分使ってたり、その隣の車は境界線をまたいで停める。
その隣も隣も境界線が車の中心に来る様な停め方。
時々、スペース内に停める車もある。
斜めに停める車もあるし、何度か切り替えして、綺麗に停めようという気がない。
A Rome, fais comme les romains、私達もベルギーではベルギー風に運転する。
ベルギーの車は白地に赤い文字で左にBと書いてある。
これでオランダやドイツへ行くと見下されてる気がする。
ベルギー・ナンバーでパリへ行ったことないけど、きっと、フランス国内へ入るだけでいじめられる。
←ブリュッセルのミディ駅
私達は最近、ベルギーの空港や駅で車を借りることが多い。
ベルギーはレンタカー代、ガソリン代が他の国より安い。
ついでに言うと、物価も土地も税金も安い。
レンタカーを予約する時に希望車種を言う。
←希望車種
あんまり小さな車だと、旅行鞄や荷物が乗り切らない。
大きな車だと、オランダの運河沿いに縦列駐車するのが難しい。
道が狭いし、柵が無いし、運河に落ちてる車をたまに見かける。
←運河沿いのパーキング
先日、ブリュッセルのミディ駅で車を借りたが、予約していた車がなかった。
今まで、予約していた車種だったことが一度もないので驚かないけど。
予定より小さい ヒュンダイ、予定より大きい ベンツ、この2台しか選択肢がない。
仕方が無いので、追加料金を払ってベンツにした。
←Bクラスのジーゼルターボ
借りたベンツは装備が揃い過ぎていて戸惑う。
雨が降ってきたら勝手にワイパーが動くし、雨量によって動きが変わる。
トンネルに入ったら勝手にライトが点いて、出たら消える。
車があたりそうになったらピピピピーと警告音が出る。
本当にあたりそうならブレーキがかかるらしい。
←ミディ駅から出発
26年間、ヨーロッパで借りるレンタカーは料金の安いオペルかゴルフ。
マニュアル車、カーナビ無しだった。
新車のベンツはオートマでカーナビ付き。
賢いカーナビはスピードが出すぎたら、何キロオーバーと表示して、ピーピーと音を鳴らす。
ガソリンスタンドやレストラン、ホテルを表示してくれる。
しかし、道を間違ったり、目的地の途中で寄り道すると、叱られる。
怖い怖い声で「Re-calculating、再計算しています」と何度も言って新しいルートを表示する。
←賢いカーナビ
旅の途中にドイツの町を何箇所かまわり、アウトバーンを走った。
ベルギーだとヒュンダイや三菱が走ってるけど、ドイツだとポルシェやワーゲン、BMWが多い。
市内はゆっくり走行でも、アウトバーンでは皆、飛ばす、飛ばす。
雨が降ると制限速度が100kmになる。
アウトバーンは制限120-130kmの場所が多いようだが、速度制限80km以上ならリミット無しの所もある。
車線の数が多くて、幅も広いけど、140kmで走ってる真横をシューンと抜き去られたら風圧を感じる。
時速200kmくらいで走ってるのかな?
←アウトバーンの速度制限と制限終了
初めてナビを使ったけど、便利で楽チン。
助手席の私は行き先をインプットするだけ。
今まではi-Padで地図を拡大したり、縮小したり、画面とにらめっこで景色を見る間もなかった。
ナビのお陰で景色を見て、写真も撮れた。
オランダではスピード違反取締りのカメラが山盛り付いてるので、皆さん、スピードを出さない。
渋滞が多いです。
イリス店主も以前にスピード違反に捕まって、帰国してから罰金が送られてきた。
ナビを使う楽チンを覚えると、地図帳やi-Padに戻れません。
イリス店主はオートマが楽だった様子でマニュアル車に戻れないかも。
←渋滞の高速
ベルギーの田舎風景はのどか。
教会を中心に小さな町が点在している。
古いレンガ造りの家が並ぶ。
←教会のある町
←運河沿いの町
←牧草地と羊
高速道路の景色は飛ぶように過ぎてゆく。
光と影のコントラスト、素敵な景色を目に焼き付けたい。
レンタカーがあると、郊外のホテルが便利。
17世紀に改装された田舎のお城ホテル。
←掘に囲まれたお城の入り口
本館の建物に受付、レストランがあり、上の階に宿泊できる。
周りの建物は昔は馬小屋や納屋だったところ。
2階建てになってて、2階の部屋はハイジの家みたい。
太い梁が通った屋根裏部屋。
食事が美味しいので、昼と夜のレストラン利用だけの人も多い。
私のお気に入りホテルで、去年に続いて2度目の宿泊。
←へールレンのホテル
レンタカーは借りた場所と別の場所でも返却できる。
鉄道のミディ駅で借りたのをブリュッセルのザブンテン空港で返却。
←ザブンテン空港
空港に到着すると、無事に仕入れが終わったとホッとする。
A Rome, fais comme les romains と思って行動するのも終了。
現地の人に溶け込むよう、常に気を付けていても、日本と大きく違う状況もある。
私たちは田舎の方へ行くので、日本人と初めて接する人とも会う。
国や肌色が違っても、仕事して、ご飯食べて、病気して、年取って、家族の事を気遣うのは同じ。
世界中、人間なら同じことをしてる。
A Rome, fais comme les romains気分で、ちょっと謙虚な心とちょっと思いやりがあれば、大丈夫。
by mikiris
第200回(2016年8月1日)*風土記のパワー
パワースポット巡りで出雲大社へ。
出雲大社は大国主命(おおくにぬしのみこと)をお祭りしてある。
因幡の白兎を助けた話が有名。
出雲大社の近くまで行くだけで、パワーを感じる。
パワーが噴水のように噴き出して、降りかかってくる。
←もうすぐ出雲大社
到着したら、宇迦橋を渡って、一の鳥居をくぐり神門通りを直進。
一の鳥居と二の鳥居の間に旧大社駅がある。(前に駐車場あり)
明治45年開業の国鉄の駅だが、廃線になり、駅舎と線路の一部が残っている。
駅舎は大正13年の建物。
←大社駅
二の鳥居前で左に折れて、出雲大社駐車場に車を置き、近道して本殿のある広場に。
無料駐車場があちこちにある。
←西駐車場から四の鳥居の中へ
←八足門と拝殿
出雲大社の境内から東にある吉野川を渡り、出雲教の境内へ。
←吉野川を挟んで大社と出雲教
出雲教の境内は広く、西の端に御三社、亀の尾の滝と天神社。
←天神社
境内を出て、ひっそりとした社家通りを通って古代出雲歴史博物館へ。
←社家通りから歴博へ
歴博はガラス張りの近代的な建物で京都国立博物館の平成知新館にデザインが似ている。
奈良時代に書かれた古代出雲風土記と発掘した出土品を参考に古代出雲を再現して展示してある。
最初に建てられた大社は高さ48mあり、その模型がある。
出雲大社、京都の下賀茂神社、伊勢神宮が一直線上にあるとは、初めて知った。
←黄矢印が人
可愛らしいジオラマの展示品も多数ある。
下の画像は登り窯で焼き物を作る様子と厨子甕を入れたお墓。
←歴博のジオラマ
青銅の鐘と太刀のコレクションがすごい。
重文と国宝の鐘の数に圧倒される。
←青銅コレクション
歴博は面白くて、あっという間に時間が経つ。
歩き疲れたら2階のカフェで庭と館内を見ながら休憩できる。
入場券でカフェは1割引き。
←2階のカフェ
歴博前にも駐車場があり、歩くの嫌いな人はここがお勧め。
歴博を出て西に行くと三の鳥居。
下画像は三の鳥居から二の鳥居方向の参道、本殿のある四の鳥居方向の参道を見た画像。
一の鳥居は石(コンクリ)、二の鳥居は木、三の鳥居は鉄、四の鳥居は銅で出来ている。
←出雲大社の庭園
宍道湖の横を通って松江へ。
出雲空港の他、空港が何か所かあるので、宍道湖の辺りで飛行機をよく見る。
←宍道湖に降りる飛行機
←宍道湖から松江市を見る
宍道湖の横を走って松江城へ。
私はお城の石組みが好きで、近くで見るのや触るのが楽しい。
松江城は打ち込み接(うちこみはぎ)の石組みが多い。
切り出した石の平坦な部分の角をたたいて、組みやすく加工した大きな石を積み、隙間を小さな石で埋める石組み。
←野面積みと打ち込み接
松江城では野面積み(のづらづみ)と切り込み接(きりこみはぎ)の石垣も見られる。
野面積みは自然の形の石をそのまま積んだ石垣で、大小の石がでこぼこしている。
切り込み接は綺麗な長方形に加工した石を積んだ石垣で、一般的なお城の石垣のイメージ。
大きな石にはマークが彫り込んである。
松江城を作るのに5年かかったが、そのうちの3年は石組みにかかった年数。
←石垣彫刻
北門は池の横にあり、時代劇のロケに使われそうな、雰囲気。
北門前の馬洗池には鷺が住んでいて、近寄っても逃げない。
さすがに頭を撫でたりはしなかったけど、できそうだった。
←一の門と北門
一の門から入ると本丸に近い。
←本丸入り口
松江城は東側を向いて建っているが、天守閣は南向きの美しい城。
場内に入ると、鎧兜が展示してある。
天守閣まで1階ごとに狭くなっていく。
←松江城
天守閣は四方が窓で全方向を見渡せる。
明治8年にお城の手入れができてなくて、ボロボロになり、天守閣が180円で競売、落札された歴史がある。
その後、地元の有志に買い戻されて、修復された。
平成27年7月に国宝に指定された。
←天守閣から宍道湖
松江城の横にある松江神社。
←松江神社
興雲閣は明治36年建築の洋風建築で、城内敷地の松江神社の隣にある。
←興雲閣
お城を出て、堀をわたると小泉八雲の家、武家屋敷が並ぶ。
←武家屋敷
松江歴史館で「松平不昧公の茶の湯と美術」特別展を開催中だった。
不昧公の書、茶道具、美術品の展示。
常設展は小判のレプリカやお殿様の食事も展示してある。
←松江歴史館
お城でお殿様が食べていた食事は地産地消。
春は白魚、秋は松茸ご飯、冬は穴子飯と美味しそう。
←四季の御膳
松江城を後にして、車で20分の神社へ。
神魂(かもす)神社は松江市の南、古代出雲に位置する神社。
近くには風土記の丘があり、縄文、弥生の遺跡や古墳が点在している。
時間があれば、古墳巡りも楽しそう。
←神魂神社
室町時代に建てられた本殿は現存する最古の大社造りで国宝。
日本書紀に出てくるイザナミノミコト、イザナギの尊を祭ってある。
イザナミノミコトが女で、イザナギが男。
女の神様を祭ってるので、本殿の屋根の形が出雲大社と違う。
山を背にした神社で、階段を上って境内に立つとパワーのプールに沈んでいる気分。
シーンとして、何もない。
社務所が開いている時は滅多になく、ここで御朱印がもらえたら本当にラッキー。
本殿の中の絵を絵葉書にして売ってるけど、残念、宮司さんは留守でした。
←柄杓もツクバイも素敵
←前が拝殿、後ろが本殿
境内の稲荷神社は桃山時代の建築で重要文化財。
風化した石の狐がいい感じ。
山の斜面の前にある石の台は「ひもろぎ(神様が降りてくる場所)」。
←稲荷とひもろぎ
神魂神社の印は「有」の字で十月を意味する。
出雲地方以外の日本中で10月は神無月だけど、ここは神在月。
日本中の神様が出雲大社じゃなく、ここ神魂神社に集まる、とも言われてる。
静粛でおごそかで、ここに来て良かった。
風土記の日本を知る旅の途中、玉造温泉に泊まった。
北陸からメノウの原石を運んで、ここで磨いて勾玉(まがたま)を作っていた。
玉造(たまつくり)温泉の名前の由来。
3室続きの部屋は広くて、清潔。
お風呂は大きなお風呂、ヒノキのお風呂、水風呂、露天風呂があり、いつも一人だった。
露天風呂の階段で大きく転んで、左半身で着地して、ウ~。
階段で足が上がってるつもりが、上がってなくてつまづいた。
幸い、特大の青染み以外はダメージがなく、安心した。
←玉造温泉の部屋とお風呂
新鮮な魚を食べたいので日本海の方向を選んだけど、温泉旅館の食事は普通。
宍道湖のシジミの澄まし汁は小型の蛤みたいに大きくてふっくらしたシジミも出汁も美味しかった。
←夕食、朝食
ランチは二日とも、高速のSAでお蕎麦だったし、シジミ汁以外の食がイマイチの旅。
その反動でお土産を沢山買ってしまった。
神魂神社近くのスーパーで合鴨農法の玄米、10割の出雲そば、宍道湖のシジミの佃煮。
トマトやメロン、キノコ、地元の野菜と丸いケーキで保冷バッグがいっぱいになった。
いっぱいのお土産は、自分で責任を取って消化した。
翌週、クリニックの検査結果を見たら、コレステロールと中性脂肪の数値が跳ね上がってました。
←出雲のお土産
by mikiris
第201回(2016年9月1日)*キッチュなアンティーク
キッチュはドイツ語で「悪趣味で品の無いもの」という意味。
長い間、キッチュという言葉を良い意味と思ってた。
私の服装や持ち物を「キッチュやね」と言われることが多かったし。
言ってくれた人もキッチュを良い意味にとってると思う。
近年、色々な言葉が別の意味で取られてる。
「全然」は昔は「全然、無い」とノーの意味だったが、今は「全然、有り」とイエスの意味でも使う。
「この格好、どう思う?」
「全然、イケてる」
「ヤバイ」は危機的な状況で使ったが、今は「素敵」や「喜んでる」等、OKの意味で使われてる。
ケーキやお菓子が美味しい時も「ヤバイ」
大ファンのアイドル歌手が来て、握手してくれたら 「チョー、ヤバイ」(嬉しい、どうしよ~)て感じか。
私なら、飛行機や列車に乗り遅れそうなら「時間がない、やばい」だし、
悪いことしてて(しないけど)、見つかりそうなら「やばい、逃げろ」
私にとってキッチュは「ちょっと変わってて、特別で、他に無い、面白いもの」。
キッチュ好きの私は、世の中に平凡な物しか無いときは自分で作る。
このバッグはピンクの籠バッグを見つけて、小さな動物たちをくっつけた。
5年くらい使ってるけど、あちこちで声をかけられる。
「そのバッグ、素敵やね。 自分で作ったの?」・・・・何で解るんやろ。
←自己流にアレンジした籠バッグ
毎日、キッチュな自分で居たいので、洋服や持ち物を買ったままでなく、自己流で加工している。
誰かと一緒はイヤなので、ほぼ全部の物を何かしら手を加えてる。
身に着ける物だけでなく、骨董もキッチュな物が好き。
骨董は加工できないけど、私と同じ好みの人が先人に数多く居たらしい。
←明治時代、猫の置物、肉球も!
明治時代にパリやウイーンの万博に出品された日本の工芸品は「ヤバイ」!
本物そっくりに作った木製や鉄製の蛇や伊勢海老。
陶磁器、象牙で作られた動物や果物、花。
明治時代に幹山伝七が作った幹山焼きの食器は日本画のようにリアル。
左のミニチュアカップは欽製で皇室用、小皿と土瓶は幹山精製。
右の土瓶は蓮の花、裏面は濃い紫の菖蒲の花。
←明治時代、幹山焼き
モチーフが美しい花鳥風月だけでなく、爬虫類や昆虫が参加してて、ちょっと変わってる。
それぞれが超リアルでエグイけど、美しい。
←明治時代、銘 忠義
江戸時代に刀の鍔(つば)や簪(かんざし)を作っていた飾り職人が明治に入り、銀細工の工芸品を作るようになった。
技術もデザインも一流で、日本へ来た外国人が持ち帰ったり、海外へ多数輸出された。
日本人の好みに合わなかったようで、国内にはあまり残ってない。
同じ頃にヨーロッパで作られた物はキッチュな物は無いけど、素晴らしい銀の工芸品がある。
銀は他の金属より加工しやすく、現在も彫金でアクセサリーを作ったりするけど、仕上がりが美しい。
←1896年、英国
1765年にトーマス・フリーマンが製作した砂糖菓子篭、ボンボニエールは日本の銀細工に通じるものがある。
題材に植物、果物、昆虫を用い、実物そっくりに作ってある。
このように作家が特定できる物はランクが高い。
←1765年、Thomas Freeman
ゴールドスミス&シルバースミスのコンポートは手作業で穴を開けて、磨いて作る。
この技法はHand pierced(ハンド・ピアスト)で、ヨーロッパで広く使われた技法。
薄くした銀板に複雑な模様を開けるの熟練したアーティストの仕事。
工房の刻印は入るが、職人の名前は入らない。
←1900年、Gold Smith&Silver Smith
銀器の加工は一枚の銀板を叩いて、形を整える方法、
溶かした銀を型に流し込んで鋳物として作る方法、
機械でプレスして作る方法がある。
オランダでは細い銀線を編みあげる銀線細工の籠、小箱、飾り物を作った。
←鋳物製と銀線細工、ドイツ・オランダ
模様の付け方はたがねで叩いて銀を傷つけてデザインにするブライト・カット、
←1796年、ブライトカット
銀板をカットして穴を開け、磨いて滑らかに仕上げるハンド・ピアスト、
←1900年、ハンド・ピアスト
別に作った花や昆虫のモチーフをくっつける方法がある。
銀は高価な物だったし、ダウントン・アビー(イギリスのTVドラマ)のような屋敷で使われていて、
食器棚には鍵が掛けられていた。
鍵は執事が管理する。
ヨーロッパの古い家具には取っ手が無い。
鍵を差し込んで、鍵を取って代わりにして扉を開ける。
鍵に房飾りのキー・タッセルを付けた。
←19世紀、オランダの家具
銀が好まれたのは食器として使うと、何種類かの食材に反応して変色するから。
ヨーロッパでは中世、近世に渡って毒殺が心配されたので、銀食器は毒殺防止に役立った。
肉や卵の蛋白質でも変色するけど、即、変色ではないし、色も少しだけ。
銀をピカピカに保つように管理するのも執事の仕事。
執事の居ない我が家では誰が銀を磨く?
もちろん、私。
4月になったら磨こう、5月には絶対に磨こう、と思いつつ、ダラダラと日が過ぎた。
7月に入って 「もう、アカン。 展示会に間に合わへん」
お尻に火がついて、やっと磨き始めた。
1か月かかって1200点磨きました。
最近は水とスポンジで食器洗い式の銀磨きのペーストがある。
ペーストで洗ったあと、水で洗い、タオルでギュッ、ギュッと拭く。
準備は大変だったけど、整いました。
店のギャラリーで80点のアンティーク・シルバーの展示会。
奥の部屋では日常に使える19-20世紀前半の銀食器1100点を展示即売します。
キッチュというより、う~ん、スゴイと言うようなのがあります。
ご来店をお待ちしています。
by mikiris
第202回(2016年10月1日)*ブラフシミ
伏見は「お稲荷さんのある所」として知られてる。
京都市の南の方に位置する伏見は伏水とも言われ、水の綺麗な土地で、酒蔵、蔵元が17軒ある。
豊臣秀吉が伏見城を築城して、貿易や商業の拠点とした町。
1614年、角倉了以によって京から伏見まで高瀬川が開かれ、十石舟で材木や酒樽を運んだ。
京-大坂間を結ぶ流通の重要な航路であった。
京都市役所の近く、木屋町二条の一之船入に酒樽を積んだ高瀬舟の見本がある。
←一之船入の高瀬舟
今年の5月7日に放送されたブラタモリは「京都の伏見が日本の首都だった?」というテーマ。
ブラタモリの伏見版を企画協力したのが、経済学部のゼミの後輩。
番組で使われなかったお勧めの所、グルメも含めて後輩君が大人の遠足をアレンジしてくれた。
参加したのはゼミの先生と奥様、近くに住む卒業生22人。
後輩君は伏見の住人で、仕事柄、地域の歴史に詳しい。
現在の伏見は「京都市伏見区」だが、以前は「伏見町」から「伏見市」だった。
京都市に組み込まれたのは1931年(昭和6年)。
しかし、古くからの伏見住民は「京都市と伏見は別」と鼻息は荒い。
京都の中心に住む私としては、伏見は京都の一部、なんだけど。
説明を聞いて、散策して、底力を見た。
鳥羽伏見の戦いで焼野原になったのが復活して、古い町並みと酒蔵が並ぶ。
上質の水に恵まれて発展した町。
←中書島駅
京阪電車の中書島駅で待ち合わせして、十石舟乗り場へ。
駅から歩いて3分程、長建寺の横を通り、弁天橋を渡る。
この辺りは昔、中書島遊郭だった。
←長建寺
←弁天橋から十石舟
舟は桜並木の遊歩道と酒蔵に挟まれた川を進む。
←伏見城の外堀
月桂冠を造ってる大倉本家の酒蔵が見える。
←伏見の酒蔵
蓬莱橋、京橋をくぐって高瀬川との落合地点。
幅2Mの入口から十石舟が高瀬川を登って行った。
手前が伏見城の外堀、柵の向こう側に高瀬川へ行く水路がある。
←高瀬川との落合
←いくつもの橋をくぐる
伏見城外堀と淀川をつなぐ水路は大阪からの物資を京都に運ぶ他、人も移動した。
淀川と外堀の間に三栖閘門がある。
堀と宇治川の水位が違うので、舟を閘門の間に入れて水位を調節する。
三栖閘門はパナマ運河と同じ方法。
三栖閘門が建設されたのは昭和4年(1929年)。
淀川とつながる宇治川は度々氾濫して、伏見一帯は水の被害にあった。
堤防と三栖閘門が水害を防いだ。
しかし、電車による陸路が発達して、三栖閘門が実働したのは4-5年間だった。
閘門はメンテされてるが、50年以上使われてない。
←三栖閘門
閘門資料館で舟を降りて、中を見学。
←資料館と機械室
この窓の所に閘門の開閉を動作する機械があった。
←資料館の模型
明治時代は外輪船が航行していた。
←埋め立て前の中書島
階段で閘門の上まで行き、宇治川を見る。
←大阪湾へ通じる宇治川
舟を降りて、外堀から酒蔵が見えた月桂冠大倉記念館へ。
←杉玉のある入り口
←伏見の街並み、寺田屋
街を散策して寺田屋の前を通る。
寺田屋は江戸時代末に坂本龍馬が伏見奉行所の侍達に襲撃された旅籠。
危機一髪で逃げられたのは、旅籠の前が外堀に通じてるから。
←おきな屋
伏見の酒蔵、北川本家へ。
江戸時代、1657年創業の蔵元で、14代目の当代はゼミの後輩。
蔵元直営の店では原酒の量り売りがあり、瓶に詰めて、ラベルを貼ってくれる。
出来立ての酒粕は柔らかくて甘いし、梅酒を漬けた梅もある。
←北川本家の酒蔵
大人の遠足なので、日本酒を試飲。
普段はお酒を1滴も飲まないし、好きでもないのに、ここでしか飲めない原酒もあり、
「美味しいわ~、美味しい」 とあれこれ味見の繰り返しで5杯も飲んでしまった。
「ひやおろし」は辛口、山廃は香が広がって、一番好き。
大吟醸は飲みやすい。
山廃と大吟醸をミックスしてもOKと許可を得て、やってみたら良かった。
←日本酒の後は梅酒でくくる
酒造りの様子を描いた日本画が飾ってある。
←酒の仕込みの様子
昼食は近くの清和荘で。
数寄屋造りの建物で手入れの行き届いた庭を見ながらの食事。
←清和荘の庭
毎年、敬老の日は先生宅に生徒たちがお邪魔していたが、昨年から大人の遠足になった。
昨年は奈良の春鹿醸造元と今西家書院へ行った。
ゼミの後輩の親戚なので、特別に酒造りの見学ツアー、大きな木の樽や金属の樽も見た。
今西家書院は室町時代初期の書院造りで重要文化財。
書院でのランチはコース料理に合わせた春鹿のお酒が順に5種類ほど出た。
先生御夫妻はゼミの卒業生達のお父さん、お母さんのような感じ。
先生を囲んでの集まりが楽しいので、年に何度も集まりがある。
総会、東京会、九州会、ゴルフ、遠足の他、卒業年度毎の同期会。
月に1回では収まらない。
引っ張りだこで忙しいとは思うけど、私達の学年も同期会を計画中。
いつまでも元気でいて欲しいです。
by mikiris
第203回(2016年11月1日)*神様が住んだ島
沖縄の中部にある勝連城跡からローマ時代のコインが発掘され、琉球と遠い異国が交流していたことが解った。
誰が、なぜ?とかは今後の調査報告が楽しみ。
勝連城跡から東海岸を見ると小さな島が4つ並ぶ。
←浜比嘉島
4つの島は海中道路で繋がっていて、本島から一番近い平安座島まで5㎞。
そのまま車で20分走ると、一番遠い伊計島に到着。
伊計島には綺麗な伊計ビーチがある。
←海の駅
橋の途中に海の駅があり、地元の野菜や土産物の販売、レストランがある。
展望台から見る海の色は格別。
←海中道路
最初の橋を渡って、右に見える1.3㎞の橋を渡ると浜比嘉島。
浜比嘉島には神話が残っている。
日本の神話のイザナギの尊、イザナミの尊に匹敵するのが、沖縄のアマミキヨとシネリキヨ。
この二人が久高島に降り立ち、浜比嘉島のに住んだのがシルミチュー。
海中道路を渡って左へ行き、アマミチューの墓を右折、細い道を進んだところ。
マリーナと公園の駐車場がある。
鳥居をくぐって、階段を登ると鍾乳洞があり、そこが住居だった。
5人の子供に恵まれて、一人は琉球の王になった。
←シルミチュー駐車場
←シルミチューの洞窟
アマミチューはアマミキヨとシネリキヨ、二人のお墓が在るところ。
マリーナ横の駐車場から見たお墓の小島。
引き潮だったのでキノコ岩が見えている。
干満の差が2Mくらいありそうで、満潮だとお墓に行けなさそう。
←お墓のある島
←引き潮の浜を歩いてお墓へ
アマミキヨとシネリキヨの二人が降り立った久高島は本島南にある斎場御嶽の岩の間から見える。
斎場御嶽(せーふぁうたき)は琉球王国最高の聖地でお祈りの場所。
かつて、琉球王国の時代には儀式の時に久高島から白砂を運んで、御嶽全体に敷き詰めた。
今も色々な神事がこの場所で行われている。
大きなパーキングがあり、道を渡って御嶽の入り口までは舗装した道。
御嶽の御門口から石畳と土の道を歩く。
←斎場御嶽(せーふぁうたき)
大庫裡(ウフグーイ)は首里城んお大広間と言う意味で拝所。
分かれ道を左に行くと寄満(ユインチ)・・海外からの交易品が集まる場所。
←寄満(ユインチ)
分かれ道を右に行くと三庫裡(サングーイ)。
←サングーイの巨大な三角岩
大きな鍾乳石の三角の隙間から久高島が見える。
久高島は国造りの神様が降り立った神の島、ニライカナイと言われている。
←三角岩の向こうに久高島が見える
4度目の沖縄は展覧会、骨董品の仕入れ、知り合いのお店訪問が目的。
那覇の県立博物館で「日本民芸館80周年記念・沖縄の工芸展」を開催中。
東京の民芸館は昭和11年に開設され、柳宗悦は昭和13年に初めて沖縄へ行った。
「驚くべき美の王国」と陶器、染色、工芸品、暮らし、街並みに魅了された・・(展覧会チラシより)
←沖縄県立博物館
柳宗悦をはじめ、民芸運動をした人達が沖縄の工芸品を多数持ち帰った。
素晴らしい芭蕉布や木綿の着物と陶磁器、木製品。
戦争や近代化により、沖縄には状態の良い工芸品が残ってない。
素晴らしい工芸品が作られた土地で展示され、それらを見る機会があったのは感慨深い。
ビデオ・ライブラリーで昭和初期の生活、物作り、街の様子が流れる。
観光客に毒されてない、素朴な美しさがあった。
←沖縄の民芸品
「沖縄の工芸」展は撮影禁止の為、1階の展示品の画像です。
那覇の壺屋やちむん通りにある壺屋焼物博物館では沖縄の焼き物を展示している。
開館前だったが呼びいれていただき、入館した。
←壺屋やちむん通り
地元の小学生の課外授業があり、学芸員が展示品の説明をしていた。
小学生は床に座って、説明を聞きながら、メモしていた。
私達の他に3人ほどの観覧者がいたが、子供たちの後ろに立って、一緒に説明を聞いた。
たまに博物館でこのようなシチュエーションになるけど、ラッキーです。
←壺屋焼物博物館
←多くの陶芸家に影響を与えた
那覇のホテルは国際通りの端っこにあるロイヤルオリオンで1泊。
沖縄で人気のオリオンビールが経営するホテル。
ホテルのスタッフは地元の人で、感じよくて親切。
建物は高級で古くてレトロ感があり、部屋とバスルームは白で統一してあり、清潔。
朝食は地下でビュッフェ。
←ホテルロビーと朝食バイキング
国際通りの牧志駅を西に行くと、市場通りがある。
国際通りと公設市場
この辺りは商店がひしめいていて、全部で700軒ある。
飲食店、菓子店、土産物、銀行、結納や祝儀袋、何でもそろう。
←市場通り
市場通りの中に牧志公設市場がある。
1階に129店舗入っていて、2階はフードコート。
←島ラッキョウとお祝の蒲鉾
←てびち用の豚足
←カラフルな魚としゃこ貝
←ハリセンボンの皮むき、皮あり
魚や貝を買うと、2階のフードコートで3品まで500円で調理してくれる。
初めて見る魚が多かったので、翌日は回転ずしでトライしました。
←海ぶどうとシャコ貝
←シチューマチ、オジサン、イラブチャー
シャコ貝は弾力がありすぎて、食べ終わるのに時間がかかる。
口に入れて「これは本当に食べ物やろか?」
他のカラフル魚は美味しかった。
海ぶどうは海藻で作ったキャビアみたい。
地元の人の話を聞き、昭和の映像を見ると、沖縄がどんどん変わっているのがわかる。
細く曲がりくねった土の道は広い真っすぐの道になり、
小船や引き潮の時なら牛車で移動した近くの島へは海中道路で行ける。
世界遺産に指定されると観光客が押し寄せ、レンタカーで走り回って事故も多い。
大きなショッピングセンターがあちこちにできて、どこにでもある新興住宅地と大差ない。
沖縄の人も変わった。
以前は長寿日本一だったのに、メタボの人が増えた。
自宅で琉球の料理を作らなくなった。
車移動に頼って、歩かないし、自転車に乗らない。
スーパーで売る魚はサバやサーモン、マグロの切り身。
豚肉も鶏肉もカットしてある。
沖縄大好きな一観光客だが、行く度に琉球の良さが減っていくのが残念。
ホテルの部屋から夕日が沈む様子や、刻々と変わる雲の動きはいつまでも見飽きない。
沖縄の人は自分たちを「うちなんちゅ」、私達、本土人を「やまとんちゅ」と呼ぶ。
「うちなんちゅ」は皆、穏やかで優しい。
人も景色も琉球料理も、ずっと変わらずに残って欲しい。
本土の資本や影響で、日本中どこに行っても同じ、は面白ないもん。
←サンセットビーチ
←グラデーションが綺麗な東海岸の海
←渡具知ビーチのキノコ岩(干潮なら歩いていける)
今回のお土産は豚の軟骨そーき、シークワーサー、モズク。
←軟骨ソーキ、もずく、シークワーサー
知り合いのお店からいただいたお菓子。
←冬瓜の蜜漬け
by mikiris
第204回(2016年12月1日)*ブレーメンの休日
童話のブレーメンの音楽隊は誰でも知ってる。
人間からお払い箱になったロバ、犬、猫、鶏がブレーメンで音楽隊に入ろうと旅に出る。
途中の森の中でお腹が空いたので、明かりのついた家に近寄った。
ご馳走が並んだ家の中では泥棒達が奪ってきたお金を勘定していた。
ロバの上に犬が乗り、犬の上に猫、猫の上に鶏が乗って一斉に大声で叫んだ。
その影と声を聞いて、お化けが出たと思った泥棒達は逃げ出した。
動物たちはご馳走を食べて、明かりを消して眠りについた。
泥棒がそーっと戻ってきたが、暗闇で動物たちが大騒ぎして追い出した。
お化けが居ると泥棒はあきらめて戻らなかったので、動物たちはその家で幸せに暮らしました、とさ。
結局、4匹の動物はブレーメンには行かなかった。
←ブレーメンの音楽隊像
大人になって、ブレーメンも音楽隊も何の関係もない話と分かったが、子供心にブレーメンは素敵な街と刷り込まれた。
ヨーロッパ仕入れの途中にドイツ北部の町、ブレーメンへ行った。
ブレーメンの歴史は京都と似ている。
787年にフランスのシャルルマーニュ大帝によって都市に指定された。
京都は794年、鳴くよウグイス平安京。
←アウトバーン
オランダでレンタカーを借り、アウトバーンを走ってブレーメンへ行った。
その日は11月中頃にもかかわらず、北極からの寒気が降りてきて昼間の温度が零度。
高速道路から見る畑や木は霜で真っ白。
ブレーメンの街を散策しながら、耳がちぎれて、頭が切れそうな2日間だった。
←気温0度
町の中心は中央駅とヴェーザー川に挟まれた長方形のミッテ(Mitte)という地区。
←駅と海外博物館の鳥居
←城壁跡が公園
予約したHOTEL STADT
BREMEN はミッテにあるこじんまりしたホテル。
←シュタット・ブレーメンホテル
2階のコンフォートダブルの部屋に泊まった。
フローリングの部屋は広くて天井が高い。
温水の暖房が3ヵ所にあり、浴室のバスタブは半円形。
朝食は1階のレストランでビュッフェ。
←朝食ビュッフェ
ホテルから200M
の所にオーガニック・スーパー、その向かいに食料品店、工具店など店が並ぶ。
近隣は住宅街であり、オフィス、ホテル、レストラン、カフェが混在する便利な場所。
←ホテルの裏通りと表通り
ホテルから徒歩で10分、マルクト広場に到着。
広場の周りは商店街やアーケードがあり、繁華街。
土曜日の午後はとにかく人が多い。
日曜日はスーパやデパートが閉まるので、皆、週末の買い物で忙しそう。
←戦後の写真と今
ブレーメンの町は戦争中に爆撃を受けて大部分が破壊された。
しかし、戦火を逃れた建築物もある。
マルクト広場を囲む建物は12-19世紀の建物。
←マルクト広場
聖ペトリ大聖堂はブレーメンで一番古い教会で8世紀には存在していた。
1100年に聖堂の中央部分が建てられ、何度か増築されて現在の建物になった。
←聖ペトリ大聖堂
大聖堂の中は天井がドーム型になっている。
奥に小さなミュージアムがある。
時祷書のコレクションは貸出し中で、裏から照明で照らしたパネルの展示だけ。
実物は見られなかったけど、写真撮影にはこの通り。
←時祷書
市庁舎は1405年に建築されたゴシック様式の建物。
正面は1600年代に増築されたルネッサンス様式。
←市庁舎と動物のオブジェ
市庁舎の正面、左端にブレーメンの音楽隊の像がある。
ロバの足にさわると願いが叶う、と皆がさわるので足だけピカピカ。
←ラーツケラー
市庁舎の地下はワイン蔵になっている。
一部がレストラン RATSKELLER(ラーツケラー)
として営業されてる。
大きなワイン樽が並び、中世の建築の部分と使いやすく改装した部分がある。
←ワイン貯蔵庫
レストランからトイレに行くホールの照明は悪魔が檻に入ってる。
右の扉が開いていたので、チラ見。
左右の壁に沿ってワイン樽が並び、樽の上に蝋燭が1本ずつ置いてあった。
市庁舎とワインセラーの見学ツアーもある。
ちょっと遅めのランチを取った。
フライパンで鯖、鮭、鱈とジャガイモ、玉葱、キノコを炒めたパン・フィッシュ。
フラムクーヘンはパリパリの薄い生地にサワークリーム、ベーコン、玉ねぎを乗せたピザ風。
←ラーツケラーの料理
料理は美味しかったし、店の人が代わりばんこに
「美味しいか?」とか「どうですか?」と様子を見に来てくれる。
飲み物込で2人分、3千円。
←ベトヒャー通り
マルクト広場の建物の間に観光客に人気のベトヒャー通りがある。
コーヒーで財を成した商人が1920年代に中世の街並みを再現して建築した。
オブジェが色々あり、現代アートを売る店や美術館がある。
←ベトヒャー通り
少し離れた所にシュノーア地区があり、小さな可愛い家が並んでいておもちゃの国みたい。
←シュノーア地区
ここは17世紀の街並みが残っている地区らしいけど。。。。
ペンキを塗りなおして、カラフルな家は土産物店とカフェ、レストラン。
変に手を加えて、何だかなー?
←シュノーア地区
シュノーア地区の端にある聖ヨハン教会の裏道は人通りがなく、中世の時代に迷い込んだ気がする。
14世紀に建てられた修道院。
←聖ヨハン教会の裏道
骨董も建築も古い物はピカピカじゃなく、古直しにして欲しい。
土曜日のマルクト広場や繁華街は満員だったが、日曜日になると大違い。
商店は閉まっていて、道を歩く人もない。
閑散とした街を歩くのも良い気分。
アーケードではクリスマスの飾りつけをしていた。
←休日の繁華街
土曜日の午後には行列が半端ない店も、日曜日の午前中だと、お客さんが少なくスッスーと入れる。
1889年創業のケーキ屋さん、クニッゲ。
←Konditorei KNIGGE
ショーケースのケーキを選んで番号札を受け取り、喫茶コーナーの席につく。
飲み物を注文してケーキの番号札を渡す。
どのケーキも美味しそうで迷ったけど、一押しのアップルケーキとクリームの段重ねケーキ。
コーヒーとケーキ、二人で2千円。
←マジパン菓子の野菜達
ドイツのケーキはバウムクーヘンが有名だが、クリスマスの頃だけ販売される。
ずっと本物のバウムクーヘンに憧れてたので、帰りしなに13個買った。
縁に何も付いてないプレーン、チョコ、コーヒー、砂糖の4種類。
←バームクーヘン
このバウムクーヘンが日本へ戻って税関でトラブルの元となるが、この話は次回に。
←地元の人で満員のカフェ
夕食はホテルに近い、川沿いのカフェへ行った。
地元の人が集まる気楽なカフェで早朝から深夜まで営業している。
ドアを開けて入ると、自分で空いてる席をさっさと探して座る。
大きなカフェだが、常に満席なので、ボヤボヤしてると席がなくなる。
ドイツ語メニューと英語のサブメニューをもらって、注文する。
近所の人で混み合うだけあって、美味しくて安い。
←ブレーメンの名物料理
晩御飯は二人で2500円。
ドイツは何でも安くて美味しい。
ドイツ人は皆、親切だし、治安が良くて、物価が安い。
町もホテルもレストランも、どこも広くて清潔で居心地が良い。
良い思い出が沢山できたブレーメンの休日でした。
by
mikiris