第217回(2018年1月1日)ドナウ河畔の修道院

 ヨーロッパへ仕入れに行くとレンタカーを借り、国道沿いの町や村のアンティークショップを探しながら走る。
こんな仕入れの旅が30年近く続いている。
好みの合う店に出会うと、その後、何年も交流が続く。
長年の付き合いがある仕入れ先が増えたが、新たに開拓もしたい。
←ルノーのマニュアル車
 今までに行ったことのない場所で、骨董がありそうな場所を探す。
宿泊する所だけ決めて、それ以外は行きあたりばったりの気ままな旅。
オランダ、ベルギーは30年間、走りつくして自分の庭みたい。
ドイツでの骨董探しは7回目。
←国道を走って骨董探し
 今まではオランダに近い場所をウロウロしていたが、もう少し東南のフランケン地方を回った。
フランケン地方の町、アンスバッハへ。
←アンスバッハ
旧市街の近くにある駐車場に車を停め、徒歩で中心部へ行く。
石畳の小さな町で教会を中心に店が並ぶ。
アンティークショップも数軒あり、チェック。
←看板と教会のオブジェ
どの町にも宝飾、家具、陶磁器、雑貨、絵画などの骨董を扱う店がある。
ガラス越しに見るだけの店、中に入って物色したい店、色々。
←聖ヨハンニス教会
 町でひと際目立つ二つの教会へ行った。
聖ヨハンニス教会はステンドグラスが素晴らしく、美術館のよう。
←ステンドグラス

聖グンベルトゥス教会は明るいグレーの内装に銀色のオルガンがあるプロテスタントの教会。
←聖グンベルトゥス教会
入ってみると、コンサートの練習中で聴衆はベビーカーで寝ている赤ちゃんとお祖父さん、私達。
3階でオルガンとドラムの競演、歌手の女性がオペラ座の怪人を歌う。
歌と演奏が終わって、お祖父さんと私達3人で拍手した。
ここでは定期的にコンサートが行われ、子供に歌を教えるクラスもある。

どちらの教会も始まりは西暦1000年前後だが、建物は15世紀の建築物。

旧市街の端にある宮廷庭園とオランジュリーを散歩。
1500年代の初めに庭の原型ができた。
18世紀初にバロック庭園として造りなおされた。
ハーブや果物の温室、花の庭もある。
オランジュリーはカフェ-レストランになっている。
←宮廷公園

アンスバッハの町にはオブジェが点在していて、楽しい。
←町のオブジェ
地元の人に人気のパン屋さんでランチ。
私はフランスパンよりドイツパンの方が好きだけど、日本には本格的なドイツパンの店が少ない。
←パン屋さん
直径10㎝のボールはフランケン地方の菓子。
見かける度に「雪玉や~」と勝手に名前を付けていたが、ドイツ語の名前も「シュネーバル(雪玉)」だった。
←シュネーバル

アンスバッハから南のドナウ川へ向かい、ヴェルテンブルガーの修道院ホテルへ。
チェックインが午後6時迄なので、早めに行くことにして、アウトバーンに乗った。
高速を使えば30分で着くはず、、だが大渋滞。
←高速は事故で大渋滞
工事の為に車線が4車線から1.5車線に減少されてる。
1.5車線は広い車線と狭い車線があり、トラックなど大型車は広い車線、小さな車は狭い車線を走る。
対向車線では大型トレーラーが事故って斜め45度に傾いている。
その後ろは大渋滞。
私達の車線は事故現場を過ぎると、嘘のように渋滞が解消してシャーっと走り出した。
みんな、事故を見るのにゆっくり走ってたのね。
結局、修道院へは2時間かかって到着した。
←ヴェルテンブルグの修道院の教会
教会内は写真NGなので、左隣にあるショップで絵葉書を買って撮った画像です。
←教会内の天井
修道院の敷地は広い中庭を囲んで教会、ホテル、博物館、レストラン、醸造所が建っている。
ここはドイツ最古のビール醸造所でクロスター・ビールを作っている。
クロスターKlosterはドイツ語で修道院。
←ヴェルテンブルグ醸造所
夕食はレストランでビールと地元の料理。
←ドイツ料理
ホテルはガラスと白木の白い建物。
チェックインの手続きは修道僧(モンク)がしてくれる。
お相撲さんのように大きくて、足首までの黒い服、十字架を架けた姿はモンクのイメージその物。
←修道院ホテルの部屋と廊下
ドナウ川の一番狭い所に建つ、修道院。
←ドナウ川渓谷
朝は陽が登るまでモヤがかかって、よく見えない。
川沿いを散歩した。
←朝もやのドナウ川
河川の石は大部分が鉢巻石。
珍しい鳥や植物、地形が残る自然保護区。
←鉢巻石
丘の上に修道僧がいる教会がある。
一般の人は立ち入り禁止だけど、許可をもらって登った。
昔のままの細い石の坂道と階段を登ると、広場にキリストの一生の道標が建っている。
←丘の上の修道院と道標
←道標
丘の上から見た中庭の風景。
←丘の教会から見た修道院
巡礼の人の為に作られた宿泊施設だが、一般に開放されている。
ホテルの部屋にはテレビも冷蔵庫もないし、PCの電波が届かない。
そういうのはデイ・ルームで用が足せる。
テレビ、Wi-Fi、雑誌、飲み物やお菓子が用意してある。
飲み物とお菓子は有料で、代金はお盆の上に置いておく。
田舎の無人販売みたい。

旅先からフランスの友達に写真を貼り付けてメールを送ると
「私も一緒に旅をしているようで、メールが楽しみ」と言ってくれる。
この独り言を見てくださる方にも、そんな風に思ってもらえたら、と書いています。

今年もよろしくお願いいたします。

 by mikiris


第218回(2018年2月1日)八咫烏を探して

 30年近く前になるが、イリスを開店した時に八咫烏の小さなオブジェをもらった。
店にお守りみたいにして飾っていたが、地震の時に棚からポーンと飛び出して、壊れてしまった。
新しいのが欲しいと思いつつ、何やかやで時間が経ってしまった。

八咫烏(やたがらす)は熊野権現のお使いで、三本足の烏。
三本の足は天、地、人を表す。
熊野神社の総本宮に行けばあるはず。
思い立ったら吉日、天気予報は晴れ、熊野へ出発!

京都から伊勢湾岸道を通って新宮へ。
三角のおにぎりみたいな山の中をトンネルで通り抜け、青い美しい海沿いを走る。
←熊野の山と海
新宮は熊野灘に沿ったこじんまりした町。
高台に城跡が見えた。
城跡好きの私が通り過ぎることはできない。
特に標識もないけど、近くまで行くと細い急な石畳の坂道があった。
車が四駆だから、急な坂道でも平気。
ギューンと登ると駐車場がある。
←新宮城跡
長方形に綺麗に切りそろえた切り込み接ぎの城壁に沿って石段を登る。
石は布積みで隙間なく綺麗に積んである。
頂上まで登ると広くなっていて、新宮の町と熊野川が見える。
江戸初期、1618年築城だが、現在は城跡のみで建物はない。
こんな城跡、大好き。

 新宮城跡前の通りを西北に進むと全国の熊野神社の総本宮の熊野速玉神社。
近くの神倉神社より後からできたので、速玉(はやたま)神社は新宮と呼ばれている。
←熊野速玉神社
社務所に並んでいるお守りに八咫烏の置物がない!
私の八咫烏は羽を広げて口に赤い紙の御幣(神主さんが祝詞の時に振る紙の付いた棒)をくわえていた。
同じものを探したが無い。
←速玉神社境内
車で5分、徒歩15分の神倉神社へ。
速玉神社から権現山を挟んだ所にある神倉神社は起源が西暦128年という由緒ある神社。
←神倉神社
稚児(ちご)鳥居をくぐると最古の熊野古道である角度60度の急な石段が538段続く。
←頼朝が寄進した石段
源頼朝が寄進した石段で自然の石を積み重ねた物。
石のサイズは大小、様々だが、石段に奥行きがないのでつま先で登るか、横歩きで登るか。
石段の途中から下を見たら、急すぎて下が見えない。
まるで絶壁を石段で登ってきた様。
高い所が怖い私は足が震える。
一歩先だけ見て登る。
←稚児鳥居と石段
神倉山の頂上に神社がある。
御神体は巨大な「ごとびき石」
ここから新宮の町と熊野灘が一望できて、すがすがしい。
←ごとびき岩と新宮市
登るより、降りる方が怖いけど、他に道はない。
石段を降りたら、おじいさんがベンチに座っていて、みかんをくれた。
隣に座って、みかんでビタミンCと水分を補給した。
80才近くみえたけど、おじいさんは毎日、神社まで登ってるそう。
早生のミカンの甘いのを見分ける方法を教えてもらった。

毎年、2月6日に新宮の男達がたいまつを持って石段を駆け降りる「御燈祭り」がある。
火を噴く竜が神社から下ってくるように見える祭り。
社務所が閉まっていたので、八咫烏の置物は見つからず。

勝浦の休暇村で温泉に入り、リフレッシュして一泊。
休暇村は火山節理の石柱がある宇久井半島の先端にある。
←早朝の熊野灘

八咫烏は那智大社へ行けば、きっとある、有って欲しい。
←那智大社
駐車料金無料の看板が出ているお土産屋さんに車を置いて、467段の階段を登る。
ここから登るのが一番近道だし、神倉神社の後ではどんな石段もスッス―と登れる。
←那智大社
那智大社の本殿、八咫烏のお宮さんもある。
同じものではないけど、小さな置物を買った。
←那智大社
那智大社の境内は広く、青岸渡寺の三重塔を重ねて見る那智の滝は美しい。
←青岸渡寺
ここから熊野古道へ入る道があるが、道が崩れて一部通行止め。
←熊野古道
登ったのと逆方向へ降りる道で滝の方向へ行けるが、自然石を重ねた石段が続く。
神倉神社ほどではないけど、かなり厳しい、長距離。
←那智大社から滝の方へ降りる道
那智大社、青岸渡寺から山を下って飛瀧神社へ。
←那智の滝はマグマの壁を流れる
飛瀧神社のご神体は那智の滝。
神倉神社のごとびき岩も那智の滝も近くに居るだけでパワーとオーラに包まれる。
←飛瀧神社
飛瀧神社の中の石段133段を降りると目の前に滝が見える。
落差133Mの滝は勢いよく水が流れて迫力ある。
←那智の滝
車を置いた店ではWEBクーポンを見せるとお菓子とお茶の接待がある。
店内のカフェで暖かいお茶をいただいてほっこり。
那智の滝をイメージした「お滝餅」と早生のみかんを土産に買った。
←お滝餅の前から滝を見る

太平洋、熊野灘に面した地域は温暖な気候で魚も野菜も果物も美味しい。
産直市場では露地物のフレッシュな物を買い、尾鷲の食堂でランチ。
←尾鷲の食堂
行きに寄ったときは昼前だったので、料理が揃っていた。
マグロのほほ肉の握りずし3個(600円)サンマ寿司、キンムロアジの握り
地魚丼(850円)シジミの味噌汁等々で2800円。
←行きのランチ
帰り道で寄ると1時半だったので料理が少なかった。
ソマカツオ、スズキ、ツバスの刺身、イガミの煮付け(ブダイの仲間で味は正月の棒鱈)、
ひじき御飯、魚の味噌汁等々で1800円
←帰りのランチ
魚売り場ではカマスを売ってたり、その日に水揚げされた物が色々。
京都の魚屋さんで生のカマスを見たことなかったので、銀色に光るピチピチの魚に感激。
子供の頃からカマスは干物というイメージ。
休暇村の夕食でもカマスの塩焼きが出た。
←キンムロ、イガミ
 昨年11月に心臓手術から10周年記念日を迎えた。
術後10年経って、還暦も過ぎて、二日続けて500段の石段を昇り降りした。
大きな病気をクリアして、その後も色々とあったけど、今、ここに居る。
毎日がオマケの一日と思って過ごしてきて、充実した10年だった。
心臓の手術をしてなかったら、もっと時間を贅沢に、無駄使いしていたと思う。
病気になるのは嫌な事だけど、なったから素敵な人達に出会えて、人に感謝する心を持つようになった。

唯、人生は無限じゃない。
何事も先延ばしにせずにやりたい事をどんどんやって行きたい。
10年後に充実した時を過ごしたと思えるように。

 by mikiris


第219回(2018年3月1日)やんばるのヒルギ
 
 沖縄の北部を山原と書いてやんばると言う。
ヤンバルクイナは北部に生息する天然記念物の鳥。
やんばるには珍しい植物と生物が居て、ヒルギもその一つ。
北部の東海岸にある慶佐次湾に行った。
←慶佐次湾
湾の場所は公園になっていて、大きなシオマネキのオブジェがある。
案内所でマップをもらってヒルギの周りの遊歩道を散歩する。
←公園の遊歩道
慶佐次(けさし)湾には3種類のヒルギが生えている。
オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギ。
ヒルギは根っこが水中にある植物でマングローブの一種
←ヒルギ
細長い物が沢山ぶら下がっているのはヒルギの種子。
ポトンと落ちて、水中の泥に突き刺さる。
そうしてどんどん増えて、ヒルギの林ができる。
←ヒルギの種子
遊歩道の横の砂地に無数の小さな穴が開いているのはシオマネキの巣。
たまに油断したシオマネキが顔を出す。
すごく素早いので、シャッターを押す間もない。
←シオマネキの穴
湾ではインストラクターに付いてカヤックで海へ出るツアーもある。
←マングローブ・カヤック
 慶佐次湾から少し北に行くと東村の食料品店 サンライズ東がある。
地元の野菜やパイナップルのドレッシング等の加工食品を売ってる。
←やんばるの野菜

私達は西海岸に泊まったので、東海岸の慶佐次湾へ行くには島を横断する。
高速で終点の許田まで行き、県道14号線でやんばるの山の中を通った。
他に車が走ってなくて良いけど、グネグネの山道。

帰りは東海岸沿いに国道331号線で南下した。
太平洋の横を走るとエメラルドグリーンの海が綺麗。
山の中に入ると、小さな滝がいくつもある。
←やんばるの海
景色を楽しんでドライブしてると午後3時。
←活け海老料理
宜野座の車海老養殖場、球屋で遅いランチにした。
得得コースは活け車海老が7-8匹を好きな料理方法で食べる。
2匹を行け造り、2匹を天ぷら、2匹を塩焼き、フライのように振り分けてもOK。
←塩焼きと天ぷら
塩焼きは押さえてないと跳ねてしまう。
デザートまで付いていて大満足。
近くにはプロ野球のキャンプ場がある。

翌日、ずっと気になっていた場所へ行った。
ホテルの8階の部屋から見える残波岬灯台。
←残波岬灯台
海岸沿いに行けば4㎞と検索で出たので、徒歩で。
←ホテル前の浜から徒歩で
沖縄は車社会で自転車や徒歩の人が少ない。
海岸沿いを歩く人もなく、ひっそり、のんびり散歩。
砂浜は途中で途切れて岩場になり、通行不可。
海から離れて高台に登り、サトウキビ畑に囲まれた細い道を歩く。
様子を見て、浜があれば海岸を歩く。
←草むらはハブに注意
標識がなく、海かサトウキビ畑だけなので、通った道を覚えるのが難しい。
目印になるものを探して、
「ネズミが死んでた道を通って、黒い蝶々が出て来た先の沖縄の墓地を曲がる」と覚えてると、
「そんな覚え方をするし、いつも道に迷うんや。
 ついでに白いトラックが停まってた所も目印にどーや?」とイリス店主は感じ悪い。
「そんな不確かな要素を入れてもしょーがないやろ。 アホやな」と返す。
←宿泊先のホテルが見えます
もちろん、行きにあった身長5㎝のネズミの死体は同じ場所にあったし、
黒い沖縄アゲハ蝶は帰り道でも私が通るとヒラヒラと出てきた。
そして、畑の横に停めてあった白いトラックはなかった。
「ホラ、お墓の角を曲がって、蝶々とネズミの道で合うてるやろ。
 トラックなんか、あてにならへんやん」
←残波岬灯台
残波岬灯台は西海岸の少しせり出した場所にあり、太平洋の荒波が押し寄せる。
北に続く岸壁は浸食されて、象の顔にはなってないけど、万座毛の岸壁と似ている。
←荒波で浸食された岸壁
灯台の周りは公園や展望台、ビーチになっている。
沖縄で一番大きなシーサーもここにある。
←沖縄最大のシーサー
読谷村の日航アリビラに泊まるのは3度目。
朝食は和食レストラン、洋食レストラン、和洋中のビュッフェから選ぶ。
ビュッフェのレストランは一度行ったけど、こりごり、美味しくない。

和食レストランは和定食か沖縄のぬちぐすい定食のどちらかを選ぶ。
ぬちぐすいは自然の素材を使った沖縄の健康食。
一品ずつが丁寧に作ってあり美味しい。
ただ、出汁が取れてないので沖縄そばと出汁巻き、お味噌汁が美味しくない。
京都の人は出汁の味が気になるんです。
←和定食とぬちぐすい定食

ホテルの近くにガラ青いサンゴ礁がある。
←ガラ白いサンゴ礁近辺
この場所は映画「今度は愛妻家」のロケ地。
豊悦さんと薬師丸ひろ子さんが出ていて、東京に住む2人が沖縄へ旅行に行く。
カメラマンの夫がこの場所で何枚も奥さんの写真を撮る。
映画を見たときに「ここ、知ってる~」と思ったので、確認の為に訪れた。
←三重城跡
ガラの前に三重城(みーぐすく)跡を復元した場所がある。
16世紀に那覇港に有った防衛の為の突堤で、北斎の沖縄八景にも描かれている。
那覇港ではなく、西海岸の読谷村に復元された。
映画テンペストのロケ地になった。
満潮の時に行くのは怖いので、潮が引いた時を見計らって先端まで。

たまたま満月の日だったので、干潮と満潮の差が大きかった。
翌朝に様子を見に行くと、縁の石垣が水の中だった。
←満潮の2時間前、三重城跡

仕事を兼ねての沖縄行きだけど、いつも楽しみ。
沖縄の野菜や果物も好きなので、持ち帰る。
ハンダマ、シークワーサー、アテモヤ。
←県産の野菜、果物

 by mikiris


第220回(2018年4月1日)My Favorite Things

 毎年、レース展では私がコレクションしている物からチョイスして展示即売しています。
仕入をしてみたけど、年代や産地が確定しにくい物、種類が確定できないもの、
珍しいデザインだから手元に置いて眺めていた物などがコレクションの中心。
自宅の階段やリビングに飾ったり、時々、箱から出して眺めて楽しんでいます。
展示会の度に少しずつコレクションを放出するので、衣装ケース5箱に入れてたのが2箱になった。

今回出品の中からビジュアル的にいい感じのをご紹介します。

象と鹿、馬、鳥と木と人の物語的なレース。
1750年頃のイタリアのレース、ミラネーズ(milanese)。
麻糸を使って織ったボビンレース。
鹿がちょっと跳ねてたり、象がひょうきんな顔をしていたり。
建物の上には鳥が飛んでいるし、木の枝に花が満開。
←象と鹿のレース
馬の横の人は私の気分次第で「ルンルン、楽しいな」、「ダメだ、お手上げだ」と言ってる。
自宅の階段に飾っていた物で、出かけるときも帰った時も楽しい気分にさせてくれた。
←オーマイゴッド

孔雀のレースは19世紀中頃、ベルギーのアントワープ、ボビンレース。
グラウンドがカットステッチというダビデの星みたいな模様。
こんなに具体的ではっきりしたデザインのは後にも先にも見たことない。
羽を広げた孔雀、顔を上げて、見て見てーという感じ。
このレースを見て「可愛いやっちゃ」と心の中で可愛がってます。
←孔雀とトナカイのレース

トナカイのデザインは19世紀中ごろ、ベルギーかオランダのポテン・カント。
孔雀のレースと同じくカット・ステッチを使っている。
カントはオランダ語でレース。
動きのあるトナカイの角が雄々しい、くっきりした模様。

ネットにボビンレースやニードルレースをアプリケすると自由な絵が描ける。
ブリュッセルの鳥はボビンレースをアプリケした物。
レースは服飾に使うのが大部分なので、動物や鳥をモチーフに使うのはホントに珍し。
←ブリュッセルの鳥

薔薇やスミレ、花畑のようなレースはニードルレースをアプリケした物。
花のモチーフが多いが、多様な花を極細糸で刺繍した美しいレース。
花の種類を考えるのも楽しい。
←ブリュッセル・ニードル

全体をボビンで織ったブルージュのレースはデザインが素敵。
ベリーのレースは糸を重ねた部分など、難易度の高い技術が使ってある。
幅の広いチューリップやフクシャのレースは植物図鑑のよう。
19世紀の技術、デザイン共に優れたボビンレース。
←ブルージュ・ボビンレース

18世紀にフランスの宮廷では誰のレースが一番素敵か、お洒落の競争だった。
アランソンは全体を手刺繍で作る贅沢なレース。
可愛いデザインが多いのですが、初期の物は優雅な花や植物。
珍しくアルジャンテラに使われるモチーフが入ったアランソン。
←アランソン
18世紀のバレンシエンヌは糸が細くて目が詰まっていて、遠目で見て布のよう。
同じ場所で作った、同じ名前のレースでも時代によって別のレースに見える。
可愛いチューリップの連続模様は19世紀、フランスのバレンシエンヌ・ボビンレース。
網目の糸が太いように見えるが、糸を4本使って三つ編みの4本版、四つ編みをしているので太く見える。
倒れそうなチューリップは服飾に使うと風に揺れる花に見える。
←バレンシエンヌ

白い上質の綿布に白糸で刺繍したホワイトワークも好きなジャンルです。
南北戦争まではアメリカから綿糸を輸入していたので、すごく薄い綿布が作られていた。
生地の糸をスーッと抜いて透かしを作ったり、美術品クラスの美しさ。
1800年代前半のホワイトワーク、エアシャー・ワーク。
←ホワイトワーク、エアシャー

1800年代後半になると盛り上がりのある刺繍が増える。
細い糸で細かい模様をいっぱい刺繍してる。
布が刺繍の重みに耐えられない程。
←ホワイトワーク、エアシャー、刺繍

1900年頃になると厚手の綿布にカットワークや刺繍をするのが流行する。
こんなに細かいカットワークは初めて見た。
ほとんど布が残ってない!
←ホワイトワーク、エアシャー、カットワーク

1600年代のイタリアのレースは額装に不向きなので、時々、箱から出して眺めるだけ。
刺繍で盛り上げた凹凸のあるレース。
麻糸を使ったニードルレースはレースの原点のような物。
レティチェラは良い状態で現存している物が少ない。
ポワン・ド・ネージュはもっともっと少ない。
巡り合うのが奇跡のようなレース。
花の大きさが直径5㎝のグロポワンは迫力があって素敵だけど、直径1㎝の花のネージュは3倍素敵。
←レティチェラ、ポワン・ド・ネージュ

1700年代のイタリアで厚みの無いニードルレースが作られた。
初期のブラノ・ニードルレースはグラウンドの形が縦長の梯子に見える。
←18世紀ブラノ

同じブラノでも1800年代のは全体に花のデザインを入れ、縁取りのあるニードルレース。
上品で華やかなイタリアのレースで衿やカフスが中心。
古い時代のレースだけど、しっかりした糸と技法なので、実用できる。
←19世紀ブラノ

イタリアのボビンレースは17世紀も18世紀もあまり変化がない。
デザインと糸の太さで見分ける。
←18世紀、ミラネーズ

デボン州、ホニトンのレースも時代につれて変化したボビンレース。
1700年代初期の物はデボン・レースと呼ばれている。
極々細い麻糸で美しい図柄を織ってある。
同じ年代のブリュッセルやバンシュ、バレンシエンヌに使われている技法が入っていたり、似ている。
←縁はバンシュ、中はホニトン
←18世紀デボン、ホニトン

18世紀のデボンレースから少しずつ、デザインが決まってきて19世紀のホニトンが確立する。
薔薇の花、アザミ、シャムロックを散らした19世紀のホニトン・ボビンレース。
羊歯の葉も良く使われるモチーフ。
全体をボビンレースで織る技法からモチーフだけボビンで作って、ネットにアプリケする技法が出る。
ホニトン・アプリケは自由にデザインをできるし、シンプルから豪華まで色々。
←19世紀ホニトン

1700年代のホニトンとブリュッセルは似たものもあるが、
1800年代になるとデザインや使う技法に違いが顕著になるので見分けやすい。
ベルギーのデュシェスはDuchesse、公爵夫人という名前。
全体を花で埋め尽くしたデザイン、重ねた葉っぱは技術的に難しいが、他に無い素敵なレース。
←19世紀デュシェス

フランスでは黒い糸のレースが盛んに作られた。
ル・ピュイのボビンレース、シャンティイのボビンレースはフランスの雰囲気、センスの良さがあり、上品。
残念なことに、絹糸を酸化鉄やアラビア・ゴムで黒く染めたので糸の劣化が早い。
良い状態で残る優雅な作品は少ない。
←ル・ピュイ
←シャンティイ

私のコレクションにほとんど無いのが布。
珍しく、大切に持っていたのがこれ。
絹の布に絹糸で刺繍したリボン用の布。
昔の持ち主が残したメモではウェディング・ドレス用としてある。
←絹のリボン用布

もう1点、コレクションにほとんど無いのがマシン・レース。
そこまで手を広げるとコレクションが膨大な量になって大変だ。

弓矢を置いて休憩するキューピッドの前にはハートが飛んでるレース。
デザインが可愛らしいので他のテープレースと一緒に額装していました。
紋章を囲んだ猫と馬のマシンレースはカットワーク風でくっきりしたデザイン。
これも、何となく好きでコレクションの箱に入っていた物。
←マシンレース

アンティークレースは極細糸で手間をかけて、難しい技法で複雑なデザインを仕上げている。
技法は各地方、小さな村の特殊技術で門外不出だった。
だから年代やレースの種類が特定しやすい。

しかし、特別に技術の高い人で、他の人と同じデザインの物を作るのが嫌いな人が居たりする。
そういう人が作ったレースか、特注のレースか、簡単に種類を特定できないレースがある。
私はみんなと一緒が嫌いだから、作った人の気持ちが良くわかる。
独創性があり、他と違うオリジナルな物は「私好み」とか「しばらく時間をかけて調べよう」とキープした。
パッと見て、種類を特定できないレースでも、技法やデザインのどこかにヒントが隠されているはず。

ちょっと普通と違うレース、額装して眺めて楽しいレースをメインに選びました。
コレクションのお披露目と放出、4月8日まで展示会をしています。
来て、見て、楽しんでもらえたら嬉しい。

 by mikiris


第221回(2018年5月1日)藤堂高虎の城

 瀬戸大橋を渡って愛媛県、今治城まで京都から5時間半かかる。
瀬戸大橋の途中、与島のハイウェイオアシスで瀬戸大橋を見上げると電車が走っている。
岡山県と香川県が瀬戸内海を渡る電車で繋がっていて便利。
←瀬戸大橋と与島
香川県から愛媛県に入り、石鎚山(いしづちさん)ハイウェイオアシスに立ち寄る。
石鎚山は高さ1982m、四国で一番高い山だが、西日本で一番高い山でもある。
四国も瀬戸内も南国のイメージだが、石鎚山は春になっても雪をかぶっている。
←石鎚山と青石
旅の目的地の今治城へ到着。
吹上城とも呼ばれる今治城は愛媛県の北部、しまなみ海道の近くに建っている。
藤堂高虎が関ヶ原の戦いの後、1602年から築城した瀬戸内海を見張る城。
高虎の城は高い城壁と幅の広い内堀が特徴。
←今治城
城の建物は明治時代に取り壊されて、昭和55年にコンクリで再建された。
内堀の中だけど最初の建築とは別の場所に建てられた。

お城のパーキングに車を停めて、内堀を渡ると正面に城内で一番大きな鏡石がある。
サイズは4.5m X 2.3m 重さ16t。
築城の責任者だった渡辺勘兵衛にちなんで、勘兵衛石と名前が付いてる。
←勘兵衛石
橋の正面の右手にある鉄御門(くろがねごもん)の上が武者だまりと武具櫓になっている。
鍵型の入り口は攻め込まれた時の事を考えて作られている。
←鉄御門と武具やぐら
武具櫓は昔の形を再現して近年、建てられた。
中に入ると太い梁を何本も使った造りで石落としや鉄砲で狙う窓もある。
2007年に再建されたのだが、今でも木の香りがする。
←武具櫓と鉄御門
←武具櫓の中

天守閣のある建物に鎧兜が多数、展示してある。
お殿様のは豪華だし、重臣のは布地が西陣織じゃないけど金工は凝ってる。
足軽の鎧は無地の布と簡単な胴着で質素な物。
刀や槍、鉄砲のコレクションが並ぶ。(カメラNG)

階段を登って、天守閣は6階。
リノリウムの床と階段は昭和の素材とデザイン。
せっかく天守閣に登ってるのに、残念だなぁ。
四方に出口がありベランダを一周できる。
瀬戸内海、しまなみ海道が見えて景色はいいけど、床が欄干側に傾いていて、ちょっと怖い。
←天守閣から
今治城の城壁は巨大な石が沢山使ってある。
江戸時代にどんなして積み上げたのか、スゴイ石垣。
使ってる石は瀬戸内の巨大な大理石と花崗岩。
ホントに巨大で、幅2m以上のが山盛り組み込まれてる。
←大理石と花崗岩の石垣
石垣の積み方は自然の石を積んだ野面積み。
野面積みだけど、配置や色を美しく見えるように積んである。
大きな石の周りに小さな石を配置する積み方を 笑い積み と呼ぶけど、そんな風にも見える。
石垣と内堀は江戸時代に築城された時の形で残っている。
←野面積み
 築城の時に築城奉行の渡辺勘兵衛が
「石を持ってきたら同じ重さの米と交換する」
とお触れを出し、船頭たちが大きな石を沢山持ってきた。
あまりに沢山、持ってこられて、交換する米が足りなくなった。

「石はもう要らないので持って帰れ。
 しかし、石を海に捨ててはいけない」と勘兵衛が言ったところ
船頭たちは石を海岸に置いて行った。
勘兵衛はその石を拾って、城を完成させた。

内堀は幅50~70mあり、海とつながっている。
淡水魚と海の魚が共存しており、メダカとフグ、鮫、鯛やスズキが居る。
←内堀の魚

愛媛県は伊予の国、瀬戸内東予に3種類の温泉がある。
休暇村の部屋と露天風呂からしまなみ海道の島々が見える。
大小の島が無数にあり、人が住んでいる島と無人島、海に浮かぶ姿が美しい。
←瀬戸内の島々

地方の産直市場に立ち寄るのは絶対。
イリス店主が嫌がるので、一日に4か所くらいにとどめている。
今治城の近くに大きな産直市場がある。
←産直さいさいきて屋
産地で取れたての物を食べたり、買ったり、楽しー。
ちょっとキズ、形が不揃い、取れる量が少ないので遠くへ出荷できない物がある。
無農薬の瀬戸内レモン、伊予柑とオレンジを交配した物、珍しい柑橘類など。

小さな山が連なった景色と吉野川を横目に見て、徳島、鳴門方面へ。
←四国の山、吉野川
鳴門大橋の歩道橋から渦潮が見える。
もっと近くで渦潮をみるには、渦の道がお勧め。
←鳴門大橋の陸橋から
渦の道は車道の下にある歩道で、歩いて渦潮の近くまで行ける。
吹きっさらしで風がビュービューの廊下、床の一部がガラスになってる。
←渦の道
一日に2回、大きな渦ができ、年間を通しての潮見表がある。
満月、新月の頃が大潮で渦が大きく、見ごたえある。
この日は午前10時40分、午後4時半が干潮、満潮の日。
この時間の前後1時間半が見ごろ。
3時50分の渦潮。
←鳴門の渦潮
観光船で渦潮の近くまで行ける。
←渦潮観光船と渦潮
鳴門大橋を渡って淡路島へ。
淡路休暇村の部屋と露天風呂から鳴門大橋が見て、一休み。
←鳴門大橋で四国から淡路島へ

南淡路から京都への帰り道、伊弉諾神宮へお参り。
←伊弉諾神宮
祓殿の扉が開いていて、大きな御幣(神主がワサワサと振る物)が置いてある。
←祓殿
境内にいくつかの末社があり、左右神社は目の神様。
大楠は夫婦円満の御神木。
←左右神社と大楠
宝物殿の扉が開いていて、お神輿が置いてあった。
←宝物殿と境内

若い頃はお寺や神社へ行くと、あれもこれも山盛りの願い事をしていた。
人生、色々な出来事をクリアしてきた今、お参りして願い事は
「次に来る時まで元気に過ごせますように」
毎日、御飯が美味しくて、ぐっすり寝られるだけで幸せと思う。
←明石大橋
明石の町を左前方に見て、明石大橋を渡って京都へ。
瀬戸大橋、鳴門大橋、明石大橋を渡りました。
橋の通行料金が高いの、何とかならへんかな?

 by mikiris


第222回(2018年6月1日)Dream come true

 たいした夢でもないのですが、10年前に決めた私の夢は「字の綺麗なお婆さんになる」。
心臓の手術の後、外科から循環器に移り、病気を見つけてくださった先生から
「九死に一生を得たので、この先の人生を無駄に過ごしてはいけないよ」と言われた。
手術して、この先の長い人生に何か目標をもたなくては。
カッコいいお婆さんになろう、と一番に思いついたのがコレです。

同級生だけで集まるサークルが何種類かあり、そのうちの一つが書道。
中学から大学までの同級生なので、付き合いは50年になる。
毎年、フランスのルーブル美術館での書展に出品している書道家の同級生が先生として教えてくれる。

月一回の稽古は和気あいあいとして、稽古の後は連れだってランチや美術館へ行く人もある。
私は店の仕事を抜けて出てるので、稽古が終わったらトンボ返り。

5月に本格的な書作展をすることになり、各自が2点以上出品することになった。
場所は元酒問屋だった嶋臺ギャラリーの広い会場。
隣の小さな会場では「KyotoGraphie京都国際写真祭」を開催中。
←嶋臺ギャラリー
生徒は書道の有段者から初心者まで、稽古に熱心に通う人、年に数回出席の人とレベルは色々。
そんなデコボコ生徒の作品展。

初日の朝から集まって、午前中に展示やお茶の接待の準備をした。
展示会は12時からだったが、10時半には準備完了とスーパー手際良さ。
←書展の準備
お茶の先生をやってる同級生が道具一式持ち込んで茶席を用意した。
私は水屋で抹茶を点てる手伝い。
数人が着物姿でお茶とお菓子を運ぶ。
お菓子は享保元年(1716年)から続く笹屋伊織、ここも同級生の店。
←水屋でお茶席の用意
母親が花の師匠をしている同級生が花を用意。
「お花は僕が一人で活けるし、皆、触らんといてや」
庭にある花を切って、お茶花を良い感じに活けてくれた。
←左はザイフリボク、右は都忘れ
←右は大山蓮華
作品は自分の書きたいものを選んだ。
高野切、西行法師、万葉集、禅の言葉、好きな歌、自作の言葉など。
先生にお手本を書いてもらって大きな軸や扁額に挑戦した人、本や扇子、茶掛けなど色々。
表具をすると良く見える・・ゴメン。
←作品
私は良寛和尚の書いたものを2点臨書した。
源頼政の子孫であるお公家さんから譲り受けた江戸時代の短冊掛けに「白雲流水共依々」と書いた短冊。
短冊は桜の木で作った和紙を使って手作りした。
桐箱に入った短冊掛けを持って、紙屋さんを何軒も回ったが、しっくりくる市販の短冊がなかったので。

もう1点は母が30年前に書道に使った残り紙を押し入れの奥から探し出して、それに書いた。
先生―同級生に紙の相談をした時に古い紙の方が書きやすいと教えてもらった。
1849年のフランスの絹刺繍を上下に置いて、黒と金色のシックな額装にした。
ピアニストの同級生いわく、1849年はショパンが亡くなった年。
←良寛和尚の臨書・・mikiris作
他の生徒達は表具屋さんのセンスにお任せで作品を渡していたが、
私は古い物を使って、自分で好きな仕上げをしたかった。
先生は私が自分のやりたいようにしかやらないのを知ってるし、素人考えの額装に不安を持ってた様子。
当日に持ち込んだ作品を見て、
「心配してたけど、意外に合うてるやん」
書道グループの同級生や来場者からも評判が良かった。(自画自賛)

2日目は大雨になったが、隣の写真展から流れてきた人、同級生、母校の先生、
出展者の知り合い、家族たちが来て、トータルで200人以上の来場者となった。
←ギャラリーの庭と茶席
普段の稽古は先生から渡された題材を写すのが中心でヒヨコの生徒たちだったが、
自分で選んで決めた作品を仕上げて、ヒヨコから若鶏になった気分。

自己満足の書展に皆、満足。
イタリアレストランでの打ち上げは大いに盛り上がった。
来場した同級生達からの差し入れと、花器から外した花、予備の花は分けて持ち帰った。
私は店の庭に植えたけど、根付いてくれるかな?

「字の綺麗なお婆さんになる」という夢に向かって、少しずつ近づいてる途中です。
年賀葉書に年始の言葉を墨で書くようになって3年目。
シルバー割引が使える年になり、世間では高齢者の仲間入り。

Dream come true、と言えるのはいつの事か?
そこに向かって進む過程が一番楽しく、いい時のように思う。

水屋に2日間引きこもっていたので、翌日は京都市植物園へ散歩に行った。
雨上がりの澄んだ空気の中、五月晴れの薔薇園を歩いた。
遠くに比叡山が見える。
←右画像の左上に比叡山
←バラの公園
ヒマラヤ杉の球果、薄い緑色で触るとしっとりしている。
←ヒマラヤ杉の松ぼっくり
温室に入ったのは小学生以来の事。
その頃は丸いドーム1個だったのが、追加されて広くなっていた。
←温室
珍しい青い芥子の花メコノプンス・ペトニキフォリアが咲いていた。
←青い芥子
カカオの木とバナナの木。
←カカオとバナナ
夜に咲くトケイソウは暗室で開花していた。
←トケイソウ
唇みたいな花はホット・リップスの蕾。
花が開くと黒白の変な物がワ―っと出てくる。
←ホット・リップス
書展は盛会に終わったし、綺麗な花も変わった花も見たし、術後4年目の癌検診も合格。
充実の5月でした。

 by mikiris


第223回(2018年7月1日)初夏の富山、散居村

 自然でも、人が作ったものでも美しい物を見ると幸せな気分になる。
身の回りに美しい物があるのも、外に出かけて、美しい物を見るのも楽しい。
美しい雲が空一面に広がる日、三方五湖から日本海沿いを走って北陸へ。
←晴れた日に北陸へ
 富山県の庄川に散居村がある。
田んぼの中に家が散らばっていて、各家が防風林に囲まれた村なので散居村。
田植えの頃は田んぼに張った水が光を反射してキラキラする。
砺波 夢の平展望台は1万戸の散居村が一望できる絶景スポット。
←散居村
砺波インターから展望台まで20分程。
公共の宿コスモス荘の電話番号をナビに入れると、曲がりくねった山道も迷わない。
途中「熊に注意」「熊出没」なんて札がある。
←夢の平展望台
展望台を通り越して登り坂を進むと広場がある。
広場に車が3台停まっていて、三脚をセットしている人達が居た。
夕陽が沈む時に光が屈折して田んぼに反射する写真を撮ろうと、午後3時半にスタンバイするカメラマン達。
まだまだ陽が沈む様子も無く、私は忍耐力が無くて素敵な場面が撮れる時間まで待てない。
←展望台から
展望台へ戻って、塔の上に登った。
広場からだと山の木が邪魔だったが、塔の上からだと散居村が良く見える。
こっちの方がいい写真が撮れそうと思ったけど、展望台には誰も来ない。
←田んぼの中の散居村
山から降りて、散居村の中を車で走り抜ける。
一軒ずつの家の形と防風林の囲み方が違うし、この地方ならではの田園風景。
展望台から見ていた風景の中の1点になった気分。
←水田に反射して美しい散居村
宿は数年前に来たことがある、鮎とお米が美味しかった川金に泊まった。
庄川沿いの料理旅館で庄川の伏流水を温めた内風呂と露天風呂がある。
鮎の料亭と旅館が渡り廊下で繋がっている。
←庄川沿いの料理旅館
晩御飯は若鮎コースを選んだので、9匹の鮎が酢の物、塩焼き、唐揚げ、炊き込み御飯に料理された。
塩焼きは長い串に刺して、炭のいこった火鉢にセットされた状態でテーブルへ。
一本ずつ取るので、最後まで焼き立ての鮎が食べられる。
←炭火で焼かれた稚鮎
私は魚の中で鮎が一番好き。
鮎料理なら甘露煮以外は全部好き。
活け造りや唐揚げも好き。
←朝食
朝食のお米が美味しくて、宿の人に教えてもらい、米を作っている農家まで走った。
自宅に小さな精米機を持ってるので玄米10㎏を購入。
車で旅行するメリットは重たい物を沢山買ってもOKな事。
←金田米
雪をかぶった立山連峰を前方に見て庄川から富山市へ。
←庄川から富山市へ
富山市に訪問したい美術館が3ヵ所ある。
←水墨美術館
水墨美術館へ富岡鉄斎の絵を見に。
「人間万事塞翁が馬。推枕軒の中、雨を聴きて眠る」が展示してあった。
鉄斎の絵が好きだけど、これは特に好きな絵。
鉄斎の絵や字を見る度に
「力の抜けた、自由に描いている感じが好きだな」 と思う。
←水墨美術館
建物と庭園、茶室がバランスよく配置されていて居心地がいい。
テラスの椅子に座って、ゆっくりと庭を眺める人も居て、時間がゆっくり流れる場所。
庭の大きなしだれ桜は京都の桜の子孫になる。

富山県美術館は2017年8月にオープンしたデザインを重視した美術館。
オープン当初は混んでいたらしいけど、この日は前日に特別展が終わったばかりで来館者が少なかった。
←富山県美術館の正面に立山連峰
建物がお洒落で、制服はミヤケ・イッセイのデザイン。
上着もパンツも靴もお揃いで、とてもユニークな形。
ミュージアムショップの品は面白くて、芸術的でオリジナル。

1階にカフェ、上の階に日本橋のレストラン、たいめいけんが入ってる。
「今なら窓際の席が空いてますよ~」と言われても、お昼はキトキトでお寿司を食べる予定をしてる。
立山を見ながらのオムライスが美味しそうやな~と横目に見て、
「今日はいいです」 と後ろ髪を引かれながら通り過ぎた。
←館内のオブジェ
館内、屋上のあちらこちらにオブジェが置いてある。
テラスに出ると白熊が3匹、子熊、お父さんとお母さん熊。
見上げると屋上の縁に鷹が止まっている。
←テラスのオブジェ
富山の町の向こうには左右に広がる立山が見える。
美術館の屋上までエレベーターで昇ると、広々とした公園になっている。
触って、乗って、遊べるアートがある公園はオノマトペの屋上。
←屋上から立山連峰が一望できる
富山市内を移動していると、どこからでも立山が見える。
雪をかぶった立山連峰はとても美しい。
「富山の人はええなぁ。毎日、こんな綺麗な山を見て暮らせるし。
 ま、私だって、家から大文字山が見えるけど、、」
←市内のどこからでも立山連峰が見える

ガラス美術館は町の中心にあり、富山第一銀行本店、図書館と同じ建物。
←1F銀行と上の階図書館
外から見ると細いガラスで作った建物で、雪の女王の氷の城みたいに見える。
内側は木組みが複雑に組んで、バイキングの船に乗っているみたい。
天井の摺りガラスから自然の光が入ってくる。
そこに居るだけで楽しくなる美術館。
←ガラス美術館内部
図書館は開放的な空間でテーブルと椅子が配置してあり、本を読んでる人が多かった。
ガラス美術館は2階から6階まで各階ギャラリーで企画展と常設展が開催中だった。
企画展は現代ガラスアート作家の展覧会。
常設展は富山のガラス工芸作家の作品を中心に展示。
現代アートのガラスは見て楽しく、ミュージアムショップで小さな物だけ、作品が販売されている。
←ガラスオブジェ
昨年秋にロンドンのビクトリア・アルバート美術館で見たガラスのオブジェと同じのがあった。
ロンドンでは風船と思っていたが、吹きガラスで作ったオブジェと知った。
アメリカのガラス工芸作家 デイル・チフーリの作品で常設展。
見て綺麗、楽しい、撮影OKの展示です。
←V&Aのオブジェ

道路にあるマンホールが可愛かった。
国内でも海外でも、マンホールの蓋に興味がある。
それぞれの町のイメージを描いてあるから。
京都市は御所車の車輪。
富山市はアザミの花、立山、海、雪がイメージ。
←富山県
店休日に少し足を延ばして富山まで行って良かった。
雪の残る立山と美術館、散居村と美しい物を沢山見て満足。

年齢を重ねても初めて見るものがあり、色々な物が好奇心を満たしてくれる。
人が作った物、変わった物、美しい物、自然の形。
まだまだ、見たことない物があるし、行ったことない場所もある。
次はどこに行って、何をするかな?

 by mikiris


第224回(2018年8月1日)越前三国の湊町

 北陸、越前方面は何度も行くが、お寺巡りと美しい自然の地形を見てると時間がキツキツ。
何度も横を通り過ぎて気になっていた三国の町へ行った。

福井県、三国湊は室町時代から栄えた町で江戸時代に北前船が寄港して賑わった。
海岸沿いにある越前鉄道の三国港駅は単線の無人駅。
大正2年に建築された眼鏡橋は煉瓦造りのアーチ型。
国の登録有形文化財に指定されている。
←三国港駅

町はレトロな建物が保存されていて、中に入って見学OKの家もある。
←蕎麦屋と高見順の生家

立派な建物が目を引く旧森田銀行は福井銀行の隣にある。
明治時代に三国町には2つの私立銀行、1つの公立銀行があった。
各県に一つの公立銀行と決まった時に森田銀行は福井銀行に合併された。
←旧森田銀行
森田銀行は北前船の廻船業者だった森田家が創業した銀行。
大正時代に建てられた建物の内部は贅沢な造りで、壁に木の象嵌が入っている。
←銀行内部
2階の廻り廊下、天井の飾りや棚の更紗、細部まで凝った造り。
ボランティアの人が常駐していて、建物について解説してくれる。
←応接室
応接室には暖炉、大きな象嵌の壁飾りがある。
銀行内の1階、2階を拝観できる。(無料)

三国湊町家館、旧岸名家、マチノクラ観光ガイド、三国港駅など、沢山の見どころがある。
←観光ガイド、福井テレビ支局
←旧岸名家は拝観OK(有料)
←雑貨屋、改装中の建物
家は京都の商家に似ていて、入り口を入ると広い土間、小上がりの畳の部屋、灯篭のある坪庭を挟んで住居。
建物の端に入り口から奥まで土足で歩く真っすぐの通路がある。
大概、この通路の奥にトイレがあり、昔は汲み取り式だったので、このような設計になった。

京都の町家は下水が整備されてトイレが汲み取りから水洗になった時に、土間の通路を部屋や廊下に改装した家が多い。
昔のまま土間の台所を使ってる家もあるけど、台所と居間を往復する度に靴を脱いだり履いたりで面倒くさい、冬は寒いしね。
イリス、麩屋町ギャラリーは京町家の形を残した建物で、外観も内装も改装しているが、名残がある。
通路の途中に井戸、おくどさん、突き当りにトイレがある。

毎年5月に三国神社の祭りがあり、お神輿と武者人形の山車巡行が行われる。
三国祭りの日は400軒の露天が出るそう。
高さ6Mの武者人形は各町内の倉庫に保管されてる。
←武者人形の格納庫
←忍者 児雷也(じらいや)の格納庫

町は海岸沿いにあり、夏休みには海水浴の人で混雑、大きな駐車場が満杯になる。
季節外れだったら町の中心地を散策しても、海岸を歩いても、ひっそりしている。
海風が強く、どんよりと曇った日は、寂れた港町の雰囲気が何とも良い感じ。
映画のロケ地になりそう。

京都から福井県の越前三国まで2時間半。
福井県は外国人が来ない県ベスト3に入る。
町の人は親切だし、自然が残るし、お米も魚も美味しいし、温泉もある。

休暇村に泊まって、夕食は地元の魚料理、朝食は和洋色々ビュッフェ。
朝食はおにぎりのライブキッチンで半分サイズをリクエストした。
普段の朝御飯は少ししか食べないけど、ここではフレンチトーストや辛味大根の越前そばも。
←地魚盛り合わせ、おにぎり

三国の道の駅に永平寺御用達の田楽味噌があった。
自己流にアレンジして田楽味噌にすり胡麻を混ぜて、油で焼いた野菜に付ける。
お味噌のままで使うより、味が広がる。

自分用のお土産は元祖酒饅頭、小山堂の饅頭。
賞味期限が2日間の大きくて平たい蒸し饅頭。
←田楽味噌、酒饅頭の小山堂
出来立て、熱々を買ったら、車の中にお酒の香がフワーと充満した。
すぐに食べるのが美味しけど、飲酒運転?になるので家に帰ってからいただきました。

 by mikiris


第225回(2018年9月1日)ロング・ドライブ

 京都は盆地で周囲を山に囲まれており、盆地から外へ出る道は限られている。
室町時代、秀吉が御土居を作って町を囲み、7箇所の出入り口を設けた。
これが京の七口と言われる東西南北の方向へ出入りする街道への出入り口。

 東海道へ出る粟田口、南の竹田街道へ出る東寺口、西の山陽道へ出る丹波口。
比叡山を越える山中越え方面の荒神口、日本海へ出る若狭街道は大原口。
この5口は今も、京都から外へ出る重要なルート。

鷹峯から北へ行く清蔵口は周山街道ができて使われなくなった。
鞍馬口は上賀茂の方への出入り口だったが、名前だけが残っている。

 さて、八瀬大原から熊川宿を経て高速で越前松島まで、
帰りは海岸沿いの国道を走る長いドライブをした。

八瀬川沿いに大原を通って京都から日本海へ出る道、若狭街道の別名は鯖街道。
京都市内から途中トンネルを抜けて直進すると若狭湾に出る。
昔、若狭湾で採った鯖を小浜から京都へ運んだ道。
←北山杉の林
北山杉の林を抜け、葛川、坊村、朽木を通る。
坊村には川の向こう岸に警察署があり、しばしば、橋に引き込む形でスピード違反をやってる。
山越えの曲がりくねった道を抜けて国道375号線が直線道路になるのが坊村近辺。
川と山に挟まれた、のどかな田舎の一本道だが、地元の人なら誰でも知ってる要注意の道。

鯖街道の熊川宿に道の駅があり、鯖街道ミュージアムがある。
宿場町は旧国道沿いにある。
街並みが保存されていて、日本風景街道の一つ。
←SAのテラスに恐竜のお客さん
敦賀から北陸道に乗り、SAで休憩、お昼御飯。
この辺り、ボルガライスが有名らしいので、フードコートでボルガ丼を注文。
ボルガライスとはオムライスの上にトンカツを載せて、ドミグラソースをかけたもの。
ボルガ丼は白御飯にキャベツ、スクランブルエッグ、上にソース・トンカツ。
「次は要らん」とイリス店主。

越前水族館から少し北の越前松島に到着。
宮城県の松島のように美しい景色が越前海岸にもあるので、越前松島。
何とか松島は日本中にある。
←越前松島
越前松島の海岸は柱状節理が美しく、広い範囲に広がる。
近くの東尋坊と対岸の雄島も柱状節理で出来ている。
大きな岩や洞窟が自然の中に在る姿が好き。
近くまで行って、触って、見上げて、自然を実感する。
←聖の穴
縄文時代に人が住んでいた柱状節理の洞穴がある。
背中を丸めて、膝をかがめて奥まで進めます。
晴れ続きの日だったが、鍾乳洞みたいになっていて水がポタポタ落ちてきた。

いくつか洞穴があり、橋や遊歩道で散策できる。
←観音洞の洞穴
柱状節理は1300万年前に海底からマグマが上がってきて固まり、六角形の棒状の岩になった。
1億8000万年前に日本列島がユーラシア大陸から分離して、1300万年前に現在の形になった。
直立歩行する猿人が表れたのが500-700万年前。
京都の鞍馬寺に魔王が金星から降り立ったのが650万年前なので、何か、通じるものがある。
←安山岩の柱状節理と奇岩
横向けに棒が重なった形や棒が直立に固まってた形など、サイズも形も色々。
長い間に越前の荒波に浸食されて獅子の顔のような奇岩になった岩もある。

越前三国の海岸は荒磯(ありそ)の海と呼ばれる。
海岸は東尋坊に続く。
越前加賀海岸国定公園の海岸沿いの岩を見ながらドライブ。

荒磯の海には荒磯の道(遊歩道)があり、海岸沿いを散歩できる、、、、と思った。
←荒磯の道
整備された優雅な道を想像したが、実際は草がぼうぼうに生い茂った細い道。
草を掻き分け、枝をくぐり、昼でも暗い木々の間の細い道、波の音はするけど海が見えない。
写真付き説明板に荒磯の道に生息する珍しい鳥、昆虫、植物が描いてある。
←荒磯の道の鳥
塩田の遺跡があり、海へ降りる階段があった。
遺跡は白い岩場で、舐めたら塩辛かったかも?
ちょっと、こりごりの荒磯の道でした。
←塩田の跡

柱状節理を求めて、海岸沿いに越前加賀国定公園を南下して、鉾島に到着。
周囲80m、高さ50mの鉾の形をした島。
岩を削って階段風にしてあり頂上まで登れる、、、手すりが無いので強風の日は怖い。
←鉾島
←自然石を少し削って階段に作ってある
海風が強く、松の木とグミの木が斜めになびいて生えている。
←頂上から越前国定公園の海岸
頂上に不動明王が祭ってあり、雄島が見える。

右手に日本海を見ながら海岸沿いの国道305号線を走る。
北陸道ができる前だが、海岸沿いの山や岩を削って国道が建設された。
山の一部を切り取って作った道は両側に切り立った山があり、挟まれてる気分。
山や岩を抜ける短いトンネルがいくつもある。
←越前加賀国定公園を走る

銭ヶ浜園地はバス停、越前岬。
国道を挟んだ山の上に越前灯台、6ヘクタールの水仙畑がある。
水仙ランドは冬は有料だが、4月から11月は入場無料。
海側の園地は変わった形の岩場で自由に散策できるし、面白い。
←銭ヶ浜園地
小石が固まったさざれ石の岩場に隙間があり、気を付けないと危ない。
間欠泉の潮吹き岩があるけど、たまたま、潮を吹かなかった。
どれが潮吹き岩かも知らずに歩き回ったので、潮を吹かれてたらビシャビシャになったかも。
←さざれ石の岩場
さざれ石は1600万年前にできた堆積岩で左右礫岩(さうれきがん)と呼ばれる。
←銭ヶ浜園地と呼鳥門、山上に水仙ランド

少し先の呼鳥門(こちょうもん)近くに愛染明王洞がある。
愛染明王洞の起源は水仙になった娘の話で、恋愛成就、家庭円満のお宮さん。
奥行きが23.5Mある海食洞で、何度も海岸が隆起して現在の位置になった。
海からかなり上の位置にある。
←愛染明王洞

呼鳥門は隆起海岸の海食地形で、日本海に張り出した礫岩が風と波の浸食でくりぬかれた岩。
平成14年まで国道305号の自然のトンネルとして使用されており、車がどんどん走っていた。
現在は石が落ちてくるので立ち入り禁止。
←呼鳥門
←昭和40年の呼鳥門と航空写真

国道305号線は景色がいいし、立ち寄って楽しい所が満載。
←南越前
北前船が寄港した古い町並みが残る河野に到着。
日本海の五大船主である右近家、中村家、刀禰家、船頭の屋敷、金相寺の並ぶ北前船主通りがある。
石柱の門を入ると花壇と広場、長屋門から入ると細い路地に沿って家が並ぶ。
←石の門と長屋門
路地の海側に倉庫が並び、山側に住居が並ぶ。
一番大きな右近家は見学可能(500円)、高い山の上に西洋館がある。
家が並ぶ露地と金相寺の釣り鐘
路地の端まで歩いて、別の長屋門がある。
写真は長屋門を内側から見た所。
←長屋門と北前船
海側の駐車場に北前船が展示してある。
船尾の階段を登り、船に乗って海を眺めると船乗り気分。
河野から敦賀方面への湾岸道路は越前河野潮風ライン。

京都へ帰る道すがら、滋賀県、マキノのメタセコイア並木を通った。
高さ35Mのメタセコイアが500本、2.4㎞続く道。
京都の御影通りもこんなんだし、オランダで両側に背の高い木がダーッと続く道はよくある。
秋にはオレンジ色のトンネルになり、冬は枯れ木のトンネルになる。
←メタセコイア並木
白髭神社の横を通って、琵琶湖とお別れ。
鳥居が琵琶湖の中、神社は道路を挟んで山側にある。
ここから京都の自宅まで30分ちょっとで着く。
←白髭神社の鳥居
越前松島から海辺の道を走って、自然を楽しんだロング・ドライブの1日でした。

 by mikiris


第226回(2018年10月1日)予定変更

 9月4日に台風21号が近畿地方を直撃して、私の予定を大幅に変更することになった。
8月末の台風ルート予想では、何となく、九州より西か関東方面に行きそうな感じ。
太平洋高気圧と秋雨前線の強弱でどっちに行くかな~、と見ていた。
関西はわりと台風から逃れてるので、まあ、こっちには来ないやろと思った。

 少し涼しくなったので9月3日から2泊3日の温泉でも行こうと予約を入れた。
しかし、天気予報を見ていると、日ごとに晴れ予報から曇り、雨へと変化していく。
台風の進路も右か左か、円の中心を進むなら大阪、京都を縦断する。
不吉な予感がして、予約を入れて3日後にキャンセルと日程変更の連絡をした。
もうちょっと、状況を考えてから予約したら良かったのに、アホな私。

予感は的中、9月4日に台風が京都直撃となった。
瀬戸大橋、鳴門大橋、明石大橋を通る予定だったが、橋も高速も全面通行止め。
無理して行ったら、帰れへんとこやった。。。

朝焼けの美しい日で、午前中は晴れて、普段と変わらない。
スーパーも普通に営業してるし、お客さんも普段通り。

自宅でお昼ご飯を食べ終わった頃、暗くなってきた。
「台風はそろそろかな~」「今頃、大阪かな~?」
午後2時になると、突然、雨がパラパラ~と網戸に吹き付けてきた。
「来た来た~」
こんな悠長な事を言ってる場合じゃなかった。

風がどんどん強くなり、今までにない強さ。
ブオンブオンと風が家にぶち当たり、まるで地震の震度3の揺れみたい。
このままでは家が飛ばされてしまう、と思っても家から出られないし、どうしようもない。
風と雨の音に混じって、外からは色んな音が聞こえてくる。
うちのベランダのトタンがベラベラとめくれて大きな音を立ててるが、外に出られない。
部屋の真ん中でじっと、嵐が過ぎ去るのを待つ以外にない。

午後3時半に台風が過ぎて、少し吹き戻しの風はあるけど、落ち着いた。
ベランダに取り付けてるプラの波板が40㎝X2mほど割れて無くなっていた。
割れた切れ端は家の横の路地に落ちていて、上手い具合に私の自転車の前にあった。
他に被害がなくて、一安心。

店はどんな状態かな?と心配だったけど、セコムしてるし、何も連絡ないしな~。
店に到着して、外観はOK。
あちこち確認して、「窓はOK。ガラスもOK。屋根もどうもない」
ドアを開けて、庭を見たら 「どうもある!」
庭に大きな板塀が飛んできて、石灯篭の上に落ちてる。
南天と棕櫚の木が下敷きになり、ばったり倒れてる。
板塀はトユに当たったのか、割れて、大きく穴が開いている。
←板塀の下に南天とシュロの木
隣家では、すでに工務店に連絡済みで、私たちの出勤待ちだった。
工務店が来て板塀を取り除いて、あちこち点検して、後日に修理となった。
隣の奥さんも旦那さんも、恐縮して謝ってくれるけど、天災だから仕方がない。
誰も怪我せず、これくらいのことで済んで良かった。

通勤途中に見た家やお寺の屋根は瓦がささくれたり、飛ばされたり、檜皮葺の屋根も傷んでいる。
平野神社と吉田神社は建物に大木が倒れて壊れてしまった。
仁和寺、南禅寺、伏見稲荷、鞍馬寺、貴船神社、下鴨神社。
京都は古い建物が多く、この先、修復に時間がかかる。
街路樹や鴨川、哲学の道、各家の庭の木が根こそぎ倒れたり、真ん中から折れた。
至る所でそんな状況。

山を見ると、倒木でごっそり緑が無くなっている部分がある。
鴨川の上を飛んでいたトンビを1羽も見なくなった。
トンビは下鴨神社の糺の森に住んでいたと思うが、倒木が激しいので、どうなったか。
黒谷の森に住んでいた鷺の大家族も見なくなった。

店の近所ではビルの屋上のプレハブ小屋が隣の屋根の上に移動していた。
関西で電柱が800本倒れて、1週間以上たっても停電や断水の地域があった。
関空やそのほか、ニュースで大きく取り上げられた被害だけじゃない。

イリスでは10月末にヨーロッパへ仕入れに行こうと、安い飛行機を探し中だった。
関空発着が便利だけど、困った事になった。
関空の第一ターミナルの修理中は伊丹、神戸、名古屋空港に国際線を振り分けるとの情報。
仕入れの日程を変更して、色々と落ち着いてからチケットを予約しよう。

11月に集中していた大学病院での診察が変更になった。
1件は9月に、2件は12月に変更。
11月がすっぽり空いたので仕入れの日程を変更、物事は成るようになる。

毎年、敬老の日は大学のゼミの先生を囲んで、大人の遠足がある。
ゼミの卒業生の家や知り合いのコネを最大限に利用して、普通なら行けないところ、特別手配など、楽しみな遠足。
今年は貴船の川床で食事して、貴船神社と近くの白龍園を散策。
直前まで、予定通りに行けるか気をもんだ。
交通手段の変更、集合場所を変更して敬老の日の遠足は催行決定。

白龍園は同志社の同窓生が所有する庭園で、特別に拝観させてもらった。
10月、11月は事前の予約限定で一般公開している。
オーナーが説明と案内をしてくれた。
←白龍園
白龍園は安養寺がある山に作られた庭園。
江戸時代には京都の大文字送り火は五山でなく、十山だったらしい。
そのうちの一つが安養寺の山でいろはのいの字であるとの説がでた。
詳しくはこれから山歩きをして調べるそう。
←白龍園
庭に100種類の苔が広がり、手作りの東屋が5軒ある。
小川の鯉が跳ねて、貴船の山々を眺めて、ほっこりする。

4日の台風で貴船と鞍馬は台風の被害が大きくて、道路に倒木、水道と電気が不通になった。
しばらくの間、料理屋さんは休業、貴船神社と鞍馬寺は危ないので中に入れなかった。
←貴船口の倒木
貴船神社への道は貴船山と貴船川に挟まれた道だが、どちらを見ても倒木が激しい。
川沿いにある電柱は倒れそうだが、電線で引っ張られて倒れてないだけ。
山の倒木は道路に落ちてこないように片付けられているが、それでも驚くような状況。
叡山電鉄は出町柳から鞍馬まで、山間を走る電車。
一年を通して京都の奥深い山の景色が楽しめる。
しかし、山全体に大量の倒木があり、いつ木が滑り落ちてくるかわからない。
全ての木を処理しないと、安全な電車運行ができない。
←倒木の激しい山
台風から2週間後、貴船神社と近隣の料亭は仮設電線と仮設水道で営業再開。
←貴船神社本殿と貴船山
貴船神社の奥宮は倒木が多くて、入れないが、本殿と境内は参拝できる。
神殿の中に入り、神主さんが大幣(おおぬさ・・紙の付いた棒)を振って、お祓いをし、ゼミのOB会長が玉串をお供えした。
私たちは頭を垂れて、その上を神主さんが鈴を振って周り、邪気を取り払ってくれた。
←ひろ文の川床
貴船の奥の方、川上にある料亭、ひろ文の川床で食事会。
前日まで雨が多かったので、川の水量が多く、ザーザーと流れる水の音で会話が難しい。
←川下で流しそうめん
先生の挨拶は聞こえないし、乾杯の音頭もパントマイム。
自己紹介はヤメて、席が近くの人たちと怒鳴り声でおしゃべり。
すっごい疲れて、この日と翌日は夜7時に寝てしまいました。
←9月の川床料理
関空は営業再開まで半年はかかると予想されていたが、2週間で電車が全面開通、
旅客機も国際線、国内線とも17日後には全面復旧して、元通り。
日本の力はすごい!
全力を傾けて、あっという間に復旧した。

大工さんも左官屋さんも屋根屋さん、あちこちで引っ張りだこ。
店のトユも隣家の板塀も、人手がなくて手付かずのまま。
台風の被害があった友人たちも、
「頼んでも、後回しで誰も来てくれへん」

うちは波板とトユの修理。
ゆっくりと順番待ちです。

 by mikiris


第227回(2018年11月1日)ノラ・ジョーンズの流れる八百屋さん

 兵庫県出石町は日本書紀や古事記にも書かれている古い町。
室町時代には但馬地方の中心地として繁栄した。
出石城は1604年に築城された。
現在は城跡のみで建物は残っていない。
←出石城跡
お城の正面、大手前通りの駐車場は1回400円で時間制限なし。
9時過ぎに行ったら、70台収容の広い駐車場には車が3台だけ停まってた。
←登城橋
城跡が大好きなので、早速、登城。
駐車場の場所がすでに城内で、内堀の中、三の丸辺りになる。
←登城門
登城橋を渡り、登城門をくぐる。
石段を登って、二の丸跡へ。
←二の丸へ
石垣に苔が付いていて、時代を経た美しさがある。
←苔むす石垣
本丸跡に出石城の藩主だった仙谷家の先祖を祭ったお宮さん、感応殿がある。
←本丸跡
本丸より上に稲荷神社があり、神社入口には手水舎がある。
木造の建物のお稲荷さん、狐も灯篭も雰囲気いい。
←稲荷神社
手水舎の横、すっごい細い、木の横をする抜けるような登り口が1574年に築城された有子山城跡への道。
稲荷から有子山の上まで1㎞、所要時間1時間と案内板に書いてある。
道が有るような、無いような、雨上がりの急斜面はドロドロ、ヌルヌル。
熊に注意の看板も。
←有子山登山口
「山の上の城跡まで行ってみよか?」
「登れそうやけど、降りるときにズルっとなりそう」
「今度、熊よけの鈴持って、登りに来よ」

城跡に来て、1時間ほど経つけど、すれ違ったのは2人だけ。
その人達もだいぶん前に降りて行った。
下の方、三の丸で草刈りをする作業員の人が数人居たけど、それ以外は無人、空気もシーンとしてる。
城が建っていた頃を思って、出石の町を眺めた。
←城跡から出石の町を見る
帰りは稲荷の参道になる石段を降りて、大手前通りへ。
←稲荷参道
お城の堀の横に建つ辰鼓楼は日本最古の時計台。
毎日、朝8時と午後1時に時報を知らせる音が鳴る。
←辰鼓楼
大手前通りには皿そばの店と土産物店が並ぶ。
←大手前通り
横の道に入ると、昔ながらの町並みがある。
←宵田通り
武家屋敷や寺、商家が残る町は重要伝統的建造物保存地区となっている。
明治時代の豪商の家が史料館として公開されている。
←史料館
町には骨董屋さんも何軒かある。
置いているのは出石焼の壺や器が多い。
←骨董店と出石焼の原石
町をぶらぶらと散策してると八百屋さんがあった。
栗や梨、柿、椎茸、舞茸、平飼いの卵、豆類を売っている。
粒の大きな紫頭巾(黒豆の枝豆)を2束、卵を買って新聞紙に包んでもらった。
←大手前通りの八百屋さん
この店、店先は八百屋で奥は骨董屋。
明治時代、昭和初期の食器やガラスを置いてる。
店の中ほどにはラッパの蓄音機、壁には山口百恵のドーナツ盤レコードが飾ってある。
開放的な店で、いい感じの曲が流れてる。
メロディ・ガルドーかステイシー・ケントみたいだけど、どうかな?

「この曲、誰のん?」と聞くと
ノラ・ジョーンズ、ええやろ」と店のオジサン。
八百屋さんとラッパの蓄音機とノラジョーンズの組み合わせがお洒落で印象に残る。
←皿そばの官兵衛
出石に来たら皿そばを食べずに帰れない。
店の前に山葵を数本、つくばいの水に入れた蕎麦屋さん、美味しそうな雰囲気がする。
私、美味しそうな店を見つけるの、失敗しないんです。
←店前のつくばいに山葵
店内で蕎麦を打って、打ち立て、茹でたてが出てくる。
小さな皿5枚と卵、とろろ、ネギ、山葵がおろし金に載ってくる。
最初は薬味で食べて、とろろ、最後に卵で食べると店の人が説明してくれた。
←皿蕎麦と蕎麦団子の善哉
追加の蕎麦は皿の枚数を言う。
わんこ蕎麦みたいに、何十枚も食べる人がいるし、子供や女性でも追加5皿は軽いみたい。
私は一人前で充分だけど、イリス店主は食後に蕎麦団子の入った善哉を注文。

地面のマンホールの蓋を見るのが好きです。
それぞれの町のシンボルや一押しの絵になってる。
京都は下水のマンホールが御所車のデザイン、他の蓋は幾何学模様など、面白みがない。

出石町は汚水、消火栓、電気、電話のデザインが凝ってる。
時計台や大手前通りが描いてある。
←汚水、消火栓の蓋
←電気、電話線の蓋

城跡に登って、町を散策して、美味しい蕎麦も食べた、お土産も買った。
これだけ遊んでも午後1時。
お蕎麦屋さんを出て、大手前通りへ戻ると、人、人、人でいっぱい。
駐車場は観光バス、マイクロバス、乗用車が停まって満車になってる。

出石町は昔、山陰線を通すときに駅を造るのを反対した。
歴史ある、由緒ある町に汽車を通すなんて、とんでもない話。
山陰線は出石から離れたところを走り、豊岡に駅ができた。
その後、豊岡は但馬地方の一番の町となって、近隣の町や村の人は晴れの日の買い物や上等なものは豊岡へ行った。
出石町は線路が通ってない、不便な町で忘れられた町になった。

近年、新しい道ができて、車で移動しやすくなり、古いもの良さが見直されてきた。
建物が古くなっても使い続けた結果、出石の町は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
但馬の小京都と呼ばれて、連日、観光客が押し寄せるようになった。
半日あれば城跡、町の散策ができる。

京都から車で2時間なのに、初めて訪れました。
他にも、近場で行ったことない所があるので、ぼちぼちと攻めていきます。

 by mikiris


第228回(2018年12月1日)11月のパリは穴場かインケツか?

 さて、タイトルを見てイリス店主からクレームが入った。
「インケツて、俺らはわかるけど、よその人は知ったはるか?」
「え~、子供の時からインケツって言うてたやん」と抵抗したが、念のために説明します。

トランプや花札で遊んでいて、ろくでもない札が来た時 「インケツや~」
何をやってもうまくいかない日 「今日はインケツや」
英語に翻訳するとアンラッキーでしょうか。
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 10月末に行く予定だった欧州仕入れを天災と私の用事の為、11月に変更した。
11月はヨーロッパでアンティークフェアが開催される時期。

パリでは年2回、200店舗が集まる大きなアンティークフェアがある。
長くバスティーユで開催されていたが、昨年からヴァンセンヌに場所替えとなった。
ヴァンセンヌのフェアが11月8日から18日に開催予定で、チケットが送られてきた。

11月16日ー18日はオランダのユトレヒトで2000店舗が集まる年2回のアンティークフェアがある。
その他、各地で小さなフェアや蚤の市が開催される。
決まった仕入れ先を訪問して、品物をピックアップするのに加えて、追加の仕入れができる。

日程を決めて、飛行機を予約し、パリからアムステルダムへの電車、ホテルの予約をした。
出発の1か月前までに予約しないと、電車など4倍くらい値段が変わってくる。
準備万端、整ったところで、10月10日、ヴァンセンヌのフェア主催者からメールが来た。
「パリ市が約束を破って、対策を試みたが資金ショートして、フェアが開催できなくなりました」

せっかく、日程が上手く組めたと思ってたのに、インケツ。

しかし、たまたまタイミングが合ったフェアのキャンセルなので、ダメージは少ない。
25年ぶりにクリニャンクールの蚤の市へ行くのと友達の新しい家を訪問するのが目的だから。
←雨降り11月のパリ
11月9日、パリに到着。
パリの空港から市内へのタクシー料金は定額で、セーヌ川より北なら50ユーロ、川を越えたら55ユーロ。
空港から市内へのバスはオペラ座まで11ユーロ、モンパルナスまで16ユーロ。
バス停とホテルが近い時はバスが安くて便利。
郊外電車と呼ばれるRERのB線がシャルルドゴール空港から市内、オルリー空港まで走っている。
混むし、駅のエレベーターが使用不可で封鎖されてる時もあるし、これはパスしてる。

到着した日からパリを出る日までずっと雨降り、インケツ。
そして、11月11日は第一次世界大戦終戦記念日。
今年は100年目になり、世界70ヶ国の元首が式典に参加する。
ドイツのメルケルさん、カナダのトルドーさん、プーチン大統領も来る。
式典に関連する場所は数日前からテープが張ってあり、立ち入り禁止、警備の人が立っている。
この期間、市街からの応援を得て、1万人の警官、地方警察、消防士が町を守る。
←凱旋門で終戦100周年記念イベント
式典に使われる場所近辺は厳戒態勢で車も歩行者も入れない。
11月10日にオルセー美術館で朝から開会式があり、美術館は閉館。
11日は凱旋門、シャンゼリゼなど地下鉄の駅が封鎖されて使えない。
バスティーユ広場では「トランプ帰れ」のデモ。
その辺りに泊まっていたらインケツだったが、幸いにも私のホテル近辺は規制外の地域。
←ヴァヴァン
泊ったのはモンパルナス近くのVavin(ヴァヴァン)駅前のホテル。
40年前に2週間ほど、ヴァヴァンに滞在したことがあり、治安が良くて便利だった印象が残る。
リーズナブルでお洒落なカフェやレストラン、個人商店、小さなホテルがあった。
今は映画館やファストフード、ブランドの店が並ぶ賑やかな場所。
私のお気に入りのオーガニックの店もあり、嬉し~。
←オーガニック・ファストフード
地下鉄の駅が徒歩圏内にいくつもあり、バスも便利な所。
ホテルの隣は今年の「バゲットが一番おいしい店コンテスト」で優勝したパン屋さん。
←2018年バゲット・グランプリの店
パリでは土日に大きな蚤の市が二か所ある。
環状線の南にあるVanves(ヴァンブ)の蚤の市と北のClignancourt(クリニャンクール)の蚤の市。

土曜日の8時半、クリニャンクールへ行ったが閉まってる。
昔々に行ったときは7時には開いてたのにー。。。。浦島太郎状態で唖然。
その辺のカフェに座ってるオジサンに聞くと、「10時からしか開かないよ」
どっか開いてないかな~、とウロウロしても閉まってる。
雨がボショボショ降るし、うすら寒いし、居場所も無く、インケツ。
←クリニャンクールの蚤の市
9時半を過ぎて、ボツボツと店が開き始めた。
蚤の市はいくつかのブロックに分かれていて、各ブロックに100軒ほどの店がある。
幅2mの露地が迷路のように入り組んだ所では、店から出て傘をさす、隣の店に入るのに傘を閉じる。
店から出て傘をさす、向かいの店に入るのに傘を閉じる。
あ~、めんどくさ。
私はフード付きの綿コートを着てたので、折り畳み傘をたたんで、フードをかぶって店を物色。
レインガードをしっかり吹き付けたので、雨水ははじかれる。

こんな雨降り、終戦記念100周年イベントで交通も滞る日。
クリニャンクールの蚤の市はどこのブロックも活気が無く、閉めている店もある。
歩く人はまばらで店の人はあきらめムード。
「今日はインケツって思ってるんやろな」

仕入れできそうな、ピンとくるものを置いてる店が数軒。
品物を選んで「オマケして」と安くしてもらう。
アンティークフェアが取りやめになり、雨降りで不況感が漂う日。
表示価格の半分まで下げてくれる店があったので、ある程度、まとめて購入。
とても綺麗なレースがあったけど、仕入れるには高い。
店の主人と世間話の後、「これを言ってた値段の半額にしてくれへん?」と聞くとOKが出た。

魚心あれば水心、国が違っても、会話をして、和やかになり、商談もスムーズになる。
京都の店で売るのに、お客様に喜んでもらえる品物と価格にしたい。
仕入れするには良い日だったが、蚤の市の店にはインケツの日だったやろな。

翌日、日曜日は朝からヴァンブの蚤の市へ。
昔は暗いうちから人だかりする泥棒市みたいな所だったが、今は9時から。
蚤の市を遠くから見ただけで、買うものがなさそうな雰囲気。
アフリカ系やジャンク、がらくた、古本、古着が道路沿いに並ぶ。
雨の中を往復して、仕入れる品が無いのを確認した。

午後3時に郊外の友達宅に行く約束があるが、それまで時間がある。
パリの植物園に行ってみよう。
←オステルリッツ駅
この日はホテルを出るときは曇りだったので、イリス店主が
「傘と水は僕が持つわ」と言ってくれた。
私のバッグは小さいし、折り畳み傘を入れる余地がない。
ヴァンブの蚤の市から植物園へ移動する間に雨が強く降り出した。
「傘、傘」とせかすと
「あ、あんたの傘、忘れたわ」
←植物園
何てインケツな日。
仕入れはゼロやし、雨降りに傘が無いなんて。
昨日から濡れ続けて、レインガードが洗い流され、何となく肩が冷たい。
園内では「絶滅した生き物展」を開催中。
雨に濡れそぼって、水たまりだらけの泥道の公園を歩いて、インケツやわ~。
日曜日だが、植物園に来る人はまばらで寂しい。
←巨大な飾りと動物園入口
植物園の温室は19世紀の建築で美しい。
しかし、京都の植物園の温室に比べて、小さいし、種類が少ない。
建物は素敵だけど、見せ方に工夫もなく、花や実が付いている物もない。
え、もう終わり?
これで7ユーロ(900円)?とインケツな気分。
←温室の正面、裏面
←温室内
午後3時、郊外に家を買った友達の所へ。
電車の切符を買って、濡れた手で握り閉めていたら、出口で機械に切符だけ取られて扉が開かない。
先に出たイリス店主はエスカレーターで登ってしまって、戻れない。
インターフォンのボタンを押して事務所の人に
「切符を入れたけど、扉が開かない」と言うと機械から「ガーガー、グジャグジャ」と返事。
「何を言うてるか良く聞こえないし、わからない」と押し問答。
もー、今日はほんまにインケツやわ、と心の中で愚痴。

後から来たフランス人夫婦が声をかけてくれて、私に聞きながら、インターフォンに説明してくれた。
「機械が切符を食べてしまいました」「それなら階段出口から出てください」
出口がわかって、地上へ出たが、イリス店主の姿がない。
またまた、その夫婦が一緒に探してくれて、お世話になった。

夜、ホテルに戻って、終戦記念日のイベントをTVで見た。
色々あったけど、このような歴史的な日にパリに居られて良かった。
←100周年イベント
ニースに住む友人が電話で
「これからは11月にパリに来たらダメよ。11月は雨が多いし、イベントもあるし」
「うんうん、2年前はコップ21とパリから出る日が重なったしね」
コップ21の当日はパリに入るすべての交通が遮断された。
パリから出る交通は規制なし。

10月後半から11月初めにかけて、フランスではトゥッサン(toussaint)の時期。
全聖人の日で学校も会社も秋休みを取る。
昔は田舎に戻って、お墓参りをする時期だったが、今は海外旅行する人が多い。
なので、パリのホテルが空いていて安い目の時期。

仕入れの為に11月にパリへ行くのは、以外にラッキーで良い仕入れができるのか、
気まぐれな天気とイベントに振り回されてインケツな時期なのか。

翌日、私たちはパリの北駅からオランダを目指したのでした。
←北駅とタリス乗り場

 by mikiris


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