第229回(2019年1月1日)オランダで自転車に乗る

 何で、こんな状況になってしまったのか、、、
まったく、そんなつもりはなかったのに、、、
だから、お洒落なミニのワンピースに薄手のトレンチコートで出かけたのに、、、、

 仕入れの最終日、朝から荷物を梱包して、全ての用事が終わった。
パリでは雨続きだったが、オランダへ移動してから晴れ続き。
今日も青空が広がる良い天気。
←良く晴れた日
 思い立って、国立公園の中にあるクレラーミュラー美術館へ行った。
公園は5500ヘクタールで京都御所60個分。
伊勢神宮や東京の世田谷区と同じくらいの広さで入口が3か所ある。

ずいぶん前に来たときは美術館まで10㎞の距離の入口から入って、公園の中をトロトロと走った。
閉館時間前だったので美術館の駐車場に停めて、館内の絵を鑑賞して帰った。
←国立公園の中に美術館
今日は良い天気だし、時間もたっぷり。
美術館で絵画鑑賞と公園をちょっとだけ散歩したい。

国立公園の外に車を停めて、外に出ると空気が冷たい。
今だけ、寒いけど、美術館の中は暑いだろうし、我慢しよ。

チケットを見せて公園に入ると 「えっ?」 駐輪場に大量の自転車が。
案内板を見ると、美術館まで自転車で15分と記してある。
徒歩なら40分、往復で1時間半?
全部で1800台の自転車があり、無料で乗り降り自由。
他の人たちは当然のように自転車にまたがって走っていく。
←自動車道の左に自転車道
こんな事なら車で公園内に入ったのに、、、
公園内の駐車場は900円だが、外の駐車場は500円。
400円をケチったばっかりに、予想外の事態になった。
←外の駐車場 3.4ユーロ
自転車なんか、11年前に心臓の手術をして以来、ほとんど乗ってない。
退院してから何度か自転車に乗って、通院したけど、先生達が嬉しくなさそうだった。
血液サラサラの薬を飲んでるので、怪我をすると大事になる。
そのうちに乗らなくなって、10年以上経ってしまった。
←自転車置き場
「昔に乗ってたし、まあ、大丈夫やろ」
大人用の自転車を取ったら、メチャ重い。
ママチャリに見えるけど、鉄製でゴツイし、足が地面に届かない。
ハンドルにブレーキが付いてなくて、逆回転すると止まるオランダ式。
乗るときはケンケン乗りで走り出す。

ちょっと試したけど、緊張して力が入り、ハンドルがグラグラする。
逆回転で止まって、足が付かないので地面に飛び降りる。
「あかん、これで走ったら、コケてパンストが破れて、膝から血が出て大変な事になる」

自転車の種類は大人用と子供用の2種類。
子供用の自転車を取って、椅子を高く上げて調整した。
これなら、足がつくし、何とかなりそう。
←自転車道を走るイリス店主
自転車道を走りだしたが、オランダ人の流れに乗るには子供用の自転車なら倍の速度でこがなければならない。
良い天気だったけど、気温は3度、風がビュー。
今朝は車も凍っていた。
すごい寒いけど、必死でこいだら温まるはず。
←ヒースの草原、自転車道
子供用を必死でこいで、トレンチコートはマントのように広がってなびく。
こちら向きに走ってくる人達は目を丸くして私を見る。
にっこり笑ってるようにも見える。
「日本のオバちゃんが小さい自転車にかじりついて、必死のスピードで走ってる~」
そんな風に見えてるかな?
オランダ人は両手を離して、足だけでサーっと漕いでいく。

イリス店主は私を見て「猿回しの猿が自転車を漕いでるみたいや~」と笑いが止まらない。
私は大きな病気と手術したのに、今、オランダで自転車をこぎまくる自分の元気さが嬉しくて笑いが止まらない。
二人とも、「ワハハー、あははー」と別の理由で大笑いしながら公園の自転車道を走る。
←子供自転車で
イリス店主は
「お前、前から来る人にパンツ丸見えやぞ」
「ええねん。タイツ履いてるし、見えてもかまへん」
←森や林、草原の公園
公園は森、草原、砂場が点在して、イノシシ、鹿、羊、狐など動物が自由に暮らしている。
景色を楽しみながら、森の中をゆっくり走ってると、奥の方で何かが動いて「ブヒッ、ンゴッ」と聞こえた。
「ウワッ、イノシシが居る。こっち来たら怖いやん」  全速力で走り抜ける。

走るルールは右側通行、追い越しをかけるときは左から。
私は追い越されるばっかりなので、後ろから自転車が来たら右端に寄って走る。
美術館から駐車場へ戻るのに、自転車以外の方法を探しが、無かった。
結局、寒風の中、自転車で往復しました。

美術館は館内も庭園も見ごたえがあった。
入口で迎えてくれる”ミスター・ジャック”と並んで写真を撮ったり、館内も撮影自由。
赤いオブジェは”K-ピース”。
←美術館入口
館内に入って、最初に目に入るのがジャコメッティの細いオジサン。
←ジャコメッティ
ゴッホのコレクションが有名で、若い時の作品からダーッと並ぶ。
←ゴッホの絵
レモンと瓶のバスケット、アルルの跳ね橋(Pont de Langlois)、郵便配達夫
←ゴッホの絵
糸杉と星の見える道(Country Road in Provence by Night)、オリーブの木(Olive Grove)、夜のカフェテラス
ピサロ、ルノワールの作品も。
←ピサロ、ルノワール
ピカソの小さなフクロウ (Little Owl)
←小さなフクロウ
声を出して反響するアートは何処から声が聞こえてくるのか不思議。
同じ部屋に居た人達と 「何処かな? 何処から?」
←声が聞こえるアート
17世紀のオランダの絵画、出島を描いた南蛮屏風。
一軒ずつ家が描いてあり、古地図の様な屏風。
こんなの持って帰って良かったんかな?

白デルフトの皿が描いてある作品。
このお皿、私も持ってる=。
←オランダ絵画、出島屏風
広い庭に展示してあるアート。

←庭の現代アート
オープン・スペースの建物にも展示品。
←オープンスペース

オランダで自転車に乗るなんて、思いがけない体験をしました。
「今度は暖かい季節にお弁当を持って、公園内を自転車で回りたいね」
とイリス店主と二人で話したのでした。

実現すれば嬉しいけど、私は打ち身や怪我をしそうな事は厳禁、主治医と薬のおかげで普通に暮らせてる。
やっぱり、次も子供用自転車で走るかな。。

 by mikiris


第230回(2019年2月1日)また来た。オランダからの手紙

前にこの手紙が来たのは2010年。
来てほしくない手紙がまた来た。
←レンタカー
手紙はCJIB(Centraal Justitieel Incasso Bureau)、交通違反の罰金取りを交通局から委託されてる会社から振り込みを要求するもの。
オランダの道路すべて、高速も国道もどこでも、スピード違反をチェックするカメラがある。
日本のナビは「1㎞先にレーダーがあります」と教えてくれるし、ピコピコと大きな音が鳴る。
オランダのナビはなーんにも教えてくれない。

スピード違反のカメラは前方に設置されてるのと、陸橋や行先パネルの裏側に設置されてるのがある。
道路沿いに照明灯のフリをして立ってるカメラもある。
気を付けてるけど、知らない間にパシャっとやられてる。
←パネルの裏側、道路沿いのカメラ
今回は4㎞オーバーで罰金35ユーロ。
高速道路を降りて、郊外の大型スーパーへ行く途中で撮られたらしい。
制限速度60㎞の道と思っていたが、50㎞だった。
←CJIBから手紙
お知らせの手紙には場所、時間、車のナンバー、道路の制限速度、走行速度に加えて補正した速度が書いてある。
補正した速度で何キロオーバーだったかを計算して罰金が来る。
期限までに支払わなければ2度目の請求は50%増し、3度目はもっと高くなる。
前回は80㎞制限の道を88㎞で走っていて、3㎞オーバーの罰金が来た。
今回は50㎞制限の道を57㎞で走っていて、4㎞オーバーの罰金。
補正の基準は何やねん、と思うけど、その時、そこを走ってたのは事実。

スピード違反取締はオランダのニュースでも度々、話題になっている。
カメラの台数が多すぎる事と1㎞や2㎞オーバーでも罰金を課すのは渋滞の元。
議会では何度も厳しすぎるスピード違反を廃止するか、別の方法を考えるか、議題になっている。
しかし、スピード違反の罰金の金額が莫大で国の重要な収入源なので、いつも議題は流れる。

支払いの為に銀行へ出向き、送金先を怪しまれて、クドクドと説明して、カッコ悪い。
ほんま、スピード違反の取り締まり、腹立つ。

腹立つので、「車なんか借りんとこ」で終われたら良いけど、車がないと仕入れに差しさわりがある。
空港で車を借りて、オランダ、ベルギー、ドイツを走って仕入れする。
最終日に仕入れた物を詰めた段ボール箱と旅行鞄を載せて空港まで走り、車を返却する。
とても持ちきれない量の荷物なので、今の仕入れ方法だと車があると便利。
←空港のレンタカー会社
ドイツの高速道路 アウトバーンは雨降りや渋滞の時は制限速度が80㎞になるが、それ以外は制限速度なし。
4車線の所が多く、車線の幅が広いので時速140㎞で流れに乗り、追い越すときは200㎞で一気に抜く。
国境をまたいで走っていて、国によって速度制限が違うので要注意です。
←ドイツの国道
ドイツからオランダのユトレヒトへ移動する途中、ベイク ベイ ドゥールステーデ(Wijk bij Duurstede)に泊まった。
翌日はユトレヒトの骨董祭の搬入日なので、朝8時に行って、仕入れをしたい。
ユトレヒトから車で30分にある小さな町。
ローマ時代からライン川沿いの要所で中世の頃はヨーロッパ貿易の拠点だった。
←ファン・エグモント広場とシンゲル運河
一周すると1時間ほどの旧市街を散策した。
←フェルド・ポールト通り
中心の通りから15世紀中頃の教会が見える。
←15世紀中頃の教会
←旧市街
商店街の中、家の壁に抜け道がある。
京都の祇園にある露地のような物で通り抜けできる。
抜け道、近道、知らない道を通るのが好きなので、素通りなんかできない。
ミステリーの世界に吸い込まれてしまいました。
←建物に細い通路
建物の中の通路を抜けると裏庭の壁に挟まれた細い通路に出る。
通路を抜けると広い石畳の並木道が現れる。
中世の石畳を歩いて、タイムスリップした気分。
←露地と石畳の並木道
振り返ると潜り抜けた建物は見えるが、露地は見えない。
石畳の並木道を通り抜けてお城に到着。
門をくぐると、13世紀に建築された最初のレンガ造りの城、オランダで最も古い城跡の一つがある。
←お城の入口にある石のパネル
樹齢150年以上の木々に囲まれた城の周りには堀があり、登城には跳ね橋が唯一の通路。
季節外れだったので、ひっそりとして誰も居ない、お城も閉まっていた。
お城は結婚式やイベントに貸会場と利用されてる。
4月ー10月、週末には中庭でカフェが営業される。
←ドゥールステーデの城
水に浮かぶ城が夕陽に映えて美しい。
←堀に映る城
城を出て、城壁沿いに歩くと風車が見える。
中世の頃、風車が町の出入り口の目印だった。
風車の前の道は車1台が通れるくらいの幅だが、かつては電車が走っていた。
←城壁から風車へ
旧市街の外、街道沿いの旅籠だったレストランホテル De Gouden Leeuwに泊まった。
ジャグジー付きの部屋を予約して、朝食付き2人で100ユーロ(12,000円)。
レンタカーがあると何処でも行けるし、全部で10室もない小さな旅籠にも泊まれる。
しかし、部屋のレイアウトは刑務所みたいな、セキュリティーもプライバシーもゼロ。
部屋の真ん中に壁1枚、壁を挟んでお風呂場、トイレ、反対側に寝室。
パネルみたいな壁の両端は扉がなくて、いつでも行き来自由のスースー。
←レストランホテル、ゴールデン・ライオン
1階のレストランの入口の上の部屋がスイートルーム。
夕食はホテルのレストランで。
前菜に森のサラダとマスタード・スープ。
辛子のスープはドイツやオランダの田舎料理。
洋辛子の香りがして、コクがあり美味しかった。
←サラダと辛子スープ
仔牛のペッパー・ステーキと若鶏のハーブ焼き。
小さな若鶏の中にぎっしりと摘みたての香草が詰まっていて、ハーブ風味の鶏で美味しかった。
付け合わせはサラダとジャガイモのフリット。
←ステーキ、若鶏、付け合わせ
朝御飯は搾りたてのオレンジジュースとパリパリのクロワッサン、ハム、卵とコーヒー。
オランダにはレストラン・ホテルが多くて、冷凍やレトルトを使わず、自然の素材を生かした料理を味わえる。
←朝食
翌日、早めにチェックアウトしてユトレヒトのフェアへ。
ホテルを出た時は1M先が見えない霧中だったが、ユトレヒトに着くころには少し霧が晴れてきた。
←霧の中をユトレヒトへ
2000店舗が出るアンティーク・フェアの搬入日。
朝から行って、ザーッと回って昼には買い終わる、午前中勝負の日。
←ユトレヒトのフェア、搬入日
大きな物や重い物、買った品物を知り合いの店に預けながら買いまわる。
最後にピックアップして、まとめて車へ運ぶ。
やっぱり、こういう場面でもレンタカーがあると便利。

イリス店主は高校3年の時に車の免許を取り、今まで無事故。
スピード違反は何度かあるので、これからも気をつけなければ!
オランダのナビにも日本みたいに警告を付けてほしいわ~。

 by mikiris


第231回(2019年3月1日)信じないけど、信じる
 
 二十数年前の出来事。
フィンランド人の友達に不幸が続いた。
フィンランド政府の仕事でベルギーに住んでいた彼女の隣室で強盗殺人があった。
訪問したことがあるけど、広い並木道の側に建つ高級マンション。
治安の悪い国に住み、安い給料で働くのを嘆いていた。
←ベルギーの町並み
しばらくして、フィンランドに居るお父さんが亡くなり、家族が病気になった。

慰める気持ちで私が持っていた真珠の首飾りと一緒に銭亀を一個送った。
銭亀は財布に入れたら幸運が来る、とか何とか説明した。
←銭亀
その後、首飾りを付けて時代物ドレスでコスプレした写真を送ってきたことがある。
しかし、銭亀の事は話題にのぼらず、私も忘れていた。

そして20年後、去年の出来事。
彼女からメールで「ずっと前に送ってくれた小さな亀を1個、送って」と言ってきた。
「亀?何の事やろ?」と悩んで、思い出した。
そういえば、ずっとずっと昔に小さな銭亀を送ったことがある。

「亀が来てから、ずっと良いことが続いたの。
 叔母さんからマンションを遺産としてもらったし、母国に帰って、良い仕事について、何もかも順調だった。
 少し前に亀が壊れて、失くなったら悪いことが続くし、お願い、あの亀を送って。」

同じ亀を探しに行ったが、20年の間に京都は変化して、目当ての店は無くなってる。
市内のあちこち、旅先で古い感じの、昔の在庫が残ってそうな店を物色しても、亀は無い。
どの店でも入ってウロウロするけど、何も買わないし万引きに間違われてそう。
しかし、何としても同じ亀を見つけて、送ってあげたい。

探し回って、2か月後、偶然にも同じ亀を見つけた。
早速、7個買ってフィンランドへ送った。
「ありがとう。1個は妹にあげて、残りの6個は自分用に持っておく」

私はお守りとか信じてないし、特に興味もなかった。
数か月後、亀の店の前を通りがかって、ふと思い立って、初めて自分用に買ってみた。
埃まみれの箱には私が買わなかった亀たちが残っていた。

亀のおかげかどうか、閑古鳥が鳴く、暇なイリスだったのに、突然、連日のお客様。
それも、初めてのお客様が次々と。。。。!
その他にも、お金にまつわるラッキーな事、普通では考えられないオマケが何件かあった。

昨秋、フランスへ行くことになり、ニースに住む友達とパリで会うかどうか相談した。
ほぼ、毎日、メールをするフランス人の友達。
5年前から全身の筋肉が痛くなる病気で病院に通っている。
体調が良ければパリで会うことにしていたが、ギリギリまで様子を見て無理だった。
亀の話をして、気休めだけど、送ることにした。

不思議な事だが、病院の先生が新しい先生になり、薬を変更したら痛みが消えた。
「何年ぶりに痛みから解放されて嬉しい!」
「数年ぶりに友人達を招待し、私の手料理で主人の誕生パーティを開いたの」
「亀のおかげ。ありがとう」と喜びのメール。

オランダでお世話になってる取引先にも亀をプレゼントした。
話の乗りで、財布に入れて、「良いことがあったらいいなー」とか言ってた。
数か月後、オランダからメールで
「年末に展示会をやったら、ヨーロッパ中からお客さんが来て、大盛況だった。
 大口のお客さんができて、亀のおかげだ。
 亀の首は取れたけど、効果は薄れてない。ありがとう」

日本人だけど、ヨーロッパに住んで、一人で頑張ってる友達がいる。
異国の地でフリーランスでやっていくのは厳しい。
なかなか大変な状況だったので、
「今度、会うときに持ってるといい事がある亀をプレゼントするわ」と言っただけで、
「長いことかかったけど、新しい土地で仕事が入った」と嬉しい知らせ。
亀のおかげ、かな~?

その他にもプレゼントした人、プレゼントを約束しただけでも、ラッキーな事が連発。
「すごいな~、亀の威力」 と感心するけど、私自身には効果が薄れてきている?
最近、これと言って画期的にラッキーな事が無い。

フランスの友人が銭亀のお礼とクリスマス・プレゼントを兼ねてレースの本をくれた。
彼女はレースを知らないので、本屋さんが勧める本を注文して、日本に送ってくれた。
1月も中頃になり、やっと本を見る時間ができた。
本を開いたら、最初に載っているレースが、なんと、長年探しているレースの説明。
←レースの本
フランスの北部、ベルギー近くの町で作られたポワン・ド・スダンというレース。
このレースが作られた期間が短く、とても高価だったので数が少ない。
ポワンドスダンの事を知りたかったが、説明されている本や写真が無く、情報がほとんど無かった。

本に掲載されている写真を見て、
「このレース、私のコレクションにあるかも」とレース箱を探したら、有った。
←ポワン・ド・スダン、1680年頃
ポワンドスダンの情報が無かったので、別のレースと思っていた。
本には見分け方や歴史が何ページも書いてあり、しっかりと学習して覚えた。
ポワン・ド・フランスから発展してボタンホールステッチのネットと大柄なモチーフが特徴。
今なら、どこで見ても、スダンと他のレースを見分けられる。
チルチルミチルの青い鳥が家に居た気分!

フランスの友達に「亀のおかげ」とメールしたのは当然の事。

3月20日から開催するレース展のテーマが決まらなかったが、ポワン・ド・スダンを見て、一瞬で決まった。
テーマは18-19世紀のフランスのレース。
手刺繍で作るニードルレースを100点、ボビンを使って織るボビンレースを60点、展示する。
コレクション箱のレースは20-30年前に手に入れたものが多いので、こんなのがあったのか~、と驚きながら選ぶ。

展示会ではポワン・ド・スダンの他、ポワン・ド・フランス、アルジャンタン、アルジャンテッラ、アランソン、リール、
ル・ピュイ、シャンティイ、バレンシエンヌ、ポワン・ド・パリ等の技術とデザインの優れたものを展示します。
←ポワン・ド・スダン、1720年頃
ボタンホールステッチで作ったネット部分とエキゾチックな植物をデザインしたポワン・ド・スダン。
スダンはフランス革命と共に消えてしまったレース。
←アランソン、1730-50年
細かい網目のアランソン・グラウンドと可愛く盛り上がった花のデザインのアランソン。
1700年代初めから1800年代中頃まで、変化するデザインだが常に可愛い。
→アルジャンテッラとアルジャンタン、1750年頃
普通の網目に見えるが一目ずつがボタンホールステッチで作って有り、糸の細さと手間を考えると言葉が無くなる。
どちらのレースも1750年頃が最盛期で1700年代末にマリー・アントワネットが軽いレースを好んだ為に作られなくなった。
←ポワン・ド・フランス1700年頃
1600年代にイタリアやベルギーのレースを輸入せずにフランス国内でレース産業を発展させる為に考案された。
ボタンホールステッチや縁かがり縫いのネットと盛り上がったモチーフが可愛いレース。
←ブロンドレース、1800年頃
金色に輝く細い絹糸で織ったボビンレースは1700年代末に大流行した。
細い絹糸なので良い状態で残る物が少ない。
←リール、1780年頃
ベルギーのメッヘレン・ボビンレースに似たデザインを簡単なグラウンドにして織ったレース。
←バレンシエンヌ、18世紀中頃、19世紀中頃
1700年代から1800年代とデザインが大きく変化したボビンレース。
シンプルな模様に見えるが、網目部分にとても手間がかかっている。
←ル・ピュイ、19世紀
両端がキリっとしまったリーフと曲がりくねった一本道のようなデザインが特徴。
太めの黒い糸の作品が多い中、白色や極細糸のル・ピュイは珍しい。
←黒と白のシャンティイ、19世紀
アラビアゴムで黒く染めた細い絹糸で織ったレースは1850年頃にフランスで人気だった。
優雅な花のデザインが多く、ストールやオーバースカートの大判レースも。
シャンティイの99%は黒い絹糸で作られており、白糸で作ったシャンティイはとても希少。
同じく、99%が金色の絹糸で織ったブロンド・ボビンレースですが、希少な黒い絹糸のブロンドも展示します。

天使の髪の毛のように細い糸で作った18-19世紀のレースは本当に美しい。
展示品は見せるだけじゃなく、販売します。

プレゼントした相手に幸運を運ぶ銭亀ちゃんだけど、巡り巡って私にも運んでくれている。
友達から「ありがとう」のメールをもらって、私も嬉しい。
本人の実力の結果や偶然の出来事を「亀のおかげ」と乗りで遊んでくれる年上の友達が居るのは幸せ。
そして、普通な毎日を過ごして、毎晩、ぐっすり寝られるのが、私にとって一番の幸せ。
亀の効果が続いてるのかな~。

銭亀ちゃん、本当は信じてないけど、信じてるよ。

 by mikiris


第232回(2019年4月1日)熊野三山

 江戸時代、一生のうち伊勢に7度、熊野に3度、お参りをするのを良しとした。
どちらかの回数が少なくても、片参りと言われる。
私は小学校の修学旅行を含めてお伊勢さんは4回、熊野は今回が3回目。

京都から和歌山県、熊野本宮へ行くルートは3つある。
大阪を経由する西ルート。
伊勢から尾鷲を通る東ルート。
真っすぐ南へ下がって、奈良、高野山を通る24号線ルート。

今回は大阪経由の西ルートで熊野三山をまわり、東ルートの尾鷲経由で京都に戻った。

道中、高速や新しい広い道ができているが、川の向こうや山の中にオリジナルの熊野古道が見え隠れする。
京都から若狭へ抜ける鯖街道みたいに、幅1mの細い地道が山の中、川沿いにある。
熊野古道沿いに集落が点々として、その近辺は軽トラが通れるくらいまで道が広くなってる。
使われなくなって、けもの道のようになった古道が木々の間から見える。
そんな細い道が所々でツルツル~と下ってきて広い車道、国道に繋がっている。

車のナビを更新してないので、新しくできた高速道路を知らないナビは一つ手前で降りる指示をだす。
おかげで他の車が通らない、細い地道を走り、使われてない熊野古道を何か所も見た。
車でザーッと通るだけだが歴史の道、小さなお宮さん、滝、古道にちなんだ地名を見て楽しい。

お参りには順番があって、最初は熊野本宮。
←熊野本宮
本宮の中には小さなお宮さんが並んでいて、お参りする順番があるけど、そこは適当に、空いてる所から。
←熊野本宮内
熊野本宮は昔、熊野川、岩田川、音無川の中州にあった。
←大斎原の中州
1889年(明治22年)に熊野川の洪水で流され、残った部分を使って山の上に新しく造られた。
最初にあった大斎原の神社は鳥居と敷地だけ残され、イチイ木がうっそうと茂っている。
←大斎原
原始の頃、神々がイチイの木に舞い降りた、と言い伝えがある。
木に囲まれた、土の道の参道は森を散歩するみたい。
山の上の本宮から徒歩5分だけど、来る人は少ない。

江戸時代には山の上の本宮から海近くの新宮、速玉神社まで川下りで移動した。
←左に神倉神社、右は速玉神社と川下り
速玉神社は本宮より新しく建てられたので、新宮と呼ばれた。
新宮市の名前の由来です。
←新宮の速玉神社

速玉神社の隣、徒歩15分に神倉神社がある。
最初の熊野古道とされており、源頼朝が寄進した538段の石段がある。
ご神体は山の上にある巨大な石、ごとびき岩。
毎年2月6日に松明を持った男衆が階段を駆け下りる祭事がある。

本宮、新宮をおまいりしてから那智大社へ参る。
熊野三社をお参りするのに、唯一無料駐車場がないのが那智大社。
私たちはお滝餅を売ってる”和かや”の無料パーキングに停めている。
店前にある山登りの杖を借りて、目の前の階段を登る。
←那智大社の階段
神倉神社ほどではないけど、石の階段が473段。
←手水舎から階段で上へ
長く本殿の修復工事がされている。
←那智大社
西国1番札所の青岸渡寺の修復は終わって、カバーが外されてすっきりしてる。
←青岸渡寺
ここから見る三重の搭と那智の滝は季節を問わず美しい。
しばらく雨が降ってないので、滝が細くなってる。
←三重塔と那智の滝
青岸渡寺を通って、463段の石段を降りる。
←三重塔から石段で滝へ

那智の滝がある飛瀧神社の入口に到着。
←バス用駐車場と飛瀧神社
入口の鳥居から滝までの石段は133段、那智の滝の高さ133Mに合わせてある。
←133段の石段で滝へ
瀧の前に果物や野菜、鯛をお供えして神主さんが神事をしていた。
地元のテレビ局が撮影していたので、この日のニュースになったのかな?
←滝の前で神事
大きなおみくじの筒は133cm。
←133cmのおみくじ
筒を持ち上げて棒を出し、巫女さんに数字を言うとおみくじの紙をくれる。
小吉だったので、もっと良くなるように紐に結んだ。
今が小吉で、これからどんどん良くなって大吉になりますように。
←熊野灘
帰り道、熊野灘の七里御浜にある花の窟(はなのいわや)神社へ。
←花の窟神社
日本書紀に伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火の神を生んだ時に火傷をして亡くなり、ここに埋葬された、と記してある。
ご神体は巨大な岩で、本当にどうしてこんなに大きな岩が台風にも地震にも負けずに残ってるのか不思議。
←手水舎と丸石
手水舎の横にある丸石は御神体の岩から落ちてきた石。
御神体の岩は高さ45M。
←御神体の岩
毎年、2月2日に綱を新しく張る神事がある。
岩の上、地上45mの所に17mに渡って綱を張る。
←伊弉冊尊の御陵

熊野辺りには、古道沿いに小さな神社、お宮さんが沢山ある。
江戸時代には盛んに人が往復した様子を想像して、楽しくなった。
晴れた日なら熊野灘に昇る朝日が見える。
昔の旅人は朝日を見ながら出立したのかな。
←熊野灘の朝日
気候の良い時にぶらっとするのも良さそうです。

 by mikiris


第233回(2019年5月1日)絶景なり、富士山

日本晴れの日に新東名で京都から富士まで走って4時間、以外に近い。
静岡に入って、トンネルを抜けると目の前に富士山。
←トンネルを抜けたら富士山
それまで緑色の丸い山が連なった景色だったが、富士山だけ飛びぬけて巨大、シュッとした形。
「おー、富士山」 一瞬、感動する。

富士山の西南、人口湖の田貫湖を挟んで見る富士山は絶景。
私と富士山の間に建物が無く、距離が近い。
すっごく大きく見えて、感動。
←部屋の窓から富士山
富士山を見ながら田貫湖を一周して一時間の散歩。
←田貫湖を一周
この湖畔に国民休暇村、キャンプ場、バンガローがある。
富士の休暇村は世界の絶景ホテルベスト10にランクインしている。
この周辺は国定公園に指定されており、富士山の後ろから登る朝日が見える。
1年に2回、頂上から陽が昇るダイヤモンド富士になるのが4月と8月。
←日の出
湖畔の休暇村は全室、富士ビューなので天気がよければ最高に気分いい。
部屋からも、レストランからも、ロビーからも、展望台からも、富士ビュー。
もちろん、温泉からも富士ビュー、露天風呂が有れば最高なんだけどな。
夜中に目を凝らすと黒い湖の向こうに富士山の黒い影が見える。

田貫湖から富士山の裾野の南側を回って箱根までぐるっとドライブ。
あちこちに富士ビューのスポットがある。
←富士山を見ながら箱根方面へ
信号で止まって横を見ると富士山、ファミリーマート裾野須山店の駐車場から富士山、ガソリンスタンドから富士山。

箱根美術館は箱根強羅の坂道を登った所にある。
かなり急な坂道を登った美術館前にバス停と駐車場がある。
美術館の敷地は昭和初期の別荘数軒と強羅公園の一部だった所。
敷地内に建物が数軒あり、昭和の洋館、純和風建築が展示室や茶室になってる。
←箱根美術館
本館は天井が高く、大きな窓があり、自然光で展示品を鑑賞。
1階には古伊万里、古九谷、江戸の工芸品。
←伊万里
2階の展示室に縄文時代の焼き物、可愛い埴輪、六古窯の壺。
←埴輪
ロビーを挟んで、古染付、ガンダーラの仏、中国美術が展示してある。
←古染付
←ガンダーラの仏
2階ロビー正面に見える山、大の字が書いてある。
京都の大文字より小さいけど、、、送り火するの?
←山に大の字
庭は四季折々に美しく、見て、散策して楽しめる。
春夏は130種類の苔、秋は200本の紅葉、9月は萩、冬は雪と竹林。
←美術館庭園
訪問した時は季節的に何もない時だった。
トピックが無い時は来る人も無いので、誰にも会わず2時間ゆっくりできた。

強羅の箱根美術館から正月の箱根駅伝で走るコースを通り、元箱根へ。
←強羅から元箱根へ
元箱根の町は芦ノ湖畔にあり、遊覧船乗り場が真ん中、箱根関所と箱根神社が両端にある細長い町。
小学3年生の頃、祖母や親類、家族で来て、箱根細工の箱を買ってもらった店があった。
←箱根細工の店
その時は富士屋ホテルに泊まったので、駅伝であの独特の玄関を見るたびに思い出す。
町の端っこにある関所は1983年に資料が見つかって、2007年に復元された。
←箱根関所
アトラクション的に作って有り、番所に役人のマネキンが置いてあるし、牢屋に入るのもOK。
←関所の検見役、牢屋
遠見番所は石段を登った高台にあり、芦ノ湖と富士山が見える絶景スポット。
←高台にある見張り小屋から富士山
箱根の関所は江戸から京へ上る時の重要なチェックポイント。
出女、入り鉄砲を念入りにチェックした。
女の人は髪の毛の中まで調べられて、グジャグジャにされてると髪を結いなおすのが大変。
ほとんどの人は袖の下を渡して、チェックなしで通過していた。
又、旅人が船で芦ノ湖を横断するのは禁止されていた。

関所の横に恩賜(おんし)箱根公園駐車場があり、駐車スペースとして便利。
広い駐車場に工事の軽トラが停まってるだけだと、どこに停めたらよいか迷う。
イリス店主は常に駐車してある車の隣に置きたい人だから。
←恩賜箱根公園駐車場
公園は明治19年に宮内庁が皇室と外国来賓の為に造営した元箱根離宮。
5万坪の敷地は起伏が有り、石段や小道を自由に散策できる。
←元箱根離宮の恩賜公園
桜、つつじ、藤、山ユリ、紫陽花、山茶花と一年を通して花を楽しめる。
史料館の2階バルコニー、公園の展望台は芦ノ湖と富士山を一望できる絶景スポット。
←史料館の2階から富士山

関所から町の反対側の箱根神社への移動は徒歩で行く人がほとんど。
私たちは車で移動なので、神社の参拝者用駐車場に停めた。
←石段を登ると箱根神社
神社は山の中腹にあり、黄色矢印の石段を登ってお参りする。
イリス店主の後ろ姿2点です。

←山のホテル(昔の写真)
神社の隣にある山のホテルは三菱グループの創始者、岩崎彌太郎から4代目、岩崎小彌太男爵の別荘だった建物。
オリジナルを基本として、快適に過ごせるように改装してある。
昭和30年代には日活や東映の映画のロケに使われていた。
石原裕次郎や赤木圭一郎、小林旭の映画か、懐かしい。
←1階カフェ、4階の部屋
4階の部屋から芦ノ湖、つつじ庭園、富士山が見える。
つつじ庭園は5月、6月が見頃。
部屋からスパや温泉、露天風呂には浴衣とスリッパで行く。
1階のレストランに行く時は洋服に着替えなければなりません。
その辺が温泉付きホテルと温泉旅館の違うところ。
←部屋の窓から富士山と芦ノ湖
レストランはフレンチと和食があり、朝食、夕食共、好きな方を選べる。
←フレンチ夕食
フレンチのレストランは給仕する人が何人も居て、大きなお皿の料理をテーブルに置き、サッと銀のカバーを取る。
イリス店主は食べるの早いし、料理が来たらパクパクッと食べて、おとなしく待ってる。
「もうちょっと、ゆっくり食べんと、間が持たへんやん」と私からサジェスチョン。

帰りがけ、御殿場のインターから乗るのに、アウトレットへ寄った。
富士山が見えるアウトレット。
←アウトレットから富士山
建物の間から富士山がチラ見えするし、陸橋から綺麗に見える。
←富士見の橋から
日本で最初にできたアウトレットなので、素敵な物が沢山あると期待していたが、戦利品ゼロ。
自分用のお土産は無かったけど、富士山を沢山見て大満足。
帰り道の高速でも富士山が見送ってくれた。
←高速道路から富士山

遠くから見るだけの富士山だけど、いつか、登ってみたい。
山登りをする友人に言ったら、
「富士山に登ったら、富士山は見えないよ」
そっかー、天空の城と一緒やな。
向かいの山から見て雲に浮かぶ城が見えるのと同じ事。
でも、ちょっとだけ、登ってみたい。

 by mikiris



第234回(2019年6月1日)鳥取の悲劇

 鳥取県は美味しい食べ物、効き目のある温泉、立ち寄りたい所があちこちにあり、楽しい所。
一度に全部の場所に寄れないので、少しずつ、何度かに分けて行く。
←堀に囲まれた鳥取城跡
この町は丘の上に建つ城跡が見える城下町。
関ヶ原の戦いの年に落城し、現在は石垣だけが残っている。
堀の橋を渡ると博物館と仁風閣がある。
←堀を渡って鳥取博物館
鳥取県立博物館には沢山の美術品が所蔵されているのだが、今まで展示される機会が少なかった。
2024年、倉吉に鳥取県立美術館がオープンする予定で、それまでの間、博物館で美術品が展示される。

展示はあいうえお順で、4月から6月はア行の近代美術、古美術が展示される。
青木木米の陶器、木喰さんの稲荷木彫り、尾形乾山の角皿、一休禅師の軸。
常設展は鳥取の自然、歴史、動物を展示。
←仁風閣
博物館に対面する仁風閣は明治40年に鳥取藩主から14代目の当主が建築した洋風建築。
国の需要文化財となっている。
←仁風閣
ケヤキのらせん階段、部屋の調度品や凝った天井、窓、ベランダ。
電球はタングステン球が使われている。
←タングステン球
細々としたオレンジ色の灯で、そんなに明るくないけど、明治時代には町一番の明るい建物だった。
何年か前にタングステン電球の製造は終了した。
メーカーの在庫をすべて買い取りした為、今後も昔のままの照明で、昼間も点灯される。
洋館の庭は純和風で大正時代の日本らしさ、こんなん好きです。
←日本庭園と石垣の構造
館内に鳥取城の石垣の解説がある。
内部構造の見本があり、わかりやすい。

昨年10月に来た時は台風の後、石垣が崩れて補修中だった。
門から先に進めなくて、堀の近くから本丸の石垣を見上げただけで帰った。
←西坂下御門
さて、昨夜は大雨だったけど、今朝は雲一つない快晴。
お城の門をくぐって、少し坂道を上ると目の前に仁風閣。
三の丸跡に建つ高校から正午のチャイムが聞こえてきた。
←仁風閣の屋根を見る
お左近(おさご)の手水鉢が組み込まれた石垣に沿って登ると二ノ丸跡。
←お左近の手水鉢
二ノ丸跡は桜の名所。
←二ノ丸跡
この日、私たちは博物館の駐車場に車を置いたので、堀の外にある城跡の地図を見てなかった。
方向も距離もわからず、矢印を頼りに本丸を目指した。
←堀の外にある全体地図
ちょうど、私たちが二ノ丸で写真を撮る横をオバちゃんが通っていた。
一人目のオバちゃんはグレーヘアで日傘をさしていた。
2人目のぽっちゃりしたオバちゃんは私と同い年くらい、ピンクのTシャツに白いズボン。
ピンクのオバちゃんは二ノ丸の隅っこにあるお稲荷さんの鐘をジャラジャラと鳴らして、横の細い石段を登って行った。
←二ノ丸跡のお稲荷さん
私たちもお稲荷さんにお参りした。
細い石段を工事のオッちゃんが降りてきた。
少し上で道具が広がっていたので、ここの作業の人で、お昼休みだな。
←天球丸跡
石垣に囲まれた広い場所は天球丸跡。
昔、城主の姉の天球院が住んでいた住居跡で二ノ丸の様子を見下ろす位置にある。

天球丸の広場に矢印があり、本丸と展望台は上方向、横方向は太鼓橋に降りる道。。
お城の石垣が大好き、山城大好きなので、前日も天空の城の竹田城へ登ったばかり。
その前は越前大野城、日本最古の天守がある丸岡城、四国の丸亀城とどれも山城。
二ノ丸より高い位置の天球丸まで来たし、本丸まであと少し。

この日の私の服装は半そでシャツに白いコットンパンツ、裏はゴムだけど町歩きの靴、手提げバッグと日傘。
登り始めは細い石段と木の根が絡んだ土の道。
「鞍馬の木の根道みたいやな~」 と余裕。
←木の根と石段の登り道
日傘を杖代わりにして、道に突き刺しながら石段を上る。
昨夜の大雨で道はジュルジュルの部分もあり、日傘がズボッとささる。
枯葉や苔は気をつけないとズルっとなる。
こんな急な道、降りるの怖いし、別の道があるかな? 少し不安になってきた。
←石ころの道
2合目で、降りてきたポロシャツの50歳くらいの男の人に
「上まで、あと15分くらい? 降りる道は他にもある?」と聞くと
「上までは30分くらいかかる。 降りる道はここだけ」

ちょっとショックだけど、まあ、登ろう。
今は2合目だから、5合目が頂上かな?
二ノ丸と本丸って、そんなに離れてないはずやし。。。
もうちょっと、もうちょっと、と急な石段を登って、5合目に来た。
広場に座れる石が用意してあり、お稲荷さんがある。
水を飲んで休憩、お稲荷さんにお参りをする。
←お稲荷さん
登山の服装、ストック2本の女の人が登ってきて、広場のお稲荷さんに寄らずに上を目指していった。
この5合目で登るか降りるかの決断時。

「ピンクのオバちゃんが登ったし、私でも登れるはずや」
私は文句を垂れながら、片手にバッグ、片手に日傘でボチボチ登る。
「こんなん、絶対に帰るの無理やわ」
山の斜面で曲がりくねったズルズルの石段。
転落注意の札があちこちにあり、クマ出没注意の看板も。
たまに手すりがあるけど、寄りかかるとガラガラ~となりそう。
←6合目、7合目
二ノ丸で12時の時報を聞いて、1時間近く経っている。
わ~ん、登るも地獄、降りるも地獄、にっちもさっちも。。。。
上を見上げても木が生い茂っていて何も見えない。
登ってくる人も降りてくる人もない。
鳥の声以外は物音一つしない。
←足元に注意の札
9合目を過ぎて、ついに山頂、本丸がすぐそこに。
二本ストックの登山女性が降りてきた。
「帰る道は登って来た道以外にありますか?」
なんと、この人は中国人。
「アルヨ。長田神社の方へ降りる道がアル」
「アナタノ靴、今来た道を降りるのは危険」
←9合目から山頂へ
続けて、ピンクのオバちゃんも降りてきた。
「長田神社に降りる道はどこですか?」
「私はこの道だけで、他の道は行ったことない。私も初めての時は登るのに50分かかったけど、上の景色は綺麗よ~」

別の道があると言ったのは二本ストックの登山女性だけで、ポロシャツの男もピンクのオバちゃんも道は1本と言う。
雨で湿気たズルズルの道を降りられるやろか、すごく不安。
←本丸跡から砂丘を見る
その心は横に置いて、本丸跡は広くて、町を一望、鳥取砂丘、日本海、空港まで見える。
大声で「ヤッホー」と言いたい気分。
「お殿さんはこんな景色を見たはったんや~」
難攻不落の鳥取城だったが、豊臣秀吉と黒田官兵衛により、兵糧攻めにされ、竹田城主に火をかけられて陥落した。
以来、山頂に新しく築城されることはなかった。
←鳥取コナン空港が見える
本丸から降りようとしたら、オジサンが登ってきた。
年齢不明、スキンヘッド、スキニーな白いシャツと半パン、何と、裸足で登山!
「降りる道は登ってきた道の他に長田神社に降りる道があるって聞いたけど、どんな感じ?」
仙人のような、修行僧っぽいオジサンは私たちを見て、無言。
修行の邪魔をしてまずかったかな、しもた。。
オジサンはしばらく考えていたのだった。
「長田へ降りる道はあるけど、反対側だし、遠回りで時間がかかるで。
 あんたら、車か? 堀をぐるーっと回ったらもどれるで」
←長田神社への道と道しるべ
遠回りの道は丸太の階段となだらかな道、時々、急な部分もあるけど、沢に沿って降りられる。
昨夜の雨で沢の水が多く、蛙たちが大声で合唱する。
本当にうっそうとした山の中で、あちこちに「クマ出没」と看板がある。
救いだったのは「転落注意」の札が無かったこと。
←クマ出没注意と捕獲の檻
12時に二ノ丸から登って、長田神社へ降りてきたのは1時45分。
山で会ったのはピンクのオバちゃん、ボロシャツの男、二本ストックの女、裸足のオッちゃんだけ。
グレーヘアの日傘の人は二ノ丸から降りる道をたどった様子。
←高校から山頂の城跡を見る
今日の予定としては鳥取民芸館横のたくみ割烹でランチ。
鳥取へ来たら、ランチはここと決めている。
ラストオーダーが2時、2時半閉店だから、間に合うかな?
必死で車を置いた博物館裏まで戻り、ナビに急ぎ、たくみ割烹を入れる。
この時点で1時53分。
ナビによると1時58分に到着する。
←たくみ割烹
たくみ割烹の少し手前、広くなった道に駐車して、店まで走って、出てくる人をやり過ごして、
「今から、二人、行けますか?」
「ラストオーダーが2時で、2時半に閉店なので、今日は終わりました」

すっごく残念。
もし、途中でブラブラと写真を撮ってなかったら、、もし、博物館のショップでブラブラとしなかったら、
もし、私が頑張って本丸へ登っていたら、、、もし、朝に出かけるのを早めにしていたら、
いくつもの「what if」が頭を駆け巡る。

「しゃーない。 無理言うて入れてもろて、あせって食べてもいい思い出にならへん。  
又、今度にしよう」
隣の民芸館とたくみ割烹はいつもセットだったのに。。。
←鳥取民芸館

高速へ乗る前にガソリンスタンドで教えてもらった回転寿司に行った。
スタンドの兄ちゃん、「この辺りの店は2時で終わるからね。
鳥取は魚が美味しい。近くに美味しい回転ずしがある」
午後遅くの寿司屋、ランチを食べ損ねた人が10人程。
板前さんに注文して握ってもらう。

境港のイサキ、メバル、サヨリ、アゴ、本日のおすすめを注文。
イサキが美味しくて、お替り。
「美味しい魚を食べられたし、良かったな~」
2人で7皿、1800円なり。
←宝塚SA
新しくできた新名神の宝塚SAでパンを買いに立ち寄った。
リボンの騎士のサファイアとロボット研修生が目を引く。
←リボンの騎士
化粧室は柔らかなピンク色でお姫様風。
←宝塚SAでの化粧室
夕方5時だったので、ほとんど売り切れ、菓子パンが少しだけ。
あきらめて帰りかけたら、柿の葉寿司を値引きして売ってる。
一個、150円を税込み100円に。
6個買って、今夜の晩御飯に。
「柿の葉寿司、空港で買う奈良の店と違うけど、これも美味しいな」

その夜、急にお腹がグルグルして、気分悪い。
ピーっとなって、夜中に5回もトイレに走った。
翌朝は体中の筋肉が痛いし、内臓も殴られまくったような感じ。
朝からもピーと4回トイレ。
こんな事になったのは中学2年の時、5年前に入院してた時、今回が人生3回目。

何が悪かったのか、同じ物を私より沢山食べたイリス店主は何ともない。
今まで、私は乞食腹が自慢だったけど、プライドが丸つぶれ。

絶食して、夜7時半に寝て、やっと体力も回復、筋肉痛も回復。
楽しかったけど、疲れたー。

 by mikiris


第235回(2019年7月1日)嵐の前に竹田城

 店が休みの月曜日に竹田城跡へ行こうと、竹野海岸の休暇村に予約を入れたのが木曜日。
この時点で、天気予報は晴れだった。
翌日、月曜の天気予報が曇りに変更になった。
出かける2日前の土曜日には月・火曜日の天気予報は100%雨になった。

日曜日、強烈な大雨が屋久島に降り、島を散策する人達が孤立したニュースを見た。
この雨が東に向かってくる。
私たちが行く予定の竹田城にも雨は降るのか?
←天空の城竹田城
ちょっと嬉しいのは、カンカン照りだと暑いけど、曇りぐらいなら歓迎。
ちょっと期待するのは、竹田城より低い所に雨雲が来たら、私が天空に居ることになる。

私達の国内旅行は4日前に予約して、行先も時間もアバウト、車で行く気楽なもの。
天気と自分の体調、病院の予約、90才前後の母と叔母の事、他の約束や雑用、全てがOKなら近場の温泉を予約する。
9時過ぎてからボチボチと家を出て、パン屋でサンドイッチを買い、高速のサービスエリアか道の駅に立ち寄って、お昼休憩にするのがパターン。
夜に御馳走を食べるから、昼は軽く済ませる。
山の上に竹田城跡
天空の城の竹田城へ登るには4ルートある。
竹田駅の近くに車を置いて駅裏登山道、又は表米神社登山道で40分。
なだらかな南登山道で60分。
←道の駅、山城の里パーキング
私達は山の中腹にある道の駅、山城の里の駐車場に車を置いた。
駐車場は広くて、建物前と下の方にもあります。
ここから西登山道をたどって40分で城跡に行ける。
巡回バスが通っていて、それに乗ったら徒歩20分で城跡。

道の駅に到着したのが12時15分。
竹田城行のバスは12時40分発。
コーヒーを買って、休憩所でランチするのにいい感じ。
←休憩所でランチ
100%雨の予報だが、まだ、降ってない。
その代わり、風が強い。

天空バスで竹田城跡バス停まで5分、150円。
巡回バスは城跡バス停から山を下って竹田駅、町を回ってから山の中腹にある道の駅へ戻る。
バスのお客さんは私達を含めて7人。
←天空バス
バス停で降りてから城跡の料金所まで徒歩20分はゆるやかな上り坂。
途中、落ちそうで落ちない石がある。
落ちない御利益があるのか、お賽銭用の缶があった。
←落ちない石
城跡には説明をしてくれる人が居て、簡単に見どころを教えてくれる。
←城跡の地図
南北に400m、東西に100mと広い城跡で石組が美しい。

城内は一方通行なので北千畳、三の丸、二の丸、本丸、花屋敷、平殿跡の壁を通り、南二の丸、南千畳と回る。
北千畳は名前の通り広い平な場所で桜の木の下にベンチがある。
←北千畳
階段を降りて上がって、三の丸。
←三の丸
三の丸から二の丸へ。
はるか下の方で単線の電車が走っている音が聞こえてくる。
←二の丸
一番高い石垣に囲まれた本丸へ。
←本丸へ
本丸は一段と高い所にあり、南二の丸、南千畳を見渡すことができる。
朽ち果てた城跡で、すぐ下には転げ落ちた石垣が見える。
←本丸から南千畳を見る
本丸から一方通行を迷路のように戻って、平殿跡の石垣を通り南二の丸へ。
←平殿跡
←南二の丸へ
南二の丸から本丸を見上げる。
下から見上げると石垣が綺麗な形で残っているのがわかる。
←南二の丸
南二の丸の先に南千畳がある。
南千畳が一番下段にあり、ここから見上げる本丸の石垣が常駐のガイドさん一押しの場所。

1600年、関ヶ原の戦いの年に竹田城は廃城になった。
この年に秀吉が難攻不落の鳥取城を兵糧攻めにし、竹田城主が火攻めにした。
火をつけて落城させた責任を負わされた竹田城主が切腹して、その後を継ぐものはなかった。
以来、朽ち果てるままに残っていたのを、近年、石垣が補修された。

城跡は石組を見るのが楽しみ。
穴太(あのう)積みは滋賀県、大津の穴太衆の技法。
隙間を埋めながら一段ずつ重ねていく積み方。
←穴太積み
石垣の角は算木積みで長方形の石の長い部分と短い部分を交互に重ねて崩れにくくする積み方。
算木積みを使った石垣は他の城でも見たことある。
←算木積み
写真を撮りながら、景色を楽しんでいたら、城跡に誰も居なくなった。
風の強い日で、日傘をさしたらメリーポピンズのように飛んで行ってしまいそうだった。
ほんとに飛べるか心が動いたけど、いい年してアホな事はやめようと我慢。
←城から道の駅へ
天空バスは一方通行なので、道の駅に戻るなら帰りは歩いたほうが早い。
道の駅まで緩やかな一方通行の下り坂。
嵐の前の静けさの中、登ってくる人は一人もない。
竹田城は人気で混んでいると思ってたので、こんな誰も居ないのでびっくり。
混んでる所が嫌いなので、ひそかに嬉しい。

雲海が見られる時期9月1日ー11月30日は竹田城の開城が朝4時。
雲の上に浮かぶ城を見るには向いの立雲峡に登って、タイミングが良ければ。
前日の気温が高くて、翌朝にぐんと気温が下がる早朝が狙い目。
向かいの立雲峡から見るか、竹田城に登って眼下に雲海を見るか、はしごして両方見るか。

駐車場に戻って、警備員さんが「こんな風の強い日は大雨になるよ」
休暇村でのどぐろの塩焼きに没頭してると大きな雨音がする。
←のどぐろの塩焼き
窓の外ではトユから溢れた雨が滝のように落ちている。
雨は一晩中降り続いた。

翌日は雲一つない晴天となり、竹田城主に焼き討ちされた鳥取城跡へ行きました。

 by mikiris


第236回(2019年8月1日)和歌山ブラブラ

てんてんてんまり、てんてまり、紀州の殿様お国入り、、歌を間違って覚えてしまいました。
30年程前に銀閣寺の近くにイリスをオープンした頃、よく和歌山へ行った。
知り合いの骨董屋さんの所に行くのが目的だったので、町は素通り。
当時は車で京都から和歌山へ行くのに4時間かかった。
今はいい道ができて、1時間半で到着。
←和歌山城
初めての和歌山市内、緑が多くてさわやかな町。
南側の不明門(あかずもん)跡から入って城内の駐車場に車を置く。
←新裏坂と広場からお城
少し階段と少し坂道の新裏坂を歩いて5分、広場に着くとお城の門はすぐそこ。
←お城の門と入口
和歌山城は城造りの名手と言われた藤堂高虎が手掛けた最初の本格的な近世の城と言われている。(和歌山城パンフより)
高虎の城は石組がしっかりしていて、石垣を見るのが楽しい。
お城の中は自由に見て回れるし、武具、食器、古文書が展示されている。
←天守閣内
地方の小さな山城に比べて、さすが徳川御三家の城、と思う。
紀州は海も山もあり、温暖な気候で産物が豊富。
城の財政も城下町も潤ってたんでしょうね。
天守閣から和歌山市内、海も見える。
←天守閣から市内と海
江戸時代に使われていた入口は見学だけ。
和歌山城は1846年に雷が落ちて焼けてしまったが、1850年に元通り再建された。
昭和20年に空襲で焼失して、昭和33年に鉄筋コンクリートで復元された。
←江戸時代の入口
お城を出て、つらつらと裏坂を下ると西の丸庭園に着く。
←西の丸庭園
西の丸庭園は江戸初期の大名庭園の造り。
内堀を池に見立てて、石と建物を配置してある。
紅葉の木が多いので、秋はすごい事になると思うけど、初夏も緑の葉が綺麗。
←鳶魚閣と御舟石

和歌山城の石垣は築城された初期の野面積みに紀州の青石が使ってある。
野面積みは自然の形の石を積んだだけで、豊臣の時代。
←野面積みの石垣
角は崩れないように算木積みにしてある。
算木積みは長方形の石を長い方と短い方を交互に重ねる積み方。
←算木積み
次の徳川期初期はサイズは色々だが丸くなった部分を粗削りした石を積んだ打ち込み接ぎの石垣。
石は砂岩で近くの友ケ島の石切り場から運んだ。
←打ち込み接ぎの石垣
石垣をよく見ると、刻印の入った石が点在している。
なぜ刻印が付いているのか、理由はいくつも想像できるが、真実は不明。
←刻印のある石垣
その後、徳川時代に作られた石垣は綺麗に加工した花崗岩を積んだ切込み接ぎ。
綺麗に揃った長方形の石を積んだ石垣です。

和歌山城の向かいに県立美術館と博物館がある。
地下に駐車場があり、共有。

博物館は熊野曼荼羅の複製が展示してあり、石器時代からの和歌山の暮らしがわかる。
←県立博物館
美術館は企画展と常設展があり、随時、入れ替えがある。
鳥取美術館で一日違いで見逃した企画展が、和歌山で1週間後に始まるというタイミングの悪さ。。。
←県立美術館
本屋と図書館、カフェが一緒になったコーナーがある。

ここから海の方へ行くと淡島神社がある。
←淡島神社
淡島神社は人形供養の神社として知られている。
←人形、虎、蛙の置物
30年近く前に和歌山の骨董屋さんに連れて来てもらった。
あれは冬だったのか、誰も居ない神社の境内に招き猫が百個以上並べてあった。
その中に1個だけ、普通の招き猫と違う、形も色も違ったのを発見。
「あの猫、なんか変」と言う私に
「あれは伊万里の招き猫や」と骨董屋さんは教えてくれた。

蛙の置物が並んだ祠があった。
戦争の時、家族が無事に帰ってくるように家に置いた物。
今も蛙のオブジェは小銭入れに入れてお金が戻ってくるよう、商売ではお客さんが返ってくるように、と人気がある。

神社の並びにある土産物店が大きなあさりを焼いて売っている。
「美味しいから食べてみ」と買ってくれた。
店内で魚が泳いでいる、美味しい魚料理の店にも連れてもらった。
懐かしいな~。
←大浅利と招き猫
猫の置物は沢山あったけど、伊万里の猫は奥にしまわれたのか、居なかった。
現在の淡島神社は駐車場はタイムズになっていて、30分以内のお参りの人だけ無料券が出る。
世知辛い。
雑誌やTVの影響と思うが、置き場所がないくらい人形が沢山。
駐車場は一杯だし、人形をおさめに来た人、日本人、外人の観光客でざわざわしてる。
←友ケ島
近くに友ケ島へ渡る船の乗り場がある。
友ケ島は地ノ島、虎島、神島、沖ノ島の4つの島を合わせた呼び名。
第二次世界大戦終戦まで日本軍の要塞だった。
沖ノ島には砲台が残っていて、フェリーで島に渡れる。
無人島でフェリーの本数が少ないし、代金が高い、車の駐車料金も高いので島へ渡るのは却下。

同じものではないけど、加太の休暇村の敷地にある散歩道は旧日本軍の砲台跡と弾薬庫を回るコース。
こっちは無料で30分散歩コース、1時間コースと遊歩道が整備されている。
←深山第一砲台散歩道
深山第一砲台は1897年に大阪湾を防衛する目的で淡路島、友ケ島、加太に作られた由良要塞の一部。
←砲台の場所と展望台から
砲台は山の中、海から見えない場所に設置されていた。
敵船が通るときに角度とルートを計算して、山影から大砲を打つ。
展望台まで登ると地の島が見える。
弾薬の貯蔵庫は山の中にトンネルを掘って作ってある。
←レンガ道と弾薬庫
陽の光の明るい朝でも、貯蔵庫の中は真っ暗。
フラッシュをたいて撮影したら、中は綺麗に掃除されて空っぽでした。
←弾薬庫の中
アーチになったレンガのトンネルもレンガ道も当時のまま。
当時の最新技術を駆使して作られた。
←レンガのトンネル

加太の休暇村は3年前にリニューアルされて、いつも混んでる様子だったが、最近は3日前に申し込めるようになった。
夕食はコースにビュッフェコーナーがセット、種類が多すぎて食べきれない。
朝食は50種類のおにぎりライブキッチン、パンやサラダ、和食、洋食、沢山ありすぎ。
←朝食
お湯の質はイマイチだけど、露天風呂からの景色、部屋からの景色が良かった。
友ケ島の向こうに淡路島、四国が見える。
←部屋からの景色
京都から1時間半の近距離なので泊まるのを迷っていたが、
駐車場に停まっている車のナンバーを見ると大阪と奈良のナンバーがほとんど。
「京都からでも近すぎると思たのに、もっと近くの人らが来たはるやん」

夕陽が沈む景色と朝御飯が良かったし、近すぎるけど泊まりに来たい所。

 by mikiris


第237回(2019年9月1日)タイムスリップ 江戸、昭和

 5年前の今頃、癌の手術の合併症で先が見えない、つらい毎日を過ごしていた。
先日、無事に5年目検診をクリアして、次回は12月にCTを撮る。
その後は1年に一回の検査にしましょうと言ってもらって、気分は軽やかです。
軽やか気分で温泉とお魚食べに行こうか?
イリス店主と私、二人の意見が合えば決定。

京都から大原・朽木経由で下の道を通って敦賀へ。
ここでお魚ランチをしようと、日本海さかな街へ到着。
広い店内は販売している店が多く、食堂は丼が中心。
私は魚介の丼が嫌い。
魚の汁が御飯に浸みて変な味になる。
←日本海さかな街
道を渡って、回転ずしのアトムへ。
名前が漫画なので、不安があったけど、全然、美味しくて良かった。
100円寿司じゃないのも良かったし、握りたての寿司は御飯が少し温かくて良かった。
平日ならお味噌汁が2種類あって、無料。
この日はシジミと海老の頭、どっちも美味しかったよ。
鮎の握り寿司はイマイチやったけど、本日のお勧めはグッド。
←焼サバ辛味大根

 福井市の中心にある養浩館庭園に到着。
福井城主松平家の別邸で江戸時代に建てられた。
池に浮かぶように見える数寄屋造りの建物はお殿様が城を離れてリラックスする場所だった。
←養浩館庭園
福井城址から数百メートルの近い所でビルやマンションに囲まれているが、この庭は別世界。
柔らかな光と爽やかな風が通る部屋が連なる建築。
いつか家を建てるときの参考になるかと、天井も床もじっくり観察。
←御座の間、右は御湯殿
どの部屋からも池と庭が見える。
侘び、寂びを大切にした建築で天井も戸棚も廊下も、上等な木だけで作ってあり、モノトーン。
御座の間は栗の木の床柱、桑の木の一枚板を透かし彫りした欄間、壁は越前襖紙を10枚重ね貼り。
←透かし彫りの欄間
御月見の間で昇る月、池に映る月を窓枠にある雲の形の欅の一枚板を通してみる。
螺鈿の戸棚の細工は細かい、見るのに時間がかかる。
←御月見の間
池に浮かんでいるような部屋、縁側を降りると玉砂利の土縁が池の縁になっている。
軒が長くしてあり、雨の日に窓辺に居ても大丈夫。
←土縁
お風呂場はヒノキで作ってあって広いし、サウナがある。
床にゆるやかな傾斜が付いていて、お湯が落ちるようになっている。
←御湯殿の蒸し風呂
回遊式の庭で池の周りを散歩する。
全国から集めた奇石や珍しい木があり、素敵な感じに配置してある。
縁側に座ってボーっと池を眺めるていると、世話しない現代のゴチャゴチャを忘れる。
江戸時代のお殿様の部屋に居させてもらって、異次元の空間を体験。
←庭と池から建物を見る
池を覗くとパーッと鯉が集まってくる。
チケット売り場に鯉のエサを50円で売っていて、庭園に来た人から餌をもらう癖がついてる。
次回は入口で餌を買って、鯉の期待に応えますよ。

駐車場と出入り口は隣に建つ福井市立郷土歴史博物館側と裏側の両方にある。

 少し離れて、福井県立歴史博物館へ。
公園の中に博物館とカフェがあり、散歩も読書も、憩いの場所。
1階では福井地震の写真展。
←福井県立歴博
2階で昭和にタイムスリップした。
昭和30年代後半の町を体験。
私の子供のころの最初の記憶なので「これ、有った。コレ、知ってる」の連続。

子供の頃に近所の家の外だったか、公園だったか、木製のゴミ箱があったのは覚えてる。
ポストは普通郵便は赤くて丸い、速達用は青色で四角い。
←木のゴミ箱と赤いポスト
ポンプ式の井戸も覚えてる。
昔、イリスの店の向かいがお寺で、門の前にポンプがあった。
水道が普及していたので、井戸は無かったが、使われないポンプだけ残っていた。
公園や町の中に白い掲示板があった。
←井戸と掲示板
「当てもん屋」と呼んでたお菓子屋さんが近所に何軒かあった。
私の家は買い食い禁止だったので、親に内緒で2回だけしか行ったことない。
舐めたら「当たり」「はずれ」と字が浮き出る小さな紙の束、三角ドロップ、ガス風船を買ったな~。
こういう店は常に店番はお婆さん。
←駄菓子屋
雪印のアイスクリームは明治のチョコレートと並んで、御褒美みたいなもの。
←公園のベンチ
今も昭和のまま残る物は多い。
←食堂
寺町三条のうどん屋、常盤屋さんは今もこの雰囲気なので、外人が良く写真を撮ってる。
トキワ屋さんは明治11年創業で、明治の雰囲気は残ってないけど、昭和は完璧に残ってる。
父が自宅で仕事をしてたので、お昼に出前を取ることが多かった。
素麺やざるそば、きつねうどん、夏の縁側で食べた。

昭和初期の街灯は去年までイリスの店の横に残っていて、京都市の人が引き取った。
麩屋町の店を改装する前は台所の流し台はタイル張りだった。
←ダイニングキッチン
イリス店主は小さな車を覚えてた。
子供の頃に一人乗りの車、運転席の横に折り畳みの椅子があり、乗せてもらったそう。
金属製の看板は最近まであったし、今も田舎に行くと見かける。
←一人乗りの車、ブリキの看板

この人形、一世風靡したけど、私は持ってなかった。
名前、わかりますか?
←ダッコちゃん
明星や平凡、週刊誌の表紙は華やかでした。
今は週刊誌が少なくなりました。
←週刊誌

50年以上前の、誰だかわかりますか?
←週刊明星
ジュリー、右は千葉県知事になられた森田健作さん、酒井和歌子さん。
結婚式の写真、二組。
←週刊誌
高島忠夫さんと寿美花代さん、右は美空ひばりさんと小林旭さん。
最近は美男美女カップルが減って、美女と野獣カップル増加。

小学生の時に家にあったテレビやステレオはこんなんでした。
ブラウン管のテレビとレコードを聴くステレオ。
←TV、ステレオ
今は薄型TVになり、ステレオの上のビクターの犬も懐かし~。
←給食
小学校の机と椅子、給食の食器は銀色のアルミじゃなく、その前の時代、金色のアルマイトだった。
給食のせいでマーガリンと脱脂粉乳が嫌いになってしまった。
←ダイハツ ミゼット
配達の車はミゼット。
タイヤが3本の二人乗り。
スピードを出すと角を曲がる時に倒れることが多かった。
←キャロル、ミニカ
マツダ・キャロルと三菱ミニカの前にイリス店主。
ピカピカで綺麗な状態、可愛いビンテージ・カー。
←パブリカ、ブルーバード
トヨタ・パブリカと日産・ブルーバード
たまに走ってるのを見るし、大切に乗り続けてる人が居るんだな。
←ラビット・スクーター
友達のお父さんが乗っていたラビット・スクーター。
河原町二条に販売店があったのを覚えてる。
他に人が居なかったので、展示室の中をイリス店主と二人で、ワーワー言いながら見てまわった。

江戸時代へのタイムスリップは穏やかな気分になり、昭和へのタイムスリップは若かりし頃を思い出した。
このまま順調に行けば、私は2度の東京オリンピック、2度の大阪万博を経験できる。
明治生まれの祖父母と旅行に行ったり、楽しい思い出がある。
昭和生まれ、平成生まれの友達、知り合いが居る。
これから令和生まれの知り合いもできるだろう。
いくつもの元号を生きる私って、何か、自分ですごいと思う。

 by mikiris


第238回(2019年10月1日)定休日は忙しい
 
 やっと、10月です。
7月、8月は暑すぎて、店はいつもにも増して暇でした。
そして9月もやっぱり暇でした。
店が暇な時は読書とリメイクに励む日々。

祖母や叔母、母からもらった100枚程の着物と帯、染みが出たのや刺繍の糸が切れた物もある。
悪くなってないけど、3人とも細くて小さかったので、私にはチンチクリンな着物と羽織がある。
大切にして残してくれた着物類を捨てるのは気が引けるし、解体してリメイク、再利用。

 祖母の着物で大好きだったのはカットして夏の綿パンにパッチワーク。
祖母が着てたのは覚えてないけど、母が今の私の年齢位の時に着ていた。
パッチワークにした綿パンを見せて
「これ、覚えてるか?」と聞いたら 「その着物、大好きやったわ。上手にしたなぁ」と喜んでいた。
かくして、着物パンツは今年の夏に大活躍した。
←祖母の帯でバッグと袱紗
他にも総絞りの羽織や刺繍の帯を解体して、袱紗や風呂敷、バッグ・イン・バッグを作った。
素材は沢山あるので、ジャケットやスカートも作れそう。
ミシンでダーッと縫うと早いけど、映画を観ながら、音楽を聴きながらのながら仕事もいい。

 店で仕入れたレースで値下げしても、何しても、10年以上売れないのがある。
そんなレースが可愛そうなので、私がリメイクで活用しましょう。
何シーズンも履いてる白いパンツ、ちょうど、飽きてきたので変身させ頃。
←レースを付けた夏のパンツとバッグ
着物やレースを張り付ける土台になる物を店の近くのユニクロへ買いに行ったが改装中。
上の階のGUは営業している。近所だけどGUへ行くのは初めて。
えー、GUはユニクロより安いやん。
正札から見切り品になった物はバス代に毛が生えたくらいの値段。
素材にする麻シャツ、ノースリーブのTシャツ、スリットのレギパンなど買った。
←レースと刺繍、ビーズでリメイク
カットしたレースをチクチクと縫い付けて、3枚は母にプレゼント。
90歳の母に対して、いつも言う事
「年を取るほど綺麗にしなアカン。見た目が汚い分、服でカバーするんやで」
母に言うだけでなく、自分にも当てはまる言葉。

 一人で針仕事の家遊びもいいけど、外に出て友達と会うのも楽しい時間。
昨年、カヌー遊びをした友達が、ピザパーティに誘ってくれた。
パーティと言っても私とイリス店主、友達君と奥さん、4人だけ。
平日に30年来の友達とワイワイしながらピザを作って、庭の窯で焼いて食べるなんて、想像するだけでも楽しそうでしょ。

昼前に行ったら、プールサイドのピザ窯に薪が燃えている。
窯を事前に温めておき、薪を窯の奥に寄せてピザを入れて焼く。
天気は上々、ピザ日和。

奥さんと私が野菜を切って、下ごしらえ。
イリス店主と友達君は窯の用意。
ピザ種を麺棒で広げて、ピザソースを塗り、野菜とチーズを載せて焼く。
トマト、ピーマン、マッシュルーム、玉ねぎ、ハム、ベーコン、サラミ、モッツァレラチーズ、オリーブ、バジルの葉っぱ。
トマトソースとバジルソース、キーマカレー。
友達君いわく、ピザ種を麺棒で広げるのにコツがあり、具材の載せ加減も適量がある。
教えてもらいながら、麺棒でピザを八寸皿の大きさまで広げる。
具材を載せたら、最後に細切りのとろけるチーズとオリーブオイルを散らして窯へ。
この日がこの夏、6回目のピザパーティで、この夏の最終回。
←クリスピー・ピザ
1枚目のピザは縁が焦げて黒くなってしまった。
私の広げ方が薄かったので、クリスピー・ピザになった。
「何枚も焼くし、焦げた部分は残したらええよ」と言われたけど、すっごく美味しくて最初のピザは4人共、黒焦げの縁もペロッと食べた。
次々と焼いては食べ、作っては焼いて、食べて4人で24cmのピザ7枚。
私も友達の奥さんも普段はピザ半分でギブアップなのに、なんか、食べてしまった。
今までのピザ作りで一番美味しかったそう。
4人で「何が美味しかった原因やろ? 発酵か? 広げ方か?具の載せ方か?」
「来年はパエリャとピザにしよう」 と友達君。
楽しみにしてるよ~。

←新幹線から富士山
そして、次の定休日は急遽、東京へ行くことになった。
12年前に私の心臓手術を執刀した先生が東京の病院へ転勤された。
他の先生に見てもらうのは考えられないし、東京の病院で診てもらうことになった。
病院の受付に9時までに行けるか不安なので、前日から行くことにした。

東京へ行くのは8年ぶり。
ちょうど見たい展覧会がある。
診察を口実にして、東京で美術館巡りができるのでラッキー。
月曜日はほとんどの美術館が休みだが、汐留のパナソニック・ミュージアムは開いている。
ここにはルオーのコレクションが常設されている。
ルオーの油絵が好きなので、期待は膨らむ。

京都から9時過ぎののぞみに乗り、汐留に到着したのが12時。
ミュージアムの向かいのビル、汐留カレッタ46階のフレンチ、Sorasioに行った。
←カレッタ汐留
予約してなかったけど、窓際の席へ案内された。
窓から浜離宮が見えて、遠くに橋があり、羽田へ降りる飛行機が見える。
←眼下に浜離宮
一番小さなコース、前菜、スープ、メイン、デザート、コーヒー、2600円。
前菜はサーモンのサラダ、スープは栗のスープorレンズ豆のスープ。
←サーモンのサラダ、栗のスープ
自家製の軽くスモークしたサーモンと濃厚なスープが美味しい。
メインは鶏か魚、プラスしてステーキ。
私達は鶏と魚を選んで、どちらも美味しかった。
←メインの魚と鶏肉
デザートはビュッフェ形式で、小さなのが並んでる。
プリンはカラメルが濃くて美味しい。
小さなシュークリームは上品で美味しい。
フランボワーズのムース・ケーキ、チョコレート・ムースのケーキ、オレンジ・ジュレも本物の味。
←デザート色々
パウンドケーキとドライフルーツ。
コーヒーは少し苦めで好みの味。
ここに来て、良かった~。
お腹いっぱい。
←汐留、旧新橋駅
旧新橋駅の建物の前にパナソニック・ビルがあり、汐留ミュージアムはその4階。
1階はリフォームのショールームになっている。
ついつい足が止まって、
「こんな窓、ええな~。 お風呂は洗い場が広い方がええな~」と勝手な事を言う。
リフォームのヒントとして、原寸大の家を何種類か作って有り、中を自由に見て回れる。
30代夫婦と子供が住むための間取り、リビング隣に書斎のある間取りなど。
「60代で子供達が出て行って二人暮らしになった夫婦」の間取りをプッシュされた。
普段、同年代の友達に囲まれて、自分の実年齢を忘れていたけど、ショップの若い店員さんから見ると親より年上のジジババか?
中年夫婦ではなく、老人夫婦? ちょっとショックやわ。
←リフォーム、実物大と模型
4階のミュージアムでは「マイセン展」を開催中。
昔は美術館で写真撮りはNGだったけど、最近は日本でも写真OKの展覧会が増えた。
海外はフラッシュを使わなければ大部分の美術館で写真OK。
ロンドンで唯一カメラNGだったナショナルギャラリーは2014年から撮影OKになった。
パリのマルモッタン美術館はカメラNGだった。・・モネが沢山あるのに・・
←マイセン展
マイセン展を見終わると出口の手前にルオー室。
ルオーの絵を常設してあり、カメラNG。
展示品は定期的に変わり、この日は「ルオーとジャコメ」
ジャコメはルオーの作品を忠実に複製した人で、ジャコメの作品とルオーの作品、合計10点程の展示。
油絵がいっぱいあると思ってたので、すごく残念。
絵葉書だけ持ち帰り。

汐留から地下鉄でホテルへ移動。
朝8時台の地下鉄は乗車率180%越えとネットに書いてあったので、病院近くのホテルを予約した。
これなら、徒歩10分で病院へ行けるし、安心。

地下鉄の車内では動画のCMをやってる。
中吊りだけの京都の地下鉄はのんびりしたもんやな~。
昔、京阪電車でテレビカーがあったけど、画像の綺麗さは各段の差。
東京はすごいな~、と写真を撮ってしまいました。
←地下鉄車内の動画
翌朝、大学病院の受付に行くと、紹介状、診察券、予約番号などすべて準備されていて、すぐに心臓外科へ。
外待合で少し待っていたら名前を呼ばれて、一般外来とは別の部屋で診察。
体調はいいし、心臓の音も良く、今年も合格。

一般的な流れでは、初診の人は受付で紹介状と申込書を出して、番号札をもらって診察券ができるまで待ち、診察券と予約番号を渡される。
次に各診療科の受付で病気の問診票を書き、順番を待って、外待合、中待合、診察室の順に進む。
事前に手配していただいて、先生、ありがとう。

思ったより早く診察が終わったので、病院から上野まで歩いた。
不忍池を通り抜けて国立西洋美術館まで30分。
←不忍池の中を通って右上の国立西洋美術館へ
不忍池は弁天堂の池は一面の蓮の花、反対側は白鳥のボートがあった。
池の真ん中の道を歩きました。
←弁天堂、白鳥の池、中央通路
上野公園内には西洋美術館、東博、江戸東京博物館、上野の森美術館、科学博物館その他多数の美術館と動物園が点在している。
かなり広くて、美術館巡りは体力が要る。
西洋美術館はル・コルビジェが設計した建物。
前庭にロダンのブロンズ像が数点屋外展示されていて、ダンテの神曲にある地獄の門は迫力ある。
←考える人、カレーの市民
←地獄の門
←松方コレクション展
ずっと見たかった松方コレクション展はそれなりに混んでいた。
人混みも並ぶのも嫌いなので、少し後ろから作品の全体像を見て歩く。
大きな絵画なら離れてみる方が全体像が見えるし、まあ、満足。

←常設展
館内に常設展があり、そちらは人が少ない。
私達はこちらの方が好きなのがいっぱいあった。
←聖ミカエルと龍、14世紀
中世のオランダやイタリアの絵画、時祷書、イコン、工芸品。
←中庭に面したロダンの部屋
ピカソ、マティス、藤田、ロダンやブールデル、そしてルオーの油絵。
←ミロ、ピカソのアトリエのモデル
←ルオーのリュリュ(道化の顔)、道化師
中世から20世紀初のヨーロッパの絵画と彫刻を展示してあった。
見ごたえあって、すっごく良かった。
全ての絵の迫力でぐったり疲れた。
時間はあるけど、他の美術館、博物館へ行く気力がない。
←上野公園マンホール
とにかく、お昼ご飯を食べながら考えよう。
帰る方向へ進んで、上野駅前の3153ビル3階の精養軒へ。
←上野公園からスカイツリー
上野公園の中に精養軒の本店があるけど、そこまで行く元気もなし。
建物は雰囲気ないけど、料理は同じ。
←精養軒でランチ
イリス店主はランチコース。
私はオムライスもハヤシライスも食べたかったので、オムハヤシ。
卵が薄焼きじゃなく、フワフワのオムレツの中にチキンライスが入った感じ。
←精養軒から御徒町と山手線

午後2時だけど、上野駅で新幹線のチケットを購入、帰ることにした。
翌日には内科のクリニックの予約が9時に入ってる。
内科の先生に外科の診察の報告もある。

京都と東京、新幹線と宿泊をセットにすると安いのだが、自由度が低い。
病院から徒歩圏内ホテルを希望、帰りの新幹線は何時に何処から乗るか未定、なのでお得なセットが買えない。
万が一、病院で診察を受け、悪い所が見つかって、即入院となる可能性もゼロではない。

この翌週、関東地方を台風15号が襲った。
2泊3日で東京へ行った友人は台風一過の月曜日に京都へ戻る予定にしていた。
ホテルのチェックアウトを12時にして、品川から東京駅へ行くのに山手線を逆回り、ほぼ一周して駅へ到着。
チケット売り場は長蛇の列だったが、スマートEXで予約を入れて、そのままチケットレスで乗車して京都へ戻った。
同い年なんだけど、スマホもラインもフェイスブックも使いこなしている。
ガラケーでSNSをやってない私は話を聞いて、へー、フーン、ホーと相槌を打つけど、あんまり解ってない。

私の定休日の予定はしばらく満杯、11月は予定が入ってないし、誰か誘って~。

 by mikiris


第239回(2019年11月1日)大人の遠足近江八幡

毎年、秋には大学のゼミの卒業生が集まって、ちょっと遠出して食事をする。
一番年上の卒業生は80歳近いし、一番下の生徒でもアラフォー。

卒業生の誰かが幹事になり、強力なコネを使って、充実した大人の遠足が実施される。
最初は参加者が10人程だったが、今は先着順の申し込み定員40人程、食事する所の広さで前後する。
先生御夫妻と一緒に歩いて、名所を見学して、美味しい食事をする集まりだが、今年の3月に先生が亡くなられた。
2月に高台寺、菊乃井での新年会に元気な様子で参加されて、先生の今後の抱負などを聞いたばかりだったのに。
先生は「自分史」を執筆中で、自分のルーツをたどり、先祖の事から自分が生まれて現在まで、ゼミの生徒との交流が主な内容。
料亭の入口でタクシーに乗って帰宅される先生を見送り、数週間後に訃報を聞いた。
先生は「自分史」を書きあげ、校正を済ませ、表紙やサイズを決定されたが、出来上がった本をご覧になることはなかった。
「ゼミの集まりは最後の一人になるまで続けて欲しい」と希望されていたので、その約束を守って今秋も催行された。

大人の遠足は近江八幡散策。
京都から滋賀県の近江八幡までJRで30分。

近江八幡の駅前は広いロータリーだけで、休日でも人がいない。
バスで町の中心へ行くと古い町並みが残っていて、のどかな所。
←日牟禮八幡宮
平安時代に創建された日牟禮八幡宮があり、この神社が近江八幡の名前の由来になっている。
4月14、15日に行われる八幡祭りは松明祭りとも呼ばれる火祭り。
←八幡祭りの道具
日牟禮神社の先に八幡山へ登るロープウェイがある。
標高272m、徒歩で登って30分の山だけど、今回はロープウェイで。
頂上に八幡山城城跡がある。
←八幡山ロープウェイ
安土城が落城したのち、豊臣秀吉の姉の息子、秀次が建てた城で、現在は石垣だけ。
←石垣が残る城跡
秀次は秀吉の養子になったが、秀吉と茶々(淀君)との間に子供、秀頼が生まれた為に悲劇的な最後となった。
ロープウェイ駅から右手の階段を登ると「恋人たちの聖地」展望台がある。
LOVEの文字のオブジェがある。
ゼミ生にはもはや縁のない場所で、団体写真を撮った。
←西の丸から城下町
八幡山城は一番高い所に本丸、少し低い南東に二の丸、西に西の丸、北に北の丸があった。
本丸跡に秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)があり、秀次が祀られている。
←村雲御所瑞龍寺
北の丸から琵琶湖が見えて、琵琶湖の向こうの山の向こうが京都。
秀次もここから京都の方を見たのかな~。
←北の丸から琵琶湖
行く前に聞いていた話では、「ロープウェイで上に登って、その辺をちょっと歩くだけ」。
しかし、西の丸、北の丸、本丸跡の瑞龍寺を回るのは石段と木の根道で昇り降りが激しい。
私は歩きやすいローファーだったが、ヒールの靴で来た人達は「こんなはずじゃなかった」と大変そうだった。
←城跡の地図
八幡山を降りて、八幡堀めぐりをした。
12人乗りの屋形船3隻に乗り、掘から古い町並みを見る。
←八幡堀、瓦ミュージアム
八幡堀は1585年に秀次が築城した時に城の防衛と水運の為に造らせた。
琵琶湖から船が入れるようになっている。
楽市楽座で城下町は発展した。
楽市楽座は安土桃山時代に大名が城下を経済的に潤うように規制や特権、税の優遇をした政策。
1595年に秀次の自害で八幡山城は廃城になったが、城下町は存続して、近江商人によって繁栄した。
←八幡堀めぐり
船で掘を巡って、いくつもの橋の下を通り抜ける。
川の縁は遊歩道になっており、歩く人、釣りをする人、絵を描く人。
←八幡堀めぐり
古い建物が残っていて、風情がある。
煉瓦工場「旧中川煉瓦製造所」の跡地に残された高さ30メートルのホフマン窯の煙突が見える。
←ホフマン窯の煙突
八幡堀は映画のロケ地としても知られている。
「駆込み女と駆出し男」「 柘榴坂の仇討」 「祈りの幕が下りる時」「るろうに剣心」「水戸黄門」「遠山の金さん」「必殺仕事人」
NHKの朝ドラ「あさが来た」
←マンホールの蓋は八幡掘り
30分だけ自由時間があり、日牟禮八幡宮の周辺を散策した。
八幡宮の鳥居前に白い西洋建築と日本建築を融合させた白雲館がある。
←白雲館
白雲館は明治10年(1877年)に八幡東学校として建設された。
現在は観光物産協会で観光案内所も兼ねている。
←タバコ屋さんとポスト
鳥居を出て、右に曲がると煙草屋さんと赤いポスト。
そのまま進むとヴォーリズの像、道路を挟んでメンタムの近江兄弟社。
←ヴォーリズの像
道を渡って、新町通りへ。
格子戸やむしこ窓のある家が並ぶ。
←新町通り
旧伴家住宅は小学校や役場に転用され、現在は一般公開されている。
←旧伴家住宅
その前を曲がって、お目当ての丁稚羊羹の店、紙平老舗へ。
紙平老舗は1585年に秀次が築城する時に安土から呼んで、現在の場所に店を置いた。
初代は紙屋平兵衛だったが、江戸時代に紙屋から薬種問屋になり、砂糖を扱ったので菓子屋になった。
薬問屋から菓子店になるのは日本だけじゃなく、海外でもある。
ベルギーのチョコレート屋さん、老舗は開業当初は薬局だった店が多い。
砂糖やチョコレートなど、高価で口に入れるものは薬のように扱われていた。
←紙平老舗
紙平老舗で店のご主人が応対してくれ、あれこれと選んだら、奥から作りたてのを出して包んでくれた。
丁稚羊羹は江戸時代からの製法で、開けた時に竹の皮の香がホワ~として、素朴であっさり、好きな味。

「滋賀県で丁稚羊羹を買うて来た」というと100%「わた与か?」と聞かれる。
あまり知られてないのかと、後日、近所に住む叔母(95歳)の家へ土産を持って行き、
「オバちゃん、近江八幡の紙平て知ってるか?」 と聞いただけで、すっごく嬉しそうな顔をして「知ってる」。」

集合場所の日牟禮八幡宮へ戻る方向でヴォーリズの建築、アンドリュース記念館、旧八幡郵便局をササっと見る。
←アンドリュース記念館
アンドリュース記念館はヴォーリズの建築第一号。
外観は洋風、中は和洋折衷。
←旧八幡郵便局
旧八幡郵便局は見学自由。
広い部屋の真ん中に天窓があり、自然の明かりが入ってくる。
←郵便局内
裏庭へ出ると、井戸とトイレがある。
2階も見学OKだけど、時間がなくてパスしました。
←郵便局裏手
そして、歩いていると骨董屋さんが何軒かあった。
やっぱり、入ってしまった。
入れ違いに古美術好きの先輩が出てきて、「おおっとー」
←酒蔵、町並み
江戸時代の酒蔵で食事ができる所、古い町並みが続く。
ランチは近江牛の店、守利志満(もりしま)へ。
大人の遠足を企画してくれたゼミ生が知り合いで、社長さんから希少な日本酒の差し入れがあった。
料理は味が良いのはもちろん、少しグレードアップされていて、全員、大満足でした。
←守利志満
私は子供のころから牛肉が嫌いで、ほとんど食べない。
肉料理と聞いて、遠足に参加するのが嫌だった。
そんな肉嫌いの私でも、美味しくて、生肉のたたき、自分で焼くステーキ、フルコースをペロリと平らげた。
自分で計画してなら絶対に行かないような所だったので誘われて行って良かった。

還暦を過ぎてから誘われたら可能な限り全参加と思ってる。
行ってみたら楽しいかも知れへんし、行かなかったら、そのチャンスを逃してしまう。
ただ、今までに、誘われて、行って、後悔したことは一度もない。

 by mikiris


第240回(2019年12月1日)富山の棟方志功の家

 富山県、福光に戦時中、棟方志功が疎開していた家とアトリエがある。
自宅を「愛染苑(あいぜんえん)」、自宅内のアトリエを「鯉雨画斎(りうがさい)」と名付けた。
志向は描きたい気持ちがいっぱいで、自宅の廊下、板戸、トイレの壁、天井にまで描いた。
疎開中、紙がなかった為に近くの材木作業場で板切れをもらって、板に描いた。
棟方志向の作品は油絵、倭絵もあるが、板画も沢山ある。
居間に北陸銀行から頼まれて作ったカレンダーが壁に掛けてある。
年末にお客さんへ配る為の物だが、数字や日付のデザインがとっても洒落てる。
作品が出来上がった時、頭取さんがとても喜ばれたそう。
←棟方志向が住んだ家
この家は棟方志向が初めて建てた新築で、土地は地元の石崎氏に借りたもの。
棟方の大ファンだった石崎氏は自分が住む家を隣に新築して住み、棟方一家を熱心にサポートした。
後に、石崎氏が土地と多くの棟方の作品を福光町に寄付したので、ここに建物を移築して、記念館が建てられた。

記念館の「愛染苑」受付でチケットを買い、見る順番を教えてもらって、順に回る。
それぞれの場所に係の人が居ないので、勝手に入口を開け閉めして見て回るシステム。
敷地内に棟方志功の自宅、石崎氏の自宅(民芸館)、記念館、資料館の4つの建物がある。
記念館の「愛染苑」は2階3階に作品が展示されてる。

隣の民芸館(青花堂)は棟方の家より少し大きくて、時計や陶磁器、民藝的なものが展示されている。
入口の戸を開けて入って、他所のお宅に誰も居ない時に出入りして、心細い感じ。
廊下も部屋も電気が消えてるし、障子も閉まっていて、勝手に電気のスイッチを入れるのも気が引ける。
薄暗い家の中を二人でソロソロと歩いて部屋と展示を見て回った。
見終わって、外に出て、扉を閉めて、次の展示施設へ。
←民藝館(青花堂)
資料館は現代風の建物で天井が高くて明るい照明。
貸し展示室としても使われている。
←棟方志功資料館
←福光のマンホールと道
旧福光町は棟方志功と深い関係があったので福光美術館には棟方志功の常設展がある。
立山連峰を描いた油絵、山田小学校の近くを描いた倭絵、飼い猫の五郎を描いた絵など、福光時代の絵が多く展示してある。
二菩薩釈迦十大弟子は六曲一双の屏風。
←福光美術館
美術館から近くの安居寺へ行ってみました。
弥勒山安居寺(あんごじ)は約1300年前(718年)にインドから渡来した善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)が創建した由緒あるお寺。
←弥勒山安居寺
お寺の案内板の前が駐車場になっており、車を停めて、苔に覆われた境内を散策した。
山門も鐘楼も本堂も朽ちた様子で年代と風格がある。
←安居寺山門、本堂
ひっそりした古いお寺には不思議な力が渦巻いている感じ。

案内板を見ると、少し山の上に第二駐車場があって、広い児童公園がある。
歩いて登るには急な階段が続くので、車で行ってみよう。
私の提案にイリス店主は乗り気じゃないけど、しぶしぶ車を発進。
すぐに一本道は車1台が通れるくらいの細い道になり、片側は崖、片側は山。
気を抜いたら、崖から転落しそうな道。
←細い山道の片側は崖
急なカーブが何か所かあって、Vターンでタイヤの横を擦りました。・・イリス店主は機嫌悪し。
「お前がこんなとこ、行きたいって言うからや!」
幸い、対向車が来なくて、第二駐車場に到着した。
←第二駐車場の地図
下の第一と同じく、駐車場に車は無い。
車を降りて、児童公園への坂道を登り始めたけど、「熊注意」の看板。
動物の気配はないけど、人の気配も無い。
早めに戻ることにして、山を降りた。
帰り道も対向車は来なかったし、相変わらず第一駐車場は空っぽ。
人混みは嫌いだけど、行くとこ行くとこ無人なのも寂しい。。。
←庄川
旧福光町は南砺市福光となり、近くに庄川の流れる町がある。
庄川は鮎が住むほど水が綺麗な川。
町のマンホールも鮎。
←鮎の絵のマンホール
庄川沿い、ダム湖の周りに遊歩道がある。
ダム湖の水面に山が映って綺麗。
←庄川沿いの遊歩道
川沿いに水資料館があり、敷地内に美術館もある。
←水資料館のオブジェ
富山県には美術館や資料館が多数あり、毎年、何か所かだけ訪問する。
富山市民俗民芸村はずっと行きたかった場所。
広い敷地内に10軒くらいの建物が点在している。
有料施設は7か所で一館が100円、全館共通チケットは530円。

お天気の良い日に民俗村の中をブラブラして、民俗館や資料館を覗いて回るのは楽しい。
民俗資料館のパーキングに置いて全体を徒歩で一周した。
←民俗村の中
民俗資料館の建物は江戸時代後期に建てられた茅葺、寄棟造り、合掌組の農家。
欅と栗の木が多く使われている。
←民俗資料館
昔に使われていた生活用具が1階に、2階に農機具と蚕の養殖が配置してある。
湯たんぽや櫓炬燵は私が子供のころに使っていた。
足踏みミシンは母が使っていたし、私もこれで雑巾を縫った。
イリス店主は交換手につながる電話を覚えていた。
←昭和の生活用具
10円札は使ったことないけど、100円札は余裕で使っていた。
←古いお札
雪の日に履くわら靴を編んでる人が居て「足を入れて歩いてみたら」と勧められたけど、パンストが破れそうなので遠慮した。
持ってみたら、わらで編んだ長靴はメチャ軽い。

次に行った売薬資料館は模様替えで休館。
隣の民藝合掌館へ。
←民藝合掌館
江戸時代末期に8年かけて造られた、豪雪に耐える巨大な柱と梁を使った合掌造り。
大きな囲炉裏と広い床の間のある豪農のお宅。
芹澤銈介の型染カレンダーを屏風にしてあった。
←合掌館内
少し坂を上って民芸館へ。
←板蔵の民芸館
明治12年、飛騨に建てられた板蔵。
天井が高くて、木の床が気持ちがいい。
←民芸館内
ヨーロッパの家具や掛け時計、筒描き、焼き物など、生活用具で見た目が美しい、用の美を展示。
←館内の様子と展示
縁側は李朝家具がいくつか並べてある。
この家にある物、全部欲しい!

土人形の工房があった。
粘土で作った人形を素焼きして、絵付けをした物を販売している。
←土人形の天日干し
素焼きして天日干しされてる人形を見てると
「自分で絵付けができますよ」と勧められて、 「やってみたい!」
工房の人が絵付けして販売している土人形も、白無地の土人形に自分で絵付けしても500円。
←素焼きに白化粧した土人形
白い釉薬をかけた状態の人形が色々と置いてあり、一つ選んで、2階の工房へ。
絵付けのコツを簡単に説明されて、エプロンをかけて作業開始。
←絵具で絵付けする
出来上がった招き猫の貯金箱は割らないと中のお金を出せない。
昔のオランダの貯金箱みたい。

陶芸館は前庭が広くて、アズマダチと言う富山県平野部の切妻住宅で国登録有形文化財。
外観の格子状お木組みがアズマダチの特色。
←陶芸館
茶の間は吹き抜け、座敷は書院造、巨大な床の間の天井は立山杉の一枚板が使われている。
←陶芸館内
座敷の天井は屋久杉。
縁側は欅の床板、さんの部分は11mの北山杉。
←陶芸館内
明治27年に建築された当初は敷地4500坪、建坪300坪だった。
お茶室、丸山庵は大正9年に建てられた物で、抹茶接待があります。
←お茶室、丸山庵
考古資料館で「古代富山のまじない」展を開催中。
奈良、平安時代に人面を描いた壺や板切れでまじないをした。
←考古資料館

富山に来たら、富山美術館の屋上から立山連峰を一望しなくちゃ。
民俗村から車で5分、富山美術館に到着。
この建物、シュッとして好きだなー。
←光がデザインになる廊下
特別展「日本の美」開催中で、書、浮世絵、日本画、工芸品などの展示。
昔は「めんどくさい」と思っていた平安時代の書などが、最近は好きになってきて、年のせいかな?
グジャグジャと書かれた読めない字を見て美しいと思う。
←テラスに白熊3匹
美術館内はオブジェが点在してある。
可愛い親子の白熊3体、仲良し友達が座っているようなオブジェ、ピアノみたいなオブジェ。
←ピアノと人のオブジェ
北欧の作家の椅子やイタリアの椅子、イギリスの椅子、現代アートの椅子など。
座り心地を試せないけど、見て楽しい。
←椅子の部屋
常設展では国内と海外の絵画、工芸品を展示。
←ビュッフェ
←ルオー、ピカソ、シャガール

屋上の「オノマトペ公園」から立山を一望できるのだが、晴れ過ぎていて見えなかった。
←オノマトペ公園
沢山歩いたので、1階のカフェ、テラス席で休憩。
セロリ、生姜、オレンジ、パイナップルをぶつ切りにして入れたデトックス・ウォーターはセルフサービス。
←サラダランチとティラミス
イリス店主はサラダランチ、私はティラミスとコーヒー。

富山は自然が美しく、食べ物が美味しく、美術館や古い寺、町並みがあって、私の好きな物ばかり。
骨董に関係した仕事をしてるので、美術館へ行くのは参考図書を買ったり、図書館へ調べ物に行くのと同じように大事。
実物を目にした時、それまでの疑問がサーっと消えることもある。
ネットや本で見るよりも、百聞は一見にしかず、の格言通り。
だから美術館の入場料は当然、経費になると思っていた。
イリスの経理部長いわく「それは経費にはなりません」
趣味と実益を兼ねて一石二鳥とはならず、世の中、甘くないですね。

 by mikiris


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