第306回(2025年6月1日)こんぴらさん

 こんぴらふねふね おいてにほかけて しゅらしゅしゅしゅ(金毘羅舟舟 追手に帆掛けて)
長い間、「こんぴらふねふね お池に帆掛けて」と間違って歌ってました。

お座敷遊びの歌で、低い台の上にお椀を置いて、向かい合わせに座った人が代わり番こにパーやグーを置く遊びです。
お椀がある時はパー、どちらかがお椀を取ったらグーを置く。
曲がどんどん早くなるので、それに合わせてお椀を取ったり置いたり、グーやパーを出す。
お座敷遊びは投扇興やとらとら、簡単で楽しめる。
舞妓さんがいなくても遊べます。
←瀬戸大橋で香川県へ
 私達は本物のこんぴらさんへ行ってきました。
こんぴらさんは長い石段で有名な神社です。
御本宮まで785段、その先の奥社まで行くと1368段の石段を登る。
いつか行きたいと思ってたけど、そう思ってるうちに何年も経ってる。
あまり先に延ばすと遠距離の運転も長い石段を登る足腰にも自信がなくなる。
エイやっと決めて、京都から瀬戸大橋経由で5時間のドライブでした。
←金陵酒歴史館
車を置く場所を色々悩んだのですが、周辺のパーキングよりちょっと高い所に置きました。
参道の呼び込みパーキングは鍵を預ったオジサンが車を何度も動かしてしてギチギチに駐車する、1日500円。
参道のタイムズは1日500円、土産物屋さんは500-700円で買い物すると無料になる。
公園パーキングは無料だけど、少し遠い。
私達が駐車したタイムズは1日600円、周辺のタイムズより100円高いので置く人が無くてガラガラ。
ドアパンチの心配もなく、敷地が広いので動きやすく、身障のスペースが3個ある。
ついでに、酒造メーカー金陵の酒歴史館の中を通って参道の途中へショートカットできる。
←こんぴらさん参道
参道にはうどん屋さんが何軒もあり、昼時だったのでどの店も繁盛してた。
足湯やお灸の形の饅頭を売る店もある。
←こんぴらさん石段の始まり
キョロキョロしてたら、石段が始まりました。
ゆるい石段、長い踊り場、ゆるい石段、長い踊り場の繰り返しで、道の両側に店がある。
←参道、鼓楼
大門の手前に宝永7年に建てられた鼓楼がある。
←大門
大門に到着、門の両側に隋神さんが鎮座する。
←大門の隋神さん
左の隋神さんは若い、右の隋神さんは高齢で貫禄ある。
明治以前、神仏習合の時代には阿吽の仁王さんが居たのだろうけど、神仏分離以降は隋神さんが門を守る。
←桜馬場
大門から真っすぐに石畳の道、桜馬場に昭和47年に百萬円を奉納した石碑が並ぶ。
昭和47年は1972年、札幌オリンピック、沖縄返還のあった年。
ウグイスとホトトギスの声が良く響いて、緑の中を散策するのが気持ちいい。
ホーホケキョ―、テッペンカケタカの共演。
←こんぴら狗、アフリカ象
昔、清水次郎長の代参で森の石松がこんぴらさんへお詣りした話があるが、
犬が代参することもあったそうで、こんぴら犬の像があった。
アフリカ象も居たけど、スクリューの像と同じく寄付された像。
こんぴらさんは海の神様なので海運会社や関連した会社の寄進が多い。
御神体が大物主神(大国主命と同じ)なので商売繁盛、病気平癒を祈願に参拝する人も多い。
←神馬
白い神馬の小屋があり、真っ白の綺麗な馬が2頭いた。
「こっち向いてほしいな~」と小声で言ったら1頭だけがカメラ目線をしてくれた。
「ありがと」とお礼を言ったら食事に戻った。
←こんぴらさん参道
石段を登った右手に御書院、建物は書院造、桃山時代の形を残した重要文化財です。
←御書院
丸山応挙の鶴の間、虎の間、七賢人の間、伊藤若冲の襖絵もあります。
←応挙の虎
100段程登って、祓戸(はらえど)社、火雷社。
祓戸社は瀬織津姫と3人の神様がお祀りされ、罪や穢れを祓い清める神。
←祓戸社
火雷社に祀られる火産霊神(カグツチの神)は伊弉冉(いざなみ)の子供で火の神様。
伊弉冉が火産霊神を産むときにやけどを負い、黄泉の国へ行き、それを夫の伊弉諾(いざなぎ)が追いかけて、、、の神話の神様。
←旭社
旭社は40年の年月を費やして1845年に完成した天保時代の建物。
御祭神は伊弉諾、伊弉冉、天照大神、八百万の神、等
重厚で凝った造りの建物です。
旭社の前に並んだ椅子で休憩できます。(私達は休憩なしで進みました)
←賢木門、手水舎
御本宮への入口、賢木門(さかきもん)は「金毘羅舟舟」の歌詞にもある長宗我部元親が寄進した門。
一本の柱が逆さまに取り付けられたので、逆木門(さかきもん)と名が付いたが、明治時代になって賢木門に変えられた。
♫長宗我部元親 神罰恐れて 逆さに建てたる賢木の門♫
←狛犬
愛嬌のある狛犬さん達。境内にいくつも狛犬が居ます。
ここから御本宮まで一直線、途中にお百度石がある。
この石段を100回昇り降りする根性なら、どんな願いも実現できるでしょう。
←御前四段坂
御前四段坂と呼ばれる133段の石段、先に御本宮が見えてる。
←785段目から
やっと登り切った、785段です。
登って来た石段を見て、登ってしまうと苦にならないもんです。
←御本宮
御本宮をお詣りするイリス店主の後姿。
重要文化財の御本宮は正面からの撮影はNGなので、下方向からの写真です。
御祭神は大物主神、崇徳天皇。 農業、殖産、医薬、海上守護の神様。
←讃岐平野と讃岐富士
御本宮から見た景色、讃岐平野と讃岐富士が見える。
さて、ここから奥社まで行くと全部で1368段も登ることになります。
イリス店主に「どうする? 行くか?」と聞くと
「もちろん、ここまで来たんやし、上まで行く」
普段からイリス店主はヘタレなんですが、頑張りますね~。
←御本宮から奥社へ
御本宮の右手にある道を進むと奥社参道入口になる。
距離は1.2㎞、583段の石段と平坦な石畳が繰り返す道です。
←眞井橋
眞井渓にかかる眞井橋から先に進むと白峰神社。
←白峰神社
白峰神社の祭神は崇徳天皇(1164年没)、社殿は大正2年築。
←卯花谷休憩所前の石段
卯花谷休憩所の赤い建物の正面に長~い石段。
思わず「わ~」と言ってしまう。
奥社まで残り270段です。
←手水舎
石段を登り切ったら手水舎がありました。
登り切ったら奥社に着くと思ってたので、少し心が折れました。
参道は直角、V字に曲がって続くので、着いたと思ったら、未だでした~、の繰り返し。
何度も気持ちをリセットして登ります。
←最後の参道登り
ついに奥社、厳魂(いづたま)神社へ到着しました。
←奥社
厳魂彦命(いづたまひこのみこと)は金刀比羅本教の教祖で高野山で修行をしました。
亡くなる時は 「死して永く当山を守護せん」 と言い残して1613年に天狗に変身して姿を消した。
以来、天狗は金毘羅大権現の守護神「金剛坊」として祀られている。
←烏天狗、天狗
奥社の左手にある断崖に烏天狗と天狗の顔の彫り物がある。
←讃岐平野、讃岐富士
海抜421メートルから見渡すと讃岐平野が広がって、讃岐富士がすごく小さく見える。
御本宮から奥社までお詣りする人は1割くらいでした。
ここから来た道を戻ります。
石段を降りながら 「今日は骨が丈夫になってええなあ」と言ってましたが、夜に足がつりました。

御本宮から先は社務所前を通って来た時とは別の道を下ります。
←南渡殿
御本宮と美穂津姫社は長い廊下、南渡殿で繋がっている。
南渡殿(みなみわたどの)は明治時代の建築で木造、檜皮葺、重要文化財。
神仏分離で神社となった時に素木を使った建物が造られた。
←琴平町のマンホール
宿泊するのは讃岐五色台の休暇村、琴平から車で1時間半。
五色台の休暇村は4月からリニューアルオープンされて、水鏡のテラスができた。
←五色台の休暇村
夕陽が沈む時間が逆光で水鏡が綺麗に映る。
ウユニ湖みたいです。

翌日、休暇村から車で5分の距離、根香寺へ行きました。
四国88カ所霊場の82番札所です。
←根香寺、第82番札所
根香寺には牛鬼の伝説があり、駐車場に牛鬼が居ます。
←牛鬼
江戸時代初期にこの地域に牛鬼が住み、人や田畑に害を及ぼした。
弓の名人、山田蔵人高清が根香寺のご本尊に願をかけて見事、牛鬼を退治した。
牛鬼の角は根香寺に奉納されており、代々、牛鬼を描いた掛け軸と一緒に伝わっている。
←根香寺仁王門
根香寺は810年―824年に弘法大師が五大明王を祀って建立したお寺。
←仁王さん
仁王門に赤く塗られた仁王さんと巨大な草鞋、小さな草鞋が奉納されている。
山門を入って、石段を降りて、登って本堂のある境内へ行く。
実は、階段を上り下りしなくても、駐車場横手からショートカットの道がある。
←根香寺、参道
本堂に登る石段下に役行者像があります。
根香寺開創1100年を記念して昭和6年に安置された。
←役行者
仁王門と本堂の間にある堀のような場所は古い石垣で囲まれている。
この石垣が何とも、雰囲気があって、時代があって、タイムスリップしたような気分になる。
←手水舎
手を清める時、私は左手、右手に水をかけて、柄杓を立てて残った水を柄に掛けて綺麗にするだけ。
清潔感が気になるので、手水舎で口はゆすぎません。
境内の五大堂には五大明王が安置されている。
←五大明王
五大明王は不動明王、隆三世夜王、軍茶利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王。
気温30度の炎天下でも、お堂の中は別世界、すでにあの世のようでした。
←本堂
本堂に千手観音菩薩が安置されていて、ご本尊ですが、わかりませんでした。
根香寺は四国88カ所霊場詣りの82番目なので、お遍路してる人はあと少しで結願ですね。
歩き遍路の人は服装が正当派で白の上下、白衣、菅笠、輪袈裟を身に着けて、金剛杖を持っている。
車遍路、バイク遍路の人は白衣と輪袈裟でそれとわかる。

82番札所の次は83番札所の一宮寺。
あまり遠くないようなので、そちらもお詣りに行こうかな。
何故か、ナビに誘導されて到着したのは讃岐國一之宮の田村神社。
←讃岐国一之宮
「変やな~、ナビではこの近くなんやけど、、、ここは鳥居があって神社やし、、、」
讃岐国一之宮の田村神社の創建は709年、和銅2年。 
奥殿の床下に竜が住むと言い伝えがある。
大鳥居の先、綺麗に敷かれた石畳を進むと隋神門がある。
←隋神門
真っすぐの石畳が続くので本殿へ行きつくまで遠い感じがする。
本殿、宇都伎社、七福神、稲荷社、天満宮、お詣りする所が沢山あって、広い境内です。
←北参道
北参道の鳥居を通り抜けると素婆倶羅社の裏側にでました。
←素婆倶羅社
素婆倶羅社は病気平癒、健康祈願の神様。

田村神社のお詣りを済ませて、道路でキョロキョロするけど一宮寺が見つけられない。
地元の人が通りかかったので聞くと、田村神社の横にある幅1.5mの細い路地の先と教えてくれた。
路地を歩いて行くと、ありました。
さっき、根香寺に居たお遍路さんが来られてました。
←83番札所の一宮寺
一宮寺の創建は701-703年、大宝年間に義淵僧正が開いたと伝わる。
708-715年、和銅年間に各地に一宮が建立されて、讃岐一宮として田村神社が建立された。
一宮寺は田村神社の統括管理職となったが、江戸時代に高松藩主より職を解かれた。
神仏分離より200年前に分離しました。
そういう理由で田村神社と一宮寺は細い路地を挟んだ隣同士に並んでるのか。。。
←一宮寺仁王門
仁王門の両脇にいる仁王さんは京都の仏師作、大きな草鞋は旅の安全を祈願して奉納された物。
←一宮寺本堂
本堂には弘法大師作と言われる聖観音菩薩が安置されているそうです。
お遍路さんが念仏を唱えています。
私の同級生もいつか、歩き遍路をしたいそうです。
かなり計画を練っていて、四国88カ所を50日間で歩いて、予算は50万円。
四国にはお遍路さん向けの遍路宿が点在していて、五色台の山の中にもありました。
←一宮寺境内
境内に鐘楼堂、護摩堂、大師堂があり、石畳と緑の多い気持ちの良い空間でした。
細い路地から出ると、田村神社の前でスマホ片手に悩んでる外人の歩き遍路さん。

「Are you looking for the temple ?」 と声をかけると
「Yeah, this is it ?」 と田村神社を指さすので、
「No,this is a shrine. The temple is through the narrow path. You'll find on your left side」

リュックを背負った白人のオバちゃん遍路さん、教えてあげた道を入っていきました。
やっぱり、ナビで一宮寺を探すのは難しかったと納得。
←香川のマンホールは那須与一
創建の古いお寺や神社の石段を登り降りするのが好きなので、歩けるうちはどんどん行きたい。
登山などしたことが無いので、運動靴やスリッポンで行ける範囲の所だけ。
写真を見て憧れてるのは出羽三山。
東北の方は縁が無くて、あまり行ったことがない。
出羽三山は羽黒神社、月山神社、湯殿山神社の三社を合わせて呼ぶ。
羽黒神社は五重塔が素敵で、是非、自分の目で見たいが、石段2446段はこんぴらさんの2倍近い。
月山神社はお詣りできる期間が短く、登山の用意が必要。
なかなかハードルが高いので、無理かな? 登れるかな?
何でも即決の私ですが、行き方、乗り物、日程も含めてかなり悩み中です。

  by mikiris


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